第5話
「おいおい兄ちゃん。いくら客が勝手知ったる身内だとしてもよぉー。その態度はないんじゃねぇーの?」
「そうだね。私も和己ちゃんの言う通りだと思うな。お兄さん、たとえ私たちが相手でも外面は良くしておかないと。誰に見られているかわからないんだから」
静香は「ねぇ?」と陰から見ていた黛に視線を送った。こいつら確信犯だ。後ろから黛が付いてきていることをしっかり見ていたらしい。本当に質が悪い。思わず奥歯を噛み締めた。
双子の妹、和己と静香。ボブカットで荒っぽい口調が和己。ポニテのお淑やかな口調の方が静香だ。共に今年になって中学二年に上がった十三歳。女バスの入江ツインズとしてここら一帯の中学生からはよく知られている。……主にガラの悪さで。
男性顔負けの身体能力。悪知恵もよく働く。それらは主にバスケで存分に有効活用され、あまりのヒールっぷりに対戦相手のトラウマになったりもするらしい。
もしも彼女らが部活に入っていなかったのなら、この余ったエネルギーがどこへ向かい、どうなってしまったかはわからない。けれど、絶対にろくなことにはならないと確信できる。肉親としては想像したくはないが……。
さて、そんな仮定の話はともかく、現実の話をしよう。今僕は二つのプライドを天秤に掛けなければならない。
一つ、家族としてのプライド。
兄として、妹たちに偉そうに命令されたくない。これは妹、弟を持つ人間ならば理解してもらえると思う。兄は下の兄妹にはマウントを取られたくない。兄や姉という生き物は生きた歳月の長さの差分だけ、妹や弟に逆にマウントを取りに行きたいものだ。
理屈ではない。生まれ持っている感覚。あるいは性質。年を取るにつれて丸みを帯びることはあれ、これは絶対に覆せないものなのだ。
逆に妹や弟はそれらを生意気と一蹴したくなる生き物だというものなのだが、それは置いておこう。
二つ、従業員としてのプライド。
僕もこの店に来てからそれなりの期間働いて、それなりに授業員や店長からの信頼を勝ち得てきた。先ほど黛に話したように接客の丁寧さ、真摯さには一家言ある。……少なくとも店内では。苦労して積み上げてきたものを溝に捨てに行く真似はしたくなかった。それに今は黛がいる。彼女に対する教育者として、情けないところは見せたくなかった。
脳内天秤が揺れている。感情ベースでは一つ目に、理屈では二つ目へと傾きが変わっていた。どちらにするべきか決め手がない。どちらを選んでもそれなりに後悔はしそうだ。僕が眉間にしわを寄せて考えていると、いつものようにお気楽な声色のあいつが眼鏡とお下げを引っ提げて、ホールに戻ってきたのだ。
「おっ、カズちゃんにシズちゃんじゃん。いらっしゃい」
「よっ」と手を挙げる山川。それだけでうちの妹たちは釘付けになる。
『やまちゃんだー!』
声を揃えてトテトテと近づいて抱きついた。「おっ、可愛い奴らめ」と山川はそれに応じていた。山川はうちの姉妹となぜか仲がいい。どのようなきっかけがあったのかは知らないけれど、相性がいいのは確かなようだった。
普段であれば『飲食店の店員に気軽に抱きつくな』と説教をかますのは間違いない。だが、ぐっとこらえた。何せ僕は今ピンチ。山川の出現は渡りに船だ。このまま奴らを押し付けて、山川の動きを悪い例として、黛に紹介する。こうすればさっきの僕の件も悪い例として片づけられるという寸法だ。まさに完璧。もう勝ち筋しか見えない。
妹達の後ろから山川に視線を送る。後は任せたと『どうぞどうぞ』のジェスチャーを送った。彼女はウィンクで答える。何それ可愛い、山川のくせに。
「ところで山ちゃん後ろの子は?」
和己が尋ねた。
「ああ。レイちゃんとは初遭遇だよね。昨日から来たんだよ」
山川は「ね?」と黛に視線を送る。
「初めまして、黛玲子です。お兄さんにはお世話になってます」
