第10話

 『勇者』の凶行は間違いなく、あの靄――呪いが原因だ。


 黒い靄は多分、普通の人間には見えていないだろう。

 おそらく他の人には、『勇者』アーベルの気が触れたとしか見えていないはずだ。


 何故、自分が見えるかは私は説明できない。

 ただ前世の頃から見えていて、神様は元々私が持っていた肉体の特徴と話していた。


 呪いを払う方法は、1つ。聖女の魔法だ。


 私も前世において何度か呪いを受けた人間を祓ってきた。

 今回もそれを実行すればいい。

 幸いにも魔鉱石には魔素が残っている。

 足りるかどうかわからないけど、もうこれにかけるしかない。


「君、どこかで見たことがあるなあ。……そうだ。思い出した。王都の書店だ。あそこで出会ったんだっけ?」


「覚えていて光栄です、『勇者』様」


「あそこで何をしていたの?」


「道を聞こうと思って入っただけです」


「道を聞こうとして、なんで書店なんかに入ったんだい? 他にも王都には店があるのに。そもそもあの店、君がいた時には店主がいなかったよね」


「さっきから『勇者』様が何を言いたいのかわかりかねるのですが」


「じゃあ、単刀直入に聞くよ。あそこはスパイが情報交換を行うセーフハウスなんじゃないかな?」


 え? スパイ?? セーフハウス??


 わ、私が???

 いや、落ち着け、私。

 たぶん『呪い』の影響で、『勇者』様が変な事を口走ってるだけだ。


「ああそうだ。あそこの書店にも立ち入り調査をしないと」


「止めて下さい。書店は関係ありません?」


「書店を調べられたら何かまずいわけ?」


「そ、そんなんじゃありません」


 否定したが、『勇者』様の疑心は私が喋れば喋るほど深まっていくようだった。

 四の五を言ってる場合じゃない。『勇者』様の呪いを解かなければ……。


(呪いを解く……??)


 ふと頭に閃いた可能性に、私は首を捻った。


(確かコーダ記の魔術書って……。なら、どうして?)


 いや、ここからは考えてもしかたないことだ。

 今はこの状況を収めるしかない。


「今、解放しますから、『勇者』様」


「解放? 何のことだい」


 私は黙って『勇者』様に突っ込んだ。

 手をかざし、魔法の有効範囲に踏み込む。

 虚を突かれた『勇者』様は慌てて構えを取った。私に向かって、風の刃を放つ。

 それを紙一重のところで躱して、さらに加速した。


 そして、私は『勇者』様の視界から消える。


「ほう……。【纏速スプリント】を使えるのか。あの魔術は簡単ではあるけど、扱いに難しいのに。ますます君のことを知らなければならないね。いや、聞く事が多そうだ」


 はいはい。そうですか。

 その前に、あなたの呪いを解かせてもらいますよ。

 私は『勇者』様の後ろに踊り出る。


 完璧だ。完璧な状態で、『勇者』の背後を取った。


「今、楽にしてあげますからね」


 私が手の平を掲げると、光が講堂に閃いた。

 寒気がするような緊張感に包まれていた空間に、温かく煌びやかな光が満ちる。

 その中で黒い点のように残っていたのは、『勇者』アーベルの背後で燃える炎のような靄だった。

 何か苦しむように燃えさかっている。


(よし……)


 心の中でガッツポーズを取った時、不意に魔力が閃いた。

 一瞬、怖気を感じ、私は手を引っ込める。

 直後、見えない風の刃が私の目の前を通り過ぎていった。


「え……?」


 慌てて私は距離を取る。

 顔を上げると、今まさに『勇者』アーベルから離れようとしていた呪いが、まるでその『勇者』様と手を繋ぐように、その肉体の中に戻っていった。


「え? なんで? 『勇者』様、呪いを解きたくないの?」


 そう考えずにいられない。

 今確かに呪いからではなく、『勇者』アーベルの方から呪いを引き戻したように見えた。


「どういうこと?」


「それは僕の台詞だよ、ミレニア。君…………イッタイボクニナニヲシタ?」


 声音が変わる。

 まずい。呪いに心まで支配され始めている。

 かなり危険だ。このまま呪いに飲み込まれれば、聖女の力でも引き離せなくなる。


 でも、なんで? 『勇者』様は元に戻りたくないの??


「考えている暇はない。もう1度――――」


 と思ったが、魔鉱石から光が失われていた。

 ここに来て、魔素切れ……。

 いよいよ万事休すだ。


「コタエナイノカ? ナラ――――」



 死ヌガイイ……。



 『勇者』アーベルは手を振り払うと、黒い靄を纏った風が唸る。

 特大にして、最上級の風属性魔術が私に襲いかかった。



◆◇◆◇◆



(あれ? どうなってる? 確か『勇者』様の魔術を受けて、私)


 瞼を開けているのに、一面真っ黒だった。

 周りを見渡すも『勇者』様どころか、私がそれまでいた魔術学校の講堂、倒れていたはずの受験生や教官の姿まで消えている。

 ただ見えるのは、ひたすら真っ暗な闇だった。


 いよいよ私も年貢の納め時かな?

 はあ……。今回の転生は短い人生だった。

 まあ、いいか。なんか色々と雲行きが怪しかったし。

 命短し恋せよ乙女ってね。……まあ、恋なんて全然してなかったけど。

 せめて1度、燃えるような恋をしたかったわ。ははは、なんてね。


 ボッと突然、目の前で炎が灯った。


 あぶな! ちょっ! 燃えるようなって物理的に燃えたいわけじゃなくて……。


「大丈夫か、ミレニア・ル・アスカルド」


 暗闇の中で声が聞こえた。

 よく見ると、炎の後ろでボウッと人の影が現れる。


「キャ――――――」


「馬鹿! 大きな声を上げるな」


 口を手で塞がれる。

 幽霊かと思ったら、暴漢?? それとも痴漢かしら。

 軽くパニックを起こしていると、私は見知った三白眼とかち合う。


(もしかして、ゼクレア教官??)


