4:覚醒

 酷い鈍痛に苛まれながら、鈴羽の意識は覚醒を果たす。

 目に映るのは土壁で囲われた薄暗い空間。鼻腔に届くのは畳のカビ臭さ。委細を拾えば他にも捉えられるが、全てが先刻までいた場所と異なっている。

「ん……わたし……」

 立ち上がろうとするが、足は軋むばかりで彼女の意思に背く。

 視線を落とすと、粗末な麻縄が幾重にも絡み付き、両足を戒める光景が在った。解こうとするが、腕にも同様の仕掛けが施されており、ただ床を這い回るだけの結果に終わった。

 魔術による拘束が無いのは、御三家直系と言えど非力な子供ならこの程度で問題ないという軽侮からだろう。

「ばかに……して……!」

 その程度の見る目しか持たない、愚か者の罠に嵌った己の間抜けさに一通り憤り、柔軟な体を器用に繰って縛めから脱する。

 辛うじて自由を取り戻した鈴羽は幼子なりに最大限警戒を払い、足音を殺して固く閉ざされた鉄扉に接近。人間の体程の分厚さを持つ以上、本来なら聞こえる筈が無いのだが、彼女の優れた聴覚は幽かに漏れてくる音を捉えた。


「風切の子女を捕らえたは良いが、交渉材料になるのか?」

「!」


 最初に届いた無礼極まる言葉に、眦が吊り上がる。

 政治を解する年齢に、まだ鈴羽は至っていない。現在の体制が何れ崩壊すると先日珪孔から聞いたが、背景やそこに至る道筋は全く理解出来ていない。

 ただ、一つだけ彼女にも分かる事があった。

「継承者じゃなかろうと、何かしか使える。あれをやたら好いている水無月と黄泉討の当代の牽制にはなる」

四時しじから物だってある。手札が二つあれば、波は起こせるだろう」

 自身を捕らえた連中は、良からぬ方向に波を起こそうとしている。最終的な到達点が善であろうと、誘拐や略奪行為に何一つ正当性を感じられない。

 珪孔と逢祢の牽制に自分を「使う」発想もまた、引っ掛かりを生んでいた。侍ならば、堂々と彼等を打倒すればいい。罠に嵌めるとしても、もう少し別のやり方があるだろう。

 態々、弱いと分かり切っている餓鬼を誘拐して盾に使う。そんな発想を抱く輩を、鈴羽に内在する五・六匁は肯定出来なかった。

 内側に灯った炎は、瞬く間に全身を駆け巡る。扉から一度離れ距離を取った所で猛然と駆け出し、全身を叩きつける。

「いたいっ!」

 鈍い衝撃と音が生まれ、彼女の矮躯はあっさりと弾き返されて床に落ちる。口内に入った土は己の無力さを嘲笑うように苦く、扉向こうからの反応は皆無。

 年齢・体格・継承序列。全ての要素は、風切鈴羽が状況を打開する強者ではないと告げている。

 だが、それが何だと言うのか。

 状況が悪ければ曲げ、勝ち筋が無ければ諦めるのは賢者の生き様だろうが、望む形ではない。どれだけ苦しくても折れることなく立ち向かい、勝利を掴み取る様こそが、鈴羽が望む侍の在り方だ。

 ならば、やるべき事はたった一つ。

「……どんな手を使ってでも、あいつ等をやっつける! 皆の所に帰る!」

 六歳とは到底思えぬ力と決意に咆哮を上げ、鈴羽はもう一度扉へ走り出す。

 

「抵抗は無駄だ、降伏しろ……って言えば良いか?」


 聞き慣れた、そして聞き慣れない感情に満ちた声が彼女の耳に届いた。


                 ◆


 御所から四町程離れた所に位置する、かがり家跡地。

 天帝に仕える重要な役目を担っていた栄光は過去の話。『三種の神器』を略奪される失策で取り潰しの憂き目に遭い、残された屋敷は只の空き家と化していた。

 屋敷の規模に連動するように、小規模な軍事演習が可能な程に広い中庭に詰めている討幕派の視線を一身に浴びながら、儀礼用の肩衣袴から着流しに装いを変えた水無月珪孔は口の端を歪める。

