第2話 漂流 ③

 要は、長い地下道を進んでいく。

 あの兄妹たちが向かったのは、この先の出入口のようだった。ここは避難所として使っている駅の構内と商業エリアを繋ぐバイパスのような地下道であるが、避難所からかなりの距離があることで、物資隊はまだ未開拓のエリアだった。

 一週間のサバイバル生活から戻ったばかりで、すぐにでも眠りたいほどの疲労がたまっていたが、あいつらを放っておくわけにはいかない。数か月の避難所生活では、ここにいる人間同士、ある程度知った関係になっている。ぶっきらぼうな要は、あまり積極的に打ち解けてはいなかったが、嫌味で横柄な荒木をばっさり斬るような対応をしていることが、ある種の痛快さをもたらしているようで、一部の者からはよくわからない仲間意識を持たれているようだった。

 その中でもハルは、なぜか要に懐いていて、よく話しかけてきた。これから生きていくために何が必要か等、周りに流されずよく考えていた少年だった。その妹のアキは不愛想で、どこか警戒してあまり打ち解けてはこなかった。それでも、疲れている時にぶっきらぼうでも食べ物を持ってきてくれたこともあり、距離を測りかねているだけのような印象もある。男の多い避難所で、最年少の女性という立場では、警戒するのもやむを得ないだろう。キャップを深くかぶって性を感じさせないように気を配っているようで、生きるための賢さもあるようだ。

 神経をすり減らして帰った時に出迎えてくれるこの兄妹の存在は、要にとっても好ましいものだった。こいつらが生きれるなら、多少の危険は甘んじてやろうとも思えた。

 物資隊として活動する中で見えてきたカラスの習性。奴らは思った以上に知恵が回る。指揮官、見張り役、攻撃部隊など、軍隊のように統率された群れにとっては、立ち回った経験のない子供など、格好の獲物だろう。女の子が襲われないという都市伝説も、どれだけ信用できるものか。

 そして、危険なのはカラスだけではない。

 急がないと。手遅れになる前に。


 前方から規則的な足音が聞こえる。まっすぐ行った先に見える二つの人影。中肉中背の少年と、小柄な少女のシルエット。あいつらだ。無事だったか。

 要は、小走りに二人に駆け寄る。兄妹たちは、前方から近づいてくる足音に緊迫したように身構えていたようだが、要の姿を確認すると、ほっとしたように警戒を解いた。

「お前ら、無事だったか」

「沖村さん! 生きてたんですね」

 悠人が心底安堵したように答える。要が避難所を出ていったのは一週間前。帰ってこなかったことで、死んだと思われていてもおかしくない。

「いろいろあって帰れなかったが、さっき帰ってきた。大丈夫だったか?」

「僕たちは大丈夫です」

 悠人は妹の明菜を見て促すように答える。明菜は「ん」とぶっきらぼうに頷く。どうもこの娘からは警戒されている感じなんだよな。要は苦笑する。この娘の普段の態度からすると、ささやかながらも反応があるだけ、まだ打ち解けている方だろう。

「沖村さん、一人なんですか?」

「……ああ」

「……そうですか」

 この兄妹を気に掛けていたのは、要だけではなかったが、ここに来たのは、要一人。それだけで、要たちに何が起こったのか理解したのだろう。沈痛な面持ちをしている。

「聞いたぞ。荒木に行かされたんだってな」

「ええ、このザマです」

 悠人が苦笑する。要はハルの顔のアザが気になったが、どうやら全身を痛めているようだ。

「ひどいな。ちょっと見せてみろ」

 要が傷を触ろうとすると、悠人は笑って振り払う。

「大丈夫です。これはアキにやられただけです」

「は? ちょっと!」

 突然振られた明菜が慌てふためく。

「あれはハルを守るためでしょうが! 人のせいにしないでよ」

 はは。この子、ハルと一緒の時は素が出るんだな。ちょっとむくれてる。意外と甘えん坊だったりしてな。

「よし。帰るか」

 要が二人に言うと、はっとしたように兄妹は立ち止まる。

「沖村さん。お願いがあります」

 悠人の目は真剣だった。

 

 悠人からの提案は「避難所を出ていく」ことだった。

「出ていきたいのはわかった。何でだ?」

「今回のことで思い知りました。あそこにはいたくありません」

「だから何でだ?」

 要に即座に追及され、ハルは若干たじろぎながらも、まっすぐな目で要を見返す。

「あそこの人たちは、正直信用できません。危険なことは他人に押し付けるくせに、それが当たり前となっているんです。『誰かがやってくれるだろう』と。正直僕もそういうところがありました」

 要は黙って続きを待つ。

「僕が物資隊に行かなかったのは、アキを一人にしたくない、という気持ちからでした。もちろん、アキのせいではありません。アキの存在を自分が行かない言い訳にしてただけです。ただ、これじゃあダメだったんです。結果的に、アキが行かされる羽目になりました」

 明菜が悠人の言葉を痛そうな顔で聴いている。

「ハル。私だってハルには行って欲しくなかったからね」

 悠人は明菜の言葉に少し救われたように頬をかく。

「結局、あそこに残っていても危険なんだと思いました。どこにいても危険なら、せめて、自分たちの手で選べるようになりたいんです」

 悠人ははっきりと言い切る。

「お前の気持ちはわかった。が、ここを出ていってどうする。食糧は減ったといってもまだ一年分はある。水も満足に使えるようなところは、簡単に見つけられるもんじゃない。ここより安全な場所が、都合よく見つかる保証なんてない」

 要は、はっきりと指摘する。安全を考えるなら避難所を出ていくことは自殺行為だ。ついさっきまで、サバイバル生活を余儀なくされていた要は、その過酷さを思い返す。

「それはわかります。だから、こんな危険な目に遭っても、結局帰るしかないと思っていました。沖村さんに会うまでは」

 悠人は一呼吸おく。

「沖村さん、僕たちと一緒に来てもらえませんか」

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