魔王の噂

半年前、フェイはとある国にいた。

国の名前はタート。さほど大きくはないが人の出入りは盛んで、活気に満ちている国だ。


「お待ちど、兄ちゃん」


ふらりと立ち寄った酒場は常に誰かしらの声が響いている。

入った時は空いていたが、丁度昼時にさしかかり、続々と客が増え始めた。


注文した肉料理が目の前に運ばれてくる。


こぼれそうなよだれを啜りながら、フェイは大きく口を開けて香ばしいタレに塗れた肉にかぶりついた。


久方ぶりのまともな飯、何の肉だかわからないまま目の前から消えていく。


勢いは止まることなく、皿はあっという間に空になった。


しかしまだ満足するには早い。


「悪いな、ちょっと邪魔するぜ」


次は何を頼もうかと考えていた時、目の前に白い髭を生やした見知らぬ男が現れた。


男はフェイが座る丸卓の反対側の椅子に腰を下ろした。


周りを見渡せばどうやら客が入りすぎて席が無くなってきたらしい。


「ずいぶんいかつい剣ぶら下げて、どっからきたんだい?」


男は一通り注文を済ませるとそんなことを聞いてきた。


「どこからとかは特に……。結構遠くから旅してきてるんで」


「旅人か、いいな。俺ももう少し若い頃にあちこち回っておけばよかったぜ」


この年になると腰が痛くて敵わんと男は明るい声で腰を叩いた。


「その剣を振り回せるってことはそれなりに腕が立つのか? ボーンベアなんかもやれるか?」


ボーンベアがなんなのかはわからなかったが、


「まぁそれなりには。その辺のモンスターにも負けることはまずないかな」


腕が立つのかどうか適当に答えたが、ふと自分で考えてみると今まで倒すのが難しいと感じたモンスターはさほどいない。


大抵のモンスターならば剣の一振りや二振りで殺せる。


この国による前に遭った、何本もの尻尾をうねうねと操る巨大な獣も二、三度胴体を斬りつければ動かなくなった。


モンスターではないが、前に大声で力がどうのこうのと叫んでいる狂った連中に遭遇したことがあった。

あの時は十を超える人数がいたが問題なくすべて斬り伏せることができた。


そう考えると我ながら戦闘においてはなかなかのものなのではないかと思えてくる。


「そりゃすげぇ、ならもしタイプテイルってモンスターを狩ったら売りに行くと良い。そいつの尻尾は高く売れるんだ」


尻尾……。


「それって何本も尻尾があるやつ?」


「おぉそうだ、背丈を大きく超える大きな獣だ。うねうねと何本もある尻尾を使って攻撃してくる」


「それ、丁度一昨日あたりに狩ったわ……」


「何っ!? どこでだ?」


「わかんねぇ……、森の中だったから」


「もったいないことしたなぁ、しばらくの旅費代はしのげただろうに」


そんなことを話しながら、フェイは追加で頼んだ肉を喰らう。


髭の男は良くしゃべる人物だった。

絶えずべらべらと喋り続け、まだこの国に来て間もないフェイにいろんな事を話してくれた。食事の間ほとんどひっきりなしに喋り続けるのは、少々鬱陶しくもあったが話のいくつかは有益なものもあった。


