幕間 あの夏の残像

 ずっと、あの時の失敗を引きずり続けている。


 俺は恵まれていた。バスケを始めて、一週間が経つ頃には自分と他人の違いが明確に理解できた。他人が数ヵ月かかることを数日でものにできたからだ。自分の身体を思い通りに動かすセンスみたいなものが、俺には最初から備わっていたように思える。


 負けたことがなかったというわけではない。できなかったことがなかったわけではない。けれど、いつかはできるようになる。そういったある種の全能感が自分の背中を押してくれていた。


 中学二年の夏。俺は成長期の軌道に乗って、背丈を順調に伸ばしてレギュラー入りした。

 エースと呼ばれるにふさわしい活躍をして、三回戦まで辿り着いた。自分が先輩を勝たせてやるんだ。そういった傲慢さを抱えて向かった場所で、俺は初めての挫折をする。


 三回戦の相手は無名の公立校。そこに所属していた自分と同い年のポイントガード。チームメイトからケイと呼ばれていた、このチームの核と言える人物。

 自陣からボールを運び、自らにインサイドに侵入してこちらの布陣をぐちゃぐちゃにして行く様はまさに暴君。そこから自分で決めたり、フリーな味方へのパスをしたり、。性格の悪さが滲み出たプレイスタイルでチームを牽引していた。


 試合当日。俺たちは翻弄され、じりじりと神経をすり減らされた。そうして気が付けば第四クォーター。試合はもつれていて、一点勝ち越した場面でラストプレー迎えた。

 相手の攻撃。攻撃の起点となるケイがボールを持った。時計が進み、時間ギリギリで彼のマークがスクリーンで引き剥がされる。コートの中央に暴君が解放され、俺は慌ててヘルプに入った。


 ここで止めれば時間切れで勝利が確定する。

 逆もまた然り。ここで抜かれたら俺たちは為す術なく敗北する。

 極度の緊張感の中、俺はこの日初めてケイと目が合った。今にも人を殺してしまいそうな鋭い目つき。という覚悟の決まった気迫。


 自分にもその気持ちはもちろんあった。けれど彼とは質が違う。根底が異なる。俺が持っているのは自分が負けるはずがないという慢心から来るものだ。


 彼の目は違う。『ここで決められなければ死んだっていい』と訴えてくる。その違いを明確に感じ取って、身体が強張った。

 時間にして一秒にも満たない隙。彼が見逃すはずもなくドライブで俺の横をぶち抜いて、誰もいないゴール下へ。

 遅れて伸ばした手は届かず、ボールがネットに吸い込まれる。代わりに自分の身体がケイにぶつかった瞬間、試合終了のブザーが鳴り、敗北が確定する。

 自分のせいで負けた。それも上手さだとか圧倒的な身体能力の差とかが原因ではない。ただ、気圧された。それも自分よりも体格が一回り以上小さい奴に。そんなことを周りに言えるはずもなかった。


 それから自分の中で気持ちを整理することができないまま、時間が経った。その間、あの時気圧された理由をずっと自分に問い続けてきた。

 練習はずっと続けていた。もう一度対戦した時、少しでも無様な自分から離れられるように。あの時の失敗を乗り超えられるように。そうしなければ俺は前に進めない気がした。

 迎えた三年の大会。もう一度ケイにリベンジする機会が訪れた。順調にいけば、今度は四回戦で当たる組み合わせ。気が早いのはわかりきっていたけれど、俺は彼らの初戦を見に行かないわけにはいかなかった。

 けれど、そこにケイは居なかった。

 見間違えや、体調不良による欠席かと思ったけれど、何度数えてもベンチメンバーは埋まっている。


「なんだよ、それ……」


 呟きが試合開始のブザーにかき消される。

 何で、あれだけの選手がベンチにすら入っていない。

 どうして、あんな目でバスケをやっていた奴がこの場に立っていない。その問いに答える者がこの場に現れることはなかった。


 ▼


 終業のチャイムが鳴って、約束の昼休みが来た。俺は朝練の後に購買で買ってきたミックスサンドとコーヒー牛乳を手に教室を出る。横目に対戦相手を見ると、風呂敷を広げていた。彼はここで昼を食べてから来るようだ。

 一足先に体育館前のベンチに辿り着いて、昼食を摂った。咀嚼しながら目を閉じる。

 ケイと再会したのは高校に入ってすぐ。クラスの自己紹介でのことだ。髪は伸びきって、雰囲気は変わっていたけれど、それでもケイを間違えなかった。それだけ彼の残した印象は鮮烈だったのだと思う。

 もう一度会うことは諦めていた。バスケ以外で彼との接点が生まれると思っていなかったから。

 俺はその日のうちに声をかけた。もう一度バスケをやろうと、俺と対戦して欲しいと伝えた。けれどケイは「もうバスケはやらない」の一点張りで、その発言が覆ることはなかった。理由が怪我であると知っても、ケイとの勝負を諦めることができなかった。

 どれだけ練習したとしてもあの瞬間がちらつくのだ。あの瞬間を乗り超えなければ俺はいつまでも停滞したままなのだと思った。

 このチャンスを逃すわけにはいかなかった。黛には悪いけれど、これを逃せば本当にケイと勝負をすることはできないかもしれないのだから。

 俺は今度こそあの夏を超えて、前へ進む。

 その決意を胸に、サンドイッチを飲み込んだ。

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