第3話

『助けて……』


 幻聴でも、気のせいでもない。

 確かに聞こえた。

 ブラックフェニックスの口から「助けて」と――。


「あなた、助けてほしいの?」


 魔物の言葉なんてこれっぽっちもわからないけど、神様が『言語が通じる』ようにしたのだから、当然私の言葉も相手に通じるはず。

 確証はないけど、今はそれに祈るしかない。


 私が語りかけた瞬間、ブラックフェニックスは激しく燃え上がる。

 多分私の言葉に反応したと思うんだけど、これはどういうことなのだろうか。

 私が差し伸べた手を払っているように見えるし、何か苦しんでいるようにすら見える。


「もっと話して! 私に何か言いたいことがあるなら、言って――――!!」


 私が叫んだ瞬間だった。

 ブラックフェニックスは一転して私に襲いかかってくる。

 完全に虚を衝かれた私は、反応が遅れた。


 ライザ姉さんを担いで逃げる時間はなく、私は姉さんを抱いたままブラックフェニックスの炎の中に包まれた。





 目を開けた時、私は黒い炎の中にいた。

 ふと火刑台を思い出し、半狂乱になりかけたけど、熱くはない。

 自分はもう死んだのかと思ったが、死んだのなら私の魂は「神様」の下へと戻るはずである。


「ということは、ここは――――」


 周りを見渡したが、ただ炎が見えるだけだ。

 いや、違う。薄ぼんやりとだけど、何かが見える。

 それはブラックフェニックスとは正対するような真っ白な鳥の姿だった。


 白い鳥の周りには、多くの人間が集まっている。

 称賛を送ったり、感謝の言葉を言ったり、あるいは涙を流しながら祈っているものもいた。

 白い鳥は人間に何かを伝える。すると、人間は様々なものを作り始めた。


 火のおこし方から始まり、作物の作り方、絹の織り方、煉瓦の作り方……。


 どうやら白い鳥は、人間に知恵を授けているようだ。

 そう言えば、聖女だった頃に聞いたことがある。

 この世界には、人間に知恵を与えた『神の鳥』と呼ばれた神鳥がいると……。


「これがブラックフェニックスの記憶なのだとしたら……」


 神鳥は最初、人間に受け入れられ、崇められていた。

 けれど、知恵を持った人間たちはどんどん傲慢になっていく。

 神鳥はそれを諫めたが、次第に抑えられなくなっていった。

 ついに人間は神鳥に武器を向けた。それはすべて神鳥が人間たちに授けた知恵で作られたものだった。


 人間に痛めつけられ、半死半生となった神鳥はある時魔王と出会う。

 その甘言にはめられたというより、今まで押さえ付けていた「怒り」が爆発した。

 ついに神鳥は知恵を捨て、理性を捨て、『黒い不死鳥ブラックフェニックス』として復活を果たし、魔王の幹部となる。


 そして、そんなブラックフェニックスを、私は封印した。

 内なる苦しみも知らずに……。臭いものに蓋でもするかのように……。


「ごめん……」


 私は泣いていた。


「辛かっただろうね。ごめんね」


 今ならわかる。ブラックフェニックスの気持ちが……。

 ブラックフェニックスは、私と一緒だ。

 人間のために尽くし、人間に裏切られたもの同志……。


 いや、一緒なんかじゃない。


 私には家族がいた。ライザ姉さんのような優しい家族が……。

 多分、仮に今回も同じように私が聖女として生まれたなら、私もブラックフェニックスになっていたかもしれない。


「助けなきゃ……」


 私はもう聖女でもなんでもないけど、声を聞いた、言葉を理解した。

 今、ブラックフェニックスを救えるのは私しかいない。

 この黒い炎で、己の身を焼き尽くす前に、助けられるのは私しかいない。


「一か八かね」


 私は手を掲げ集中する。

 すると、黒い炎を貫くような白い光が現れた。

 炎を消すと言うよりも、癒やすように広がっていく。


 これは魔術ではない。


 魔の光。回復の光。

 私が聖女だった頃、もっとも得意としていた癒やしの魔法だ。

 一気に私は手の先に集中した魔法に力を注ぐ。


 1000年前、私はこの世界にいた。

 だから、知っている。魔法の力をどうやって使うか。

