3

 猛烈な風が、灰色で支配された空 に吹き荒れている。

 上下左右から間断なく吹きつけて全身を強かに打ち、立つどころか目を開けている事すら困難な荒れた世界に、風切鈴羽は一人立っていた。

「……」

 この場所が現実に存在しないと、既に何度も訪れた彼女は知っている。分からないまま何度も放り込まれる事に対する恐怖はあるが、何も起こらない事も知るが故、鈴羽は難儀しながらも立ち上がる。

 一際強く吹き付けてくる方向の見当を付け、大気の流れを読みながら注意深く進む。風の生まれる地点に辿り着けば、この空間から脱出が叶う。

 一度転倒してしまうと、遥か彼方まで吹き飛ばされて元の木阿弥になる。亀の歩みよりも遅い速度で進む鈴羽だったが、目の端に不意に飛び込んで来た光に足を止める。

「……?」

 過去数度の強制連行に於いて、光の瞬きなど一度も無かった。過去の事象と違う何かが待っていると見るべきだろうか。

 警戒心を一段と強めて歩む鈴羽を他所に、忽然と現れた光は徐々に輝度増していく。直視していては灼かれると判断して顔を背けた刹那。


 ――おぅい聞こえるか? いや、聞こえてるだろ? ここに居られるって事はつまり、そういうことだからな。


 耳を通り越し、脳と心胆に直接届いた声に体が反射的に跳ねる。

 男性か女性か。性別の概念が極めて不明瞭。そもそもヒトの声帯から発せられた物かも怪しい不可思議な音を受け、この状況に於ける最善手を打てなかった。

 縮こまりそうになる背を無理やり伸ばし、両手を深く握り込んで鈴羽は叫ぶ。

「誰ですか!?」

「誰ですかと言われると正直困る。とりあえず、お前の同属でない事は確かだな」

「……」

 同属でない。という言葉から推測される相手の素性。

 まずは風切家の者ではない。水無月と黄泉討でもないのは確実だろう。となると、他領か異邦の者か。

「……私を攫っても、良いことなんてないよ。後継者じゃないもの」

 昨夜突きつけられた非情な現実が蘇り、萎えた声が毀れ落ちる。

 何らかの価値を見出してここに連れて来たのならば、とんだ見当違いと言わざるを得ない。

「なーに言ってんだ。そんなしょうもない事の為に俺は呼んだんじゃねぇよ。もっと大事な話だ」

「……大事な話?」

「そ。他の二人もお前の親兄弟もみーんな外れ。ここに来れたってだけで、もうお前に決まったんだわ」

 他の二人は恐らく珪孔と逢祢だろう。そして親兄弟は宗一と簓を指す。

 彼等が外れで自分に決まっているとは、一体どのような意味なのだろうか。

 何も理解出来ず首を捻る鈴羽。彼女の姿に、流石に言葉の不足が過ぎると察したのか。声は暫し沈黙し、光も思索に耽っている事を示すように不規則な瞬きを繰り返す。

 都合の良い事に、風は止んでいる。逃げ出す選択も十全にあったのだが、自分を選んだ事に対する興味が勝り、鈴羽はその場で「待つ」姿勢を執った。

 辛抱強く待ち続け、止んでいた風が再び吹き始めた頃。ようやく声が再度紡がれる。

「うん、まぁアレよ。言葉で説明しても分かんねぇだろうからこれだけ言っとく。俺とお前はそう遠くない内に交わる。その時に力を望むのなら……俺を取れ。そうすりゃお前は、他の誰でもないお前だけの力を手にするだろうよ」

「私……だけの力?」

 筋が良いと珪孔と逢祢に褒められはしているものの、所詮まだ六歳の子供。自分だけの力など、あるとは思えない。

 首を更に傾けた鈴羽を他所に、風は強さを増し、光が強くなっていく。

 耐えられずに目を閉じ、脚が地面から離れ、体が後方に押し流される。


「出会わなきゃ良かったと思うかもしれない。だがコイツは運命だ。しかと受け取ってくれよ」


                    ◆


「……」

 目が覚めると、見慣れない天井が映る。

 先刻までの光景の続きかと一瞬身構えるが、すぐにここが天帝が住まう御所近くの宿だと解した鈴羽は、溜息と共に布団から出る。

 ――なんだったんだろ。私だけの力とか運命とか、全然分からないや。

 声の主は自身の素性を伏せたままで、こちらの欲しい情報は一切渡さずにやり取りが打ち切られた。

 自分が選ばれた。そのような単語は本来喜びを掻き立てられるのかもしれないが、肉親から選ばれなかった現実がある以上、鈴羽に正の感情は薄い。

 ――しょうがないよ。ここに連れてきて貰えただけでも喜ばなきゃ。

『謁見の儀』の参加者と距離は置かれているが、特別な階級の者だけが宿泊と滞在を許される場所に居させて貰えるだけでも、御三家の除外された者の扱いを考慮すれば喜ぶべきだ。

