第6話

 私は第2問に取りかかる。


『第2問 部下が転職情報誌を休憩時間に読んでいました。あなたならどうする? ただし部下はワンオペと仮定する』


 いや、本当にこの試験なんなの? そもそもワンオペって??

 15歳になったばかり、社会の酸いも甘いも知らない半子どもみたいな人間に、転職情報誌とか言われてもわからないわよ。


 まあ、私は前世で社会経験があるからまだいいけど。

 こんな問題、ヴェルちゃんはわかるのかしら。

 横を見ると、案の定小さな受験生は歯ぎしりしながら問題を解いていた。

 どうやら、まだ第1問で苦戦中みたいだ。


 つと眼が合う。


「シャアアアアアアアア!!」


 目尻を吊り上げて、本物の猫みたいに威嚇してきた。


(どうしよう? めちゃくちゃ可愛いんだけど……)


 私は慌てて眼を逸らすと、首を傾げた。

 この試験は何かおかしい。問題があまりに魔術学校らしくない。


(もしかして私の問題用紙が他と間違って配られてるとか?)


 さすがにあり得ないか。だとしても、あの怖そうな師団長の教官に尋ねるのは憚れる。

 他に考えられるのは、問題の解釈かしら。そうだ。そうよ。そうに違いないわ。多分これは暗号なのよ。魔術師しか知らないような……。


 まずい。さっぱりだわ。


 そういうのを習ってこなかったし。そもそも語学で困ったことなんてなかったから、暗号は盲点だったわ。

 神様~、もういっそのこと暗号も楽々解けるようなチートにしておいてよ。


 私は頭を抱えた。まさに万事休すだわ。このままじゃ筆記試験「0点」なんてことも。

 いや、諦めるな、ミレニア・ル・アルカルド。

 これはちょうど良いハンデだと思えば良いのよ。


 筆記試験がたとえ「0点」だとしても、午後の能力テストと、実技試験を満点でとれば、ちょうど平均点ぐらいになるかもしれない。


 そうよ。私、ちょっと勘違いしていたわ。

 この試験を全力ですることなんてない。

 私が目指すところは、普通の魔術師よ。首席とか次席とかどうでもいい。そういうのは、横に座っているヴェルちゃんに取ってもらえばいいのよ。


 目指すは平均値。今、それが私のミッションよ。

 とりあえず空欄というのもやる気がなさそうに見えるから、わかる範囲で回答だけは書いておこう。


 5分後……。


「ふー……」


 できた。問題の通りに解くだけなら簡単ね。

 まともな設問は最後ぐらいだったかしら。

 これだけ魔術文字の年代がわからなかったけど、設問には「解明せよ」ってあったからひとまず翻訳しておいた。


 まだ試験終了まで2時間ぐらいあるわねぇ。

 とりあえず見直しだけしましょう。


 2分後……。


 うん。問題ない。これが今、私のできる精一杯。あとは能力試験と実技試験で挽回しましょう。

 これってできたら、もう教室を出てもいいのかな。

 それともここで待機? いずれにしても、あの怖い教官に確認しなきゃならないのか。


 ならヴェルちゃんをこっそり覗き見ながら、待っていよう。

 私はそっと視線を動かす。目線があったのは、子猫みたいなヴェルちゃんの可愛い視線ではない。

 硬く冷ややかな鉱物を思わせるようなブラウンの三白眼だった。


「貴様、さっきから何をキョロキョロとしている?」


 そこにいたのは、教官役のゼクレア師団長だった。

 え? 嘘!! さっき教壇の前で椅子に座ってなかった?

 私は思わず前の方に振り返ったが、前に置かれた椅子には誰もいない。

 ゼクレア師団長から眼を話した一瞬のうちに、横に立ったということ?