「名乗るぞ。水無月家当代・水無月珪孔だ。俺は優しいから言っとくが、死にたくなけりゃ今のうちに降伏しとけ。いやマジで」

 人数比は六十対一。只の腕自慢なら瞬殺される絶望的な差だが、御三家当代の出現とあっては討幕派も楽観視は出来ず、一定の距離を保って睨み合う。

「俺はいつまで続けても構わない。長引けば長引くだけ、こっちも手札が増えるんでな」

「時代遅れの犬が……!」

「それは間違っちゃいないな」

 佐幕派の最大勢力と言える御三家当代が、現行体制が時代遅れと肯定した事に、集団からどよめきが生まれる。

 その様を目の当たりにした珪孔は、うんざりとした様子で肩を竦めた。

「お前らみたいなロクデナシよか、俺はマトモな情報を得てる。夢と希望と絶望、全部含んだ奴をな。星は回って、世界は進む。どんな体制だろうと何れは崩壊する。生きている間に、俺も只の人になるだろうよ」

「分かっているなら、何故我らに反抗する?」

 集団の頭目と思しき男の声には、知性が確かに存在していた。

「知るか馬鹿野郎」で叩きのめす事が最適解。なのだろうが、彼らが伊達や酔狂で賭けに出た訳ではないと解し、珪孔はこめかみを軽く叩いて苦笑する。

「流れってのは確かにあるし、道理もまた然り。けどな、それは特定の誰かが主役になるモンじゃない。お前達のやってる事はいずれ大波になるかもしれないが、無くったって世界は進む。だったらな、可愛い弟子を攫った阿呆を叩き潰す道を選ぶに決まってるだろ?」

 言葉を切って、珪孔は腰元の鞘から一振りの打刀を引き抜く。

 優雅な曲線を描き、清流のように揺らめく輝きを放つ刃は二尺程度と平均以下。贅を極限まで削ぎ落した結果なのか、一撃で折れてしまいそうな儚さを漂わせていた。

 無論、得物が何であれ抜刀が持つ意味は変わらない。貧弱な刀ならば自分達の勝算は上がる分、寧ろ好都合と言えた。

「それじゃ、行くぞ」

「御三家当代と言えど、この戦力差だ。総員かかれ!」

 雄叫びを上げ、集団の三分の一が珪孔に仕掛ける。前後左右のみならず、屋根上に潜んでいた射手も一斉に矢を放った。

 猛烈な速度で迫る敵を、悠然と睥睨する珪孔。最初の一撃たる矢が目と鼻の先に到達した刹那、彼の左手が動いた。

 白波が地に生まれ、赤の飛沫が大気に散る。

 快晴の空模様も相俟って、一幅の絵画も同然の彩が世界に描かれる。そして、集団は無言で地に伏した。

 始動時と同じ位置に引き戻された珪孔の左手。表情や位置取りも何一つ変わらないが、唯一つ変化している物があった。

「貴様……いつ刀をすり替えた!?」

「すり替えちゃいないさ。俺が持ってるのは、端からコイツだけだ」

 鼻で笑って応じる珪孔だが、振り抜いた刃は一・五倍に伸長していて、やり取りの間に元の長さへ無音の回帰を果たした。『一つしかない』と語った所で、納得出来る筈が無いのは道理と言えよう。


