第二章

第4話

 私は15歳になった。

 ロードレシア王国の法律上において、私は成人という扱いを受ける。

 飲もうと思えば、お酒も飲めるし、お金を借り入れることでもできる。


 またこの年はそれぞれの進路の年でもあった。

 3年前、次女のライザ姉さんは侯爵家の後妻になるために家を出て行った。

 20歳以上、年の離れた人だが、相手は侯爵家。うちのような貧乏子爵家には勿体ない家柄だ。

 初めは年の差を気にしていたライザ姉さんだったけど、今は幸せらしい。

 時々、迎春の挨拶に帰ってくるのだけど、だいたい決まって旦那さんとのノロケ話になる。

 その話をしている時のライザ姉さんは、とっても幸せそうだった。


 ちょっぴり羨ましい。

 私もそういう生活をしてみたかった。

 当初の目的は、普通の女の子の生活をするためだったからだ。

 とはいえ、諦めたわけではない。普通の魔術師になっても、普通の女の子としての生活はできるはず……多分。


 ちなみに夏には待望の第一子が生まれるそう。

 お幸せにライザ姉さん。


 さて、簡単に私の兄姉の進路先を紹介しておく。

 長男のグシアス兄さんは、留学先から戻ってきて、今は父の代わりに子爵家の領地経営を任されている。父とは違って、割と改革気質だったらしい。絶賛領民から反発を受けていて、若き経営者は今岐路に立たされているといったところだろうか。入学金のこともあるから、どうか穏やかな領地経営を求めるけどね。

 次兄ドレーズ兄さんは、ロードレシア王国騎士団に入隊した。勤務先が宮廷だから、私が魔術学校を出て魔術師師団に入れば、もしかしたら会う機会もあるかもしれない。

 長女のソフィー姉さんは、伯爵家に嫁いで2児の母だ。こっちもこっちでうまくいってるらしい。

 無事アスカルド子爵家の子どもは、1人立ちしていった。


 そして、ついに私の番が来たというわけだ。


 子爵家の三女となれば、ワンチャンどこかの貴族のお妾さんか、伝手を辿って宮廷のお世話係といったところが、今この時代では関の山のようである。

 貴族令嬢には、礼儀や作法、そして教養が求められる。そのためには優秀な家庭教師を雇ったり、貴族学校に入学させる必要がある。

 家内で教えれば済むことじゃないかと思いがちだが、礼儀や作法というのは時代によって代わるし、さらには最新の教養が求められる。


 けれど、貴族令嬢として良血馬サラブレッドに育てるためには、やはりお金がいる。それは子爵も、公爵令嬢も必要に支払う代価だ。

 長女、次女とお金をかけて、三女となれば、お金が底をつく貴族の家も多い。

 アスカルド子爵家も例に漏れず、その1つである。


 実際のところは、貴族学校に行ってないし、最新の礼節とやらも私は知らない。

 一通り、姉や母には習ったが、今それが王宮で通じるかはわからなかった。


 ただ父ヤーゴフは、私の魔術の才能を買っている。

 そのためにわざわざ手紙を書いて、私に会う家庭教師を雇ってくれた。

 残念ながら、その家庭教師はすぐに帰ってしまったのだけど、父の心遣いは嬉しかった。


 アスカルド家の娘として、普通の魔術師になって、家に少しずつ還元するつもりだ。


「ここがロードレシア王国だ」


 アスカルド子爵領から一路南。馬車で10日間の旅程を経て、私はついにロードレシア王国魔術学校がある、王都に辿り着いた。


「うわぁ……」


 思わず声が出てしまった。

 とにかく大きくて、広い。王都なのだから当たり前に思えるだろうけど、それだけで感動してしまう。前世では確かにこういうところに住んではいたけど、15年も田舎にいると、心を揺り動かさずにはいられなかった。


 たくさんの人に、たくさんの建物。行き交う馬車の数に、売られてきた牛が群れをなして、大通りを練り歩いていた。静かな子爵領の何倍も騒がしく、ただ立ってるだけで目眩がしそうだ。

 王都の奥に、5本の尖塔が立つアシンメトリーの白亜の城が立っている。

 おそらくあれば、ロードレシア王国の王宮なのだろう。


「綺麗なお城……」


 私は呟きながら、1000年前のことを思い出す。

 昔、私もああいう城の中で働き、主君に忠誠を誓い、恋をして、そして――――。

 一瞬浮かんだ自分の哀れな姿を思い出して、頭を振る。

 駄目だ。絶対に今回は目立たず、普通の魔術師として裏方に回り、世界を救ってくれる救世主のサポートをするのだ。


 王都まで幌に乗せてくれたお爺さんにお礼を言って、私は早速王都を歩き出す。

 魔術学校の試験は明日の朝だ。

 今日は次兄のドレーズ兄さんの知り合いに泊めてもらうことになっているんだけど……。


「あれ? ここはどこ?」


 月並みだけど、迷ってしまった。

 この辺の地理に詳しくないのだから仕方がない。

 衛兵に聞こうと思ったけど、街には衛兵以外にも武装している人が多い。

 多分傭兵や冒険者と言われている職業の人だ。


(参ったな。誰に聞けばわかるのだろう)


