10話

 一週間での破局。犬井さん観測史上過去最速での破局だろう。いや、今回はいつから付き合っているのかは知らないけれども。


「実は、新しく入った黛さんと山川さんに彼女の写真を見せたら、他の男といるのを見たことあるって言ってきて。……色々聞いて、一緒に調べたんだ。そしたら浮気現場が……」


 何やってんだあいつら。僕のいない所で急に探偵物始めてるじゃん。別にいいけど、いつどんなところでそんな技術を身に着けているのかものすごく気になる。


「まあ、良かったじゃないですか。まだ付き合いが浅いタイミングで」

「まあね。でも、なんで気が付かなかったんだろ。そこまで見る目がないとは思っていなかったんだけどな……」

「そりゃあそうでしょうね」


 自覚していれば毎回そんな目に合っていないだろうし。


「それで、その彼女さんとはどうしたんですか?」

「昨日のうちに彼氏たち全員で突撃して話をつけてきたよ。もう彼女は金輪際ボクたちに関わらないって。いやー彼女たちには色々力になって貰っちゃったな」

「……彼女たち?」

「山川さんと黛さんだけど」


 犬井さんが当然のように言った言葉が未だに頭に入ってこない。疑問符が某動画サイトの如く右から左へ流れて止まらない。

 え? 本当に何をしてるのあいつら。人の浮気現場を特定して、浮気相手全員とコンタクトと取って……えぇ……。

 もう考えるのは辞めよう。まとまらない。人のプライベートの話をほじくり返すのもどうかと思うし。彼女たちがどのような活動をして、結果を出そうと僕には関係のないことなのだから。


「……まあ、円満に別れられてよかったですね」

「うん、間違いないね」


 犬井さんは頷いて、「ところで入江君」と話題を切り替える。僕は「はい」と返事をした。


「十五日のシフト無理言って替わって貰っちゃったでしょ?」

「別に無理ってほどではないですよ。よくあることです」

「まあ、ね。でもまあボクとしては後輩に迷惑をかけたままって言うのも納得いかない。理由が理由だったしね」


 確かに『彼女とデートしたいから変わってくれ』は褒められた理由ではないかもしれない。


「だから、もし良かったらなんだけど、シフト元に戻さないかな?」

「いや、替わらなくていいッスよ。僕もっと稼ぎたいんで」

「そうだよな。やっぱり休みたいよね……って断るの⁉」


 別に稼ぎたいんだから、シフト増やしたいって言うのはそれほど変わったことではないだろうに。

 けれど、休みたい理由もないわけではない。黛の誘いを断ったことを悔いている。生涯に一度あるかどうかわからないチャンスを棒に振ってしまった。そのことを僕は後悔していた。

 でも背に腹は代えられない。今月は他にもイベントが控えている。お金は必要なのだ。


「……休んだら貰えるお金減っちゃうじゃないですか」

「まあ、それはそうだけれど……」

「そうとも限らないさ」


 控室の入り口に佇むダンディなおじさま。店長が僕たちの話に割り込んできた。どうやら話を聞いていたようだった。犬井さんが店長を見て問う。


「店長、どういうことですか?」

「君たち、有給休暇のこと忘れてるんじゃないかな」

『……あっ』


 二人揃ってお互いの顔を見た。そうか、一応ではあるがアルバイトにも有給が発生する。詳しい条件は割愛するが、僕たちはそれなりに古株。権利はすでに持っていた。存在はすっかり忘れていたけれど。


「それなら給料が出た上に休める。入江君も文句あるまい?」

「……ええ」

「君にはこれからも頼らせて欲しいからね。手続きは私がやっておくよ。適度に休んで、英気を養ってくれたまえ」


 店長はそう告げ、僕の肩を叩くとこの場を去った。たぶんまだ仕事がまだあるのだろう。店長と入れ違うように黛と山川が一緒になってこちらに来た。

 仲良さげに雑談をしている黛は学校ではあまり見られない。クラスメイトが見たらびっくりするどころの騒ぎではないだろう。本当に山川のコミュニケーション能力には脱帽せざるを得ないな。

 彼女らと目が合って「お疲れ」と挨拶をした。


「随分と仲良くなったみたいじゃないか」

「別に、たまたま一緒になっただけ」

「え~つれないな、レイちゃん。私たち仲良しじゃダメなの?」


 そう言って山川は黛の腕に抱きつく。「だめなの?」と上目遣いの訴えに黛は目を逸らしながら屈する。


「……まあ、ダメじゃないけど」

「なら、良いじゃん」


 山川は弾む声でそう言うと黛から離れた。こいつ、本当に何でもありだな。怖いもの知らずかよ。「大丈夫、行ける、行ける!」って言ったら紐無しバンジーとかやってくれそう。やらせないけど。

 そんなアホなことを考えていると山川は僕に向かって近づいてきた。


「ところで、リーダー。明日の約束覚えてる?」


 忘れるわけがない。山川との予定は僕にとっても大切なことだった。だいぶ前から予定してあったから、事前にシフトは空けてある。


「もちろん。当日はよろしく頼む」

「だよね。忘れてなくてよかったよ」

「おっ、なに? 入江君、山川さんとデート?」

「そんなんじゃありませんよ」


 犬井さんが茶化してきて、僕は顔を逸らす。すると目の前の山川が今度は僕の腕に抱きついてくる。あったかい、柔らかい、いい匂い……じゃねぇよ。お前はなりふり構わず誰にでもそれやるのか。場所と相手を選んでくれよ。心臓が持たない。


「何? リーダー照れてるの? 二人で出かけるんだからデートじゃん」

「まあ、言葉の定義的にはそうなのかもしれないけどさ……」


 ため息を付いて、ふと前を見る。黛が不機嫌そうにこちらを見ていた。呼吸するのも躊躇するほどのプレッシャー。自分の中の危機感知センサーが爆音の警報と共にパトランプを光らせている。あんな黛を見たことがなかった。


 山川、後ろ後ろ! 気づいて察して今すぐ離れてくれ……! 頼むから……! 腕を掴む彼女に視線を送るけど、当の彼女はどこ吹く風。首を傾げるに留まった。仕事中は察しがいいのに何でこんな時に限って鈍感なんだ、お前!

 最終的に諦めて、掴まれている腕を振るった。


「や、山川、離れろ。こういうのは時、場所、場合、加えて相手を選別してやれ。黛からも言ってやってくれよ」

「そうだよ。山川さん、そろそろ離れて、ホールに行こう」

「……まっ、そうだね。あんまりやりすぎると店長に怒られちゃいそうだし」


 パッと左腕が解放されて、彼女たちが控室から出ていく。あれ以上あの環境にいることにならなくて良かった。ホッと胸を撫で下ろす。


「入江君、やるね」

「犬井さん、何がですか?」

「なんでもないよ。ただ、羨ましい限りだなって思っただけ」


 別に羨ましくはないだろうと思ったけれど、口に出すことはなかった。

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