第2話

 5歳になった。


 3歳の時に起こした騒動以来、私は魔術書から離れる――ことはしていない。

 むしろどっぷり浸かり、魔術の勉強を続けている。

 父の「天才」発言の後、私はすぐに言い訳した。あれはたまたま口にした言葉が、魔術として発動しただけだと……。


『本当は全然読めないし、さっぱり魔術にも興味はない』


 3歳児のまだ舌っ足らずの口調で、とにかく「天才」発言を払拭しようとした。

 甲斐あって「天才」発言は撤回された。そもそも日常的に使われる文字ですら勉強もしていない子どもが、上級魔術の文字を読めるなど、あまりに非現実的だ。


 けれど、私が魔術を発動させたことは事実……。

 結局、父は今でも私のことを「天才」だと思ってるらしい。魔術を使ってもいい10歳頃には家庭教師を雇おうとしてるようで、伝手を辿って方々に手紙を送っているそうだ。


 そんな私が未だに何故魔術を勉強しているのかというと、これもまた護身のためである。

 これまでの前世を考えると、神様が私に能力を与えて、世界に派遣したということは何かあると見ていい。

 いつものパターンなら、この世界もまた何か未曾有みぞうの危機を迎えるはずだ。

 実際、前世ではとんでもない目にあった。


 だけど、仮にそれが自分の使命なら、さすがに見過ごすわけにはいかない。

 神様に文句の1つでも言いたいところだが、私は戦うつもりだ。


 でも、今回の世界救済に関して、私は制限を設けることにした。


 まず目立つのは絶対に、絶対ダメ!