黛は山川に応じて軽くお辞儀をした。静かに、和やかだった。名で体を表さないうちの妹たちに格の差を見せつけるような仕草に思わず見惚れてしまう。
それはどうやら妹たちも同じだったようで、反応が少し遅れた。
「……これはご丁寧に。私は静香、こっちは和己です」
「おう! よろしく」
元気よく和己が答える。家にいるときみたいにいつでも喧嘩腰ってわけではないらしい。意外と温和だった。その辺は中学生になって成長しているのかもしれない。
「ところで山ちゃん。レイちゃんは研修中なんだろ?」
「そうだね」
「兄ちゃんが昔言ってたけど、誰かが教育するんだよね? それは誰がやってるの?」
「それは……」
山川がちらりとこちらを見た。僕はとっさに両手を合わせて彼女を拝む。そこから導かれる妹たちの行動がなんとなく察しがついたからだ。何とかこの場は逃して欲しかった。
山川は微笑み、僕の願いは聞き入れられる。そのことに安堵した。
「もちろんバイトリーダーである入江圭君に決まってるじゃないですか~」
「や、山川てめぇ!」
「おっと、そんなに怖い目で睨まないで」
「兄さん、あんまり山ちゃんをいじめないでください」
口元を袖で隠しながら静香が言う。絶対にニヤけているのがわかった。
「ということは兄ちゃん、新人相手にちゃんとした接客、見せなきゃぁいけねぇよな?」
「そうですね。和己ちゃん。お兄さんはお客である私たちに、お手本として、きちんとしたおもてなしをしなければいけませんよね?」
ズイズイと僕に詰め寄る二人。こうなるともうどうしようもない。僕の天秤は粉々に砕かれ、悩んだが故にどちらのプライドも守ることができないようだった。観念した僕は店内に手を差し出した。店員としての矜持で自分を奮い立たせる。
「二名様、店内へどうぞ~」
「よろしい。お好きな席に座る!」
我が物顔で席に進む妹たちの頭の上から山川が見えた。ニヤニヤと笑いながら黛の肩を持っている。
「ほら、ああいう真摯な受け答えが、接客には重要なんだよ」
「そうなのかな」
「そうそう。よく見てなって」
山川……お前絶対さっきの弄りを根に持ってたな……? いや、確かに悪かったとは思ったけどさ。そのあとフォローしたじゃん。それで許してくれよ。報復があまりにもデカすぎるんだって。
妹たちが席に腰を掛けて、持っていたスクールバックを空いている椅子へ置いた。それを見計らってマニュアル通りのセリフを述べる。
「ご注文お決まりになりましたら、そちらのボタンでお知らせください。ではごゆっくりどうぞ」
立ち去ろうとして背中を向けた。
けれど、即座にピンポーンとフロアにチャイムが鳴り響く。目の前のディスプレイに表示された番号でそれが背後の席からであることがわかった。妹たちはとことん僕の神経を逆撫でしたいらしい。
「……何か、御用でしょうか?」
「だから、怖いって兄ちゃん。笑顔、笑顔」
「そうですね。兄さんは見本なんですから、しっかりしないと」
呆れ顔で静香が言う。今すぐ僕がその顔をしたい。こんなことをされて腹が立たない奴がいたら人間として間違っている。
「兄ちゃん、このままじゃ黛さんが不真面目な店員に育つよ」
それは困るな。黛にはちゃんとした目的があってこの場で働いている。可能なら僕はその手助けになりたかった。いくらイレギュラーな客とはいえ、言い訳にはしたくなかった。
こほんと咳払いをした。
「何か御用でしょうか」
「お腹にたまる店員さんのおすすめの食べ物二つ。飲み物とセットで」
「ではこちらのミックスサンドとソイラテのセットはいかがでしょうか。当店でも女性人気が高いメニューですよ」
「では、それで」
「かしこまりました。他にご注文がありましたらボタンでお知らせください」
