第9話
ルクレスことルースに続いて、受験生たちの反撃も始まった。
私は次々と受験生たちに魔法をかけていく。
ただし私の目から見て、一定以上の魔力を持つ受験生だけだ。
強化魔法にも効果の制限はある。
見たところ、私の強化魔法を使ってゼクレア教官の防御魔術を抜くことができるのは、全体の6割ぐらいの生徒だけだ。
残念だけど、受験生全員にかけるほど、魔力に余裕はない。
他の4割の生徒には申し訳ないけど、まず必ずゼクレア教官の防御魔術を抜くことができる受験生を選び、魔法の力を与えた。
「炎竜よ、天にお昇りなさい。悪意に満ちた穢れた土地に、慈悲と裁きの業火の叫びを!」
【
この日、初めて講堂で目撃された上級魔術だった。
ゼクレア教官は、溜まらず中級の防御魔術で応戦するが、多少威力が減衰した程度だった。
ゼクレア教官は吹き飛ぶ。すぐに立ち上がったが、軍服はボロボロだ。
うまく防御魔法で直撃を逸らしていて、致命傷だけは絶対に避けている。
見た目よりずっと攻撃の威力は減衰していると思うけど、すでに100人以上の魔術を受けていた。
そこに呼ばれたのは、ヴェルちゃんだ。
初めて彼女の実力を目の当たりにしたけど、予備校で1位になるだけはある。
1人上級魔術を使用すると、ゼクレア教官の中級魔術を吹き飛ばしてしまった。
さすがのゼクレア教官も満身創痍だ。
他の教官が駆けつけると、一旦休憩を取ることになった。
◆◇◆◇◆ 教官たち ◆◇◆◇◆
「ゼクレア、これ以上は無謀だよ」
第二師団師団長のアランが訴える。
ゼクレアの同期でもある彼は、心配そうに友人を見つめた。
「心配するな。派手に吹っ飛んでいるが、致命傷はない。別に休憩もいらなかったんだ……痛っ!!」
横から第六師団師団長のロブが、ゼクレアの脇腹を小突く。
その姿を見て、薄く笑ったのはボーラだった。
「いけませんねぇ。やせ我慢は」
「あとは、俺に任せてお前は休んでろ」
「ロブの言う通りだ。僕たちに任せて君は――――」
「いや、俺は――――」
ゼクレアが反論しようとした時だった。
「おやおや。随分とボロボロだね、ゼクレア……」
突然、教官の待機室に現れたのは、金髪の男だった。
和やかな顔こそ浮かべているが、そのルビーを埋め込んだような瞳は、寒気がするほど冷たく、血の気も薄い。おかげで顔全体の作り物のように見えてしまう。
自由に動く手足に、まるで人形の頭をくっつけたような美男子は、師団長たちの待機所に堂々と踏み込んできた。
男の姿を確認した師団長たちは、慌てて膝を突き、頭を垂れる。
「そ、総帥……。いつ試験会場に?」
ゼクレアの口調の端から端まで、硬く強ばっていた。
彼が「総帥」と呼ぶ人物は、1人だけである。
ローデシア王国魔術師師団総帥。
つまり第六まである魔術師師団のすべてを統括する権限を持った人間。
そして何より、ローデシアを代表する魔術師にして、頂点――。
すなわち彼こそローデシアが誇る【勇者】アーベル・フェ・ブラージュだった。
弱冠20歳――ゼクレアの今の年で【勇者】となったアーベルは言った。
「1時間前ぐらいかな。実技試験を見ていたよ」
「い、いつの間に……」
「ボーラ……。総帥は俺たちとは出来が違うんだ。詮索するだけ無駄だぞ」
「ロブ、そういう言い方はやめてくれないか。僕だってこれで一応普通に努力をして、今の地位に就いた自負ぐらいはあるんだ」
たしなめられると、ロブは「失礼しました」と直立した。
「一応、事情は理解している。随分と豊作の年だと喜んでいたら、どうも雲行きが怪しいようだね。ほんの微量だが、異質な魔力を感じるし」
「受験生の間で、何か不正が行われている。……総帥もそう思いますか?」
「不正というのは当たらないかな。僕ですら解明できない力だ。それはもう『ない』というに等しいずれだよ」
「しかし、おかしすぎます。受験生の中に、我々の査定以上に力を見せた受験生がいます。
それも数人というレベルではなく、すでに100人近くいるのです」
アランは声を荒らげ、総帥に訴えかけた。
だが、それはアーベルも把握しているらしい。
「――――だね。だから、僕がいく」
「「「「はっ?」」」」
師団長たちの声が揃った。
「総帥が……」
「自ら……」
「マジかよ」
アラン、ボーラ、ロブは息を飲む。
だが、ゼクレアだけは違った。