 見る者を混乱に陥れる怪現象は、ここで終わらない。


 掲げられた刃に亀裂が走り消失。次の瞬間、無数の刀が空中で集団へ睨みを利かせていた。語られていないが、珪孔が指を打ち鳴らせば確実に牙を剥いてくる。

 悪い方向の想像力が膨らみ、硬直する頭目を他所に珪孔は滔々と口を開く。

「水無月当代が受け継ぐ『水彩すいさい』は、使用者の意思に応じて姿を変える。個々の素養次第だが、もっと派手に遊ぶ事も、他の武器でも同じ事が出来るぞ」

「水無月は水の魔術を司る! 貴様は、いや貴様の血脈は外敵のみならず、主君すら欺いていたのか!? ……それが、御三家のあるべき姿なのか!?」

 発言者が略奪と誘拐の実行犯。そのような事実を横に置くと、頭目の言葉はそれなりに真っ当だった。

 天帝に仕えるに当たり『水彩すいさい』と水無月の当主は、流水を自在に操る力を自身の力と示した。敵の制圧や開墾に於いて多大な貢献を果たした事実から、騙った力が仮初でないのは確か。故に、彼等も水絡みの魔術を潰す仕掛けを準備していたのだが、珪孔の宣言が真ならば全ての前提が覆る。

 加えて、日ノ本がこの名を得る以前より存在し、列島を生み出したとさえ伝えられる畏れ多き存在に、虚偽の宣言をした事実は変わらない。

「嘘言ったからどうした? お前らはこの国引っ繰り返すんだから、陛下に俺の家がどう言ってようが関係ないだろ? ……それに、侍が嘘を言わない。なんて嘘に決まってるだろ、馬鹿かお前ら」

 淡々と暴言を放ち、指を打ち鳴らす。


 転瞬、屋根裏に配されていた弩や火砲に分化した水彩が突き刺さる。


 使い手の技量を誇示するように、機関部に突き刺さった刃は意思を持つ生物同然に蠢き、破砕音を奏でながら珪孔の元に戻る。

 相当な金銭と苦労を掛けて揃えたであろう兵器が、数秒で粉砕された事実を前に、頭目は酸欠の鯉の如く口を開閉させる。

 自我を失ってもおかしくない惨劇を前にしながらも、辛うじて正気を守った頭目は、出血の酷い右足を庇いつつ立ち上がる。

「旧体制の犬とは言え、御三家当代たる貴様の力を軽んじた私が愚かだった。しかし、私達にはまだ……」

「それは、このガラクタの事か!」

 心胆を震わせる、ドスの利いた叫び。

 呼応するように石造りの外壁に亀裂が走り、砕けた箇所から砲弾の速力で巨大な物体が飛来する。

 生まれた暴風を受け、反射的に顔を背けた珪孔は、自身の傍らを通り抜けたそれが背後の屋敷に激突する音を聞いた所で目を開ける。

 まず見たのは、壁に大穴を穿たれて黒煙を放つ屋敷。

 