ハンディ端末に注文を打ち込んでから礼をして立ち去る。少し奥まった所で待機していた黛と山川が見えた。僕はそれにすぐさま合流する。振り向かず、肩越しに妹達を指差した。
「なあ。あれ、出禁にできない?」
「リーダー、弱音を吐くのが早いって。もっとルーキーに良い所を見せなきゃ」
「いや無理」
本当に無理だって。矜持とか言っていられない。
「このままだと僕は体調不良で帰るぞ」
「えぇ~? そしたら今日は私とレイちゃんしかいなくなっちゃうじゃん。それはちょっと勘弁して欲しいな」
「嫌だったらインターバルをくれ」
山川が「ちぇ~」と口ずさみながら注文された品を運んで行った。遠くから見るに相変わらず彼女らは仲が良さげで、山川は砕けた態度で応対していた。妹たちもそれを咎めることはない。
僕にあれだけ言っておいて山川は許容範囲なのかよ。乙女のルールは良くわからない。
「入江君に妹がいたなんて知らなかった」
横に立っていた黛がそう言った。「言ってなかったからな」と僕は返す。昨日まで僕と彼女は話す機会がなかったのだし、当然のことだと思う。
「私は一人っ子だから兄妹って羨ましいよ」
「そうかな? 居たら居たで面倒だぞ、兄妹って。何かにつけて突っかかってくるし。今日だってそうだっただろ?」
僕はちらりと黛の目を見た。黛は首を少し傾げる。
「それはお兄ちゃんの立場から考えればそうかも。でも、可愛いと思うけどな」
「えぇ? 可愛い要素どこにあったよ」
「お兄ちゃん構って欲しいんだなーって思うとなかなかに可愛いよ」
お兄ちゃんに構って欲しい妹。まあ、確かに言葉だけを切り取ると可愛い気もする。けれど、あの姉妹を見た上で出てくる感想がそれとは黛は少しズレていると思った。
「だから、私からしたら入江君が羨ましい」
「あんな妹がいるのが?」
「うん。まあ妹でも弟でも、お兄ちゃんでもお姉ちゃんでも、誰かもう一人いてくれたらって思うときがある」
目を細めて彼女はテーブルを見た。視線の先にいる山川と妹達。それは黛にとって一種の憧れなのかもしれない。僕があんな妹がいない生活を望むように、彼女だってやかましい妹がいる生活を望むのだろう。
その理由を考えて自分なりの答えを彼女に投げつける。
「黛は寂しかったりするのか?」
「ん? どうしてそう思うの?」
「あれだけやかましい妹を羨ましいって思う理由がそれぐらいしか思いつかなかった」
「ああ、なるほどね」
相槌を打つだけ打って、黛は少し間を置いて考える。瞳を閉じて一呼吸を置いてから答えを出す。
「……そうだね。多分、寂しかったんだと思うよ。小さい頃は特に」
「そっか、じゃあ貰っていくか? うちの妹。言ってくれれば日当たり二千円で派遣するけど」
「うわ、守銭奴だ」
くすくすと黛が笑う。僕としては無料でもいいから持って行って欲しい。
「でも第一希望はお兄ちゃんかな。私は入江君みたいに構ってくれるお兄ちゃんが欲しいよ」
「え、僕?」
自分が指名されてしまったことに驚く。正直に言えば自分はそこまで良い兄ではないと思う。でもそれを判断できる材料が黛にはない。だから真っ先に兄として僕が候補に挙がったのだと思う。
「入江君は日当たり二千円でお兄ちゃんになってくれるかな?」
「僕を雇ってどうするんだよ。別に面白くもなんともない」
「そんなことないよ。入江君が来てくれたら妹として思いっきり迷惑かけて、怒らせて、ゲラゲラ笑ってさ。最後にお母さんにまとめて怒られるの」
「……僕は絶対嫌だな、それ」
つい想像して口に出してしまう。経験があるだけに黛の望みを否定してしまいたかった。自分が発端ではないのに怒られるのはなかなかに応えるのだ。
今にして思えば同調してしまった自分も悪いのだというのは理解できなくもない。けれど、納得できるまでには時間が必要だった。
「でも私は入江君の雇い主だから、従ってもらえないと」
