第7話 いびつな契り ③

 要が靴の手入れをしていると、突然、頭に重い何かが当たった。痛ぇ。こんなことする奴は一人しかない。

「明菜、カバンは人に向かって投げるな」

 ぶつかったところをさすりながら、ふてくされた顔で目の前に立つ少女を見上げて言う。小さい胸を突き出すようにして、精いっぱい威勢を張っている。

「要。何であんただけ行こうとするのよ」

「仕方ないだろう。あのねえさんが言っていた通りだ」

 痛っ。今度は小突いてきやがった。

「あたしだってやれるでしょ。まだ力が足りないっていうの」

 要はじっと明菜を見つめる。真剣な顔だ。こいつは冗談ではすまさないだろうな。

「そういうわけじゃない。明菜は十分に強い。ただ今回のは、な。お前が出る幕じゃないんだ。待て、馬鹿にしているんじゃない」

 また小突いてきそうな明菜を制する。

「あの自衛官の人たちを見ててどう思った。明菜の言ったとおりなんだ。あの人たち、自分たちだって被災者だろうに、辛い顔なんて見せずに、皆のために文字通り心身をすり減らしているだろう。仕事なんてとっくに放棄してもいいのにな。立派な人たちだ」

 明菜は黙って聞いている。

「ただ、それに甘えちゃダメなんだ。誰かが自分の生活を保障してくれるなんて、あるわけがない。生きたいのなら、自分で示すべきなんだ。だから、こいつらを巻き込んでやろうと思ったんだ。これは、俺のエゴなんだ。大人のはじめた身勝手に、明菜が巻き込まれる必要はないんだ」

「……もう、巻き込まれてるよ」

 明菜が悲しそうにつぶやく。

「……ああ、そうだったな。でも、今回はわかってくれ。心配しなくても帰ってくるから大丈夫だ。おまえに殺されるまでは死なないから」

 明菜の頭を撫でると、唇をきっと結んで振り払う。

「死んだら許さないから。あんたを殺すのはあたしなんだから」

 明菜はそれだけ言うと、とぼとぼと仮眠所まで帰っていった。

 要はその後ろ姿を無言で見送った。


 その二人を二階から見つめる二人。

「あの二人、なんなんですかね」

 浅見がつぶやく。

「うん。立ち聞きする気なかったけど。なんか切ないね」

「どんな関係なんですかね。さっきも『あんたを殺す』って聞こえたし」

 伊藤もそこは気にしている。浅見には言っていないが、初日に明菜に話しかけた時、「仇ですから」と無表情につぶやいたことは忘れていない。

 仇。誰の仇というのか。いったい二人に何があったんだろう。

 それでも、二人を見ていると、憎しみだけで繋がっているわけではないと感じられる。わずか二日の付き合いでしかないが、二人とも優しい人間なんだろうと思っている。

「殺すってまた物騒な。そんな相手と一年、どんな気持ちで一緒にいたんでしょうね」

「きっと……不器用なんだよ」

「え? どっちが」

「両方」

「そっか……」

 浅見は、何かわかったような、わからないような顔をしている。それでもこいつは、軽薄そうな顔をしながらも、繊細な奴だ。私の気付かないようなことにもきっと気付いている。

「あの二人、なんとかうまくいってほしいな」

「そうだね」

 伊藤は階段の手すりに肘をかけながら、しみじみと願う。

「あの人、俺たちのこと被災者だって言ってくれた。そんな風に思ってくれる人、いたんだな」

 浅見がしみじみとつぶやく。

 被災者。伊藤も家族のことを思う。あの日を最後に、家族とは連絡がとれていない。自衛官になることを、何も言わず認めてくれた両親。実家に帰ったとき、父が自衛隊がらみの記事、小さなイベントまでもスクラップしているのを見て、密かに涙した。きっと不安に思いながらも娘の無事を祈ってくれていたんだろう。

 そんな両親は、無事でいてくれるだろうか。こんな世界で、正直、希望なんてなかった。でも、この二人が来て、外の世界にも希望は残っていることを知った。横山基地が生きていると知り、ひょっとしたら両親も。そんな希望も抱くようになった。

 ただ、浅見は。隣で遠くを眺めている浅見をちらりと見る。

 浅見の兄は、自衛官だった。陸上自衛隊の浅見一等陸尉。今では彼の名を知らない自衛官はいない。恐るべきカラスのウイルス、クロウの正体を突き止めた英雄。彼がいなければ、ウイルスへの対処ができず、被害は更に拡大していたに違いない。そして、その壮絶な最期は皆の知るとおり。その知らせを受けた時、浅見は何を思っただろう。

「麻美先輩、不幸の比べっこは意味ありませんよ」

 まったくこいつは。どうして私の考えていることがわかるのだろう。

「その名前で呼ぶなっての……」

「生きて、帰りましょうね」

 浅見がそっと拳を突き出すと、伊藤は静かに拳を合わせた。

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