 次いで見えたのは、悪鬼と化した友人の姿だった。


 五尺三寸弱と小柄な使い手の身の丈を優に上回り、鉄板を複数枚重ねた厚さを誇る刃は、大太刀の形容すら不適切な領域に達している。

 返り血が殆ど拭われていない為か、輝きの失われた刀身はどす黒い瘴気を纏い、見る者の戦意を萎縮させる不穏な気を放つ。

 侍の文法から著しく外れた大太刀が、地面を耕しながら上昇。戦旗の如く得物を掲げた、鬼の面頬が目を引く完全武装の怪物が、双眸に闘気を宿して吼えた。


「黄泉討家当代・黄泉討逢祢! 逆賊共よ『一騎当千』の餌になるが良い!」


 竜の咆哮に等しい名乗りに世界が震え、鈴羽が幽閉されている建屋の扉が砕ける。

 日常の弛緩した空気から程遠い、破壊に飢えた怪物の姿は、間違いなく黄泉討逢祢の持つ本性の一つ。

 実兄を合法的に殺害し、継承される刀も破壊した彼女が独自に生み出した『破城大刀・一騎当千』は、最早武器よりも鉄塊の形容が相応しい。

 珪孔も振るうのに難儀する超重量級の刀を振るい、生物から城まで等しく蹂躙して戦果を挙げて来た怪物は、ギラついた双眸で周囲を睥睨して首を鳴らす。

「すずちゃんは……どこにいる?」

「どっかにはいるだろ。それに、全員倒してから探す方が楽で良い。……殺すなよ」

「なるほど、一理ある!」

 ロクでもないやり取りを交わしている内に、二人の周囲には残存勢力と思しき者達が集い、逢祢が吹き飛ばした巨大な絡繰人形も再起を果たしていた。

 数で勝る集団に余裕は皆無。一方の二人は敵を軽んじてはいないが、焦りも見受けられない。

 場数と積み上げた勝利の差なのか。いずれにせよ相手にとって不快でしかない悠然とした姿で、珪孔が口火を切った。

「殺しはしない。しないんだが、どうにかして本懐を遂げたいなら……死ぬ気でかかってこいや!」 

 敵である珪孔の一喝に、弾かれたように集団が始動。各々の武器や魔術を携えて接近する彼等を、御三家当代は真っ向から迎え撃つ。

「死んねええええええええ!」

「来いとは言ったが、真正面から来てどうする」

 愚直に突っ込んで来た槍使いに、呆れ顔の珪孔は一歩踏み込んで水彩を一閃。刀は見事な軌跡を描いて四尺弱の槍を両断。刃が翻り、勢いを殺せずに前進を続けた使い手の左腕を体から分割。

 腹部に蹴りを撃ち込み、後続諸共吹き飛んでいく男に対し右手を伸ばす。五指から伸びる『鋼縛糸カリューシ』は、無音で集団に襲い掛かり、体の一部位を切り落として使い手の周囲で踊る。