 魔法を使うための魔素量は、減っているけどもゼロになったわけじゃない。

 小さくとも、時間をかけて集めれば、魔法を行使することも可能だ。

 その技術も私は1000年前に学んだ。特殊な魔鉱石を使えばいいのだ。

 1回使えれば、再びもう何年と使えないだろう。


 でも、今しかない。

 ブラックフェニックスを、ライザ姉さんを助けるためには。


「魔法の力よ、お願い……。かの神鳥を癒やして」


 私は回復魔法に力を注ぐ。

 やがて世界は白く染まり、炎も、私も消えてしまった。



◆◇◆◇◆



 ざらついた感触が、私の頬を撫でた。

 柔らかく、そしてくすぐったい。

 私は身震いをした後、弾かれるように起き上がった。


 視界に映ったものを見て、反射的に卒倒しそうになる。

 初めに見えたのは、大きな嘴だ。その中から赤い舌が覗いている。

 クリッとした青い瞳は人懐っこく、私と視線が合うと嬉しそうに目を細めた。


 一見白い壁のように思えたそれは、真っ白な羽毛だ。

 見るからに柔らかそうで、ふわふわで手を伸ばして触りたくなる。


『やあ、目が覚めたかい、聖女様』


 うっと息が詰まった。


「あなた、もしかしてブラックフェニックス?」


 恐る恐る尋ねると、真っ白な鳥は頷いた。


『そうだよ。ありがとう、聖女様。君のおかげで、ようやく本来の姿を取り戻せた』


「どういたしまして……。あの、悪いけど、ここでは聖女とは言わないでほしいんだけど」


 どうやら私の正体はバレバレみたいだ。

 魔法を使い、ブラックフェニックスに取り憑いた悪意を取り払うほどの力を持つものなど、そうはいない。

 元神鳥であれば、なおさら私の正体などお見通しなのだろう。


『心配しなくても、ボクの声は多分他の人間にはわからないさ』


「あ。そうか」


『だが、君がそうしてくれというなら、そうしよう』


「う、うん。そうしてもらえると嬉しいわ。あの……私はミレニア。あなたの本当の名前を教えて」


『ボクは神鳥シームルグ。名前はムルンっていう。よろしくね、ミレニア』


「ええ。よろしく、ムルン」


『でも、まさか1000年後にまた聖女に会えるとは思わなかったなあ』


「それは私も――――」


 私は苦笑する。


『君がボクを助けてくれなかったら、取り返しの付かないことになっていたと思う。たとえば、君の家族を傷付けたりね』


 ムルンは私の足元に倒れているライザ姉さんの方を向く。

 まだ夢の中のようだ。あれほどのピンチの後なのに、気持ち良さそうに眠っている。

 ちょっと口から涎が垂れていて、少し可愛いと思ってしまった。


『ミレニア、唐突だけどボクと契約を交わさない?』


「契約?」


『獣魔契約っていって、ボクを君の使い魔にする契約さ』


「か、神の鳥を使い魔に!」


 獣魔契約というのは、一応知っている。1000年前にもあった技術だ。

 野生動物や、果ては魔物、あるいは神代の生き物を使役する契約。

 結べば自在に操ることができたり、中には使役者に恩恵バフが与えられると聞いたことがある。

 それが神鳥シームルグとなれば、どれほどの恩恵かは計り知れない。


「いや、私は――――」


 私はここまでの経緯を話した。

 聖女となって世界を救ったが、最期には悲劇的な末路を迎えたこと。

 普通の女の子として、この世界で過ごしたかったが、神様の策略でそうも言ってられないようになってきたこと。

 今は目立たず、普通の魔術師を目指していることなど、洗いざらい話した。


「あなたを使役したなんて聞いたら、周りはほっとかないでしょ? とてもありがたい申し出だけど……」


『なるほど。君は君で大変だったんだね』


 ムルンは目を細め、私に同情的な視線を送る。

 そして、翼を広げた。羽が散り、天使が祝福してくれるようにキラキラと輝いた。

 あまりの神々しさに、私は言葉を忘れて見入る。


 やがてムルンは嘴を開いた。


『なら尚更、ボクの力が必要だと思うよ』


「え?」


『神様って、あれでとても強引で狡猾な性格なんだ。自分の思う通りにならないなら、無理矢理でねじ曲げても実行しようとする。心当たりはあるだろ?』


