第6話 雛人形 ②
いよいよ本題だ。伊藤がいったん目を瞑る。浅見は気を引き締める。
「実は、このままいくと食糧が足りなくなります」
その一言で、二人の受け入れを巡って騒いでた連中も静まり返った。
「なんだそれ! 聞いてないぞ」
「食糧なくなって、どうするんだ!」
「話が違うじゃないか!」
案の定、岡野を中心に一気に紛糾した。その他の班長も推移を見守っているが、動揺を隠しきれないようだった。
「心配しないでください。このまま何もしなければということです。当てはあるんです」
伊藤の一言で、殺気だった気配が少し緩む。
「なら、さっさと調達してくれよ」
「それがお前たちの仕事だろ」
浅見はカチンときた。何だそれ。俺たちの仕事だと。あんたらを食わせることが当たり前だというのか。
「当てはあるんですが、自衛隊だけじゃ無理なんです。ですので……手伝って欲しいんです」
伊藤はここまで言われても冷静だった。頭を深々と下げ、最後まで言い切った。
「手伝って欲しいって、何を?」
「少し離れた丘の上に、大手流通会社の倉庫があるのをご存知ですか? あそこから物を運ぶのを手伝って欲しいんです」
班長達が息を呑む。
「それって……俺たちに外に出ろってことか?」
「……はい。他に方法はありません」
「ふざけんな! なんでそんな危ないことしないといけないんだ!」
「お前らだけでやればいいだろう!」
「もちろん私たちも行きます。お願いです。どなたか、ついてきて貰えると助かるんです!」
伊藤は必死だ。浅見は悔しさのあまり怒鳴り散らしたかったが、伊藤が耐えている。ここで怒鳴ったら水の泡だ。
「頼みます。あなたたちのことは全力で守りますから」
浅見も震えながら協力を求めた。
「信用ならないな。この機会に口減らしでも考えているんじゃないか」
岡野が意地悪くつぶやく。
浅見がかっとなって睨みつける。言うに事欠いて口減らしだと?
「口減らし? そんなこと考えるわけないじゃないですか! 一人でも多く生き残れるようにと、伊藤二曹があなたたちのために考えたことですよ!」
伊藤が浅見の肩に手を置き、無言でなだめる。
「なあ、それって泥棒じゃないのか?」
誰かが言った。言ってしまった。ここでそれを指摘するか。
「そうだ……。自衛隊がそんなことやっていいのか!」
「違います! 緊急避難として必要なことなんです。それでも、私たちだけでやるわけにはいかないんです。一般の方々が必要だと思ってくれることが大事なんです」
そうだ。物を黙って持っていくこと。わかっているからこそ、これまで実行できなかった。こんな世の中でも、国民の生命、身体、財産を守る立場として、自分たちが生きるためとはいえ、武器を持つ自衛隊が律してきたラインだった。そこを曲げるために、どうしても、避難者たちが必要としているという建前が必要だったのだ。
「それって、俺たちに泥棒しろってことじゃないのか! 自分たちの手を汚したくないだけだろう」
岡野の主張がエスカレートする。
おい。俺たちがどれだけ手を汚してきたと思っている。一年半前、逃げ惑う避難者を前にして救えなかった時、どれだけ悔しい思いをしたのかわかっているのか。盾になって死んでいった仲間たち。その中に、誰かの大事な人がいたということを知っているのか。
伊藤の拳もわなわなと震えている。あの人もたぶん同じ思いだろう。だめだ。あの人にこんな顔をさせちゃいけない。浅見が口を開こうとした時。
「俺、行きますよ」
ぼそっと沖村がつぶやいた。思いもよらなかった一言に、その場にいた皆が静まり返り、新入りを見つめる。
「俺たちがここに来た時、この人たち、体を張って入れてくれたんですよね。カラスが襲ってきているのも構わずに。自分の身も危ないのにですよ。そんな人たちが、頭を下げて頼んでいる。協力するのはお互い様です。それに、うまいメシを食いたいじゃないですか」
沖村が落ち着いて言うと、それまで殺伐としていた空気が変わった。
「確かに、この人たちにはお世話になっている」
「まあ、何かしないと、どうせなくなるんだろ」
「自衛隊の方ばかりに苦労かけてるからね」
「でも、やっぱりカラスは怖いからね……」
岡野たちに距離をおいていた班長たちが声を上げ始める。そうだ。皆が岡野たちみたいに思っているわけじゃないんだ。その事実に救われる。
「俺たちが来たことで、メシがなくなったとか言われたくないしな」
沖村が岡野に向かって皮肉を言う。
「そんなのっ! 自衛隊にやらせとけばいいんだよ! 俺たちを守るのが仕事なんだから当然だろう!」
なんだそれ。浅見は岡野の言葉にキレかかったが、伊藤の顔を見て一瞬で冷静になった。だめだ。完全にキレてる。まずい――。
「当然じゃないよ」
それまで黙っていた女の子が即座に言った。
「なんだ! このガキが!」
岡野が明菜に怒鳴るが、少女も怯まず、淡々と述べる。
「自衛隊の人って、ボランティアでも何でもないよね。もう、給料なんてとっくに出てないんでしょ。仕事を続ける必要なんてないんだよ。それでも、私たちが生きるために苦労を背負ってくれてる。あんたなら、義務でもないのに当たり前に人助けなんかできる? 当たり前じゃないんだよ」
少女の言葉が、浅見の心にじんわりと染みわたっていく。
「女子高生ごときが、知ったようなことを言うな!」
「言っとくけど、あたし高校生じゃないよ。行く高校がどこにあるの。この人たちと一緒だよ。そんなに言うなら、あんたは今、何の仕事してるの。ごはん食べるに値する仕事はしてるの」
うわ、痛烈。澄ました顔で淡々と傷をえぐるな。岡野はぐうの音も出ない。痛快さに自然と頬が緩む。伊藤の顔を見ると、うっすらと目が潤んでいるが、さっきまでの悔しさによるものじゃない。この娘の言葉に救われた涙だ。
「明菜、そこまでにしておけ」
沖村が、ぽんと少女の頭に手を置く。少女はほっぺを膨らましてふてくされた表情で沖村を見るが、さっきの表情とのギャップに、何か微笑ましいものを見た気分になった
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