「卑怯だぞ!」

「お前らが言うか、それ? だったら見せてやるよ……『蛇浪驟雨撃だろうしゅうげき』」

 無造作に突きたてられた水彩を起点に、大地が震動。場の大半が膝を折る激震の中で地面が割れ、水が盛大に噴出。

 暫し上方へ向かい続けていた水は、不意に蛇の如くのたうって軌道を変え、小規模な津波と化し集団を飲み込む。 

 脹脛ほどの水位があれば、ヒトの自由と命を奪う事は十全に可能。全身を飲み込むだけの水量に囚われてしまえば、そこからの逆転は極めて難しい。

 道理に違うことなく、悲鳴を残して集団は何処かへと押し流されて退場。意識を取り戻した頃には、恐らく牢獄の中だろう。

 鞘鳴りの音を奏でながら、珪孔は水彩を納刀。同時に、逢祢は一騎当千を地面に叩きつけた。

「殺して無いだろうな」

「無為な殺しはしない。すずちゃんがいる場所では尚更な」

「その姿ですずの名前出すの、滅茶苦茶怖いから止めろ」

 戯けたやり取りを交わしているが、逢祢の周囲で倒れている者達は皆、例外なく体の一部を完全に破壊され、武器は只の塵芥に成り下がっていた。

 時間を掛けて治療を受ければ回復するとは言え、骨ごと体を砕かれ、桃色の粘液を垂れ流す惨事が己の身に起きてしまうと精神も破壊される。

 一度陥ってしまうと再起が困難な状況に敵を追い込み、残るは頭目一人。

 珪孔と逢祢が揃って視線を向けると、華奢な体格の男は腰を抜かしたようにへたり込む。垣間見えた手や体捌きから、戦闘経験が少ないと判断した二人は刀を納める。

 代わりに、異国の火薬式拳銃を抜いて珪孔が問うた。

「さて、と。これでお前の札は尽きた。今ならまだ牢屋送りで済むから、すずの居場所を吐け」

「旧世代の遺物に掛けられる慈悲など……」

「世の中の流れは置いといて、お前はその遺物に負けたんだろうが。目的がどれだけクソだろうと、人を集める力は評価される。ここで降りれば、未来はあるんだぞ」

 珪孔からすると、冷静に相手の力と価値を見極めた上での「説得」だった。

 しかし、彼なりの大義を掲げて一世一代の勝負に出た頭目にとって、珪孔の説得は最大級の侮蔑に他ならない。

 色が失せた唇を血が滲む程に噛み締め、全身を滑稽なまでに震わせ始めた頭目に不穏な物を感じたか。逢祢が一歩進み出て制止に掛かる。

 彼女より半歩早く、既に当人から興味が失せているのが明白な調子で、珪孔は嘆息と共に訊いた。

「さっさと言えよ。すずは何処だ? 好機を逃した阿呆に情を掛けるほど、俺は優しくないからな」

「ふざ……けるなぁ!」

 突如膨れ上がった魔力の奔流に、弾かれるように後退。抜き打ち可能な状態で構えた二人は、己の眼を疑った。

 ノロノロと立ち上がった頭目から漏出する魔力は、先刻打ち合った時とはまるで性質が異なる。謀られていた可能性が頭を過るが、心胆を直接喰らわんとばかりにせり上がる感触は、頭目どころかヒトの物ですらない。

 零れ落ちそうな程に見開かれ、血走った眼で二人を睨む頭目は、己の懐から小さな短刀を取り出して胸に突き立てる。

 吐き出された血の雫が空中で停止。物理法則に反する現象を描き出した血は縒り合わさって上昇し、やがて一点に収束。

「貴様等に投降するだと? その程度の安い決意で、私が革命を決意すると思っているのか!?」

「命を懸ける必要はないだろ。それに負けは負けだ、巻き返す材料が無い状態で張り続けたって――」

「あるから勝負に出たのだ! 出でよ『青龍』!」


 京の空の一角が、乾いた音を立てて砕けた。


 裂け目から、六つの爪が並ぶ巨大な手。明確な意思に基づいて蠢く手が空に奔る裂け目を押し広げ、神々しさすら感じさせる鬣を湛えた頭部が顕現。鰐に似た造形だが、頭頂部には複雑な形状に変化した角が絡み合い、王冠のような造形となっていた。

 清浄な輝きを纏う体躯は蛇の如き流線形。翼の類は何処にも見受けられないのは、膨大な魔力で飛行している証左に他ならない。

『竜』ではなく『龍』翡翠色に輝く宝玉にも等しい双眸を見て、頭目の言葉が真実であったと解してしまい、二人の顔色が変わる。

「軍神の召喚……四時の襲撃はこの為か!?」

「どういうつもりだ!? 京全体が破壊されるんだぞ!?」

 大陸に存在する『央華諸国連邦』に古来から存在する五柱の神は、五神と称される。青龍・朱雀・玄武・白虎。そして黄龍の制御に成功した事で央華は強国の座を手にしたが、黄龍を除く四柱は自身の複製体を生み出した。

 それだけなら問題は無かったのだが、偶発的な事故によって彼等は日ノ本人の四時家の者への従属を選んだ。央華への配慮からか、異国との戦では決して用いられる事は無かったが、兵器の役割を与えられた彼の者達を、人々は軍神と呼んだ。

 環境の違いからか、特殊な手順を踏んで召喚しなければ日ノ本ではその姿を見せないが、一度顕現すれば自然災害にも等しい破壊を齎す。

 国取りの合戦でも殆ど出番を与えられなかった事実が示すように、確かに軍神は強大な力を持つ。召喚に当たっては専属の召喚士三十名程が必要とされ、それでも一時間繋ぎ止めるのが精一杯。

 専門外であろう頭目が召喚しただけでも奇跡に等しいが、彼の力量では制御も安定的な魔力供給も不可能。呼び出された軍神は世界に留まる為に、土地から魔力を奪い取っていく。

 つまり放置すると十数年の間、京は死の大地に変わる。軍事力の低下を無視してでも、この場で殺さねばならないのだ。

 悲壮な決意と共に、まず逢祢が動いた。

 手近な建物を飛び移り、青龍の頭部と同じ高度に到達。断頭を狙い、一騎当千を横薙ぎに振るう。

 立ち並ぶ牙が乾いた音を立てて砕け、青龍は苦鳴を響かせて悶える、しかし、そこからの立て直しが異様に早い。垣間見えた空隙に、一騎当千を捻じ込まんとした逢祢を暴風が襲う。

 魔術の類が発動された気配はない、青龍は息を吐いただけだ。

 それだけで逢祢の装甲が砕け散り、皮膚が裂けて鮮血が舞う。異常な破壊を引き起こす青龍の力に二人の侍は瞠目する。

「くッ!」

「降りろ逢祢!」

 落ち行く幼馴染みを庇う形で進み出た珪孔が無数の盾を展開。流水で暴風を相殺に掛かり、自身は『翅孔イントゥス』によって形成された羽根で上昇。空気弾への警戒と、牙の損傷が既に回復している事実を踏まえ、背後を取って水彩を構える。

 ――定石からは外れるが、これしかない!