「んじゃ、俺はそろそろ出るから。色々話、ありがとね」


「おーう、いいっていいって」


にやりと笑う姿は子供が怯えそうな強面だったがこの数分話しただけで人が良いのはわかっている。


「あ、そうだ最後に一つ」


席を立ちあがりかけたフェイへ男が何か思い出したと呼び止めた。


「兄ちゃん魔王と勇者の物語はきいたことあるかい?」


「……? そりゃぁ、誰だって一回くらいは聞いたことあるんじゃねぇの?」


どこの家族も子供に読み聞かせる際には必ずと言っていい程に登場する物語。

悪しき魔王を倒すため、勇者となった主人公が冒険する話。

俗にいうお伽噺だ。

フェイも昔、母から聞かされたことがある。


あまり覚えてはいないが、それはもう何度もせがんで大変だったと母が言っていた。


「その魔王がさ、復活したって噂があるんだよ」


「は?」


男が続けた言葉に思わず間抜けな声が出た。


魔王が復活した。

それはあまりに突拍子もない、現実離れした話だった。


魔王。

やはり聞き馴染みのない言葉すぎるせいで頭にすっと入ってこない。


「俺も最近この酒場の客からちょっと聞いただけなんだけどよ」


男は冗談で話しているわけではないらしく、そのまま話し続ける。


「なんでもこの辺りで近々騒動を起こそうとしてるらしいって話なんだと」


「騒動って、誰か魔王の姿でも見た奴がいるのか?」


「その辺は俺にもわからん」


「ならそんなの質の悪いホラ話でしょ、魔王が復活したなんて話……」


小さな子供が勇者になりたいと話しているのが聞こえたとして、微笑ましく思うことはあっても真面目に将来この子が勇者になるんだと信じるような大人はいない。


お伽噺とは所詮、作り話を楽しむものであって、現実に持ち込むようなものではない。


だからこそ、先ほどまで役に立つ話をしてくれていた男の口から発せられる「魔王」という言葉がいつまでたっても現実味を帯びない。


「もちろん俺も本当に信じてるわけじゃない、あくまで噂だしな。だが実際に最近この辺りのモンスターの様子が妙なんだよ」


「妙?」


「ざわざわしてるっていうか、普段見かけるモンスターどもの挙動がおかしいんだよ。比較的大人しい性格のモンスターに襲われたって奴がここ最近だけで何十人といる」


「それはちょっと怖いな……」


それが魔王の復活とどう関係しているのかはあまりはっきりとはわからないが、意図しないモンスターの挙動があるということは頭に入れておいた方が良いかもしれない。


「ま、国を出るときは気を付けなっっていうちょっとしたおせっかいみたいなもんだ」


「わかった、気に留めとく」


改めて男に礼を言ってフェイは酒場を出た。

男の話を参考にするなら、少し使える道具を補充しておいた方が良いかもしれない。


そうしてフェイはそのまま道具屋に寄り、切らしていた軟膏やら布やらを買った。

モンスター避けの煙を焚く丸薬やら三日眠らずに動ける活力剤なども目に付いたが、それほど金に余裕もないので見るだけに済ませた。


そのままプラプラと街を見て回る。


「……だって」


「嘘……私この前……」


そこらを散策している最中、あちこちで魔王についての噂がささやかれていた。

あの噂はどうやら国民の大多数に広まっているものらしい。

聞こえてくる話の内容は男が話したものと概ね同じで、それ以上の情報は聞こえてこなかった。


「魔王ねぇ……」


実際にいるとすればどんな容貌をしているのか。

物語では姿についてはあまり詳しく書かれていなかった。

子供のころ、家に在った絵本にはいかにも悪そうな角の生えた化け物のような絵が描いてあったが流石にあのままということはないだろう。


「そうだよ、そもそも姿がわからないんじゃこいつが魔王だ、なんて誰もわからない」


もしこの噂の出処の人物がナニカを見て魔王だと思ったのなら、それは魔王ではなく、魔王っぽい何かなのではないか。


その話に尾ひれがついて、最近起きたモンスターの異常行動と結び付けたとか。


これだけ活気のある国、話に花を咲かせるのも盛んというわけだ。


「ま、あんまり気にすることでもないな」


中々居心地の良い国だからもう何日かゆっくりしてから出発して、次の国へーー。


違和感を感じ取ったのは突然だった。


暇つぶしにもう少し辺りを見て回るかと歩いていた時。


ふと見上げた建物の壁、その壁面。

一見何事もないように見えたが、一部、妙に盛り上がっている部分があった。


ただの建築ミスか、経年劣化によって変形した位のものだと思い視線を斬りそうになった瞬間。


「ーーーー」


目の端でわずかにその盛り上がりが動いた。


よくよく目を凝らして見ればそれは壁ではなく、周囲の壁と同じ模様に擬態したモンスターだった。


大人二人分ほどの大きさで柔らかそうな四足の足で壁にへばりついている。


何故こんな国の、人々が往来する街中にこんなモンスターがいるのか。


あれはどんなモンスターだ? 人を襲うタイプの奴か?

