18話
それから何事もなかった様にホームルーム、そして授業が進んでいく。間に挟まる十分の間には五十嵐は仕掛けてこなかった。話題が話題だけに、長く尺を取れる昼休みまで待っているのだろう。この調子で放課後を迎えたかった。けれど、誰がどう願おうと昼休みは来てしまう。さっきは僕を救ってくれたチャイムに平穏が破られる。
五十嵐が席を立ち、後ろにいる僕を見た。彼が周囲の注目を集めながら、口を開こうとした瞬間。それよりも先に、授業から解放された生徒たちがざわめき始めるよりも先に、黛が僕の名前を呼んだ。
五十嵐は止まり、僕も含め周囲の視線が彼女に注がれた。机と机の間を縫って、僕の席へ向かって、正面で立ち止まった。
「ちょっと話があるんだけど、いい? 他の人にはあまり聞かれたくないんだ」
予想外だ。黛は事を荒立てないつもりなのだと思っていた。だから、この場では動くわけがないと思い込んでいた。それこそ、彼女にメリットがない。彼女の行動は既に流れている『僕と付き合っている』という噂を補強してしまうことになる。
沈黙を保っていた僕に『いいよね?』と顔を寄せて念押しする。顔は微笑んでいるけど、声は絶対に怒ってるときのトーンだった。僕はそれに屈して頷く。
「いい、けど……」
「うん。じゃあ行こうか」
有無を言わせずに僕の右手首をがっしりと掴んで、ぐいぐい教室の外へと引っ張って廊下へ。彼女にされるがまま、どこに向かっているのかもわからないまま足を動かした。すれ違う人たちにチラチラと見られて、そこでようやく冷静さを取り戻す。
えっ、何? 僕、黛と手を繋いでる? いや、腕を繋がれているのと言った方がいいか。なんか連行されてる感じだもんな。……ってそんな冷静に考えている場合じゃない!
「ま、黛。手、放してくれないか」
「嫌。入江君は今朝五十嵐君にしたみたいに煙に巻いて、逃げちゃうでしょ?」
「逃げないから。話ぐらい聞くから!」
「私個人としてはその言葉を信じたいけれど、不確定な要素がある以上、入江君を自由にするわけにはいかないね。万が一でも、ケイが一でも、何かあってから後悔はしたくないからね」
圭が一? いや、京か。自分の名前を呼ばれたのかと思ったけど、数字の方だ。億、兆ときて京。どれだけ可能性が低くても手は離さないという彼女の意思表示なのだろう。
「僕は今この状況を後悔しそうだよ」
「へぇ、入江君もそんな顔するんだ。照れ隠し?」
「……」
やっべ。僕はどんな顔しているんだろう? 今すぐ鏡を見て修正をしたいところではあるが、さっきあんなことを言っていた彼女が許してくれるとは思えなかった。
結局、黛を説き伏せられないまま、僕らは校舎裏へと辿り着いた。ここは教室から離れており、人通りが少ない。人に聞かれたくない話をするにはうってつけの場所。
だけど、あれだけ目立ちながら移動したのでは意味もなさそうだ。野次馬だって何人かついてきてしまうかもしれない。話は手短に、かつひっそりと行った方がいいだろう。
黛が僕の手を離す。お互いに正面から向き合った。彼女と目が合って、それを合図に話を切り出すことにした。
「それで、話って何?」
「確認したいことがあったの」
「確認? 文句が言いたいんじゃなくて?」
「やだな。入江君は私がそんなに怒っているように見えたの?」
見えた。教室で僕に話しかけてきたときは特に。でもその言葉はぐっと飲み込む。
「今日は色々と文句を言いたいことが多かったろ? 朝とかさ」
「ああ、なるほどね。それは別にいいの。悪いことばかりじゃなかったから」
「ねぇ」と黛が一歩間合いを詰めた。僕も一歩後ろに下がる。背中に校舎の壁が当たった。逃げ場のなくなった僕を見て彼女は口角を上げる。
「入江君は私のことが好きってことで良いんだよね?」
心の内側を覗き見られたのかと思った。自分の想いを、憧れを他人に晒す真似はしてこなかった。
もちろん、五十嵐のように察してくる人はいるだろう。だが、特に目の前の彼女、黛玲子相手には細心の注意を払っていたつもりだった。だから彼女が僕の想いを知ることなんて、できなかったはずなのだ。それこそ、心を覗かない限りは。それ故に、彼女の口から出た言葉に僕はひどく戸惑っていた。
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