 【勇者】とか、【聖女】とか持ち上げられるのは、絶対に禁止。

 やるならこっそりがいい。

 できれば、裏方に回って、この世界の【勇者】や【聖女】を動かし、救済する。

 それがベストと考えた。


 前世での失敗を繰り返してはいけない。

 今、こうして魔術書を開いているのも、普通の生活を勝ち取るために必要なのだ。


「また魔術書を読んでる。ずっと本ばかり読んでると、木の根になっちゃうわよ」


 意地悪な声が背後から聞こえてきた。

 振り返ると、薄い金髪の少女が立っている。

 身なりはよく、お古だけど着こなしは悪くない。むしろ洗練されていた。

 ブラウンのクリッとした猫目が印象的で、頭には薄い桃色のリボンが結んでいる。


 お人形さんのように可愛いこの少女は、私の3個上の姉ライザだ。


 見た目は可愛いけど、我が侭で意地っ張り。私に対してお小言が多く、何かしら怒られることが多い。我が家が誇る小さな小姑だった。


「木の根?」


「本の紙は、木が材料になってるのよ」


 へぇ~。まさかライザに物を教えてもらえるとは。

 ライザは今8歳。あと、2年すれば貴族の学校に通う。そこで礼節や教養、ダンスなどを身に着ける。

 ただ貴族の学校に通うのにも試験があって、最近家庭教師を雇って勉強を始めていた。


「たまには外の空気を吸ったらどう? 気分転換になるわよ」


「いかない」


「あたしが折角誘ってあげてるのに! その態度は何よ」


「行くなら、ライザお姉様だけ行けばいいじゃない」


 あ、しまった。こういう言い方はライザにしてはいけないのだ。

 気付いた時には遅い。ライザの顔はすでに赤くなっていた。


 実はお姉様には、友達と呼べる人間がいない。だからよく私が遊びに付き合わされる。

 姉にとって私は姉妹でもなければ、友人というわけでもない。

 子分という立ち位置がしっくりくる。


 素直じゃなくて、態度も高飛車。領内にいる子どもたちの間でもすこぶる評判が悪い。

 こうして魔術書を読んでる私の方が、友達が多いぐらいなのだ。


「行くったら行くの!!」


 強引に連れ出された私が、ライザ姉さんと向かったのは近くの森だ。

 背の高い木が建ち並び、加えて鬱蒼とした茂みが行く手を阻んでいる。


「ねぇ、ミレニア。あなた、この森に大昔のいせきヽヽヽがあるって知ってる?」


「いせき?」


 私が首を傾げると、ライザ姉さんは高い鼻を振って得意げに話を始めた。

 なんでも、この森の奥には約1000年前の遺跡があるそうだ。

 何か強力な魔物を封じ込めたらしく、この辺りでは禁足地になっているらしい。


「それって、子どもが入っちゃダメなんじゃ」


「入っちゃダメだけど、遠くから見ちゃダメとは言われていないわ。それにあんた、こういうの好きでしょ?」


 好きかどうかは別にして、気になるといえば気になる。

 神様はこの世界が、私が初めて救った世界の1000年後だと言っていた。1000年前となると、私がいた時ということになる。

 遺跡として残したものに心当たりはないが、関係者としては1度確認しておきたかった。


 藪を切り払い、子どもの足で進むこと1時間。

 私は明らかに人工物と思われるものの前に、到着した。


 行く手に現れたのは、石碑だ。


 石碑は5つあって、大きな石碑を小さな石碑が四方を取り囲んでいる。

 小さな石碑と石碑の間には古い縄が張られているが、すでに3本が切れていた。


「本当にあるなんて……。しかも結構屋敷から近いし」


 それに間違いなく1000年前の遺跡だ。

 石碑には魔術的というより、魔法的な力を感じる。それもかなり強力な封印が施されていた。

 ここに封印されている魔物は、かなりの化け物だ。


「なーんだ。遺跡っていうから、もっと宝石とかあると思っていたのに。お墓じゃない」


 どうやら、ライザにとって遺跡=お宝だったようだ。


「ライザ姉さん、近づくのは危険ですよ」


 私が遠巻きに観察していると、ライザはスタスタと遺跡に近づいていく。


「こんなの単なるお墓じゃない。何にも怖くないわ」


 ベタベタと遺跡を触り始める。

 はっきり言って、元聖女の私ですら何が起こるかわからない。

 一刻も早く連れ出さないと、まずい事が起こるような気がする。


 私はライザの手を取った。


「姉さん! 帰ろう」


「もう? いやよ。あなたもその辺を調べてよ。何かお宝があるかもしれないわ」


 強引に私の手を振り払う。

 その時、急に力を抜けたからか。ライザは体勢を崩した。

 そのまま唯一繋がれたまま残っている縄へと倒れ込む。


「イタタタ……。あっ――――」


 ライザ姉さんは頭を抱えながら起き上がる。

 振り返って、縄が切れていることに気付いた。


 瞬間、私は強力な魔力を感じる。


「まずい!」


 私はライザ姉さんの手を問答無用で引っ張る。

 とにかく石碑から離れようと必死に走った。

 直後、石碑が吹き飛ぶ。その爆発に押されるように、私たち姉妹は地面に投げ出された。

 振り返ると、そこにいたのは大きな鴉だった。


「いや、違う……」


 それは私がよく知る生物だった。

 大きな鳥は翼を広げると、次の瞬間炎のように燃え上がる。

 それは黒い不死鳥のようだった。


 思い出した。


 この封印は私が1000年前に施したものだ。

 そして、今目の前にいるのはブラックフェニックス……。



 魔王の幹部の1人だ。



 すると空気が淀んでいく。

 死臭が濃くなり、心なしか吸う息が浅くなる。

 まるで目の前の黒い不死鳥が、周辺の空気を吸い上げているようだった。


 間違いない。


 ブラックフェニックス。

 かつて私と敵対した魔王の幹部の1人。

 厄介なのは、その特性――奴は魔王の部下でありながら、不死なのだ。


 剣で斬っても、魔法を打ち込んでも死なない化け物。

 結局私は当時の勇者たちと協力して、強力な結界を張って封印することしかできなかった。

 それがまさか1000年後の世界で再会するなんて、封印した当時思いも寄らなかったわ。


 けれど、今は当時を懐かしんでいる場合じゃない。

 どうやって切り抜けるかだ。


 もう私は1000年前の聖女じゃない。

 ちょっと魔術が使える程度のただの5歳児だ。

 対して、相手は元魔王の部下――――。

 どっちが強いかなんて誰でもわかる。


(もしかして、これが世界の危機なのかしら)


 私はブラックフェニックスを見ながら、ふと思った。

 魔王の部下の復活。しかも、不死の化け物だ。

 世界に危機をもたらすキャラクターとしては、背景も特徴も十分新魔王を名乗る資格があると思うのだけど。


(まさかいきなりボスキャラに合うなんて……)


 危機が訪れたら戦うとはいったけど、最初からラスボスなんて聞いてないわよ!

