Ep1:刃の胎動

1

「やああああああああ!」


 溶け落ちそうな陽光が降り注ぐ下、童女の声が緑に包まれた大地に響く。

 辛うじて脇差と名乗る事を許される、一尺丁度の小刀の持ち主は、それすらも大きく見せる程に小さかった。

 矮躯を覆う道着と手に巻かれた布は白い反面、鋭利に細められた目と、丁寧に切り揃えられた髪はどちらも夜の色。

 対称的な二つの色を抱えた童女は、咆哮を終えるなり、小刀が持つ白銀の輝きを引き連れて走り出す。

 

「良い心掛けだ。その年から絡め手を覚えると馬鹿になるからな」


 三十尺ほど先で悠然と立ち、童女の意思をしかと受け止めるのは、深い緑の道着を纏う黒髪の少年。真っ向勝負を挑んで来た彼女の姿勢に好意的な反応を示し、首元を彷徨わせていた木刀を構える。

 三尺五分の童女と四尺四寸の少年では、武器の射程が同等でも大きな優劣が出るが、木刀には綿のような物体が幾重にも巻かれ、殺傷能力は皆無に等しい。

 流しに失敗すれば確実に負傷する、油断ならない状況に笑みを深めた少年は、そこでようやく一歩動いた。

 少しばかり武器に優位性があろうと、何度も打ち合える程に目前の少年は甘くない。そう知っている童女は、切っ先が届く所まで接近するなり脇差を跳ね上げる。

 年齢を考慮すれば驚異的な速度で接近する凶刃を、少年は首を振って躱す。そしてそれを読んでいたと言わんばかりに、童女は地を蹴る。跳躍の勢いをそのまま活用して空中で体勢を変化。死角と成り得る頭頂部目掛けて、脇差を突き出す。

 目的が殺しに振り切れ過ぎた一撃は、視界から唐突に消えた混乱と合わさることで本当に少年を殺害しかねない。

 ともかく、勝利を確信した童女の目に届いたのは、血飛沫ではなく少年の左手だった。 

「魔術も使えないのに、空中攻撃をホイホイ使うな。方向転換が出来ないから」

「え? ……わっ!」

「教え諭す」の形容が相応しい、落ち着いた声と挙動で脇差を払う。体勢を崩して更に回った童女の右足を少年は掴む。

 相手が動けなくなった事を認識すると同時、少年は脇差を奪い取って遠くへ抛り捨てる。

「すず、前に教えた奴を使ったな?」

「うん……」

「俺や逢祢以外に使うなよ。真面目に死人が出るから」


 もう一度肯定の返事が為されると少年、いや水無月みなづき珪孔けいくは『すず』と呼ばれた童女を地面に優しく降ろす。

 納得したようなそうでないような。複雑な面持ちの童女の名は『風切かざぎり鈴羽すずは』という。

 水無月の名で察した者もいるだろうが、両者ともに極東の島国日ノ本の統治者、将軍に仕える侍の頂点に立つ『御三家』本家筋の人間だ。


                   ◆


 京の地に存在する中で最大の湖、六波羅湖。

 その岸辺に掛けられた桟橋の縁に腰掛ける二人は、家名にあるまじき力の抜けた姿で釣竿を垂らしていた。

「けい兄ちゃん、前も言ったけどこんなので釣れるの?」

「前も言ったけど釣れたからやってるんだよ。前はナマズが釣れた」

 着流しを雑に纏う、規範にうるさい者が見れば卒倒しかねない格好の珪孔はそう言うが、鈴羽が見ている時に釣れた事は一度も無い。

 木刀の切っ先に糸を縛り、適当に捕まえた虫を針に刺して落とす。粗雑極まる仕掛けでは、彼女でなくとも疑問を呈するのは真っ当な話だが、水無月家当代は頓着する事なく木刀を揺らす。

「釣りってのはな、釣れるかどうかじゃないんだ。集中して竿と向き合う時間を楽しむんだよ」

「けい兄ちゃん、私達が持ってるの釣竿じゃないよ」

「細かいこと言うなって」

 ぐしゃぐしゃと雑に髪を撫でられ、鈴羽は唇を尖らせる。近くに住んでいる友人の父が巨大な鮒を釣り上げた話から、何かが釣れるのは本当なのだろう。

 となると、何度やっても釣れないのは道具が悪いせいだと結論が出る。出るのだが、会う度にこうして粗末な仕掛けで興じているのだから、本意は釣りに無いのだろうと幼心にも理解するようになってきた。

「わたしの刀、どうだった?」

「そうだなぁ」

 話題転換を兼ねた問いに、珪孔の目が釣竿擬きから外れて鈴羽に向く。

 日ノ本人では珍しい、暗灰色の混じった双眸を向けられると背筋が伸びる。これは目の色の問題なのか。それとも、水無月桂孔が放つ言葉はいつも的の中心を射抜いてくるせいか。

