19話
「どうして、そう思うんだよ」
「どうしてって……疑問に思う所なんてあったかな?」
黛は首を傾げる。
なんだよ、そのわかって当たり前みたいな反応は。そんなに僕の心情はわかりやすかったって言うのか? だとしても、彼女がそのことを口にする理由がわからなかった。
「随分と自信があるみたいだな」
「得意分野だからね。私、こういうのは得意なんだよ」
「……嫌な得意分野だ」
「ん? 恋心を察するのがどうして嫌な得意分野なの?」
「得意なのは人の隠したいことを暴くことじゃなくて?」
「入江君はひどい言い方をするなぁ。そういう解釈をするとは思わなかった。というか、否定しないんだ。私のことが好きだってこと」
しまった。失言だ。僕は誤魔化すために「いいや」と首を振る。
「自信満々に語らせて、最後に僕が好きなのは別の人だよって言おうと思ったんだ」
「……私の他に好きな人がいるの?」
「どうかな? 時と場合によるね。たった今、都合よく作るかもしれない」
そういうと黛は僅かに頬を膨らませた。
「入江君は意地悪だね」
「得意なんだよ」
「意地悪が? 嫌な特技だね」
「ああ。だからあまり披露する機会がなくてさ。随分と久々だった」
「それは良いことだね。でも、できることなら私の前でも優しくして欲しかったかな……。あっ、でも男の子は好きな女の子に意地悪したくなるって言うよね?」
黛が逸れていた話題を戻した。彼女はどうしても、この話題を続けたいようだ。その理由はわからないけれど、彼女にとって重要なことらしい。
呼び出されて、隠していた気持ちをいつの間にか暴かれていて、それを告げられた。これだけのことをされても僕は彼女が何をしたいのかわからないままだ。
「……嫌いでも意地悪はするだろう」
「じゃあ意地悪した入江君は私のことを好きか、嫌いかのどちらかってってことだね」
「そんな風に決めつけるのもどうなんだ。簡単に表すもんじゃないだろ。感情って」
「私は簡単にしちゃった方がいいと思うけどね。自分で自分の感情を簡単に決めてしまわないから悩んで、苦しんで、機会を逃す」
黛は「そんなの嫌でしょ?」と僕に問う。目を合わせてきた彼女から逃げるように視線を切った。
僕自身、その傾向が強かった。先日のショッピングモールでの出来事もその典型だ。自分の気持ちを、考えを、シンプルに決めてしまえたのなら、あんな間違いをしなくても済んだのかもしれない。僕がこんなにも苦しまなくても済んだかもしれない。……山川を傷つけずに済んだのかもしれない。
そんな仮定に揺れる僕を諭すように彼女は言う。
「だから、私が決めてあげる。苦しそうな入江君を助けてあげる」
彼女の指が顎に添えられて、視線を強引に戻された。
僅かに上がった口角。蠱惑的で、誘うような表情。視界が彼女で埋め尽くされる。逃げることも受け流すことも許さない。この距離はそう示しているように思えた。
「入江君は私のことが好き。私も……入江君が好き。それじゃダメなのかな」
点と点が線で結ばれていく感覚があった。今朝、彼女が寝ている僕のそばにいたわけ。山川から誘いを受けた時に彼女が怒っていた理由。彼女が僕を夏祭りに誘った目的。不明瞭だったものが鮮明になっていく。
心臓が高ぶり、呼吸が荒くなった。血液が沸騰するという比喩表現を初めて自分の身体で経験する。
この瞬間を夢見ていた。彼女は迷わない。彼女の行動には常に意図を見いだせる。人間味を薄めた彼女には機能美みたいなものが感じられた。自分と対局に位置する黛玲子は僕の憧れだった。一つの理想だった。
それ故に想像してしまう。この提案を受け入れたのなら、どんなに幸せなことなのだろう。理屈で言うのなら断る理由なんて存在しない。
でも、それは逃げだ。都合のいい所だけを見て、自分だけが痛みから逃れようとしている。それはきっと、許されることじゃない。憧れの隣に立つ人物としては相応しくない。僕はきっと、自分をより一層嫌いになることだろう。