 布団を畳み、いつもより少しだけ上等な着物に身を包んで身支度を整える。

 この先はただ待つだけの時間だが、退屈を紛らわす方法はゆっくり考えれば良い。

 鼻歌を歌いながら部屋の中を歩いていると、襖越しに物音が聞こえてくる。朝食の時間だろうか。

 そのような推測は、外から届いた声で肯定された。

 ここの食事は上手い。珪孔や逢祢から散々聞かされていたからか、現金な事に胸は勝手に高揚する。これも思い出作りの一つと唱えながら、鈴羽は勢いよく襖を開ける。

「はい! おは――」

 頭部に強い衝撃が走る。

 そして、風切鈴羽は漆黒の世界に引きずり込まれた。



                  ◆


「すずが誘拐された!? 警備は何やってたんだ!?」


 従者から舞い込んで来た衝撃的な言葉に、水無月珪孔は声量を絞って叫ぶ。

「警備はいたのですよ。ですが、彼等共々鈴羽様は姿を消してしまい……」

 しどろもどろになりながらの説明で十を解し、若き水無月家当主は舌を打つ。

 ――倒幕思想は『謁見の儀』に参加する家にまで届いているって訳か。俺としたことが……!

 傍から見てどれだけ完璧な布陣を敷いていようが、構成する者が敵だったのなら全てが無に帰す。継承者の流れから外れた鈴羽は、参加者達から少し離れた位置の部屋に宿泊しており、今日唐突に何らかの動きを起こしても察知されにくい。

 日ノ本全体を押し流す時流と、鈴羽を取り巻く事実が噛み合ってしまった結果、最悪の事態が起きてしまったのだ。

「相手から声明は来てるか?」

「い、いえ何も……」

「クソが!」

 大喝と共に柱を思い切りぶん殴り、建物が振動して従者が身を竦ませる。

 苛立ちを放出したお陰か、珪孔は幾ばくかの冷静さを取り戻す。

 ――継承者から外れると公的に示されたのは一昨日。情報の伝達速度がどれだけの物かは分からないが、風切の後継者と見ているなら……。

「珪孔様! 何処へ!?」

「すずの救出」

「天帝陛下がお待ちなのですよ!?」

「宗一さんと逢祢がいるなら問題ない。それに……御三家の看板で、あいつを必要以上に傷つける訳にはいかないんだよ」

 叫ぶ従者を置き去りに窓から飛び降る。

 着地と同時に駆け出し、御所の門に辿り着いた珪孔はそこに立っていた逢祢の姿に頬を緩める。

「お前も聞いたのか」

「無論だ」

 艶やかな衣装を纏い、日頃放っている色香が更に増したように思える逢祢は、しかし全てを凍結させる低い声で答える。多重人格と疑うだろうが、感情が昂った彼女は得てしてこうなる。

 愛する者が害されたのなら、猶更だ。

 背に屹立する身の丈程の大刀で彼女の意思を正確に読み取った珪孔は、自身の左腰に収められている打刀を軽く叩く。

「時間はそうないが、連中が行きそうな場所は簡単に絞れる。御三家の首を使って云々がしたいなら、一定の知名度がある場所を選ぶ。多くて四つ程度調べりゃ行き当たる」

「だろうな。……全員殺せば良いのか」

「アホ言え。クソみたいな事やってくれたと言っても、一応元は仲間だ。殺しはしない」

 そこで一度言葉を切り、珪孔は笑顔を作る。

 呼応するように逢祢も微笑むが、そこにあるのは生易しい慈悲の心ではなかった。


「侍の魂に泥塗ってくれた分のお返しは、きっちりさせて貰うけどな」


 血を啜って肥え太る、悪鬼が二人。

 国を背負って立つ使命を背負う者とは思えぬ、おぞましい哄笑を引き連れて、京の道を駆け出した。

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