アーベルの前で、突然土下座をしたのだ。
「お待ち下さい、総帥。それだけはなりません!」
「何故? まさか僕では実力不足だと言いたいのかな」
「そういうことでは……」
「僕は許せないんだ。ゼクレアを……可愛い部下を、何度も何度も吹っ飛ばした彼らをね」
「…………!」
アーベルの顔が狂気じみて行くのを見て、ゼクレアは絶句するしかない。
いや、むしろ【勇者】とは思えぬ冷酷な顔を見て、再び使命感が沸き上がる。
「お願いです。どうかここはご自重下さい」
「くどいよ、ゼクレア。それとも――――――」
君から磨りつぶしてやろうか……。
誰も1歩も動けなかった。
アーベルが待機所を出て、そのドアが閉まるまで師団長たちは金縛りに合ったように固まった。
やがて思い出したように息を始める。
床を叩いたのは、ゼクレアだった。
「ゼクレア、今は総帥に……」
「駄目だ。今の総帥に任せるのは危険だ」
「どういうこと?」
「お前たちは気付いていないだろうが……」
アーベル総帥は変わった。あの事件を境にして……。
◆◇◆◇◆
「こんにちは、皆さん」
突然、その人は演武台の上に現れた。
サラサラの金髪に、すっと通った鼻梁。肌は雪原のように白く、その赤い瞳は雪の上に落としたルビーみたいに光っている。
「あの人は……」
私は思わず反応した。
確か王都の書店で出会った人だ。
あの時は私服だったけど、今は軍服を着ている。
しかもゼクレア教官のような紺色の軍服ではない。
白鳥のように真っ白な軍服を着ていた。容貌と同じく、皺や綻び1つない。
だけど、その後ろでは相変わらず黒い靄のようなものが見えた。
(『呪い』が大きくなってる?)
出会ったのは昨日なのに、清廉な白い軍服と正対するように黒い靄が倍以上大きくなっていた。
「「「「おおおおおおおお!!」」」」
突然、地響きのような声が上がる。
皆が演武台の上の人を見て、熱狂していた。
どうやら有名な人のようだが、私は知らない。
「ねぇ。ヴェルちゃん、あの人って――――」
私は横で目を見開いて、立ちすくんでいるヴェルちゃんに尋ねた。
「はあ! あんた、『勇者』様のことも知らないの?」
「え? ……ゆ、ゆゆゆ『勇者』!?」
「あんた、本当にうちの国の人間なの?」
ヴェルちゃんは「はあ」と深くため息を吐く。
その姿を見て、ちょっと傷付いたけど、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
ついに前世聖女の私の前に、今世においての『勇者』が現れたのだ。
その肩書きの意味は、前世とは違うみたいだけど、彼が強いことは間違いない。
もしかしたら聖女の私を圧倒するほどの力を持っているかも……。
でも、『勇者』なのに何故、呪いを受けているのだろう。呪創――つまり戦闘で受けた呪いの傷が癒えていない。
そもそも呪い自体に気付いていないのかもしれない。
「改めて挨拶しよう、受験生の諸君。僕の名前はアーベル・フェ・ブラージュ。この国でもっとも優れた男性魔術師に送られる『勇者』の称号を持つ男だ」
私が瞠目する横で、淡々と『勇者』アーベルは受験生に向かって頭を垂れる。
すると、再び受験生から歓声が上がった。
その側で他の教官に支えられたゼクレア教官が現れる。
それを尻目に、『勇者』アーベルは説明を続けた。
「先ほど実技試験を担当していたゼクレアに代わって、僕が君たちの力量を計ることにした。よろしく」
「勇者様が?」
「俺たちの評価?」
「すごい」
「光栄だわ」
突然の教官交代にもかかわらず、受験生たちからは好意的な意見が飛ぶ。
その『勇者』様に声をかけたのは、遅れて会場に現れたゼクレア教官だった。
「アーベル総帥!」
「何も心配することはないよ、ゼクレア。君はそこで休んでいなさい」
アーベルさんも引き下がらない。それを見て、ゼクレア教官は顔を歪めた。
(もしかして2人とも仲が悪い?)
2人の表情を交互に見つめる横で、試験は再開された。
教官が交代しても、私のやることは変わらない。
なるべく多くの受験生に突破してもらい、平均点を上げる。
そのためにも、まずは強化魔法だ。
アーベルさんは次の受験生を呼ぶ。
私はその受験生に近づき、密かに強化魔法を送った。
受験生は演武台に上り、魔術を放つ。
バチィン!