だから、頬に添えられていた彼女の右手をそっと引き剥がした。
「黛の言ってくれたことは素直に嬉しいよ」
「そっか。なら、私の提案は受け入れてくれるんだね」
「いや、そういうわけにはいかない」
黛が目を見開く。彼女の驚き、動揺が感じ取れるわかりやすい表情だ。そんな彼女を始めて見たかもしれない。
「……どうして?」
「僕にはまだ、やらなきゃいけないことがある」
「やらなきゃいけないこと?」
「ああ、いっぱいあるんだ。妹と仲直りしたり、五十嵐とのいざこざを片付けたり、それと傷つけたままの女の子に謝らないといけない。だから今、黛の提案を受けることはできない」
馬鹿なことをしている自覚はある。今この瞬間に殴られてもおかしくはない。けれど、これは僕にとって必要なことだ。僕が、僕自身を許すためにも。
黛は僕の言葉を聞き届けてから目を細めた。
「……意地悪が得意だって言うのは嘘じゃなかったみたいだね。傷ついた女の子に謝るために、また一人傷つけようとしてる」
「そ、それは……」
「入江君のしていることは誠実のように見えて、とっても不誠実だ」
黛は自分の胸に手を当てて「違うかな?」と僕に言う。
弁解のしようもない。僕のしていることは愚かなのだろう。彼女からいかなる叱咤を受ける覚悟はしなければならなかった。彼女に嫌われることも、覚悟しなければならなかった。
「そうだな。黛の言っていることは正しい。僕はとても不誠実だ」
僕は言葉を区切った。
正面を見て、黛と目が合う。その目は僕を見極めているように感じられた。一呼吸入れて、覚悟を決めて次の言葉を紡ぐ。
「でも、そうしなかったのなら、きっとどこかに後ろめたさが残る気がする。自分を今以上に嫌いになる気がする。それはもう嫌なんだ」
口が上手く回らなくなる。緊張に身体が震えた。自分の気持ちを伝えることは難しいことなのだと改めて実感する。口元を固く縛って、高台から飛び降りるような気持ちで最後の言葉を口にした。
「僕は、黛にも山川にもちゃんと向き合いたいんだよ」
言えた達成感と、言ってしまった後悔が複雑に混じりあった。この決断が正しいのか、間違っているのかわからない。けれど、僕は後悔しない。根拠のない確信があった。
黛は僕の言葉を聞き届けて、安心したようにふっと息を吐いた。
「そっか。なら、許してあげる。入江君のそういう所、理想的ではないけれど、嫌いじゃない」
「……悪いな。ありがとう」
「お礼を言うのは私だよ。本当に確かめたいことは確かめられたから。君はこれからちゃんと私を見てくれる。だからキープされることに文句はない」
なんというか、棘のある言い方をしてくるな。僕のしていることを考えれば仕方のないかもしれない。
「それと意気込んでいるところ悪いけれど、入江君。妹さんや山川さんの事はともかくとして、五十嵐君の件については別にどうとでもなるんだ」
「どうとでもなるって、どういうことだよ」
「五十嵐君は私の協力者だ。君の動向を探るために協力してもらっていたんだよ。この間も浴衣選びを手伝ってもらっていた。今朝の一件も彼なりに私を手助けしてくれていただけ」
これまで曇りガラスのように見通せなかった彼女の思惑が見えてくる。あの時ショッピングモールで五十嵐と一緒にいた意味が明らかになってくる。
僕はどうやらひどい勘違いをしていたらしい。彼女の言う通りなら、僕のやるべきことは一つ減る。
黛がポケットからスマホを取り出して、どこかへと電話をかけた。ワンコールもしない間に「五十嵐君かい?」と彼女は問う。
「ありがとう。こっちは片付いたよ。君はもうあのわざとらしい演技をする必要は──え?」
黛の余裕な態度が崩れた。鳩が豆鉄砲を食ったような、呆気にとられた感じ。そんな顔をするのは意外だった。
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