 極限まで刃を伸長させた水彩を大上段に構え、振り抜く。

 手応えはあった。しかしそれは、自身の腹から生まれる熱と引き換えだ。

 攻撃が届く寸前、青龍は長躯をくねらせて姿勢を変え、前肢で水彩を受け止めた。そして、戦槍をも凌駕する鋭利な尾で、珪孔の腹を撃ち抜いたのだ。

 意図的なのか偶然か。ほんの少しだけ到達点がズレた事で即死は免れ、散っていく己の血肉を見ながら堕ちた珪孔は、受け身すら取れずに地に転がる。


「――――FRYYYYYYYYYYYYYYYYYY!」


 咆哮と共に篝の屋敷から瘴気が立ち昇り、腐敗臭が生じる。

 青龍に依る魔力吸収が始まったのだと解し、二人の表情が強張る。呼び出した張本人は既に木乃伊ミイラと化して絶命した。魔力を供給する者が失われれば、当然周囲から吸収を始める。

 央華に住まう本体はヒトと意思疎通を行う高い知性を持つが、複製体に過ぎない目前の軍神は本能のまま破壊を繰り広げる怪物。自制や説得の類は、期待するだけ無駄だ。

「私がやる。すずちゃんを探して逃げろ」

 黒雷を一騎当千に奔らせた逢祢の意思を、珪孔は首を横に振って拒んだ。

「お前の切り札なら確かに勝てる。それはそうなんだが、土地の汚染が起きる事は変わらない。それじゃ意味が無い」

「お前の仕掛けは自爆特攻ではないか。土地などどうだって良い、三人揃って戻らねば戦う必要性などないのだぞ」

 両者とも、切り札と位置付けた技を使えば勝機はある。ただ、逢祢のそれは軍神による蹂躙と同じ被害を大地に齎し、珪孔は自身の命を賭け金にせねばならない。

 青龍を打倒しても、最善の結末には辿り着けない。最低最悪の現実に歯噛みする珪孔達の目に、小さな影が映った。


「すず、お前何してる!?」

「早く逃げて!」

 

                   ◆


 逢祢が現れた際の激突で扉が壊れた事で、鈴羽は外の景色を見る事が叶った。

 知己の者達の、今まで見た事の無い姿と圧倒的な力量。そして、軍神の顕現によって窮地に追い込まれるまで。

 全てを目撃した彼女に宿るのは、状況を変えたいと願う感情と、そのような力が無い現実への絶望だ。

 逢祢や珪孔が持つ力は、風切鈴羽が到底持ち合わせていない物。彼等が押される敵に自分が乗り込んだ所で、無駄な手を煩わせるだけで終わる。下手をすれば、死なずに済んだ二人を道連れにしかねない。

「わたしは……」

「紛れもなく只の足手纏いだよなぁ? いやそりゃ仕方ねーや。年もアレだし、お前は選ばれちゃいねーもんな」

「っ!」

 性別どころかヒトなのかも怪しい無機質な、しかし状況を面白がっている事だけは明確に伝わってくる声に、鈴羽は唇を噛む。

 夢現の存在にすら無力と突きつけられ、身を切られる痛みが走る。

 しかし、本当に痛いのはそこではない。窮地に立たされた友人達を目の当たりにしても尚、賢らな計算が先に出て動けない魂の弱さだ。

 下らない理屈を退けて前進し、困難を打倒する。それが真の強者の姿だと父から聞いた記憶がある。『選ばれなかった』自分は、逢祢や珪孔以上にこの理屈を貫徹せねば、望む姿になれはしない。

