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議長によって終わりが告げられ、議場の空気が緩む。
「ん……っと」
一糸乱れぬ姿勢で座していた場で唯一の女性、逢祢は足を畳んだ姿勢から淀みなく立ち上がる。二日後に控えた『謁見の儀』に関する会合は軽んじてはならない物だが、既に決定した事項の確認が大半の会合に価値を感じられる感性を、逢祢は持ち合わせていない。
――当主になって五年経つけれど、会議はやっぱり慣れないものね。
周囲の目と余計な口出しを抑える為に「深く関わるつもりがない」と態々公言したものの、元より
外へ向かう歩みを止めぬまま、会合の内容を必要事項以外全て忘れている事実に直面し、その自覚が正しい物と確信を更に強めていた。
最悪の形で黄泉討が消える事を防ぐべく当主と成ったが、優秀な子供がいれば喜んで当代の座を明け渡す。というのが彼女の本音だった。
――それをするには、私が結婚して子供を産まなきゃダメなのだけどね。
「ご当代」
ままならぬことばかりと自嘲した時、自身に向けられた声に足を止めて振り返る。
対面の、と言ってもかなり離れた位置に座していた侍の姿があった。
名前も顔も覚えていないが、会合に参加する事を許されているとは即ち、それなりの家の者だろう。
となると、無下に扱うのは今後に支障が出る。
「どうされたのですか?」
外向けの笑顔を浮かべると、些かたじろいだ風情の侍は頭を下げる。
「本日の会合、お疲れさまでした」
「そちらこそ。けれど、私は問題ないわ。ほら、腕力だけが取り柄だもの」
半ば事実の冗句にも、曖昧な笑みが返されるばかり。いったい何が目的なのだろうかと訝りながらも逢祢は「待ち」を選ぶ。
言葉を選んでいるのか、あやふやな音が紡がれる時間が暫し流れる。待つ側の意識が別方向に逸れ始めた頃、名も知らぬ侍は意を決したように顔を上げる。
「あの」
「ここにいたか。……あぁ、俺お邪魔だったか?」
「い、いえ! そんなことはありません!」
「そっか? なら、遠慮なく持っていくぞ」
奥から現れた珪孔にあからさまに怯えと、また別の感情を滲ませるが、言葉には出さず引いた。彼の肩を雑に叩きながら侍の傍らを通り抜けた珪孔は、逢祢の隣に立って告げる。
「悪いが、最後の詰めがしたくてな。何か用があったなら、儀式が終わった後にでもしてくれ」
今年で十八になった逢祢も当主としてはかなり若く、二つ下の珪孔もまた然り。目前の侍は彼女達よりも確実に年上で、立場の上下さえなければ珪孔に噛みついたであろう、複雑な表情を浮かべていた。
もっとも、幾ら格が高い家であろうと、御三家より上は天帝か将軍以外に存在しないのだが。
「それじゃ、お疲れ。明後日はよろしくな」
相手の返事を待たずに歩き出した珪孔を追う形で、逢祢は一礼を残して場を去った。
何度か角を曲がって階段を下り、確実に声が届かない所まで進んでようやく。声量を絞って逢祢が呟いた。
「助かった。ありがとう」
「気にするなって。乗り気だったなら止めるつもりも無かったが、どうにも雲行きが怪しかったからな。公共の場でお誘いとは、なかなか根性座ってて面白かったけど」
「どんな理由であろうと、好意は好意。そういう言い方は良くないわ……受けるつもりはなかったけど」
「俺より強い奴だっけか? そりゃぁなかなかな」
道化の仕草をしてみせる珪孔だが、それを受けた逢祢は苦笑に留まった。
「ジジイよか弱いよ」と謙遜するが、水無月珪孔の実力は極めて高い。大陸での戦いを超えて強くなった自負はあっても、特に一対一の戦いでは苦戦を強いられると確信している。
――この人より強くて頭が良いとなると、本当に何処にいるのかしらね。
「今年の会合、去年より比べて参加者が多かったわね」
「警備の人数を増やしたんだと。まぁ、今のご時世を考えたらな」
懸想沙汰など元より興味が無い故、先の会合に於ける引っ掛かりの解消に舵を切った逢祢だが、珪孔の切り返しに顔を曇らせる。
二百年に渡って太平の世を齎した侍の統治も、近頃は綻びが見え始めている。逢祢達は戦の遠征や勉学を目的に海外の地を踏んだが、それも外圧によって開国を余儀なくされた結果だ。
