第6話 雛人形 ④

 明菜は、あの日のことを思い出していた。

 一年前。悠人がいなくなった日。

 暗い喫茶店の中で一人。ようやく帰ってきたと思った時に受けた絶望。

「悠人はどこ! はやく出してよ、ねえ!」

 泣きじゃくる明菜に、要は辛い事実を伝えてきたのだ。

「嘘だ! 悠人が死ぬもんか。嘘つき!」

 必死に追いすがる明菜に、要はぼろぼろの紙人形を渡す。

「なに、これ。なんであんたが持ってるの」

 ぼろぼろの紙人形。ペンで描いたにっこりした顔も、色褪せてしまっている。忘れるはずもない。明菜がずっと小さい頃に折ったものだ。

 ひなまつり。

 雛人形なんて手に入らないからと、悠人と明菜で二人で折り紙でつくった飾り雛。悠人がお内裏さま、明菜がお雛さまと、手分けしてつくった。小さな子供がつくったものだから、形もいびつで不細工。それでも、二人で祝ったひなまつりは、楽しい思い出だった。ひなまつりが終わると、明菜が悠人にお雛さまを贈り、悠人はお内裏さまを明菜に贈った。

 そんな子供のころのもの、何で大事に持ってるのよ。

「悠人が明菜に。『ありがとう』って」

「何なの、それ。自分で言いに来なさいよ! ありがとうって、あたしが言いたい言葉じゃないの!」

 悠人はこれを、どんな気持ちでこの人に渡したのか。きっと明菜は自分の死を信じない。だからこれで、自分の死を伝えようとするのか。

「嫌だよ、こんなの」

 なんて残酷なんだろう。どこかで生きてるって思うこともできないなんて。

「明菜……」

 要が何か言おうとして、止める。そう、何も言わないで。

「俺が、もっと早く気付くべきだった……」

 何それ。何であんたがそんなこと言うの。気付かなかったのはあたしも同じじゃない。あたしだって罪は同じ。

「気付くきっかけは、あったんだ。それを、見過ごしていた。もっと……注意していれば」

 わかっている。あたしだってわかっている。あんただけじゃない。でも、何であんたの方が責任を感じた気になっているの。悠人と一緒にいた時間が長いのは、あたしの方なのに。

 ふざけるな。

 明菜の中に言いようのない怒りが沸いた。

「何? あんたが殺したっての。ハルを……お兄ちゃんを返してよ!」

 その言葉に、要はひどく悲しく、傷ついた顔をした。傷つけるつもりで放った言葉は、的確に要の心をえぐったようだ。

「そうだ……。俺が、殺したようなもんだ」

 要が消え入るような声を絞り出す。違うでしょ。あんたが殺したわけじゃないでしょ。否定しろよ。

「あんたが殺したんだ。絶対、許さないから!」

 いったい何を許さないというのだろう。この人に責任ないのもわかっているし、優しい人だってわかっている。

 ただ、悔しかったのだ。悠人が最後に一緒にいることを選んだのが、あたしじゃなくてこの人だったってことに。


 明菜は、気が付いたら暗い喫茶店の中で横になっていた。泣き疲れて寝てしまったようだ。

 明菜の肩には、男物のジャンパーが掛けられている。

 側には、要が横になっていた。時々うなされながら、寝返りをうっている。思えばこの人、昨日の夜から寝てなかったんだ。ぼろぼろの体で、あたしたちを守ろうとしてくれてたんだ。

 一度眠ったことで、冷静に考えれるようになったけど、悠人を失った事実は、ぽっかりと心に穴が開いたような感じだった。

 ひなまつりの日、幼い頃にした約束。

「アキを一人にしないよ。ずっと一緒だから」

 悠人はそう言ってくれたけど、その約束が叶うことはない。もう二度と。

 もう、いいや。

 こんな世界で、生きていても。

 ハルがいない世界なんて、意味がない。

 すべてがどうでもよくなった。

 終わらせよう。

 明菜は、外に出ていくことにした。せめて、星が出ているといいな。

 そんなことを考えながら、出入口に向かって歩いていく。

「痛っ」

 何かが足に引っかかって転んだ。悠人の置いていったカバンだった。食糧とか入れていたのだ。おでんがまだ入っていたっけ。

 ハルと一緒に食べたおでん、美味しかったな。

 あの時のハル、嬉しそうだった。思い出すと、また悲しくなってきた。

 カバンからこぼれたおでんパックをしまう。

「?」

 カバンの中で何か固いものが手にあたった。明菜はカバンから取り出す。

「なに……これ」

 本だ。コンビニで、明菜が一度手にとり、棚に戻した本。

 何の気なしに、読みたかったと言ってしまったけど、重いしかさばるから、いらないって言ったのに。何で持ってきたの。

「うわあああん」

 明菜はしゃがみこみ、声を出して泣いた。本を抱いて、まるで小さな子供のように、ただただ泣いた。

 こんなの。ずるいよ。

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