 無意識の内に、そう思考してここまで鍛錬を重ねて来た筈だ。翻って現実を見ると、怯えに憑かれて動けない無力な餓鬼の姿がある。

「理想に届かない自分を受け入れて、慎ましく生きるってのも一興だぜ。今それを選んだら、あのあんちゃんとお嬢ちゃんは死ぬんだがな」

「……あなたは、一体だれなの。わたしに話しかける必要なんて、ないでしょ!?」

「あぁ、そういやそうだった。そろそろ種明かしをしとかねーと、俺も困る」


 夜を昼に塗り替える強い閃光。


 鈴羽が視界を取り戻した時、彼女の目前には一振りの刀が横たわっていた。

 漆黒の鞘に納められた刀は、全長から柄の装飾に至るまで特異な点は見受けられない。言葉を発する為の器官も当然無いが、鈴羽の本能はこれが自分に語り掛けている存在なのだと解していた。

「俺はあれ、村正が鍛えた一振りだ。号は『神墜』」

「!」

 神すらも一刀のもとに斬り伏せる、並び立つことなき妖刀が己の前にある。

 愛らしい目が真円を描いた鈴羽を他所に、刀から発せられる声は続く。

「俺の使命は使い手の命を代価に、世界の動乱を鎮めること。お前らの先代にも力を貸して来たが、幸か不幸か機会は訪れなかった。けど、今度ばかりは違うって訳でお前の元に現れたって訳よ」

「世界の動乱……?」

「今ここで分かれ、なんざ言わねーさ。けど、選ぶ事だけはやってもらう。自身の命を対価にあいつらを、そして世界を救う力を掴むか。あいつらの命を対価に生き延びる道かをな」