 ゼクレア教官は神妙に頷くと、手を離す。

 しっ、と唇に人差し指を押し当てると、そっと上を覗き見た。

 抜けた天井の穴を、魔術で埋めたような痕がある。


 恐らく私は穴から落ちて、その穴をゼクレア教官が塞いだのだろう。


「ここは演武台の下にある地下――――まあ、備品庫みたいなものだ」


 私が質問する前に教官は説明する。


「ゼクレア教官が助けてくれたんですか?」


「ぐっ…………!!」


 私の質問に答える前に、ゼクレア教官が脇腹の辺りを押さえながら蹲る。

 よく見ると、その額からは脂汗が浮かんでいた。


「その傷……。もしかして私をかばって?」


「違う。アーベルの最初の一撃目だ。お前をかばってじゃない」


 そんなに強く言わなくても……。

 でも、だいたい状況が理解できた。


 私に『勇者』様の風属性魔術で吹き飛ばされる前に、ゼクレア教官が防御魔術で防御して、さらに地面に穴を開けて、地下に逃れたんだ。


「ミレニア・ル・アスカルド……」


「は、はい!」


「お前は逃げろ」


「え? で、でも……」


「これは受験生が抱える問題じゃない。王国側の問題だ」


「けど、1人だけ逃げるなんて」


 浅く呼吸するゼクレア教官を見つめる。

 そもそも私1人逃げて、この人はこの後どうするんだろうか?

 大怪我を負っているのに、まさかあの『勇者』様に挑むなんていうのだろうか。


「お前、総帥――――アーベルが冷酷で、人の命をなんとも思わない人間だと思ってるだろ?」


 突然、ゼクレア教官は口を開く。


「あの人は元々あのような方ではなかった……」


 ゼクレア教官が語るアーベル・フェ・ブラージュは、私が見た『勇者』様とは全然違った。


 若くして『勇者』になり、第6まである魔術師の総帥へと上り詰めた。

 勿論、その重圧は想像絶するものだったろう。

 でも、アーベルさんはものともせず、任務を精力的にこなした。


 王宮にいれば、部下と友人想いの単なる好青年。しかし一度戦場に出れば、魔術師たちを鼓舞するため自分が前に出て戦う。その姿はこの世に神が遣わした救世主のようであったという。


 ゼクレア教官とは幼馴染みで、兄がいないゼクレア教官にとっては同い年でありながら兄のような存在だったらしい。


「『勇者』アーベルは完璧だった。俺も、そしてきっと総帥自身もそう思っていた」


 転機が訪れたのは、1年前の大盗賊団のアジト襲撃だった。

 魔術師師団の戦力からすれば、取るに足らない相手だったらしい。

 だが、それがかえって『勇者』アーベルに油断を生む。


 アジトには確認されていなかった魔術兵器があって、それにアーベルさんが巻き込まれたのだ。


 その時、『勇者』をかばったのが、アーベルさんの使い魔だった。

 小型の竜と契約し、アーベルはその使い魔を猫かわいがりしていたようだ。


「アーベルは落ち込んだが、しばらくして精力的に執務を再開した。けれど、その頃からだ。ちょっとずつアーベルがおかしくなったのは……」


「あの……。その魔術兵器は呪いを与えるものだったんですか?」


 話を聞き終え、私は気になることを尋ねた。


「いや、そういうわけではないが…………って、お前! 呪いってなんだよ?」


「え? あはははは……。別に、そこまで人格が変わったなら、呪いを受けた可能性もあるかなって」


「俺も考えたが、そういうわけでもなさそうだ。『聖女』にもわからないらしい」


 本当に使い魔を失ったことによって人格が変わったか。それとも別の原因か。

 何にせよ、本人にもう1度会ってみないと、私でもわからない。


「だから、あれが『勇者』アーベルって誤解するな。あの方は、アーベルさんは人を傷つけるより、自分を傷つける事を選ぶような人なんだ」


 ゼクレア教官の手が震えていた。

 今にも涙を流しそうな顔を見て、この人が『勇者』以上に優しい心の持ち主だと理解できた。


 きっとゼクレア教官が、変貌した『勇者』アーベルをフォローしていたのだろう。

 いつか、元の優しい真の『勇者』に戻ってくれることを信じて。

 そうでなければ、魔術師師団の総帥で今もいられるわけがない。


「お前は逃げろ! 後のことは、俺が――――ぐっ!」


 ゼクレア教官はくずおれた。

 私はそっと教官を受け止める。その脇腹にはべっとりと血が付いている。

 早く対処しなければ、命に関わるだろう。


 その前に、『勇者』アーベルをどうにかしなければならない。


 ゼクレア教官の意識が混濁しつつある。それでも彼の口から漏れたのは、『勇者』アーベルを気遣う言葉だけだった。


 私はそっとゼクレア教官の手を取る。


「安心して下さい、ゼクレア教官。あなたの大事な人は必ず救ってあげますから」


「ミレニア、おまえ……。いったい、なにを――――いや、それよりも、おまえは……」



 なに…………もの…………?



 ゼクレア教官の瞼が閉じる。

 そっと横に倒し、私は教官を地下の保管庫にあったマットの上に寝かせた。

 その寝顔を見ながら、私は呟く。


「ちょっとお節介な――――」



 普通の魔術師志望ですよ。



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