21話
昼食を終えて、教室を出た。廊下を歩いて体育館に向かうと、やたらと視線を感じる。気になるが、それも仕方がないと割り切った。何せ僕と五十嵐は学内屈指の美少女、黛玲子を奪い合って勝負するのだから。関係のない人間からすれば、気になって仕方がないのだろう。
その中をかき分けて「入江君」と声をかけられる。この条件下で正面を切って声をかけてくる人間なんて、一人しか考えられなかった。
「なんだよ、黛」
「なんだよって何? 私も行くよ。関係者なんだし」
「別に来なくたっていいのに。こんな空気好きじゃないだろ?」
「それは教室に残ったって一緒。だったら入江君の応援に行った方が生産的だって。それとも私に応援して欲しくないの?」
「そういうわけじゃないけどさ……」
そういうことならむしろ応援して欲しい。
「まあ、私としては入江君に勝ってもらわないと困るんだけどね」
「ああ、そうだろうな」
昨日の五十嵐からの電話を思い出す。彼の裏切りは黛からしても想定外で、結果として秘密を握られてしまう形となった。彼女の秘密がどんなものなのかわからないけれど、それでも僕は彼女の力になりたかった。
「入江君には迷惑をかけるね」
黛は口を固く結んで、きまり悪そうにそっぽを向いた。
きっと彼女は不安なのだ。それでいて、その原因の解決を僕に委ねていることに後ろめたさを感じている。
だからこの間、彼女の目の前で電話を切った後のように、わざとらしく笑う。
「そうだね。とても面倒なことになった。できることなら関わりたくなかったな」
「……そこは、安心させるセリフを言うところなんじゃないの?」
「安心させられる側が自覚的だとそんな気にはならないな」
「入江君は意地悪なことを言うんだね。申し訳ないと思っているのは本当なのに」
黛は目を細めて僕を見る。
そんなことは知っていた。ここ数日、いや、それよりもっと前からずっと黛を見てきた。彼女が嘘をついていないのはわかりきっていた。
僕らは体育館に辿り着く。解放されていた入り口の前で体育館用のシューズに履き替える。普段だったらそのまま足を入れるだけだけれど、今回は一度靴紐を解いて、結び直す。かつてのルーティンだった。
右脚から中に入る。キュッとスキール音がした。僕はコートの中央へ向かい、黛は壁際へ歩いた。待っていた五十嵐と目が合う。
「覚悟はできたか?」
「お前に負ける覚悟はできてないな」
「ひねくれた答え方をするな、ケイは」
そう言って彼は肩をすくめる。悪意も、敵意も感じない。普段通りに人が良くて、馬鹿な振りして冗談を言う彼に見えた。教室にいるときみたいに。
それでも、彼は僕の敵として前にいる。それが何故なのか知りたかった。
「……五十嵐、なんでこんな勝負を持ち込んだ」
「電話で言ったはずだけどな、理由なんてない。俺はただお前と勝負がしたいだけだ。こうでもしないとお前は逃げるからな」
「それは……そうだろうな」
かつての自分のような動きはもうできない。そうとわかっていても、どうしても追い求めてしまう。それが嫌でバスケを辞めた。だから、五十嵐からの勝負を避け続けていた。
それが彼にとっては不都合だったのだろう。
「でも僕と勝負したところで何もないぞ。練習にすらならない」
「確かに。今のケイより上手い奴は他にいくらでもいる」
「言ってくれるな。じゃあ尚更、勝負をする理由がわからないな」
「理由はあるさ。だけどこれ以上は時間の無駄だ。俺たちは談笑するためにここにいるわけじゃない。続きは、ケイが勝ったら教えてやるよ」
五十嵐は会話をぶった切って、足元にあったボールを拾い上げる。それから僕の胸元に向かって柔らかなチェストパスをした。
僕は受け取ると、手をボールに慣らすように何度か突いて、スリーポイントラインの中央に向かう。ゴールとの間に五十嵐が入った。
「そうか。じゃあルールの確認をしよう。攻守交代なしの三本勝負」
「ケイが攻撃で俺がディフェンス。全部止めたら俺の勝ち、だろ?」
「ああ、それで一本でも決めれば僕の勝ちだ。忘れてないようで安心したよ。じゃあ、始めよう」
目を閉じて、細く長く息を吐く。負けられない戦いを制するためにスイッチを入れた。
今度は僕がチェストパスで五十嵐にボールを送る。五十嵐は即座にバウンズパスで返した。お互いの間をボールが一往復したのを合図に一本目の勝負が始まった。
レッグスルーでボールの持ち手を何度か変えながら五十嵐の出方を伺う。
この膝じゃ、全力で動ける時間は限られている。仕掛けるなら三本目だ。この一本目と二本目に布石を打つ必要があった。
二度自分の目の前でボールを往復。そこから一気に右のスペースに一歩切り込む。五十嵐は当然僕についてきた。両手を挙げ、左にぴったりと。
大股で二歩前に進んだ。五十嵐はまだ振り切れていない。左足で床を強く蹴ってバックステップ。彼との間にスペースを作った。経験上この間合いならブロックできないと確信していた。
右サイドからのジャンプシュート。ボールが指先から離れ、リングとの間に仮想の放物線を描いた。リングへの当たり所が良ければネットを潜りそうだった。けれどその頂点に到達する前に大きな手が横入りする。引っ叩くようにしてボールが弾かれた。自分の横をボールが通り抜ける。
「もうそこは届くんだぜ。高校でも背は伸びたからな」
「この野郎……」
嬉しそうに笑う彼に僕は呟いた。右腕の袖で顔の汗を拭うと、自分も笑っていることに気が付いた。
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