第4話 少年の詩 ⑤

 悠人は明菜の顔を思い浮かべる。きっと泣いているに違いない。心がこんなにも痛い。こんなはずじゃなかったんだ。でも、大丈夫。悠人の側にいてくれる要に、静かに告げる。

「沖村さん、アキは生きています」

 要は心底驚いたような顔で目を見開く。

「はは。信じてくれたみたいですね。これならあいつらも信じましたかね」

「当たり前だ! あんな悲痛な顔をされりゃ、そう思うわ……そうか、よかった」

 要は、涙ぐみながら心の底から安堵する。よかった。生きていてくれた。ハル、お前のおかげで、アキを守ることができたんだ。

「さあ、帰るぞ」

 要は悠人に手を差し出す。

 しかし悠人は、首をぶんぶんと横に振り、その手をとることはなかった。

「沖村さん、忘れたんですか? 僕の手はカラスのウイルスでいっぱいなんですよ」

「ハル。本当にカラスにやられたのか」

 要は、信じたくなかった事実を確認する。悠人の傷からすれば、感染しているのはほぼ確実だ。しかし、一縷の望みは繋ぎたかった。

「はい。今朝、アキが守ってくれたんですけどね。僕がトロくて傷、受けちゃったんです」

 悠人が力なく笑う。

「そうか……。まだ時間はある。早く帰って、アキに顔を見せてやろう」

 要はそう言って立ち上がらせようとするが、悠人は何も言わず、動こうとしない。

「沖村さん、俺はもう駄目です。血を流しすぎました。さっきから、立とうとしても力が入らないんです。行ってください。アキのところに行ってください」

 悠人が辛そうな表情で、しかし決意を込めた目で訴える。悠人の座る地面には、うっすらと赤い染みが出来ていた。

「そんなことを言うな。待ってろ、止血してやるから」

「触らないでください! 何考えてるんですか。血に触ったらダメだって言ってたじゃないですか」

 悠人は体を触らせないように、両手でぎゅっと腹を抱える。そして、震える体で要を見上げながら、しっかりと語る。

「もう、いいんです。あなたにはずいぶん助けられましたから。あなたは僕たちを、あの暗いところから連れ出してくれました。それだけで十分なんです。あなたが救った悠人と明菜。その願いを、ひとつだけ叶えてくれるなら……明菜を、幸せにしてください」

「ハル……アキ、悠人と明菜、か」

「ええ、僕の大切な妹。あなただから、任せられます」

 要は目を見開いて悠人を見つめる。暗いところから連れ出した悠人と明菜。小さな体で頑張ってきた二人。悠人の生きた証を、どうして疎かにできようか。

「お前、よく……。わかった。明菜のことは心配するな」

「よかった。明菜のことだけが気がかりでしたが、最後に、あなたに会えてよかった。きっとあなたなら、そう言ってくれると思ってました」

 悠人の体から力がふっと抜ける。

「アキに、渡してほしいものがあるんです」

 悠人が力なく、バッグを指さす。

「血が付いたところは触らないでください。中のポケットにあるもの。それを渡してほしいんです」

 要が慎重にチャックをあけると、紙で折ったぼろぼろの小さな人形がでてきた。

「アキからもらった、はじめてのプレゼントだったんです。こんなんでも、僕には嬉しかったんですよ。お守りでした。ありがとうって言ってください」

 要は無言で頷く。自分で直接言えよ、と言ってやりたかったが、その言葉を一番言いたいのは悠人だろう。

 

 明菜は、暗い喫茶店の中でたった一人、悠人の置いていったザックを抱きながら、放心したように座っていた。

 コツコツと階段をゆっくりと降りる足音が聞こえる。コンコン、コンコン。ノックの音が四回して、明菜はゆっくりと意識を扉の方に向ける。

「明菜、いるか?」

 扉の前でささやくような声が聞こえる。ハル! 帰って……いや違う、ハルの声じゃない。あの声は、あの人の。きっと、ハルが連れ戻してきてくれたんだ。ドアの前で、ゴトゴトと物を動かす音が聞こえる。

 ガチャリ。ドアのノブが回り、扉が開く。入ってきたのは一人。たった一人。

 ハルは、いなかった。

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