第9話 報せ ③
午前十一時、時間きっかりに無線の音が入った。
「佐伯基地、聞こえますか」
「こちら佐伯駐屯地。そちらの場所と人数を送れ」
原田が無線に応答する。要にはどこかで聞いたことのあるような女性の声だった。
「あ、はい。場所は青山市内のホテルリバーサイドです。青山川のほとり、小高いところにあるホテルです。人数は私含めて三十一です」
「了解した。その無線はどうした」
「食べ物探しに行ったときに自衛隊の車を見つけました。人は乗っていませんでした」
乗っていた者は、カラスにやられたのだろう。名前の知らない隊員の冥福を祈る。
「わかった。そちらの食糧の備蓄は。移動はできるか」
「食糧は一月分ありますが、水があと一週間しかありません。移動は……私ならできますが、全員は無理です。女性ばかりで、小さい子供もいるんです」
女性ばかり。まずいな。嫌な予感がよぎる。
「了解した。手はずは考えるが、すぐには行けない。安全な場所で節約を頼む」
「無理は承知ですが、なんとかお願いします! せめて、子供たちだけでも」
「……願いは、わかった。定時連絡がつけれるようにしたい。午前九時と午後三時、危険を冒す必要はないが、可能であるなら連絡をくれ」
「……わかりました。お願いします」
ガッという音とともに無線が切れる。六人の間に沈黙が訪れる。
「司令、行きましょう」
「待て、伊藤。三十一人を乗せるには、二台は必要だ。残り少ない燃料で往復二百四十キロ、そいつを二台分だ。今の残量なら片道切符となる。燃料の確保が先に必要だ」
「子供がいるなら、強引になりますが一台に乗せましょう。燃料を入れ替えればなんとか」
そこまで言った時に、突然、ガッというプレストークの音が鳴る。
「あー、被災者の方、聞こえますか」
低い男の声で無線が鳴る。
これまでずっと無反応だった無線に新たな声が乗ったことで、自衛隊員たちは顔を上げて一様に驚いた顔をしている。
「……はい! 青山の被災者です」
少し間をおいて女性が応答する。車から離れたところで新しい無線が入り、慌ててもどったのだろう。少し息が切れている。
「こちらは陸上自衛隊広沢基地の金田一佐だ。佐伯基地よりも近い場所にいる。迎えに行くから安心して待ってろ」
何? 金田、一佐だと。その名に、不穏なものがよぎる。
「助かります! どうか、お願いします」
突然の救助の申し出に、歓喜の色を隠せない女性の声。しかし、佐伯駐屯地の自衛官たちは険しい顔でやりとりを聞いている。
「被災者の年齢構成、それに姉さんの名前を教えてくれ」
「はい、ええと。三十代六人、二十代十一人、十代八人、それ以下が六人です。私は相羽奈津といいます」
「わかった、明日迎えに行く。相羽さん、待っててくれ」
「はい! お願いします」
再び無線が切れる。聞いていた自衛官たちは、鬼のような形相になっていた。
要の嫌な予感が的中した。救助を求める者に対する、誠実そうな助けの裏に隠れた、狡猾な悪意。一年前の記憶が蘇る。金田……あいつに間違いない。女性ばかりの三十一人。邪な考えを持つものにとっては、格好の獲物となるだろう。そして、相羽奈津。何でそんなところにいる。要は原田に尋ねる。
「おい、こいつ」
「ああ、こいつは自衛官じゃない。まずい」
「根拠は」
「基地と呼ぶのは空自と海自。陸自にあるのは駐屯地だけだ。広沢にあるのは陸自の駐屯地。自衛官で駐屯地を基地と呼ぶ奴はいない」
「それに、一佐はもういませんよ」
浅見も割って入る。普段は冷静な顔も怒りを隠し切れない。
「幹部からカラスに狙われているんです。俺の兄貴も含めて。こんなところでのうのうとしている一佐がいやがったのなら、そいつはもはや自衛官じゃありませんよ」
伊藤が浅見の肩にそっと手を添える。
原田が警告を発しようと無線を持った瞬間、要が発信機をふんだくる。
「笹川一〇九から、笹川一一〇」
「おい、沖村! 何やってる!」
原田が無線を奪った要を押さえつける。
「笹川……え、先輩? なんで」
戸惑った声で女性の無線が応答する。無理もない。予想外の反応に、自衛隊員たちも顔を見合わせ、無線を取り上げるのを待つ。
「ああ、久しぶりだ。手短に言う。陸自にあるのは駐屯地のみ。基地はない。広沢には陸自。迎えは俺が行く。鍵かけて待ってろ。五八〇の用意を頼む。以上だ」
相羽、これで察しろ。
「……了解しました。五八〇用意しておきます。待ってますから」
女性の震える声で無線が終わる。
「あんた、知り合いなの」
伊藤が驚きを隠せず、要に尋ねる。
「ああ。名前を聞いてもしやと思ったが、古い後輩だ。通じたから間違いない。あいつならこれでわかるはずだ。先の奴はニセモノということも」
「沖村、そういうことは先に言え!」
原田司令が怒るのも無理はない。要は肩をすくめて謝罪する。
「笹川って何?」
「俺たちの昔のコールサインだ。俺が一〇九で、相羽が一一〇」
「五八〇の用意って」
「ああ、ちょっとした隠語みたいなものでな……ごはんだよ」
「ご、は、ん? あは、何それ」
おかしそうに吹き出す伊藤。殺気だった空気も少し緩んだ。要は原田を向く。
「そんなわけで、司令。車を貸してくれないか」
しかし原田は何か考え込み、首を縦に振らない。
「……ダメだ。行かせるわけにはいかない」
「はあ、何でだよ!」
要が詰め寄るも、原田は固い表情を変えない。今の流れは、助けに行く流れだろう。頼む、あんたらが頼りなんだ。
「あのニセモノ、金田一佐と名乗った奴が使ったのは何だ」
「何って、無線だろ」
そこまで言ってはっとする。そうだ。何で奴が、そんなもの持っている。
「そうだ。陸自のな。ニセモノがなんでそんなもの持っている。どういう方法か知らんが、奴らは陸自の物を手に入れたんだ。まず武装していると見た方がいい」
「そんな……」
伊藤も絶句する。
「奴らの規模もわからない。そんなとこに一車で行って何になる。被災者を守りながらカラスと武装した集団の両方を相手にしなければならん。最低でも小隊規模は必要だ。死ぬとわかっているところに、部下を放り込めるか」
原田も拳を震わせて握りしめている。彼らも悔しいに違いない。要は悲痛な思いで理解する。だけど。
「それでも、迎えに行くと約束したんです。車だけでもお願いします」
要は頭を深く下げる。ここで行かなければ、また見捨てることになる。頼む。
「約束したのはお前の勝手だ。死ぬ気の奴には大事な車を使わせられん。悔しいだろうが、今は耐えろ。駒田一曹、駐屯地周辺を捜索し、燃料の確保を急げ。橋本曹長は無線を頼む」
原田はそれで打ち切った。燃料の確保を指示したことで、救出を諦めていないことはわかるが、どれだけかかるかわからない。金田たちより早く救出に向かうことは、絶望的だった。
指令室には、重い沈黙だけが残った。
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