見た目だけでは判断はつかない。


ほとんど微動だにしないそのモンスターの存在に思わず一瞬思考が止まる。


「きゃあぁあああ!!!!」


その僅かな間。鋭い悲鳴が響いた。

見ればフェイの視線を辿ったと思われる女性が壁のモンスターを指さし、顔を真っ青にしている。


「なんだ?」


「お、おいあれっ!!」


「モンスターだ!!」


その悲鳴を皮切りに、壁にひっついているモンスターに気づいた人々が大慌てでその場から逃げていく。


「誰か衛兵呼べ!」

「なんでこんなところにモンスターが入り込んでるんだっ」

「いいから、早く逃げなきゃ!!」


爆発的に混乱が広がり、我先にと走る国民たちはぶつかり、押しのけ合い怒号を上げる。


そして、


「キィィィィィィィィィィ!!!!」


その騒ぎに刺激されたか、壁に張り付いていた蜥蜴のようなモンスターはその大きな口を開き、鳴き声を上げ始めた。


金属を掻くような耳障りな狂声。


モンスターはばちばちと足を壁に叩き付け、まるで地団駄を踏むような挙動を見せる。


何か様子が変だった。


頭を揺らし、狂ったように鳴き続けるその様はフェイには異常に見えた。


奴が何をしているのかは分からないがともかく、早く狩らねばこの混乱は収まらない。


フェイは小刻みに揺れながら狂声をまき散らす蜥蜴の胸元に狙いをつけ、地面を思い切り蹴った。


一直線。


防具を付けた重い身体ではあるが、その強靭な脚力によってフェイは弾丸のように蜥蜴へ迫る。


「キュッ!? キュアッ!!」


しかし、トカゲは背後から跳んでくるフェイの存在を素早く察知すると、その巨体に似合わぬ素早さを見せ建物伝いに逃げていく。


攻撃は空振りに終わり、フェイは壁を破壊しないように衝撃を逃がした後、地面へと着地した。


初めに張り付いていた建物から移動し、隣接する宿屋の壁面に張り付く蜥蜴。


「ちょっと遅いか」


今の速度では接近する前に逃げられる。

なら、今度はもっと速く……。


「ちょっとどいてよ!」


剣を構え、飛び出そうとした瞬間に後ろから走ってきた女性がぶつかってきた。


「っ、いてぇなーー」


思わず悪態をつきそうになり、振り向くが、


「早く、早く走れ!」

「押すな!!」

「のろのろしてんじゃねぇよっ、邪魔だ!!」


何故か先ほどの人の流れから一拍遅れて逃げてきた人の波に飲み込まれた。


「く、の」


遅れてきた第二波もまた先ほど同様に恐怖に取りつかれ、我先に逃げようとがむしゃらに走るせいで周囲が見えていない。

人波に飲まれたフェイは流れてくる人が邪魔で上手く動けない。


怒鳴り合う人々の声で何を言っても声が掻き消されてしまう。


「あぁ、くそ!」


半ば押しのけるようにしてフェイは人波を掻き分け、周りに僅かな空間が生まれた瞬間に、再び地面を蹴った。


狙いは勿論未だ奇怪な声を上げ続ける蜥蜴、その胸元。


先ほどよりも速い勢いのまま蜥蜴の背を取ったフェイは左から右へと思い切り剣を振った。


剣は頭を揺らす蜥蜴の胸元へとするりと入り、抵抗なくその身体を両断した。


刃が胴を抜けた瞬間、耳障りな音がぷつりと消える。


「ふぅ、とりあえずはこれで」


ぼとりと音を立て、地面に落ちた蜥蜴の死骸が事切れているのを確認し、フェイは一つ息をついた。


「なんなんだよ、ったく。こいつどうやって中に……」


国の入り口では衛兵が番をしている。

それほど大きな国ではないし、この大きさのモンスターが侵入したならその時点でわかりそうなものだが……。