 この人、魔術師って言うより化け物って部類なんじゃ。


「答えろ。貴様、何を見ていた?」


「え? いや、その……」


 助けを求めるように、師団長の脇腹の横に見えるヴェルちゃんに視線を向けたけど、帰ってきたのは、「あっかんべー」をした可愛らしい表情だった。

 あわあわと戸惑っていると、ゼクレア師団長の視線が私の解答用紙に注がれる。


「もう終わったのか?」


 ついに私の解答用紙を摘まんで、目を通し始めた。

 返して、と心の中では必死に訴えていたのだが、身体が全く動かない。

 多分、魔術とかじゃない。この人が持つ空気感が私を押さえ付けていた。


 私はなすがまま、なされるがまま待っていると、10秒もしないうちにゼクレア師団長の表情が変わった。

 それは怒りでも、まして悲しみでもない。

 普段鋭く磨かれている三白眼の瞳が、みるみる開かれ、驚きに満ち満ちていく。


 ハッと口元に当てた手は、確実に震えていた。


「な、なんだと……」


 呟いたのを私は確かに聞いた。

 ど、どういう意味だろうか。そんなに父親と一緒にブランコに乗るのは意外だったのだろうか。

 それとも部下と夜明けの珈琲を飲むのが、間違った選択だったのだろうか。


「貴様、名前は?」


 ゼクレア師団長の元の顔つきに戻ると、唐突に尋ねた。


「み、ミレニア・ル・アスカルド……です……」


アスカルド子爵家ル・アスカルド? 聞いたことがないなあ」


 一応、うちのお爺ちゃんがすっごい魔術師だったらしいんだけどなあ。

 所詮は貧乏子爵家よね。

 お爺ちゃんの話も私が見たわけじゃないから本当かどうかわからないし。


「この解答用紙は預かっておこう」


「え? どうしてですか?」


「お前、ここは魔術学校の試験会場だぞ。魔術を使えば、他人の解答など見放題だ。もちろん、不正だがな」


 ゼクレア師団長はくるりと振り返った。

 流れるような動きから手をかざす。その先にあったのは、試験会場の天井だ。


「岩陰に王国を作り精霊よ。我が手を宿り木とし、悪鬼を穿つ槍を鎚て!」



 【鋭石槍戟ストーンミサイル



 ゼクレア師団長の先から石の槍が飛び出す。

 ドスッと鈍い音が聞こえると、現れたのは巨大な目に触手が付いた化け物だった。

 体長は私の手の平より一回り大きい。とにかく見た目がグロテスクだった。


 天井から吊り下がっていた化け物は、石の槍の直撃を受けて消滅する。

 次の瞬間、受験会場にいた受験生の1人が突然叫び、悶絶を始めた。

 椅子から落ちて、バタバタと悶える。


「魔物を使役する魔術か。さらに迷彩の魔術もかけてあるな。なかなかだ。しかし、能力を使う場所を間違っていたな。……即刻、出でいけ! そして2度魔術に関わるな!!」


 ゼクレア師団長が一喝すると、受験生は悲鳴を上げながら出ていった。

 ふん、と不正していた受験生を一瞥した後、ゼクレア師団長は私の解答用紙を軍服のポケットに入れる。


(か、か、かっこいい!)


 さすが師団長。魔術で巧妙に書かれていた魔物を、あっさりと見つけるなんて。

 でも、まさか魔術を使ってカンニングとはね。

 これも魔術学校の試験らしいといえば、らしいけど。


「お前、もう教室を出てっていいぞ」


 ゼクレア師団長は事も無げにこう言った。


「いいんですか?」


「お前の筆記試験は終わったろう。教室の外に出て、大人しくしてろ」


「いえ。で、で、ででも見直しとか」


「必要ないだろ。それよりも答案用紙と、お前ここに残しておく方が問題と考えた。思考を読む魔術を使われる恐れもあるからな。行っていいぞ。いや、むしろ――――」



 出ていけ。



 最後は脅しだった。

 私はまだ誰もいない廊下に追い出される。

 何が何だかわからない。


 でも、おそらくそれだけ私の解答用紙は珍妙なものだったのだろう。

 そうだ。私の解答用紙を覗き見ていたあの受験生も、きっと腹の底で笑っていたに違いない。


「下を向くな、私。まだまだ試験は始まったばかりよ」


 能力試験も、実技試験もある。そこで満点を取れば、平均値になる。

 あとは、自分の全力を尽くすヽヽヽヽヽヽだけだ!





 私は知らなかった、この先に起こることを……。

 提出した解答用紙が、この国の賢人と呼ばれる人たちに絶賛される未来のことを……。


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