第9話 報せ ④

 明菜が壁にもたれて立っていると、扉が開いた。

「おい。なんで嬢ちゃんがここにいる。ここは民間人は立入禁止だぞ。守衛は何をやっているんだ!」

「ごめんなさい、あたしが『忘れ物を届けにきました』って嘘をつきました。守衛さんは悪くありません」

「く」

 原田は怒りのやり場を失い、壁を叩く。

 明菜は要の手を引くと、ずかずかと通路を歩いていき、人気のないところまで来ると立ち止まった。

「ねえ要。あんた行くつもりなんでしょ。あの相羽って人、どういう関係なの」

 明菜は要をじっと見据えている。話は聞いた。要がどういう行動をとるのかも想像つく。

「昔の後輩……付き合っていた奴だ」

 要は一瞬の逡巡の後、明菜にそう答える。

「そう……なんだ」

 要の昔の恋人。要にもそんな人がいたんだ。そりゃそうか。明菜の胸の中に、どこかもやもやした、寂しいものが湧き上がってきた。掴んでた手を力なく離す。

「今は関係ないけどな。でも危険とわかった以上、放っておけないだろ」

「あんた、原田さんの話聞いてた? 助けに行く手段もないし、自殺行為って」

「わかってる。死ぬつもりはないし、方法は考える」

 明菜は悟った。要は絶対に行くつもりだ。要にとっては、そこまでして、助けに行かなきゃいけない人なんだ。それでも。

「行くから。あたしも」

 明菜はまっすぐに要を見つめる。

「あたしも戦える。連れてってよ」

「……ダメだ。奴らは女が目当てだ。明菜を連れてはいけない」

 予想通りの答えだ。そんな答えが聞きたいんじゃない。

「あいつ……あの金田でしょ。あたしにも行く理由はあるから」

 要の眉がぴくりと動く。やっぱり。悠人の最期に明菜が一緒にいられなかった元凶。あの日のことは、明菜の中に棘のようにずっと刺さっている。あいつは絶対に許さない。

「あいつとは限らない。仮にそうだったとしても、復讐なんてやめろ」

「何でよ!」

「虚しいだけだ。おまえだってわかっているから、俺の復讐もあずけているんだろう」

 違う、そんなんじゃない。今さらそんなこと言わないでよ。あたしがあんたに復讐したいと本気で思ってるの。どうしてあたしのこと分かろうとしてくれないんだ。要が自衛隊の人たちとフォレストの物資回収に行った時、どんなに不安だったか。一人なのは、もう嫌だ。

「ハルとの約束は! あたしを一人にしないって約束なんでしょ」

 ここでハルを持ち出すあたしは卑怯だ。こう言えば、きっと要には拒否できない。案の定、要は苦悩の表情を浮かべている。

「約束は忘れてない。伊藤さんとかもいるから、一人にはならないだろ」

 違う。そうじゃない。あの人たちが優しいのもわかっているけど。

「そう。あたしを預けるところが出来たから、捨てていくんだ」

「違う! そんなわけないだろ!」

 要は即座に否定したが、明菜に言われた言葉にショックを受けたようだ。俺を、そんな風に思っていたのか、と。

 そんな顔を見て、明菜の心もズキッと痛む。なりふり構わず、傷つけるつもりで放った言葉。大事な人を傷つけるって、こんなに痛いんだ。そう。わかってる。要がそんなこと考えるわけない。ただ、あたしを危険な目に遭わせたくないだけなのもわかっている。

 でも。

 あたしだってあんたが心配なの。

 きっと要は無茶をする。そんな中、せめて無茶をしないような重しになれば。そんな藁にもすがるような思いだった。

「……わかったよ。明日の早朝、午前五時に出発する。朝早いから、今日は早く寝ておけ」

「……置いてったら許さないから」

「ああ」

 ようやく認めさせたところで、明菜の中に罪悪感が募る。要の苦しそうな表情。あたしはまだ荷物でしかない。要にこんな顔しかさせることしかできない。でも、ここで離れたら、もう二度と会えないような、そんな不安が募る。


 浅見が輸送車の点検をしていると、背後に足音が聞こえた。

「来ると思っていたよ」

 背後には沖村が一人で立っていた。

「頼む、そこをどいてくれないか」

「できないね。これは俺たちの車だ。死ぬ気の奴になんて渡せない」

 浅見はじっと沖村を見る。悲痛な顔をしてやがる。こんな顔をした奴には余計渡せない。

「死ぬ気なんてない。頼む」

「燃料入れ替える前だよ。片道の燃料で、どうやって帰るつもりだ」

 浅見が畳みかけると、案の定、沖村は言葉に詰まる。

「はぁ。あんたなあ、何でも自分でやろうとするなよ。もうちょっと頼るとか知らないのか」

「いや、何でもできるような力がないことは十分わかっている。だけど、こんなことに巻き込むわけには」

「巻き込む以前に、俺たちは当事者なんだ。助けを求める人がいて、助けられない悔しさは分っているのか」

「ああ、それは分かっているつもりだ。原田さんも本意ではないということもな」

「いいや、わかっていないね。司令が何て言ったのかわかっているのか。『死ぬ気の奴には使わせない』だぞ」

 浅見はふっと力を抜く。

「ようは、『死ぬ気じゃないなら勝手に行け』ってことだ。もっと肩の力を抜けよ」

「……いいのか」

「女ばかり、子供もいるってなら、助けに行きたいに決まっているだろ。駒田一曹も今頃必死に燃料集めているはずさ」

 浅見が輸送車をポンと叩く。沖村には嘘を言ったが、既にこいつにはすでに他の車から燃料を入れ替えてあり、往復できるだけの燃料は確保してある。

「ひとつ聞きたい。あんたが行く理由、女のためなのか?」

 浅見は真剣な顔で問いかける。

「こうまでして行きたがる理由、知った女のためってだけじゃないだろ。金田って何者だ」

「……あんたには隠せないな。俺の予想どおりなら、かなりヤバい奴だ。あいつには二度も殺されかけた」

「おい、嘘だろ。あんたが殺されかけるほどの奴ってか……それでか」

 浅見は、ふう、と息をつく。

「そんなヤバい奴ってなれば、なおさら武装がいるだろうな。俺たちに言えないわけか」

 そう言いながら、浅見はヘルメットの紐を締め直す。

「で、嬢ちゃんも、そいつのことを知ってると……なるほど」

「おい。浅見さん、あんたも」

「金田って奴と決着をつけに行くんだろ。お前だけの戦いだと思うな」

 なんだ、結局嬢ちゃんのためかよ。麻美さん、あなたならきっとこうするでしょう。

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