 私の心の叫びをよそに、ブラックフェニックスは赤くただれた目をこちらに向ける。

 くちばしを大きく開き、甲高くいなないた。

 明らかに私たちに向かって、殺意と敵意を向けている。


 それともお腹が空いて、機嫌が悪いのかも知れない。

 1000年間、ずっと封印されていたのだ。さぞお腹を空かせていることだろう。

 今にも竜の鳴き声みたいな腹音が聞こえてきそうだ。


「ごめんなさい」


 唐突にライザ姉様が立ち上がった。

 ブラックフェニックスと私の前に出て、手を広げる。

 どう見たって、それは私を守っているようにしか見えなかった。


「あなたを起こしたことは謝るわ。お腹が空いているなら、私を食べて。だから、だからお願い。妹だけは見逃して!」


 ライザ姉さんは叫ぶ。

 一瞬、私には何を言っているのかわからなかった。

 3歳しか違わない私の姉が、必死にかつての魔王の部下に許しを請うている。


 怖くないわけがない。子どもとはいえ、その力量も知らずに訴えているわけではないことは、姉さんの手が震えていることからもわかった。

 私はずっとライザ姉さんには疎まれていると思っていた。

 いつも魔術書を読んでいて、自分より人気のある鼻持ちならない妹だと。

 加えて小心者だから、こういう時パニックを起こして妹を捨てて逃げるのかと思っていた。


「この子は私なんかより才のうがあるの。むずかしいまじゅつしょを読むことができて、足も速くて、人気ものだから、ミレニアが死んだらいっぱい悲しむと思う」


「へっ?」


「それに私、お姉ちゃんだから! 妹を守ってあげないとダメなの!!」


 ライザ姉さんは絶叫した。

 すでに半べそを掻いて、足をガタガタと震わせている。

 それでも、圧倒的な強者の前で、思いの丈をぶちまけた。

 パニックを起こして、何か無茶苦茶なことを言っているのかと思ったが、そうでもない。

 むしろ極限の危機の中で、姉は私に対する素直な気持ちを吐露しているように見えた。


「ライザ姉さん……」


「ミレニア! あなた、何をしているの?? あなただけでも逃げなさい!! 早く!!」


 振り返った時に見えたライザ姉さんの形相は、見たこともないほど険しかった。


 知らなかった。

 ライザ姉さんが、私のことをそんな風に思っていたなんて。

 いや、多分私は姉を知った気でいたんだ。


 その人の表面だけのことを知って、中身のことを知らなかった。

 違う。知ろうともしなかったのだ。

 私はなんて馬鹿者なんだ。


「姉さん、ありがとう」


「そうよ。それでいい! あなたは――――」


「夢魔の風よ。激しく踊れ。黒天に誘い、彷徨い、深き宙の底へ」



 【睡魔スリーピング



「なに……。ミレ……に…………あ……」


 倒れかかったライザ姉さんを、私は受け止める。

 思った以上に軽い。こんな身体なのに、姉さんは私を守ろうとしていたのね。

 目の前の化け物から。


「姉さん、ちょっと待っててね」


 慎重に地面に下ろすと、私はブラックフェニックスを睨んだ。

 なかなか紳士的な魔物だ。それとも余裕からくるものなのだろうか。

 姉妹の寸劇が終わると、ついにブラックフェニックスは翼を広げた。


 戦闘態勢に入ったのだ。


「さて、どうする?」


 思わせぶりな感じで、元魔王の幹部に立ちはだかってみたけど、今のところ目の前の化け物から逃げる算段はついていない。戦うなんて以ての外だ。

 ブラックフェニックスと戦えたのは、私が以前聖女で、周りに猛者がいたからである。

 仮に私1人だけなら、倒せたかどうかわからない。

 それほどブラックフェニックスを初め、魔王の幹部たちは強かった。


 今の私にあの頃の力はない。

 そして、あの時にいた仲間たちもいない。

 あるのは、多少かじった程度の魔術の力と、隠し技が1つだけ。


 勝機があるとすれば、その隠し技の方だけど相手に通じるかはわからない。

 それもダメなら、姉妹揃って大人しくブラックフェニックスの食卓に並ぶことになるだろう。


 ブラックフェニックスは嘴を閉じたり、開いたりしながら威嚇してくる。

 空からではなく、獰猛な爪が生えた足で、徐々に私に近づいてきた。


「ぎゃあああああ! ぎゃああああああああ!!」


 いよいよ襲ってくるかという時、ブラックフェニックスは暴れ出す。

 翼を激しく動かしながら、何かに耐えているように見えた。


「――――ッ!」


「え?」


 聞こえた。今、何かブラックフェニックスの言葉が聞こえたような気がした。

 はたと私は思い出す。

 今から1000年前。私たちは魔族と対峙していた。

 魔族の中には、人語を解するものもいて、種族によっては共存共栄の道を議論したことがある。

 だが、ブラックフェニックスだけは違った。

 ひたすら凶暴な魔物は、問答無用に襲いかかってきたのだ。


(でも、今の私は違う……)


 鳥の言葉だってわかるのだ。

 なら、ブラックフェニックスの言葉だって聞こえるかもしれない。

 仮に説得することができれば、あるいは――――。


「ねぇ! 聞いて、ブラックフェニックス! いや、聞かせてほしい。あなたの言葉を……。あなたが私に言いたいことを聞かせて!!」


 ブラックフェニックスは千鳥足で、フラフラと今にも倒れそうだ。

 木々に激突したりしながら、なんとか体勢を維持している。

 最中、ブラックフェニックスの身体がピクリと止まった。

 そして、私ははっきりとその声を捉えることに成功する。



 助けて……。


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