幕間 とある賢者の受難
あの者を語る上で、何から喋って良いものか。
ともかく運命であったと答えておこう。
ある時、我は横転した1台の馬車と出会った。
50年も各地を流浪していると、何かしら困り事に遭遇する時がある。
その日は街道の外れの森を歩いていたのだが、突然近くの崖から馬車が落ちてきた。
慌てて現場に駆けつけてみると、馬車は大破。だが奇跡的に御者と乗り合いのものたちは、生きていた。
とはいえ、全員大怪我を負っている。
我は動けるものと一緒に手当を手伝った。
その中の1人、特に重傷のものがいた。
命こそ別状はないが、高名な聖女がいる治療院で長く療養が必要だった。
男は魔術師で、街道の先にあるアスカルド子爵家で家庭教師の仕事をするためにやってきたという。
しかし、この怪我では家庭教師どころか、魔術を使うことすらおぼつかない。
治療院に今すぐ送っても、最低でも3ヶ月は入院しなければならないだろう。
待ってもらうことはできないのか、と尋ねると、その子は魔術学校の試験を受ける予定だから、勉強が遅れれば試験の成績に響く。
とはいえ、男の怪我は深く、家庭教師どころではない。
仕方がないので、我がアスカルド子爵家に赴き、事情を話してやるというと、男はようやく納得して、そのまま迎えにきた馬車に乗って治療院に送られていった。
さて、我はというと、アスカルド子爵家に赴き、ご当主に事情を伝えた。
ご当主は少々とっぽい印象だったが、男の事情を話す、とすぐに理解してくれた。
違約金はなく、ともかく家庭教師が快復するのを祈るということだった。
「うーん。でも弱りましたなあ……」
当主は腕を組んで、頭を傾げる。
「何かお困り事ですかな? たとえば、3ヶ月間とはいえ他の受験生と勉強時間に差が出てしまうことに危惧しているとか」
「あー。いえいえ。それは心配していませんよ」
当主は苦笑いを浮かべながら、手を振る。
「こういうと親バカといわれるかもしれませんが、うちのミレニアは天才でしてな」
「ほ~ぉ」
「ただ少々親としては、天狗にならぬか心配でして。いや、根は真面目で優しい娘なんです。目に娘の入れ墨を入れたいぐらいに」
なるほど。往々にして天才というものはいつの世にも生まれるものだ。
これは奇跡などではなく、自然の摂理であろう。
そして、そういった突出した異常な人間は時々傲慢になりがちだ。
ご当主殿の娘がどれほどの天才かは知らぬが、上には上がいることを今から娘に教え、勉学に対する謙虚な気持ちを呼び起こそうというのであろう。
どうやらご当主はこう見えて、なかなか教育熱心のようだ。
愛娘をあえて千尋の谷へと落とそうというのだからな。
「あいわかった。ならば、その役目は我が引き受けましょう」
「あなたが? その魔術の方は……」
「少々囓っておりましてな。なに子どもの伸びた鼻を撫でて押し込むぐらいには、腕が立つと自負しておりますので」
「ほう……。確かに一目見た時からただ者ではないと思っておりましたが……。では、お願いできますか」
「お任せあれ」
久方ぶりに我の心は燃えていた。
我は早速、ご当主の娘殿と対面した。
「むっ……」
まるでルビーのような真っ赤な赤毛に、パッチリと開いた薄紫色の瞳。
肌は白く、10歳というがすでに大人びた印象がある。
オレンジ色のサマードレスはよく似合っており、我に対する礼儀もきちんとしていた。
一見可愛い娘だ。しかし、我にはわかる。
(この娘、できる……)
初めはご当主殿が無知で、本物の天才を知らず、親として讃えているのかと思っていた。
しかし、実際見てみると、確かに雰囲気がある。
立ち振る舞いは勿論、内在している魔力量はすでに10歳のそれを超えている。
王国の魔術師師団の副官……いや、それ以上かもしれない。
「なるほどのぅ。この者の鼻を折るのは少々骨が折れるかもしれない」
「何か言いましたか。えっと~~……」
「我のことは、先生と呼ぶがよい」
「先生……? はあ、わかりました」
「では、早速始めようかのぅ。まずは語学じゃ」
まずは小手調べといこう。
いくら魔力が強いといっても、魔術文字を読めなければ魔術を発動できぬ。
しっかり魔術文字を頭に叩き込んでいなければ、一流の魔術師とは言えない。
少しジャブ程度には難しい、400年前のヒダル記に作られた魔術文字で試すとしよう。
この文字は現役の魔術師ですら、難関とする難読魔術文字群の1つである。
我は教壇を設え、ミレニアは目の前の椅子に座らせた。魔術文字が書かれた魔術書を互いに持って、いよいよ語学の勉強を始める。
「では、早速――――」
「あの先生……」
「ん? 早速、質問か?」
さてはヒダル記の文字はまだ読んだ事がないと、早くも根を上げたか。
思ったよりも根性のない娘じゃな。
「なんじゃ、ミレニア?」
「魔術書、逆さですよ」
「え?」
2時間後……。
【父視点】
どうやら、ミレニアの授業は白熱しているらしい。
2人が部屋に籠もって二時間。
ティータイムの時間はとうに過ぎたというのに、ミレニアと先生が部屋から出てくる気配はない。
アスカルド子爵家当主ヤーゴフは心配になり、娘が好きなマカロンと紅茶を持って、様子を見に来た。
「ミレニア、先生。少し休憩されて……は…………ッ!?」
ヤーゴフは固まった。
別に教師と生徒がいけない関係になっていたというわけではない。
しかし、それ以上に奇妙な光景だったのである。
先生から言われてわざわざ設えた教壇に立っていたのは、ミレニア。
対する先生は、本来ならミレニアが座る椅子に座って、熱心に娘の言葉に耳を傾けていた。
「な、なるほど!! そうか! ガシア記に発見された魔術文字はそういう意味だったのか? も、盲点じゃったぁぁあああああ!!」
先生は鼻息荒く興奮しながら、机をバシバシと叩いた。
「あ、あの~~、先生。これは一体――――」
どういう、と聞こうとした瞬間、先生はヤーゴフに飛びついた。
「ご当主殿! あなたの娘はまさしく天才ですぞ!」
ぶっはっはっはっはっ!
先生は豪快に笑う。
ヤーゴフの背中をバシバシと叩く。
「あ、あの先生……。鼻をへし折るといったあれは…………?」
「わっはっはっはっ……。勿論折ったぞ。残念ながら、我の鼻であったがな」
わっはっはっはっは!
はっはっはっはっ……。
ははは……。
…………。
「すみませんでした」
先生はヤーゴフとミレニアの前で土下座する。
これが賢者とミレニアの運命の出会いであった。
(続く!?)
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