17話

 落ち着け。僕まで流されるな。状況を整理しよう。五十嵐が勝負を挑んできた。この出来事で確定した情報が三つある。

 一つ、黛と付き合っていない。

 そうでなければ勝負を挑まない。勝利の果てにある報酬はもう手に入れているのだから。そう捉えることができる。

 二つ、五十嵐は今流れている噂を信じている。

 信じているからこそ、僕を標的にしている。疑っているならまずは調査から始めるだろう。だが彼はそうしていない。する時間もなかった。朝練に出ている所を僕は確認している。

 三つ、これは当然だが五十嵐は黛に想いを寄せている。それも熱烈に。中途半端で、諦めも付く想いなら、こんな場所で大胆に勝負を挑んだりしない。

 これらをまとめると、五十嵐は今の噂を信じていて、自分の想いを押し通すため、強攻策へ出ている。そう推察ができる。

 最悪の状態は避けている。僕が考えていたことは『五十嵐と黛が付き合っている』ことだったから。

 でもそれはこの状況だけで考えるのならの話だ。昨日、僕と五十嵐はお互いに存在を認知した。それでいて五十嵐は逃げた。あの時点では僕に二人でいるところを見られたくなかったのだ。五十嵐も黛が好きなのだと悟らせたくなかったはず。だけど、一日経って方針を大きく変えた。大っぴらに気持ちを晒した。そのきっかけは何だ? 


『山ちゃんは本気だったんだぞ』


 激昂した和己の顔とセリフが頭をよぎった。思考の稲妻が脳細胞を駆け抜ける。五十嵐は『僕と黛が付き合っている』という噂を信じた。それでいて『僕と山川がデートをしていた』と思い込んでいる。

 両立するとは思えない二つの情報だが、もし五十嵐が両方信じたら……。前髪で隠れた額に手を当てた。頭が痛くなる。あまりにも突拍子もない、冗談だろと投げ捨てたくなる閃き。だが、それ以外に五十嵐がこんな行動をする理由が導き出せない。

 おそらく五十嵐は『僕を二股かけている男』だと思っている。

 二人のうち一人は自分自身の想い人となれば、この強引な行動にも納得がいく。彼は全力で僕から黛を引き剥がしに来ている。短絡的で真っ直ぐ、それでいて善人な五十嵐らしい行動だった。


「何とか言ってくれよ。無言のままだとわからねぇぜ。勝負、受けてくれるのか?」


 五十嵐は肩をすくめた。いつも通りにお調子者の声色だ。周りも便乗して「そうだそうだ」とか「意気地なし」だとか好き勝手に言ってくる。くっそ、黙っていれば良い気になりやがって……。

 ここで感情に身を任せて「やってやる」と言うのは簡単だ。だけどそれはこの騒ぎに新たな火種を放り込むことになる。

それはダメだ。僕はこの騒ぎをこれ以上大きくしたくなかった。


「当然──」

「受けるよな?」

「受けないに決まってるだろ? バカかよ。僕にメリットがないだろうが」


 五十嵐は拍子抜けしたような表情を見せる。マンガに登場している人物だったらガクっと階段を踏み外したみたいに動いただろう。そんな彼に向けて僕は話を続ける。


「お前が勝てば、値千金。こっちが勝っても現状維持。それどころか負けたら大赤字だ。そんなリスクは死んでも取りたくない」

「メリットならある」

「言ってみろよ」

「この騒ぎがあっという間に静まる」

「じゃあ尚更却下だな。だってもうそろそろ──」


 言い終わる前にホームルームが開始されるチャイムが鳴った。五十嵐が来たのは朝練が終わってからだ。当然のことながら交渉をするだけの尺はない。人口密度の高い廊下をかき分けて教師たちがやってくる。


「なんだ、なんだ。さっさと教室に戻れ。ホームルームサボるつもりか?」


 手拍子を二度。急かす声。いつだったか注意された数学教師だ。彼に目を付けられると面倒なのはこの高校の生徒なら誰だって知っている。蜘蛛の子を散らすようにして野次馬が撤退していく。それは教室の中も同様で、次々に生徒が席に着く。その中で五十嵐が席に着いたのは最後だった。

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