 息を飲んで待つ鈴羽を他所に、珪孔は先刻と全く変わらぬ穏やかな調子で口を開いた。

「四か月前だっけか。あの時より更に良くなってる。体がもうちょい出来るまで、大体三年ぐらい今の鍛錬を続けておけば、成長した時に化けると思う」

「ほんと!?」

「嘘言ってもしょうがないだろ。空中の動きは『川蝉落とし』だったな。俺の渡した本、読んだのか?」

「うん! 爺やに読んで貰ってる」

「そりゃ良いや。じゃ、すず一人で読めるように、体が出来るまで勉強もちゃんとしないとな」

「うっ……勉強……嫌い」

「サボってたら次から剣を教えないからな?」

「うぅ~」

 くるくると表情を変えて頭を抱える鈴羽を、明らかに面白がっている風情で珪孔は見つめる。筋の良い子供に教えるのは多忙な彼にとっても楽しみで、よほど道を違える事が無い限り、彼女への教導を辞めるつもりはない。

 つまり、これは単純にからかって遊んでいるだけだ。

 唸る鈴羽と笑う珪孔。そんな構図は水面に波紋が、大地に震動が生まれた事によって終わりを告げた。

「地震?」

 日ノ本に於いて最も恐れるべき自然現象の一つを挙げ、怯える鈴羽を抱え上げ、桟橋を脱した桂孔は対称的に冷めている。

「多分違う。この揺れ方だと」

「すーずちゃん! 会いたかったわ!」

 濛々と土煙が生まれ、腹の底にまで響き渡る大音声で珪孔の声が搔き消される。

 長く艶やかな黒翡翠の髪は腰まで届き、男性用の裃を強引に改造した装いながら、性別を問わず人々が振り返る妖気を放つ肉感的な体と相反する、強烈な緊張感を纏った面持ち。

 もう一人の御三家当代、黄泉討よみうち逢祢あいねは全力で鈴羽を抱きしめて、身の丈以上の愛情を彼女にぶつけていた。

「お土産もたっくさん持って来たわ! 後で皆で食べましょう! 前に教えて欲しいって言ってた技も! それと……すずちゃん? どうして顔が赤いの?」

「多分、というか間違いなく。お前の胸で圧迫されてる」

「た、大変! 珪ちゃん、私どうしたら!?」

「いや、普通に離してやりゃ良いだろ」

 本当に御三家だ。こんな締まらない会話をしていても。


                 ◆


「今回はギリギリになったな。そんなに央華の連中は強かったか?」

「まだ相手も様子見段階だから、大したことなかったわ。それより報酬の分配が大変で……間に合って良かった」

「えっけんのぎ。だもんね!」

「おぉ、良く覚えてたな。偉いぞ」

「うん! 今年は私も参加出来るもん!」


 無数の配下を抱える御三家が一同に集う事は、将軍が住まう「衛戸」ですら稀だ。

 では何故、初夏のこの日に彼等が京に集ったのか。

 その問いに対する答えが、鈴羽の口にした『謁見の儀』になる。

 侍が天下を取ったと言えど日ノ本建国、いや世界の創成期に生まれたと伝えられる天帝を軽んじる事は出来ない。実情はともかく形式的に上下関係と敬意を示すべく、将軍は年に一度だけ京を訪れて天帝に謁見する。

 それが『謁見の儀』と呼ばれる行事で、将軍を守護する御三家もまた、護衛として馳せ参じる義務がある。

 重要な儀式だが、今までの鈴羽にとって、年の離れた兄や姉のように慕う珪孔と逢祢と会える日でしかなかった。

 だが今年は違う。次代の当主となる者もまた、当代の補佐という形で謁見の儀に参加することが出来る。本当なら五歳になった昨年に参加出来る予定だったが、夏風邪に罹り叶わなかった。

 実情は退屈な物であっても、風切家の長女に生まれた彼女にとっては、珪孔や逢祢と同じ場所に立てる。それだけで胸が高揚して止まないのだ。


「美味しいご飯も出るんだよね! 鯛のお刺身とか食べてみたいなぁ! けい兄ちゃんとあいねお姉ちゃんみたいに、綺麗な服も着れるんだよね!」


 拳を固く握り、微笑ましい想像に胸を膨らませてはしゃぐ鈴羽を、残る当代二人は笑顔で眺める。


 しかし、ここで一つ重要な事実が存在する。


 将軍にせよ御三家当代にせよ、家の後継者は基本的に男性だ。

 慣例を破って女性が就いた事例も、地方大名の中に一応あるのだが、周囲からの軽侮や離別によって家が立ち行かなくなる事態に陥っている。

 圧倒的な戦の力と、政へ深く関わる意思が無い事を早々に表明した為、周囲に一応受け入れられている逢祢にしても、正規の手段で当代となった訳ではない。

 そして、鈴羽には一つ年下の弟がいる。


 これらの事実から導き出される現実を知るが故、珪孔と逢祢は鈴羽に『謁見の儀』の話題をそれ以上振る事が出来なかった。

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