第4話 少年の詩 ④

 要と別れた悠人と明菜は、指示された喫茶店に駆け込んだ。要がカラスとあいつらを同時に引きつけてくれたおかげで、難なく逃げ切ることが出来た。店内は暗く洒落た洋装のつくりだが、半年間、誰も来ていないことでずいぶん寂れている。

「あの人、きっと逃げ切れるよね?」

 明菜が願望の混じった問いを口にする。悠人には、答えられない。カラスとあいつら。二つの脅威からとても逃れられるとは思えない。特に、あの金田たち。用意周到な手はずを目の当たりにすれば、とても太刀打ちできないと思った。あの人は、僕たちが逃げるために囮になってくれたんだ。二時間待てって? そんなすぐには来れないだろ。その間に奴らをできるだけ遠ざけるつもりなんだ。僕たちが逃げれるように。

 また、守ってくれたんだ。もう、これ以上は――。悠人は心を決める。

「アキ。僕はあの人を迎えに行ってくる。ここで待っててくれ」

 明菜は信じられないような顔で悠人を見る。

「ちょっと! あの人、ここで待ってろって言ってたじゃない。ハルがいなくなったら、帰って来た時に困るでしょ!」

「アキ。あの人は来ないつもりだ」

 明菜だってわかっているはずだ。後ろめたい気持ちを隠すように、目を伏せる。

「でも、でも! あの人はせっかくあたしたちを逃がしてくれたんだよ。ここでのこのこ出ていったら、あの人の気持ちはどうなるの!」

 悠人は、唇を噛みしめる。そう。それもわかっている。アキのいうことは正しい。

「アキ。そうなんだ。あの人は僕たちを守ってくれたんだ。その想いは、絶対に無駄にしちゃいけないんだ」

「だから! あたしたちはここにいないと」

 悠人は明菜の言葉をそっと遮る。

「アキ、二人で生きていこうって約束したよな。覚えているか」

「何なの、突然。忘れるわけないでしょう。だから、一緒に」

「一緒には行けない。僕じゃダメなんだ」

「え……」

「ごめん。約束は守れない」

 悠人は、非情な言葉を明菜に告げる。明菜の顔が青くなって震えている。

「守れないって。どういうことなの。ちゃんと言ってよ!」

「最後まで一緒に行けないんだ。だから、あの人を迎えに行く」

「意味分かんない! あたしとの約束って、そんな軽いものだったの」

 悠人は、心が痛かった。違う、アキを悲しませたいんじゃない。ちゃんと言わないと。

「アキ、もう時間がないんだ」

 悠人は、シャツをめくる。明菜ははっと息を呑む。悠人の左肩からわき腹にかけて残る、三本の傷。そして、浅黒く変色した肌。

「ハル、その傷……」

「ああ、今朝だ。カラスにやられたんだ」

「う、そ……」

 明菜は、信じられないように悠人の傷に手を伸ばす。悠人は、その手を優しく払いのける。アキの顔は真っ青だった。

「アキが守ってくれたのに、ごめんな」

 悠人は、シャツを直すと明菜の頭を優しく撫でる。アキはぼろぼろと涙を零している。アキの頭を撫でるのも、これが最後だろうか。そう思うと、この時間がとても愛おしい。

「間もなく日が暮れる。怪我してから半日で発症、もうすぐ動けなくなるんだ。だから、動けるうちに行かないと」

「嫌だよ。それなら、もっと側にいてよ! 急に言われても、そんなのわかんないよ!」

 明菜はぶんぶん首を振って悠人の袖をつかむ。

「お願い、一人にしないでよ……」

 その言葉が一番痛かった。だから。

「アキ、お前を一人にはしないよ。だから、あの人を連れてくる」

「何で! 所詮、会ったばかりの大人じゃない。何でそんな人と一緒にいないといけないの。信じられるかどうかなんてわかんないでしょ。ハルじゃないと嫌だよ」

 悠人は首を横に振る。

「大丈夫だ。あの人なら。いつかアキもわかるさ」

 明菜には、それが悔しかった。いつかって何よ。どうして、私の願いはきかずに、あの人を信じれるの。

「それなら! あたしも一緒に行く! ハルにだけ危ない目に遭わせない。最後まで一緒にいるから!」

 明菜は強く言う。その目は本気だった。まっすぐな妹。そんな明菜にどれだけ助けられただろう。だからこそ、強く生きて欲しい。

「ダメだよ。アキ、さっき言ったじゃないか。あの人の想いを無駄にしないって」

 悠人が優しく、そして強く拒絶する。

「僕はここにいても死ぬだけだ。だからせめて、あの人を助けたいんだ。アキがこれからも生きていけるように」

「そんなの、誰が望んだ! 私は、ハルと一緒にいたいんだ!」

「アキ、そんなの僕が一番よくわかっている。わかっているよ」

 悠人は、明菜の肩を優しく抱く。自分の血が触れないようにそっと。でもしっかりと。

「明菜、僕の大切な妹。一番の誇りだよ。お前がいるだけで救われたんだ。一緒にいれた時間は幸せだった。ありがとな」

「嫌だよ……悠人、お兄ちゃん。お願い、もっと一緒にいてよ」

 悠人は、名残惜しさを断ち切るように、明菜を引き離す。

「行ってくる」

 悠人の顔は、何か吹っ切れたように爽やかだった。置いてあったショルダーバッグを肩にかける。食糧を入れたカバンではなく、施設を出てからずっと持っていたショルダーバッグ。扉を開けると西日の光が地下に差し込み、悠人の姿を影に変える。その影を、明菜は呆然と見送るしかなかった。

明菜はふらふらと、悠人の出て行った扉に近づく。嫌だ。置いていかないでよ。ひとりにしないで。ずっと一緒にいたじゃない。こんなの勝手に決めないでよ。引き止められないのなら、せめて。せめて一言くらい言わせてよ。

 明菜はドアノブを回して扉を押すが、ゴツンと何かに当たってこれ以上動かない。ちょっと。ふざけないでよ。ハルが樽を動かして置いたんだ。あたしを、行かせてよ。

「開けてよ! ふざけんな! お願い! 出してよ!」

 扉の先には誰もいない。何なの。何なのよ。

「はるとぉぉ!」

 狂おしいまでに悲痛な叫びが無人の部屋にこだました。

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