海外の情報が流れ込んでくれば、現行の体制に異を唱え、そして変革を掲げて行動を起こす者が出てくるのは必然。結果、今の日ノ本は倒幕派と佐幕派が入り乱れる暗闘が各所で繰り広げられる混迷に陥っていた。
「ここで言うことじゃないが、関係ない人間を害さなきゃ何だって良いんだけどな。この前も
「四時家は天帝陛下に近いお家でしょう。その程度の事実も知らない教養で、倒幕を掲げるのはどうなの」
「被害が明確に割り出せてないが、蔵が破壊されて結構な量の収蔵物が持っていかれたらしい。そこに目的が有ったのかもな、迷惑極まりないけどな」
力を持つ者同士のいざこざならば、最後の一線は余程の事が無い限り超えられない。しかし、強い感情に突き動かされた一般人が混ざれば、一線は途端に不明瞭となり、破滅を導く鬼札が場に出る危険性は著しく増加する。
国の未来を賢らに語っても、国土と国民が失われれば無意味だ。どうにかして、軟着陸させなければ。それは御三家当代の逢祢と珪孔の間で共有する使命感だった。
そして、もう一つ。風切はどうなのか。
問いに対する答えは、遠くに映った当代と彼が連れている子の姿で概ね理解出来る筈だ。
「やっぱり……だったな」
濁したが、珪孔の主張は言葉にせずとも分かる。
謁見の儀に参加する以上、風切家も当然会合に参加していた。
風切家当代、風切宗一の隣に座していたのは第二子の『
もっとも、長男が継ぐ伝統に照らし合わせると風切の判断は正しく、五歳の段階で判断は早計だが、簓の人間性に現状大きな瑕疵は見えない。
鈴羽を後継に据える合理的な理由は、どこを探しても無いのだ。
「とりあえず、俺達がここで管巻いてても何も変わりはしないだろ。明日の朝……」
逢祢よりも早く思考の整理を終えた、珪孔の執り成しが中途半端な所で。言葉のみならず、足も止まった事に不審さを感じた逢祢だったが、珪孔の表情が驚愕で塗り潰された様を受け、視線を彼と重ねる。
いつの間にか、屋外に出ていた事に気付くと同時。
下方に延々と延びている石段の片隅に、小刻みに振動を繰り返す小さな影。昨日にあった活気が根こそぎ失われているが、確かにその後ろ姿は鈴羽のものだ。
「すずちゃん……」
毀れた呟きを捉えたのか、鈴羽がノロノロと振り返る。
泣くだけ泣いて涙が尽きたのか、乾ききった赤い眼には光が無く、口は小刻みに震えて衣服は泥塗れ。
凡そ何があったのかを明朗に示す、ボロボロの姿を晒す鈴羽は覚束ない足取りで進み、珪孔の足にしがみ付いた。
◆
「ありがとう、後は外してくれ。俺達が出てくるまで、誰も近づけないでくれよ」
三者三様の料理が並べられるなり、珪孔が給仕にそう告げて襖が閉ざされる。
水無月家ではなく、彼個人が頻繁に足を運んでいる料亭『鏡屋』の個室で、対面する形で座した鈴羽は、料亭の主人による好意。
即ち彼女の好物である握り飯を前にしても、俯いたままだった。
「けいちゃん、その変な物は何?」
「チーズバーガー。コルデック合衆国で食った。完璧に再現は無理だけど、なかなかイケるぞ。逢祢も食うか?」
「獣の肉は好きじゃないの、知ってるでしょう?」
「そうだったっけ?」
すっとぼけながら、チーズバーガーを掴んで齧り付く。箸や匙を使わない食べ方を無作法と見たのか。逢祢は顔を顰めるが、鈴羽は無反応のまま。
予想通りと言えるが、未知の物事に嬉々として興味を示す彼女がここまで沈むのは、想像以上に深い傷を負ったと見るべきか。
緊張の糸をきつく張って、珪孔は背筋を正す。
「昨日の夜、宗一さんに何を言われた?」
問いを受けるなり、鈴羽の肩が大きく跳ねる。
「私達は何があってもすずちゃんの味方よ。それに、他の人に話してみたら解決策が生まれるかもしれないわ」
「他言はしないから安心しろ。お前が何を言っても、この中で完結させるさ」
核心を突かれて露骨に動揺し、旧知の仲と言えど宗一に近い立ち位置の人間に話す事に、鈴羽は躊躇の色を見せた。
枯れた黒の目を四方八方に巡らせ、何度か無意味に口を開閉させた鈴羽は、やがて覚悟を決めたのか。ぽつりぽつりと言葉を絞り出していく。
「ゆうべね。父上に聞いたの。『どんな格好したら良いの?』って。そしたら、
「……」
「わたしの方がお姉ちゃんなのに、どうしてって言ったら『おんなは当主になれない』『
歴代の当主に引き継がれてきた業物『
