第7話 いびつな契り ④
要は、あの日のことを忘れない。
明菜に悠人の死を告げるという残酷な宣告をした自分。
明菜の悲しみを受け止めてやれなかった自分。
あの時、何て言えばよかったんだろう。
悲しみに打ちひしがれる少女を前に意識が遠のき、いつの間にか眠っていた。体も心も極限だったためだろうが、少女の泣き声で意識を取り戻した。
暗い喫茶店内で小さなものを抱きしめながらうずくまる明菜。床に転がったカバンとおでんパック。悠人と最後に過ごした時のことを思い出しているのだろう。
心が潰れそうなほど嘆く明菜を前に、かける言葉もなく、ただ見守っているしかできなかった。
涙が枯れる程泣いた明菜は、部屋の隅に座り込み、膝を抱きながら頭を埋めていた。
このままじゃいけないな。とりあえず温まるものを探そうと、厨房にまわってを物色していた時。
「ねえ」
震える声で呼び止められる。
要が振り返ると、膝を抱えて座ったまま頭を上げた明菜と目が合う。涙で赤くなった目には、強い力がこもっていた。
「あたしを、強くしてよ」
明菜が、声を絞り出すようにしながら、確かめるように、ゆっくりと。
「力が欲しいの。あんたを殺せるだけの力が」
殺す。その言葉に要ははっとして明菜を見つめる。
「だから、あたしを強くして」
そうか、俺を殺す力か……それも悪くない。
要は、ゆっくりと頷いた。
その日から、奇妙な共同生活が始まった。自分を殺すと告げた少女に、その力を与える。我ながら、何故こんなことをしているかわからない。
「どうした。振りほどいてみせろ」
明菜の手首をつかんだ要が、ニヤニヤと笑う。明菜はうまく振りほどけない悔しさをにじませながら、必死に手を振り回している。
「やめだ」
要が手を放した瞬間、明菜がつま先で脛を蹴ってきた。
「!」
声にならない声をあげて、要がうずくまる。弁慶の泣き所を蹴られた。
明菜が勝ち誇った顔で見下ろしている。
「まあいい。合格だ」
うっすらと涙を浮かべながら言うが、その言葉に威厳も何もあったものじゃない。
「いいか。力に力で対抗してもダメだ。まずは相手の力を反らすことを考えろ」
明菜の手首をもう一度つかみ、上から押さえつける。
「押された時は、押し返すより、引いてみるといい。やってみろ」
明菜は言われた通り腕を引いてみるが、要が一緒についてきて変わらない。抗議の目で睨みつけてくる。
「そのままじゃなくてな。フェイントをうまく使うんだ。押し返すと見せかけて、相手がさらに押してきたところを、勢いよく引く」
明菜がやってみると、今度はうまくいった。少し満足そうに感心している。
「これは一つの方法だ。他には、てこの原理を使うのも覚えておくといい」
「てこの原理って何?」
「うーんとなあ。まあ、後で説明するが、まあやってみる」
要がもう一度明菜の手首をつかむ。
「まず、掴まれたら手を大きく開いてみろ。その状態で手首を内側に回し、そう、そこで相手の手首をすばやく切ってみろ」
明菜がやってみると、すっと払いのけることができた。
「へー」
今度こそ感心している。言われた通りにできるのは、なかなか筋がいい。
「んで、最後の手段は急所攻撃だ。さっき蹴ったようなやつだ」
要が痛みを思い出して苦い顔をする。
「とっさにやったことだろうが、実際、つま先を踏んだり、金的なんかも有効なんだ。ただし、気をつけろ。攻撃は最後の手段だ。攻撃が効かなかった場合、怒りに駆られた相手となる。手を振り払うだけじゃ済まなくなる。まずは逃げることを覚えろ」
自分の方法が間違っていなかったと、一瞬満足そうな顔をした明菜だったが、補足説明も真剣に頷きながら聞いている。素直に吸収しようとするところは、明菜の長所だった。
思えば明菜も最初の頃と比べると、ずいぶん表情が柔らかくなった。
二人での生活が始まってすぐの頃は、口もきいてくれなかった。
それでも、メシをつくるとちゃんと食べてくれたし、指示には従ってくれた。
次第にぽつぽつとではあるが、「うん」とか「ねえ」とか喋るようになってきた。
悠人の死のきっかけとなった俺を、決して許した訳じゃないだろうが、それでも言葉がでてくるのは嬉しかった。
心に高い壁を築いてはいるが、明菜なりに、俺を気遣ってくれてるところもあるようだ。殺そうとする男を気遣うってのも妙な感じだが、彼女なりの信念があるようだった。
生活の拠点は、あの喫茶店から別の空き家に移った。あそこは悲しい思い出が多すぎた。移転する時に駄々をこねるかと思ったが、何も言わずに黙々とついてきた。
途中、悠人の墓をつくった。
もちろん、悠人が埋まっているわけではない。墓標には、悠人から受け取った女雛の人形と、明菜が持っていた男雛の人形を添えた。ふたつの雛が長い時を隔てて揃った時、あれから一度も泣かなかった明菜が泣いた。
紙で作ったぼろぼろの雛人形は、不細工だけど優しい笑顔で、悠人の墓標を守ってくれるはずだ。
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