「うん。否定……できないわね」


 さすが、神鳥……。よく知ってるわね。


『だったら、間違いなく君が思い描くことにはならないだろう。この世界が破滅するという君の勘はおそらく当たってると思う。だから、ボクの力が必要なんだよ、ミレニア』


「あなたでもわからないよ」


『今はその情報を確定させることができるほどの要素が足りてないね。まあ、まだ先ということしかわからないよ。……さて、どうする?』


「うーん」


 創世記に出てくる神鳥シームルグと獣魔契約を果たしました、なんて言ったらうちの両親はどうなるか。いや、それだけじゃない。国に知られれば、それだけで【聖女】として担ぎ上げられるかもしれない。

 それだけは絶対避けたい。

 もう最悪なバッドエンディングはたくさんだ。


『今すぐとは言わないよ。でも、きっとボクの力を必要になる時がくる』


「自信満々ね」


『そりゃそうさ。ボクは【知恵の神様】と呼ばれるぐらい偉いんだよ。まだ何となくでしかわからないけど、きっとこの先、君はボクを呼ばなければならないピンチを迎える』


「そんなピンチ、一生迎えたくないんだけど……」


 私は額を手で押さえた。


『大丈夫。その時はボクが守ってあげるから安心して』


 そしてムルンは私の頬を舐める。

 私はお返しにムルンの胸の辺りを触った。

 モフモフで柔らかい。触ってるだけで安心する。幸せな気分になった。

 いつかムルンを大の字に寝かせて、その上で寝たりすることができるのだろうか。


 ムルンとのスキンシップを終えると、悪戯好きの神鳥は翼を開いた。


『さて、ボクは神界へ戻るよ。復帰したことを報告しなきゃ』


「大丈夫なの? 神様に怒られたりしない」


『少しお小言を言われるかもしれないけど、神様にとってはこれぐらいは些事だよ。心配しないで』


 些事って……。神様って、心が広いのか狭いのか、全然わからないわ。

 まあ、あれを人の常識に括ることは難しいことはわかっているけど。


 ムルンは風を巻き起こしながら飛び立つ。

 すると、視線を地面に倒れたライザ姉さんの方に向ける。


『君のお姉さんによろしくと伝えておいて』


「それは無理じゃない?」


 そもそも神鳥と契約する約束をしたなんて言っても、信じられないだろう。


『そうか。じゃあ、「格好良かったよ」って伝えてね。じゃあ――――』


 それだけを言い残して、ムルンはゆっくりと浮上していく。


「『格好良かったよ』って……。レディに言う言葉じゃないんだけど」


 私がそう言うと、ムルンは目を細めた。

 解放された喜びか、それとも私と契約を約束できて嬉しいのか。

 神鳥シームルグは嬉々として空を飛び回り、そして星の光の中に消えてしまった。


「もう夜だったんだ」


 満天の星を1人で仰いでいると、ちょうどライザ姉さんが目を覚ました。

 私の膝枕から起き上がると、軽く目を擦る。まだ夢の中にいるらしく、目が微睡んでいた。

 妹と目が合うと、ようやくこれまでの事態が思い出したらしく、痛いぐらい私の肩を掴んだ。


「ミレニア! 大丈夫? 怪我はない? どっか痛いところがない??」


 ちょ! ライザ姉さん、落ち着いて!

 なんなら姉さんが揺らしているおかげで、首が痛いんだけど。

 お願いだから、もうやめて。


「だ、大丈夫だから。落ち着いて、ライザ姉さん」


「さっきの黒い鳥は?」


「姉さんの言葉にびっくりして、飛んでいったわ。ありがとう、ライザ姉さん」


「……そう。…………良かった、良かった。……ふええええええんんん」


 今度は涙を流して、泣き始めてしまった。

 パパに怒られても、べそ1つかかない人なのに。

 よっぽど私のことが心配だったのね。


 泣いている姉を、私はそっと包むように抱きしめた。

 赤ん坊をあやすように背中と後頭部を優しく叩く。


「ありがとう、ライザ姉さん。私を守ってくれた時のお姉さんは――――」



 とっても格好良かったよ。



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