「拒否権ってあったりする?」
「ないよ。仕事ってそういうものでしょ? 雇われるならきっちりしないと」
「それはそうだけど、あんまり理不尽なことを要求されると応募しないって」
「それもそうだね」
黛が頷く。
「怒られたいなんて……僕には理解ができないな」
「うん。多分入江君には私の気持ちはわからないと思う」
黛がきっぱりと断言する。僕はそこまで女の子に対しての気遣いができる方ではない。もし気を遣えたのなら、もう少し山川からの反撃も少なくなっているはずだ。自覚はしている。けれど黛に言われると少しへこむな。
「そうだな。悪い」
「別に良いよ。わかって欲しいなんて思ってないから」
突き放すように彼女は言う。その言葉にはちょっとした諦めのようなものが混ざっている気がした。それがなんとなく嫌だった。
「僕は知りたいよ。黛のこと」
自分が抱き続けていた想いを吐露する。彼女と話すようになるずっと前から思っていた本心は思っていたよりもすんなりと口にできた。
黛の笑みが崩れた。驚き、うろたえているようにも見える。彼女の本心が覗けたような気がして僕は嬉しくなった。
黛が首を左右に振る。崩れた表情を普段通りの彼女に戻す。それから「どうして?」と僕に問う。
彼女を知りたい理由。自分の中では答えは定まっているのだけれど、それをはっきりと直接的に伝えるにはやっぱりまだ気恥ずかしかった。
「仲良くなりたいから。せっかくバイトもクラスも一緒になったんだし」
「そっか。……ありがと」
黛が「ありがとう」なんて言った理由はわからなかった。もし、少し未来で彼女と僕が仲良くなっていたら聞けたらいいと思う。
「あれ?」
妹たちが占領していたテーブルをちらりと見ると、いつの間にか姿を消していた。山川が控室に引き上げて来ていて、僕らは彼女を見る。
「山川、あいつらは?」
「カズちゃんとシズちゃんなら、さっきお会計を済ませて帰ったよ」
「そっか、やっと楽になるな……」
どうやら僕は会話によっぽど集中してしまっていたらしい。厄介な妹たちが姿を消すのも気が付かなかったぐらいに。でも、正直ホッとした。
帰ってくれたのは大変嬉しい。けれどもう一回ほど何かしらの攻撃を加えられると想定していただけになんだか拍子抜けだった。
そう思っていた矢先に山川から「はいこれ」とプラスチックの板を手渡される。
「なんだこれ。伝票? 僕は今日客じゃないし、賄いも頼んでないぞ」
「まあそうだね。リーダーは頼んでないね」
裏返すとミックスサンドとソイラテの文字が並んでいる。そこで僕は山川の行動の意味を理解した。
「まさかとは思うけどさ、これ僕に払えってことか?」
「いや『支払いは兄で!』って言われたから」
ノリノリで妹たちの真似をする山川。イラっとして伝票を思わず机に音を立てて置いてしまった。
「許可を出すな!」
「だって財布ないって言われたから。しょうがないじゃん?」
「しょうがないじゃない。お客として対応を求めるなら支払いをきっちりしていくべきなんだよ!」
それが最低限の客としてのマナーであると僕は思う。というか僕以外の人も多分そう思っているはずだ。というかそうであってくれないと困る。妹たちはどこで育ち方が歪んだのだろうかと僕は頭を抱えた。
僕の精神はふつふつと沸騰寸前。それを宥めるようにして山川は言う。
「まあまあ、良いじゃん。リーダーの稼ぎからしたら可愛いもんでしょ?」
「可愛くねぇんだよ!」
本当にうちの妹たちは可愛くない。可愛いと思える女性陣の気持ちは理解できない。もし僕が妹たちを可愛いと思うときがきたのならば、それはたぶん天変地異の前触れとか、死に別れる寸前の走馬灯ぐらいの物なのだろう。
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