 ふと目に付いたのは、古びた――といえば失礼かもしれないが、書店だった。

 おそらく魔術書を扱っている書店だろう。

 店先には小冊子ぐらいの初歩魔術の手順と呪文の解説が書かれた魔術書が並んでいる。


 こんな時でも、本が目に入ってしまうのは昔から本を読んでた癖かもしれない。

 自分の猟書家の一面に辟易しながら、店主に道を聞こうと店に近づいていく。

 中に入ると、濃い本の香りが鼻腔を衝いた。屋敷の書斎を思い出して、少し焦っていた私の心が安らぐのを感じる。

 狭い店だけど、蔵書量は半端ない。床に堆く積み上げられて、まさに足の踏み場もないといった状況だ。


「うちの書斎よりも多いかも……」


 ついクセで魔術書を眺めてしまう。

 自分が道に迷っていることを忘れて、私はしばし静かな書店内を歩き回った。

 書斎にはない魔術書を見つけ、つい手にとってしまう。


「もし……」


 いきなり肩を叩かれ、驚く。

 気配には敏感な方だと思うけど、どうやら魔術書をつい読みふけっていたらしい。


 店員が立ち読みしていた私を注意してきたのだろうか。

 慌てて、私は本を収め、くるりと回って頭を下げた。


「ごめんなさい」


 謝罪を口にしたが、反応がない。

 むしろ戸惑っているような空気を感じて、私は頭を上げた。


 立っていたのは、若い男の人だ。


 サラサラの金髪に、白い肌。体格は細めだけど、背筋は伸びて姿勢がいい。

 真っ白な陶器でできたような白い顔に、ルビーをはめ込んだような赤い瞳は美しく、睫毛まつげは長くてやや中性的な顔立ちをしている。


 何より漂ってくる本の香り。


 これは書店の匂いじゃなくて、この人自身の香りだ。

 おそらく魔術書、あるいは本に囲まれた生活をしているのだろう。


 たっぷりと値踏みしてしまった私は、しばし惚ける。

 対する男の人は、少し目を細めてこう言った。


「失礼……。本を探しているのだが、コーダ記の930年前の魔術文字で書かれた魔術書はあるかな?」


(コーダ記の930年前って、随分と古い魔術書を探してるのね)

 

 魔術文字には一定の流行があって、約10~100年のスパンで代わる。

 「○○記」というのは、言わばその頃に流行った魔術文字を差しているのだ。


「えっと……。それなら――――」


 私は反射的に手を伸ばす。

 すると、あることに気付いた。

 男の背後から何か黒い靄のようなものが見えたのだ。


「え?」


 思わず声を上げると、次の瞬間には消えていた。

 おかしい? 今、何か見えたような気がするんだけど……。


「何か僕の顔に付いていますか?」


 男の人に睨まれる。

 まずい。変な女に見られたかもしれない。

 そりゃあジロジロ見られたら、怒るわよね。でも、さっきのは一体……?


「これです」


 私はコーダ記の魔術書を手に取り、男の人に渡す。

 初めは警戒していた男の人だが、魔術書を読み解くと感心したように頷いた。


「ありがとう。探していた本はこれのようだ」


「そうですか。見つかって良かったです」


 ホッと私が息を吐くと、ちょうど書店に人が入ってきた。私たちの方を見ると「いらっしゃい。ゆっくりしていって」と言って、カウンターに座ると新聞を読み始める。

 どうやら外に出ていた店主が戻ってきたようだ。


 私はそこで自分が何しに書店に入ったのかを思い出す。

 慌てて店主に道を教えてもらうと、お礼を言った。


「すまない。どうやら、店員と勘違いしてしまったな」


 先ほどの男の人が声をかけてくる。


「いえ。お構いなく。それじゃあ、私はこれで……。あ、それと――――帰ったら、聖水か清めのお塩を振っておいたほうがいいかもしれませんよ」


「どういうことだ?」


 さっき見えた黒い靄は、おそらく【呪い】に近い何かだ。

 普通の人には見えないが、前世が聖女だった私には時々そういうものが見える。

 その靄を見た時、その人に良くないことが起こることが多いのだ。


 はっきりとそう説明したいところだけど、ここはもう王都。あまり目立つことはしたくない。

 それに見えたのは一瞬だったし、さほど大きなことは起こらないはずだ。


「勘です。……信じられないでしょうけど、私の勘は結構当たるんです――じゃ!」


 これ以上詮索されるのもまずい。

 私は荷物を持ち上げると、そそくさと書店から出て行った。





 ミレニアが去った後、男は店主にこう話しかけた。


「先ほどの娘は何者だ?」


「え? いや、私も全然――――って、あんた……じゃなかった、あなた様はもしかして、ゆ、勇者様?」


 店主はカウンター向こうで腰を抜かす。

 勇者といわれた男は、手に取った書籍を呆然と見ながら、こう呟いた。


「あの短時間で、解読の難しいコーダ記の文字を見つけるなんて。あの娘は一体何者なんだ?」


 勇者は呟く。

 その瞬間、まるでミレニアを警戒するように、彼の背後で黒い靄が燃え上がるのだった。



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