宗一の決断は、鈴羽を本流から外す意思表示に他ならない。お家騒動の芽を完膚無きまでに潰す意味では、最善の一手を指したと評価すべきと言えよう。
弾き出された鈴羽の心を、徹底的に踏み潰す唯一にして最大の問題点を除けば、の話だが。
両者とも、他の家の後継者選びに口を出す権利はない。介入は血みどろの内乱に繋がり、決定の理由が世間的な規範に収まっている以上、それをする理屈もない。
――とは言え、このまま「はいおやすみ」は違うよなぁ。
「わたし、女の子に産まれてこなきゃ良かったのかな。男の子だったら、父上も選んでくれたのかな」
六歳の子供とは思えない倦んだ言葉に、心を鉛に変えられたような感覚を覚える。誤った考え方と断言出来るが、不正に近いやり方で当主になった逢祢は。
そもそも性別が異なる珪孔もまた、正論を振りかざすだけでは、鈴羽の傷を癒せないと理解している。
今必要なのは日ノ本に於ける正論の提示でないことも、また然りだ。
「すず、どうして当主は男だけしか成れないと思う?」
「……そういう、決まりだから?」
「だな。で、その決まりは侍っつー文化がその形で作られたからだ。つまり、決まり事なんてのは支配者が勝手に作るモンで世界の真理じゃない」
一度言葉を切り、両の手を打ち合わせて部屋中に紫電を散らす光が展開。外界との接続が断たれた環境を作り出した珪孔は、制止の意を示した逢祢を無視して一段と低くした声で問うた。
「すず。秘密は守れるか? 博打や術技どころじゃない話だ。絶対に喋らないと誓えるか?」
「……うん」
「俺達御三家が。いや将軍の下で侍が国を統治する体制は、恐らくそう遠くない未来に終わる。お前が大人になる頃には確実に、だ」
当たり前の物として産まれ、そして今まで育った環境が、形成している側の存在から告げられる。
成人した者に示せば、下手をすれば発狂しかねない衝撃的な言葉を受け、鈴羽の目が真円を描く。驚愕しているが、正気を守っている童女をしかと見つめながら、珪孔は淡々と言葉を継いでいく。
「俺が行ったコルデック合衆国や、逢祢が遠征していた央華連合にせよ。日ノ本よりも遥かに優れた技術を持っている国は幾らでもある。侍も、逢祢みたく一人で何千人も相手取れる阿呆ばかりじゃない。今までの価値観が砕け散る瞬間は、遠からず目にする筈だ。そうなっちまえば、御三家当主の座なんて何の意味もない。紙屑と同じに成り下がる」
「……でも、私は父上みたいになりたい」
「宗一さんは素晴らしい方。でも、それは風切家の当主というだけではない筈。すずちゃんは肩書だけじゃない所を吸収して、新しい世界で一番になりなさい。……それは、私達が出来ないことだから」
遠く離れた場所に未来があるから、今は我慢しなさい。
幼い鈴羽の視点では、言葉がこのような空虚な代物と解される可能性がある。ロクな解決策を提示できない卑怯者と罵られても、何らおかしくない。
けれども、逢祢が告げた『私達が出来ない』は珪孔も抱えた本心だ。御三家当主の肩書は、今の鈴羽にとって何より欲しい物と分かっていても、それに囚われない自由な生き方をして欲しい。
既に失われる事を知っている二人の願いを、何処まで理解したのか。
それを読み取る事は出来ないが、鈴羽は数分の沈黙を経て確かに頷いたのだった。
◆
子供が起きている時間から逸脱した頃まで食事は続き、終わる頃になると鈴羽は目を擦り、何度も船を漕いでいた。
辛うじて日付が変わる前に彼女を風切家まで送り届け、再び二人きりになった珪孔は逢祢に呼びかける。
「悪かったな。すずに余計なことを言った」
「気にしないで。この国の体制が変わるのは、もう避けられないと思うから。……二十年保てば良い方かしら」
どれだけ頑丈な家だろうと、いずれは大黒柱も劣化して、やがて解体を迫られる。
二百年以上の長きに渡って、日ノ本に太平の世を齎した侍による統治も綻びが散見される状況。御三家当主の座を下手に掴み、下らない後始末に鈴羽を駆り出させる事は、侍という存在にとって大きな痛手と珪孔は確信していた。
選ばれてしまわないか危惧するほどに、だ。
「そう言えば、アレは宗一さんが保管していたわね。私もけいちゃんも、簓ちゃんも駄目。……最後の適合者は真厳さんだったけど、けいちゃんは見たことあるの?」