アーベルさんがやったことといえば、軽く手を振るだけだ。
なのに、私の魔法で強化された魔術が簡単に弾かれてしまった。
(嘘でしょ……。今の受験生の元の魔力だって、決して低くないのに!)
どうやら、アーベルさんを抜くためにはゼクレア教官の時以上に強化魔法が必要らしい。
出力を上げれば、魔鉱石に溜めている魔素がより減ってしまう。
強化魔法を受ける受験生が少なくなってしまうが、これは致し方ない。
「うわぁぁあああああああああああ!!」
突然、悲鳴が響いた。
私の前に人が吹っ飛んでくる。先ほど、私が強化魔法をかけた受験生だ。
魔術による一撃を受けたのだろう。
受験生の皮膚が真っ赤になり、重度の火傷を負っていた。
「ちょっとどきなさい」
私を突き飛ばし、医療班らしき人たちが飛び込んでくる。
薬を使って治療するが、あまりに傷が深すぎていた。
「ダメだ! 薬では埒が明かない」
「『聖女』様にお願いをするしか」
「しかし、あの方は――――」
「君たち、邪魔だよ」
振り返ると、演武台の『勇者』アーベルが手を掲げたまま立っていた。
おそらくアーベルが魔術を放ったのだ。
「勇者殿……。これはどういうことですか? 試験は教官に一撃を入れるだけだったはず。現にそれまでのゼクレア教官は――――」
「そうよ! いくら勇者様だからって、やり過ぎよ」
「黙れ……」
アーベルさんの顔が寒気がするほど冷徹に歪む。
『勇者』に対して勇敢に反論していたルースやヴェルちゃんも忽ち固まる。
他の受験生の顔からも一瞬にして血の気が引いていった。
「僕も、そしてゼクレアも反撃しないとは言っていないはずだ。違うかな?」
アーベルさんはさらに詠唱を紡ぐ。
もうすでに動けない受験生に向けて、追撃の魔術を放とうとしていた。
「お待ち下さい、アーベル総帥」
「さすがにやり過ぎです」
「相手は受験生ですよ」
「おいおい。総帥ともあろうお方が何をやってるんだよ」
アーベルさんの前に現れたのは、教官たちだった。
ゼクレア教官の他に、他の師団長の肩書きを有する教官たちが、『勇者』を取り囲む。
『勇者』1人に、師団長クラスの教官が4人。
さすがに『勇者』アーベルも退くかと思われた。
私も、受験生もほっと安堵したのだが……。
「君たち…………。邪魔だよ……」
『勇者』アーベルは手を薙ぐ。
その瞬間、漆黒を纏った衝撃波が巻き起こる。
私は咄嗟に防御魔術を展開する。
凄まじい魔力量。さすが『勇者』と感心せざるを得なかった。
なんとかやり過ごす。
私は目を開けると、そこには息を飲む光景が広がっていた。
受験生はおろか、教官や医療班の人たちですら吹き飛ばされ、行動の壁や地面、果ては天井にまで張り付けにされていたのだ。
「なんてことを……」
「へぇ……。君は今の一撃でも耐えられるのか。今年の受験生は本当にレベルが高いね。魔術師師団を率いる総帥として、これほど楽しみなことはないよ」
「あなた……」
いよいよ私は『勇者』と目が合う。
あまりこうして1対1で向き合いたくなかった。
『勇者』といわれる人間に、あまりいい思い出がないからだ。
私は歩き出す。
『勇者』にではない。
先ほど火傷を負った受験生に駆け寄った。
「う、うう……」
良かった。まだ意識があるわ。
私は精神を集中させる。魔鉱石に残っていた魔素をすべて使い、受験生を癒やした。
赤く腫れ上がった皮膚が元に戻っていく。
「そうか。なるほど。君か……急に受験生が強くなった主犯は――――」
瞬間、『勇者』にまとわりついていた黒い靄が膨れ上がる。
まるで八ツ俣の竜を思わせるように広がり、私を威嚇した。
「何がどうなっているか知りませんが、私……あなたのことを許すことはできません」
あーあ……。本当に全く何も変わっていない。前世から……。
あれほど痛くて、嫌な目にあったのに。
それなのに、理不尽に暴力を働く人に対して、義憤を抑えられない。
誰かに任せればいいのに、結局自分で何とかしようとしている。
頭では普通になりたいと思ってるのに、心は全然普通じゃないのよね。
折角、逃げるために足を鍛えたのにね。
「名前を聞いておこうか?」
「ミレニア・ル・アスカルド……」
素直に名乗ると、私は『勇者』に向かって構えた。
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