 先送りは許されず、これが人生を決定付ける選択だと、本能で解した鈴羽は目を閉じる。悲しみはしたが、自分が後継者に成れる筈が無いの最初から分かっていた。

 では何故鍛錬を、出られる筈もない戦の勉学を重ねていたのか。

 問えば、回答は簡単に出てくる。始まりがそうであるならば、今ここで下す結論もまた然り。

 目を開き『神墜』の柄を握る。全身を駆け巡る、異質な力に体内を書き換えられる激痛に体が跳ね、極大の苦痛に顔が歪む。

 手を離せと、体は本気で叫んでいる。辿り着く先も、朧気ながら見えた。

 己の理想の結実と、自身を導いてくれた者を救う為に力を得る事を、風切鈴羽はそれでも選ぶ。

 その様を、彼女の掌中に納まった神墜は楽しそうに嗤った。

「全部を得るのはまだ無理だろうな。それはお前の鍛錬次第だ。でもま、よろしく頼むぜ!」

 声に押されて、押し込められていた建屋を出る。  

 気付いた二人の制止の声や、青龍の咆哮は確かに届いている。初の実戦が軍神など、常識に照らし合わせれば挑んだ数だけ殺されて終わりだ。

 恐怖が無いと宣うのは大嘘だ。全身を苛む痛みは間違いなく現実。感じてしまった以上、もう二度と戻れない。

 敗北は死。数多の骸を踏みつけて生きる、美しい憧れや晴天とはほど遠い道だけが己の歩く道になった。人は決断を愚かと呼び、それは鈴羽も理解している。

 けれども、目指すべき理想の為にも歩む意味はある。現実から目を逸らして得る快楽よりも、歩みに苦しみは遥かに美しく誇れる物の筈だ。

 接近する不敬者の姿に気付いたか、青龍は食い下がる二人を無視して鈴羽に向き直る。

 號と吼え、突進してくる巨体をしかと見据えた鈴羽に、怯懦は不思議と無かった。

 目前の軍神とて、内在する理想へ向かう通過点に過ぎない。始まりの一歩を恐れていては何も生まれず、失敗が死に直結する以上、別の可能性を想定する必要はどこにもない。

「良い腹の括り方だ。おめーがそれなら、俺も全力を出せる。頼むぜ、共犯者よぉ!!!」

 鈴羽は神墮に手を掛け、鞘鳴りを引き連れて刃を抜き放つ。

 無こそ究極の美。

 或る先人の言葉を証明するような白銀の刀身が煌めき、顎を開いた青龍と交錯する。


 風切鈴羽の意識は、そこで途絶えた。


                    ◆


 教え子の自殺を食い止めるべく駆け出した二人は、交錯で生じた魔力の爆発と、剣風が生み出した壁に吹き飛ばされた。

 老朽化していた外壁をぶち抜き、巨木に激突して珪孔はようやく止まる。青龍に開けられた穴は未だに健在で、衝撃で骨の何本かは逝った。

 激痛で途切れそうな意識を使命感で繋ぎ止め、痛む体を叱咤して戦場に戻り――


 目前に広がる光景に、己の正気を疑った。


 存在していた筈の篝邸は影も形もなく、無惨な断面を晒す基礎部分だけが、そこに建築物が在ったと告げていた。

 屋敷の消滅で拡大した戦場には、無数の斬線。人間二人は縦に収められる深さと、出鱈目な長さのそれは、巨人が刀を振るったか、龍の群れに依る進撃で無ければ描けない代物。

「青龍は……逃げたのか?」

 最悪から二番目の可能性に縋るように呟き、空を見上げた珪孔。

 彼の淡い期待と、十数年ながらも積み上げた人生経験と、それを基盤とする常識。

 本来あるべき蒼空が引き裂かれ、ここではない何処かと思しき、極彩色の空が覗くという光景によって、それらは塵芥と化した。

 立ち尽くす珪孔を他所に、蠢動を繰り返した空は亀裂を埋め、先の現象など無かったかのような静寂に戻る。時間に直せば数分程度。仮に第三者が目撃していても、目の錯覚と片付けて終いだろう。

 神墮を握る鈴羽を見た珪孔には、そのような甘美な逃げ道は存在しないのだが。

 無言のまま倒れ伏した童女に歩み寄り、抱えあげる。鴻毛の如く軽い、年齢相応の矮躯が緩い上下動を繰り返す様から、命に別状は無いと解する。

 そして、傍らに転がっていた神墜を睨む。

「なんて真似を……してくれた!?」

「コイツに救われたのに、偉い言い草だな。それに、コイツが俺を取るのは運命だったんだよ」

「運命、だと?」

「そ。コイツには世界の動乱を鎮める礎になってもらう。これは、お前や黄泉討のアイツにゃ出来ない仕事だ。……俺は、使い手が現れるこの瞬間を待っていた」

 鈴羽が神墜のお眼鏡に叶った事は確かで、それ以上を教えるつもりが無いことまでは理解出来た。

 無意識に殺意を充填させる珪孔に何らかの感情を抱いたのか、妖刀は楽し気な言葉を放つ。

「安心しろ、成し遂げる瞬間まで支払いはこねーよ。それまでの時間、有意義に使うこったな。コイツか、コイツの意思を継いだ誰かが成すのか。それは幕が降りる瞬間までのお楽しみってこった」

 言い残して、妖刀は只の武器に回帰した。

 胸中で穏やかな呼吸を繰り返す鈴羽と妖刀。そして徹底的に破壊された光景を見比べた珪孔は、大きなため息を吐いて歩き出す。

 何も分からないが、鈴羽もまた命を賭け金とする舞台に登ることが決定付けられたのは確か。ならばせめて、彼女が描く終着点に辿り着けるように、道を整えることはすべきだろう。

 彼女の幸せは珪孔の、そして逢祢も心の底から願っているのだから。

 

 ――まず、すずが何処まで覚えているか。話はそこからだな。

 

 道中逢祢と合流し、付き合いの深い医者の邸宅を二人は目指す。傷の痛み以上に、叩きつけられた現実が重く突き刺さり、叛逆者の討伐という功を立てたにも関わらず、二人の足取りは重かった。

 様々な事象や未来が渦巻く中で、青龍討伐を成して否応なしに未来を変えた鈴羽は、それら全てを知らぬまま穏やかに眠り続けた。

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