第8話 突入 ④
伊藤に笑顔で出迎えられた沖村は、その仕事ぶりに目を見張る。簡易ではあるが、出入口までの通路が確保されており、ドアを開けたままでも十分に搬出ができる。改めて自衛隊の能力の高さを思い知る。車両の間の微妙な隙間もネットで保護されており、これなら安全だ。
「お疲れさま。見事だった。ここからは三班の仕事だ。あんたらは休んでてくれ」
伊藤は中腰になって息を整えながら、無言のまま渾身の笑顔で拳を突き上げる。その親指が立っている。隊員たちも疲労困憊ながら、この短時間でやりきったという充実感が見て取れる。これだけの作業をやったんだから当然だ。
要は、原田が二班を「今回の作戦の要」と言った意味を理解した。出入口と車両を結ぶように造られたこの拠点は、倉庫からの荷物の搬出が格段に容易になる。
「搬出隊、急ぐぞ!」
要は先頭を切って倉庫内に入った。内部は巨大な空間。段ボール箱が整然と積まれている。思ったとおり、ここは手付かずで荒らされていない。無理もない。この中に入るには、あの坂道を上り、多数のカラスを相手にしなければならない。さすがの要も、自衛隊の援護がなければ無理だった。
「こっちだ。台車を頼む!」
駒田が手際よく必要な物資を選別して指示する。飲料に食糧、ティッシュペーパー等の生活用品、それに医薬品。優先度の高いものから一定数を台車に載せて運び出す。ここに来るのに使用した輸送車は三台。そのうち一台は陽動につかっており、とても搬送には使えない。残り二台で人員も運ぶとなると、せいぜい一か月分が限度だった。
それでも、生き繋いでいくにはやならければならない。自衛隊に頼るばかりでなく、自分たちの手で。今回、避難所から参加したのは十七名だが、みな無事で帰ることで、次に続く者も出てくれると願いたい。
「お、ちゃんとつけてるね」
車まで荷物を運ぶと、ピンクの手袋を目ざとく見つけた伊藤が微笑んでくる。
「はは。似合わないよな」
「そう言わないの。あの子の願いなんだから、ちゃんとつけていてあげなさい」
「勝手に死んだら怒るからな。俺……あいつの仇だから」
「……何があったのか知らないけど、きっと、あんたの無事を願っているよ」
「そんなんじゃないんだ。これ、渡してきた時も『呪いをかけておいた』なんて言ってきた奴だよ」
要が悲し気に笑うと、伊藤は深くため息をつく。
「あんたねえ。ちゃんとわかってあげなさいよ」
荷物を積んで、再び倉庫の中に向かう要の背中に声がかかる。
「呪いってのはね。まじないって読むのよ」
要は一瞬立ち止まるが、無言でその場から立ち去る。両手にはめたピンク色の手袋は、作業の度に、いちいち視界に入ってきている。
「まじない……か」
手を動かすたびに、明菜が早く帰って来いと急かしているようだった。
カラスの襲撃を一手に引き受けた一班には、過酷な運命が待っていた。
単騎突入して倉庫にたどり着くと、出入口を素通りして奥までカラスたちを引き付ける。カラスは、自分たちの縄張りを荒らされたことと、天敵と認めた迷彩服の集団が現れたことで、本能的に彼らに攻撃を開始した。
「来るぞ! 佐々木、躱しながら引き付けろ」
原田が運転する隊員に指示する。無茶な命令だということは重々わかっているが、無茶を通さなければ生き残る術はない。佐々木隊員は蛇行しながら必死にハンドルを左右にさばき、四方八方から集まっていたカラスを、一方向にまとめ上げた。
「今だ、やれ!」
ガスマスクを着けた原田の指示で、黒い塊に催涙ガスを内包した手榴弾が投擲される。中央のカラスに命中した弾から吹き出した煙で、白色の煙幕がかかっていく。突然、正体不明の煙に覆われたカラスたちは、恐慌状態に陥った。催涙ガスという未知の脅威にパニックになり、右往左往をしたり急な方向転換をしてぶつかる個体もある等、効果はてきめんだった。
しかし、催涙ガスは最後の切り札としてとっておくはずだったもの。次の妙手はない。最強のカードを初手に使うのは悪手であったが、出し惜しみをしている余裕はなかった。
「総員、撃て!」
原田の号令で、荷台に乗った隊員たちが小銃を撃ちまくる。弾は空砲。殺せないというウイルスの制約のため、殺傷力を持たせてはいけなかった。空砲から弾丸は発射されないものの、発射の際に噴射される燃焼ガスは、至近距離のものを破壊するほどの威力を持っている。空砲だからと言って、なめてはいけない。体重が軽く、空気の動きに敏感なカラスは、離れていても空砲の圧力と気流の影響を受ける。火薬の音と臭い、ガスの煙とわずかな気流の変化、その障害を積み重ねれば傷つけずに撃ち落とすことが可能だ。五感が混乱させられたカラスが次々と地面に落ちる。
「ネット、射出!」
そこにネットランチャーを射出し、落ちたカラスたちの自由を奪う。今ので二十羽ほどは無力化できたか。よし、続けるぞ。催涙ガスの効いている間に、どれだけ多くの個体を無力化できるかが鍵だった。
「弾の切れた者は順に補給しろ。いいか、絶対に傷つくんじゃないぞ!」
空砲の乱射により、雷鳴のような轟音の中、原田が叫ぶ。空砲乱射とネットを四度繰り返したが、ネットランチャーの残弾はあと三発。そろそろ限界だ。
さらに、煙幕が晴れつつあるのと、地面に落ちるカラスが減っている。奴ら、この短期間で学習しやがった。徐々に空砲の圧力を回避する個体が出てきている。まだ半分以上も無力化できていないことに焦りを感じる。
そこに無線が入る。
「三班から小隊長、あと九十秒で到着予定。離脱の準備を!」
よし! さすが伊藤だ。この短期間で見事拠点を築きやがった。その朗報に一瞬気が緩む。外した視線を元に戻した瞬間、黒い影が映る。原田は小銃を構えるが、まずい、この距離だと空砲の威力が強すぎる。この位置でカラスを殺せば、仲間を巻き添えにしてしまう。
「小隊長!」
その叫びを聞くと同時に、原田の意識が飛んだ。
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