「この擬態能力のせいか?」


地面に落ちた蜥蜴は先ほどまでいた壁の色から変色し、薄い緑色へと変化していた。

おそらくこの色が本当のこいつの姿なのだろう。

周りに溶け込む外皮を持つモンスター、だから侵入を許してしまった。


「ん?」


既に音は止み、モンスターも殺したというのに未だに悲鳴が聞こえる。


不思議に思い、振り返ると、


「っ、嘘だろ」


フェイが先ほどまでぶらついていた街並のあちこちに見たこともないモンスターが走り回っている。

空を見れば、バタバタと音を立てながら翼や羽を持ったモンスターが飛んできては建物にぶつかり、じたばたと暴れ狂う。


目視できるだけでも数十を超えるモンスターの数。


「さっきの音……、こいつの仕業か」


考えられるのはさっきの蜥蜴のけたたましい狂声。

あの音にモンスターを呼び寄せる効果があったのだろう。


呼び寄せられたモンスターはあまりに多い。

何体か見覚えのあるモンスターもいたが、そのほとんどが見たことのない、情報のないモンスターだ。

モンスターたちはどいつも理性をどこかに飛ばしてしまったらしく、それぞれが奇声を上げながら動き回っている。

悲鳴を上げて逃げる人々は背中から飛びつかれ、振るった尻尾に叩き付けられ、襲われている。


フェイが知っている比較的大人しい気性のモンスターまでもが激しく周りを威嚇し、逃げ惑う人々へ敵意を向けている。


異常だ。

このモンスターたちは何かがおかしいと直感した。


「うわぁぁぁぁ!!」


そしてまたフェイの目の前で、モンスターに襲われた男が足を切り裂かれ倒れた。

苦悶の声を上げる男をじっと見つめ、その口を開くモンスター。


男は動けない。

もんどりうつだけで、迫りくるモンスターへ反撃することも、逃げることもできない。


「来るなっ、来るな!」


必死の抵抗。

ただひたすらに来るなと叫びながら、少しでもモンスターから遠ざかろうとする。

迫りくるモンスターを半狂乱で見つめながら、這いずるもその距離は徐々に無くなり……。


「嫌だ、嫌だぁぁぁあああ!!」


男の顔が悲壮に染まり、同時にモンスターが男を丸呑みせんとその口を大きく開いて男を喰らう。


叫び声は途絶え、男は非常にも無残な肉塊へとーー。


「ーー?」


しかし男の身には何も起きなかった。

顔の前で腕を盾にしていた男は一向に自分の身に何も起こらないのを見て、慎重にその腕を下ろし、目を開く。


そこにさきほどまでいたモンスターの姿はなかった。

男を喰らわんとしていたあの凶暴な顔がすっかりと消失し、何かに切断されたと思しき断面が目に入った。


直後、大きな音を立て男の目の前に何かが降ってくる。

べちゃりと鈍い音を立て飛び散ったのは血だ。


「ひっ」


男が目をやるとそこには今もなお男を喰らおうとしていた形相のままのモンスターの顔があった。


「ひとまず安全そうなところまで運ぶっ」


そして男はわきの下に潜ってきた人物に肩を支えられ、起き上がる。

そのまま傍にあった瓦礫の影まで運ばれる。


「とりあえずこの辺りのモンスターは俺に任せろ。あんたはここでじっと隠れてるんだ」


言い放ったフェイは剣についた血を振り払いながら、次の標的へと疾走した。


すぐそこまで迫っていた死の恐怖から解放された男は、何がなんだかわからないままただ呆然と

その姿を見送った。

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