「一回だけ。海坊主討伐の時だ。親父に連れられて見たんだが……」
港を破壊し、無数の人々を殺害した怪物『海坊主』は、海棲という生物的特徴を味方に決定打を躱し続け、長年国民を悩ませ続けていた。
十二年前に珪孔の祖父、水無月真厳に討伐されたという事実だけは残っているが、詳細は語られずに今に至る。
現場にいた筈の水無月家の者達も一様に口を閉ざす功績を知る、数少ない存在の珪孔は、逢祢の何気ない問いに身を震わせる。
結果を見れば、祖父が正しい選択を下したのは間違いない。
そして、正しい選択は得てして美しい筈だ。
「爺さんは海ごと斬った。海坊主の持ってる八本の足全部、一回の斬撃で全部跡形もなく消えたよ。周りの海水も一緒に、どっかに消えちまった」
「……はぁ?」
「抜かれた瞬間、周りの時間が止まった。もう一度動き出した時、海坊主は死んでいた。あれは守る為の武器じゃない。破壊する為だけに生まれた怪物で、人の世に在ってはならない物だ。そういう決まりが無けりゃ、爺さんは破壊して埋めてただろうよ」
伊桑の地に住まう刀工『村正』が鍛えた刀は、刃文の表裏一致等の外見的特徴に加え、素人が扱っても鎧ごと人体を切り裂く、並び立つ物なき性能を誇っていた。
あまりの性能から倒幕を目論む者に使用される事例が続発し、現在では将軍家に仕える侍の所有が禁じられている。
そんな村正が生み出したある一振りは、厳重な封印を施した上で御三家が持ち回りで管理している。珪孔の祖父、真厳のように適合した者が時折武器として振るうが、その道を選んだ者は、例外なく非業の死を遂げた。
当代では風切家で保管されている『あれ』に、仮に鈴羽が選ばれたなら。彼女は問答無用で当主の座を得られる。彼女の才があれば、過去の所有者を遥かに超えた、人の身では推し量れない神の領域にすら手が届くだろう。
けれども珪孔は、そして逢祢は。選ばれた先にある死という鎖に鈴羽が絡め取られる事を望んでいなかった。
「俺達は変わる日ノ本で、侍の死に場所を見つけるまでが役割だ」
「決して美しくもなければ、夢や希望もない。当代となって、死ぬだけの道筋をすずちゃんに進んで欲しくない。……あの子なら、もっと広い世界を歩める筈だから」
溢れんばかりの才を知っているが故に、彼女の夢が叶わない事を切に願う。
矛盾した思いを共有し、夜道を黙して歩む二人は、やがて両者の家へ向かう分岐点に辿り着く。
「それじゃ、また明日。不埒者が出るとは思えないけれど、気合を入れていきましょう」
「おう。……なぁ逢祢、その首無しの馬は一体?」
分岐点で静かに立ち、逢祢の姿を見るなりすり寄って来た四本足の生物は、筋肉質のしなやかな足や滑らかな白い毛並みから、馬と推測可能。
しかし、肝心要の頭部が綺麗に失われ、断面から謎の黒煙を吐き出す様は、珍妙な物と相対した経験が豊富な珪孔にも未知の光景だった。
首を捻る彼を他所に、二歳年上の幼馴染はこともなげに笑う。
「轟天丸よ。三年前、インファリスに遠征した時に襲われて、しつこかったし、角の攻撃も危険だから首を落としたの。それでも死ななくて、しかも妙にくっついてくるようになったから連れて帰って来たの。けいちゃんに見せるのは……あら?」
獅子の尾に山羊の顎鬚。二つに割れた蹄と、頭部に生えていたという角。
逢祢が何に襲われ、そして首を切り落としたのか。理解した珪孔は、状況によっては国際問題に成りかねない事を察して思わず天を仰いだ。
「その轟天丸。他の国に連れて行くなら毛を染めとけよ。いやマジで」
「?」
意味が分からず首を傾げた逢祢を置いて、珪孔は実家への道を歩む。
最後に気が抜ける出来事はあったが、明後日の儀式で確実に何かが起こると、珪孔は踏んでいた。
起こってしまうのなら、敢えて迎え撃って鈴羽や逢祢を筆頭とする親しき者に危害が加えられぬよう、根源から叩き潰す。
野蛮な思想だが、御三家当代の看板を背負った自身に求められるのは、お題目ではなく結果だ。
――色々願えば、すぐに破綻する。まずは、一つに絞って潰していくか。
思考の単純化に努めながら、珪孔の姿は夜の闇に消えた。
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