第1話 空の消えたまち ④
「さて。どうやって帰るかだな」
悠人たちは、ひととおり店内を回り、集めた物資をコンビニのカゴから、持ってきたカバンに詰め込んでいく。バックヤードにはおでん以外にも箱に入った手付かずのジュース類などもあり、なかなかの収穫だった。
ただし、その収穫も、無事に帰れてこそ。地下道まではたった百五十メートル。走っていけば三十秒もかからない距離だが、問題は出入口の音だ。あんな間抜けな音で合図されたら、カラスに襲ってくれと言っているようなものだ。
イチかバチかに賭けてみるのもいいが、物資がなかなかの重さであり、分の悪い賭けになりそうだ。
悠人は、ガラス越しに外を窺うが、今はカラスの姿は見えない。しかし、先ほど確認したのは三羽。近くで待ち受けているのは間違いない。
カラス。以前はゴミを漁るくらいでそれほど害のなかった真っ黒な鳥は、あの日を境に人に牙をむく天敵となった。高い攻撃性を持つこの鳥は、狙った標的を執拗に追い回す習性を持つ。単体では大した攻撃力はないが、問題なのはその体に生み出された殺人ウイルス、通称「クロウ」だった。
クロウは、カラスが突然変異で生み出した対人兵器。カラス自身には影響はないが、人に感染すると高い致死率を示す、まさに殺人ウイルスだった。カラスの攻撃で傷ついた場合、ほぼ数日以内に死亡するという、恐るべきウイルスだった。
さらに凶悪なのは、カラスが死ぬ時にウイルスが空気中に発散されるという特性だった。空気中に拡散されたクロウは、二週間程度で死滅するが、カラスを攻撃して死亡させた場合、その周囲が一瞬のうちに致死率一〇〇パーセントのデッドゾーンとなる。この性質があることで、下手に攻撃することもできない、反則と言っても過言ではない特性だった。
攻撃もできない、攻撃を受けてもいけない。文字通り天敵と化したカラスからは、逃げることしかできない存在となった。そして、空を奪われたのだった。
「アキ、行くぞ」
明菜は険しい目で頷く。
悠人が自動ドアを開けると、けたたましい電子音が鳴り響くと同時に、明菜が走り出す。
カラスはアキに気付いたようだが、コンビニに二時間、ひっそりと息をひそめて待機したことで、奴らの隙をついた形になった。荒々しい羽音が自動ドアに迫ってきたが、瞬発力ではアキの方が上。アキの足なら大丈夫だ。小柄ながらしなやかなバネを生かした走りで、明菜が地下道に向かって駆けてゆく。あそこまでいけば追いつかれないはず。
そこまで見届けて、悠人が扉から出る。アキに追いつけなかったカラスたちが、コンビニの正面で待ち構えていたが、悠人の姿には気付いていない。
ざまあみろ。
悠人は、自動ドアを開けて挑発した後、バックヤードから裏口にまわって出たのだった。裏口からの最短経路は、地図を見て確認してある。明菜の向かった地下道へ行くには遠回りとなるが、地下道の入口はひとつじゃない。細い路地を通って、大通りの向こうにある階段を目指してダッシュする。車が来ないのがわかっているので、車道を最短距離で走り抜ける。
カアァァーーッ。
上空から羽音が迫ってきた。コンビニ前の三羽のカラスが気付いたようだが、迫ってくるのはこいつらじゃない。もう一羽いやがった。
あと三十メートル。クソッ。結構遠い。背負った荷物が地味に重い。
もう少しだが、羽音が迫ってくる方が早い。迫りくる死の恐怖。
間に合わないーー。
「ハル!」
明菜が悠人の向かう出入口から飛び出してきた。
だめだ、お前は来るな!
息が切れそうな中で必死に叫ぼうとする。
「だめ!」
明菜がカラスに向かって叫ぶと、カラスの動きが一瞬止まる。
「行って!」
明菜が悠人の背中を思い切り押す。全力で走っている背中に後ろから強い力が加わり、足がもつれて階段から転がり落ちる。
「アキ!」
痛みを堪えて立ち上がる。ところどころ傷ができたが、荷物がクッションになってくれたおかげで、歩けないほどの痛みではない。傷口を押さえて立ち上がる。頼む、無事でいてくれ!
悠人が階段を駆け上がると、想像もしていなかった光景が広がっていた。
「ア、キ?」
悠人が見たのは、傷ついて地面に転がる妹の姿……ではなかった。
四羽のカラスが明菜の周りに群がっていたが、その姿は大人しいものだった。
「お願い、襲って、こないで、ね」
明菜は両手を広げて地下道に背を向けて立っていた。その姿は、小さな体で地下道、いや、悠人を守っているようだった。アキの体は無傷。妹の無事に安堵しながらも、信じられない光景に、自分の目を疑う。
「アキ、大丈夫か……?」
悠人が小さな声で呼びかける。
「ハル、よかった……。そこで待ってて」
「あ、ああ」
明菜はカラスの方を向いたまま、ゆっくりと後ずさっていく。カラスたちは徐々に遠ざかる明菜に気付いていながらも、近寄ってくることはなかった。
悠人は、依然聞いた噂を思い出す。
「カラスは女の子を襲わない……」
都市伝説のような噂だったが、こうして目の当たりにすると、それが真実と認めざるを得なかった。
「アキ!」
悠人は、地下道にたどり着いた明菜を抱きしめる。小さな体はぶるぶると震えている。怖かっただろうに。
「ありがとう。大丈夫か、怪我ないか?」
「うん……。大丈夫。ハルも無事でよかった」
明菜は硬い表情のまま笑う。ああ。アキが無事でよかった。心底そう思う。
「あの噂、本当だったんだな」
「うん。鏡を使ったの」
「鏡?」
怪訝な顔をした悠人に対し、明菜がさっきまで立っていたところを指し示す。その場所にキラリと光る物。鏡が置いてあるようだった。
「あの都市伝説って、どっかの国の女の子が、こうなる前、カラスに光る物を時々プレゼントしてたら友達になったって話が元だったでしょ。それでコンビニで鏡を持ってきたの」
「いつの間に……」
「へへ。効果あるかはわからなかったから、イチかバチかだったんだけどね。効いたみたいでよかったよ」
悠人は、明菜の頭をわしゃわしゃと撫でる。あの状況でよく。判断力や機転もさることながら、それを実践できる勇気。まだまだ子供で守っていかないとと思っていたけど、守られているのは自分の方だった。
頭を撫でられてくすぐったそうにしているのはまだ子供だけど、そんなアキが無性に愛おしい。
「アキのおかげで助かった。でも、もう無茶はしないでくれよ」
「最初に無茶したのどっちよ。あたしに荷物を持たせずに先に行かせるなんて」
「作戦はうまくいっただろ」
「もう一羽いなければね」
「う。あれは誤算だった」
悠人は力なく笑う。それでも、アキが無事ならそれだけで良かった。
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