第7話 いびつな契り ⑤

 二か月ほど経った頃、明菜が噛みついてきた。

「ねえ。教えてくれるのは、護身術とか食べられるものとか、勉強とかばっかり。いつになったらあんたを殺す方法を教えてくれるの」

 まあ、そろそろ来る頃だと思った。明菜に教えているのは、基礎体力づくりと、護身術、離脱技。この他、料理や食べられる野草、罠の仕掛け方等の生活の知恵のような雑学と、基礎学力をつけるための勉強だった。

 訓練では、中途半端な攻撃には遠慮なく投げ返しているせいで、明菜の体にはところどころアザが出来ている。まだまだ未熟なのは間違いない。

 てこの原理を教えた時にわかったが、明菜の学力はかなり低かった。物事を感覚で読み解くセンスはあったが、基礎がなっていない。そんなわけで、昼間は訓練、夜は勉強を教えることが日課となっていた。

「殺した後、どうするつもりだ」

「え」

「一緒に死にたいのか」

 予想していなかった切り返しだったようだ。実際、何も考えていなかったようだ。

「あのなあ。俺を殺すのはいいが、その後のことも考えておけよ。仲良く心中したいのなら、いつでもいいぞ」

「なんで要と心中ってことになるのよ」

 痛いところを突かれて、口をとがらせながら文句を言ってくる。こういうところはまだまだガキだ。

「ちょっと考えればわかるだろ。今の明菜じゃ一人で生活できないだろ。それに、襲ってくるカラスや悪い人間から逃げ続けないとな。今は、生きるための力を身につけろ」

「でも。約束が違う」

「ちゃんと教えているぞ。紐の結び方とか、火の起こし方とか。寝ている間に首絞めたり、火をつけたりできるだろう」

「そんなんじゃない! ちゃんと、正々堂々と戦える力が欲しいの」

「まあ焦るな。ちゃんと強くなっているから」

 わしゃわしゃと頭を撫でると、不満そうにしながらもゆっくり頷いた。


 ある時ふと、明菜が聞いてきた。

「ねえ。なんでそんなにいろいろ知ってんの」

「ん? そりゃ生きるために必死だったからな」

「悪い人だったんだ」

「おい。ひでえな、その言い方」

 要は頭を抱えた。ちょっとショックだ。

「ほら。ちゃんと仕事してたよ」

 要は、もう使うことのなくなった保険証を取り出して明菜に見せてやる。

「トラック運転手だったの? ふーん。え、ちょっと! あんた三十越えてたの」

「ああ。計算もはやくなったな」

 明菜には勉強も教えてやっている。学力はぼろぼろだったが、根が素直で賢いせいか、基礎を教えるとみるみる吸収していった。

「詐欺だ……」

 今度は明菜がショックを受けている。何が詐欺だよ。やれやれ。

 でも、だいぶ笑うようになってくれたな。


 眠れない明菜は、夜風に当たりに出た。

 この駐屯地は、ところどころネットが張ってあるおかげで、カラスの襲撃を和らげている。締め切った中で生活するには、正直気が滅入ってくるだろうから、風を通せる建物は心底ありがたいことだろう。こんな細やかな気配りができる人たちのところに来れてよかった。

 明日、要が危険な仕事に出ていく。

 物資を回収する仕事は、長年やってきたことだし、経験豊富な要なら、スムーズにできるだろう。一緒にやっていたあたしの方が、自衛隊の人たちよりも正直役に立つと思う。

 思えば、この一年間、ずっと一緒だったな。悠人のことは忘れたわけじゃないけど、なんだかんだで不愛想なあたしを、見守ってくれていた。生きるためのことも教えてくれた。あの人なら、きっと大丈夫だろう。

 それなのに、なんかもやもやする。嫌な予感がする。

 ふと、背後に気配を感じた。

 後ろから強い力が加わり、羽交い絞めにされた。

「俺に恥をかかせやがって。許さねえぞ」

 中年の男の荒い息。岡野だ。班長会議で自分勝手だった奴。

「お前が悪いんだ。後悔させてやる」

 岡野は、明菜の体をまさぐろうとしてくる。

 嫌だ。こんな奴ばっかりだ。言いようのない嫌悪感が、体の芯から湧き上がってくる。

 許さない。

「ぐ!」

 明菜は、腰を落として思い切りぶん投げた。要に教えてもらった、てこの原理を利用した投げ技。地面に体を強く打ち付けた岡野は、あまりの痛みに声も出せず苦悶している。

「……さっさと消えて。あんたみたいな奴の思い通りになんてならないから。自衛隊に突き出されたくなかったら、二度と近寄るな」

 明菜は、汚いものを見るかのような目で冷たく言い放つ。

 まさにゴミだ。どうして、あの人みたいに、誰かを思いやることができないんだろう。

 要の言ったとおりだ。あたし一人では、落ち着いて夜を眠ることもできない。

 あたし一人だと、ゆっくりともの思いにふけることも許されないの。 

 お願い。こんな世界から連れ出してよ。

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