20話

 でも、それも一瞬。攻撃的な鋭い目つきに切り替わる。


「話が違うじゃないか。確かに私は独断で動いたけれど……最初からそのつもりだったのかな? ずる賢いな、五十嵐君は。本当に油断できない」


 電話越しに何かを言われて、眉間にしわを寄せる。痛い所を突かれたみたいだった。彼女が劣勢に立たされているのがよくわかる。

 黛が長く息を吐いて、僕を見た。


「わかったよ。……電話、替わってくれって。五十嵐君だよ」

「ああ」


 僕は彼女から差し出されたスマホを受け取った。スピーカーを耳に当てると聞き慣れた声がした。


『よう、ケイ。ひとまずはおめでとう』

「別に。めでたいことなんてなかったよ」

『そうなのか? 俺はてっきりもう黛と付き合ったものだと思った』

「それはとんだ早とちりだったな。そんなことよりも五十嵐、お前は僕に何を言いたいんだよ」


 大事なのはそこだ。五十嵐は僕と黛のために色々と動いてくれていたのだろう。その過程で勘違いもあった。けれどそれが的外れで恩知らずな行為だということは、今はよく理解できている。

 けれど、彼は今黛に反旗を翻した。協力者から敵対者へと変わった。ならばまずその目的を聞くべきだろう。


『ケイ、俺はお前と勝負がしたい。恋愛感情や関係抜きで、全力の勝負が』

「なんだよ、勝負って。テストの点数か? 次のテストは冬の手前だぞ」

『とぼけるなよ。俺とお前で勝負って言ったらバスケに決まってる。|ワン・オン・ワンだ』


 ワン・オン・ワン。一対一での対戦だ。お互いの実力差が出やすく、白黒つけやすいゲーム。彼らしい選択と言えた。


「冗談はよせ。お前は現役で、俺はケガで強制引退だ。絶対に負けるはずのない勝負での賭け事はフェアじゃない。それぐらいお前でもわかるだろう?」


 これは本音だ。五十嵐に僕が正面切って挑んだところで勝てるわけがない。勝って当たり前の勝負を彼がどうしてもしたい理由が僕には見つけられなかった。


『俺はお前とバスケで決着をつけなきゃいけねぇ。忘れたとは言わせねぇぞ。勝ち逃げしてんのはどこのどいつだ?」

「……天下のバスケ部のエースはいつまで昔の敗戦を引きずるんだよ」


 僕としてはそこまで思い入れはなかった。けれど、彼にとって僕へのリベンジは重要なことらしい。それはこんな複雑な交渉のテーブルを作り上げたことからも読み取れる。


「今朝も言ったけれど、僕には勝負を受けるメリットがない。恋愛感情が絡まないとなれば、お前にだってメリットはないはずだろう?」

『俺はお前と勝負できればそれでいい。ケイのメリットは……ないな』

「ないのかよ」

『でも黛にはある。考えてもみろ。黛が電話切って、俺の話を反故にするなんて簡単だ。聞かなかったことにしてこのまま過ごすのが無難だろ? でも、そうしなかった』


 黛を見る。彼女は不安そうに僕を見ていた。

 確かに、そう思える。五十嵐は黛の秘密を握っていて、彼女を脅した。そう考えれば彼女が引き下がるのもまた必然。秘密は誰だってばらされたくないものだ。

 僕は黛に微笑みかける。決意は示した。僕が胸を張って彼女の前に立つために、彼女の危機を救うために、ここで引くなんて有り得ない。


「……わかった。勝負を受けるよ。だけど、さんざん条件を出したんだ。ハンデぐらいこっちに決めさせろよ」


 五十嵐が『ああ』と電話越しに頷いた。そして考える。僕が彼との一対一で勝てる条件を。一度勝っているとはいっても、あの時とは状況が大きく異なる。

 体格、技術、その他ありとあらゆる側面で五十嵐が上回る。彼に勝てる要素があるとしたら、何か。一つだけ心当たりがあった。


「じゃあまず一つ。僕が攻め固定。これだけ身長差があるんだ。これは最低限のハンデだな」


『いいだろう』と彼が返事をした。

 五十嵐が僕に対して持つ絶対的なアドバンテージである高さ。勝つためにはこれに制限をかける必要があった。

 特に攻撃面での差は絶望的。ダンクでもされようもなら僕の勝ち目はほぼない。目を閉じて次の条件を口にする。


「じゃあ、二つ目」

『まだあんのかよ』

「今度は怪我とブランクの分だよ」

「言ってみろよ」

「勝負は三セット。そのうち一本でも取ったら僕の勝ち。全部止めたらお前の勝ちだ。このぐらい楽勝だろ?」


 少し大胆に条件を提示する。

 三セット。これは試行回数を増やしつつ、膝がギリギリ持つと思われるライン。このハンデは自分の弱点を潰し、実力差を埋めるための物だった。


『……わかった。それぐらいのハンデであっても俺は問題ない』


 食い下がられると思ったけど、五十嵐はすんなりと僕の提案を受け入れる。拍子抜けもいいとこだ。

 五十嵐の決断は油断にも驕りにも見える。だけどそれも当然なのかもしれない。それが許されるだけの積み重ねが彼にはあった。僕が足踏みしている間の研鑽がどれだけのものなのか、想像することしかできない。けれど、以前には無かった凄みが滲み出ていることを僕は知っていた。


『ハンデはそれだけでいいのか?』

「……ああ、構わない」

『じゃあ明日の昼休み、飯食った後に体育館だ。これだけハンデをやったんだ。ビビッて逃げ出したりすんなよ』

「お前こそ。与えたハンデにビビりちらすなよ?」

『ハッ、言ってろ』


 通話が切れて、ツーツーと電子音が鳴り響く。終了の赤いボタンを押して僕は黛にスマホを返却すると彼女は申し訳なさそうに受け取った。


「ごめん、入江君。面倒事に巻き込んだね。どうやら私は色々と浮かれてしまっていたらしい」


 黛が後頭部をかいて視線をそらす。

 不安なのだろう。秘密を握られていて、いつバラされるかわからない状況だ。聞いているだけでも精神にクるものがある。だから、そんな彼女を安心させたかった。


「謝ることないよ。五十嵐とは元々決着をつけるつもりだった。勝負の目的は変わったけど、やることは変わらない」

「そう、かもしれないけど。でもよりにもよって五十嵐君とバスケで勝負って、意味わかってるの?」


 もちろん理解している。僕は帰宅部で五十嵐はバスケ部のエース様。本業である帰宅速度で勝負するならともかく、相手の土俵に乗るのは愚の骨頂。客観的に見ても、負けるのが当たり前の戦いなのは明らかだった。それでも僕はわざとらしく笑って見せる。


「大丈夫、勝つよ。こう見えてバスケには自信があるんだ」

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