2章 プライドは安く、早く売れ。

第4話


 黛がバイトに来るのは今日が二回目だった。彼女が自分のバイト先の制服を着ているのには未だに慣れることはない。名札の横には若葉マークが添えられ、でかでかと『研修中』の文字が躍っている。


 休憩中の店員が集まる控室。机の対面に座って、じっとこちらを見る黛はやはり学校とは少し雰囲気が異なる。それだけ彼女が精力的に仕事に取り組もうとしているということなのだろう。

 そんな彼女に僕は職場の先輩として、一応は教育係として、苦手分野である接客について教えることになっていた。


「さて、黛。じゃあ早速だけれど、店員として一番大事なのはなんだと思う?」

「大事なこと……うーん。愛想の良さとか?」


 それも大事なことだろう。あるに越したことはない。ただ、それが一番かと言われると少し違うと僕は思っている。


「悪くない答えだと思う。確かに愛想の良さは武器だよ。山川を見ていると良くわかる」


 机の上でぐでーっと伸びていた山川はこの話を聞いた途端に背筋を伸ばす。それからキリッと表情を凛々しくして見せる。

 褒められるとわかった瞬間になんだか調子がいいな。なんだか少し腹が立った。ちょっと鼻をへし折っておこう。


「見ての通り、軽薄な振舞い、適当な仕事ぶり、距離感の近さなら店内いちだ」

「ちょっと、ちょっと! そんなこと言わないで! 真面目印の山川で売ってるんだから!」

「ついでに取り繕うのも上手いと追加しておいてくれ」

「わかった」

「わからないで~」


 山川は再び上半身を机に預けると憎らし気に僕を見た。そんなに睨んだってお前のサボり癖への抗議はやめる気はないぞ。僕はどれだけフォローに回ったか覚えてないからな。


「いきなり休憩時間に何を始めるのかと思いきや山川イジリですか~? おいおい、すねるぞ!」

「めん……いや、悪かった」

「今面倒くさいって言いかけたよね⁉」


 そういうところだぞ、山川。お前の面倒な所は。ただ、このまま放って置くのはもっと面倒なので適当な所でフォローを入れることにする。


「冗談はさておき、山川は愛想がいい。明るい接客は客としても悪い気はしないし、とげとげしい態度の相手を丸め込めたりする。仕事ぶりには見ていて安心感がある。この店における愛想の良さの見本だな」


 山川が胸を張る。ちょろいなこいつ。黛は山川を横目で見て、僕に問う。


「じゃあそんな風に愛想をよくするためにはどうしたらいいのかな?」

「いや、僕は別に黛に愛想良くなって欲しいわけじゃないぞ」


 手を横に振って否定する。黛と山川は首を傾げると「何を言ってるんだろうね」と言いたげに目を合わせた。この言い方だと伝わらないか。言葉を付け加えることにしよう。


「愛想の良さってハードルが高いんだ。できる奴はできるけど、できない奴はいつまで経ってもできない。僕も別に愛想が良いかって言われると、そうでもない。むしろ悪い部類に入る」

「そうだね。リーダーは時折人を殺す目で客見てるもんね」


 ニヤニヤと笑いながら山川が仕返ししてくる。まあ、さっき弄ったからな。報復は仕方がない。ただ……そんな風に見られてるんだ、僕。そこまで言われるとちょっとへこむな。

 すんなりと受け流すことは難しいが、何とか話を継続させる。


「……そんなこともあって愛想以前に求められるものが、この仕事にはある」

「愛想以前……それは?」

「挨拶、それから真摯な受け答えだな」


 なんだか拍子抜けしたみたいに二人がこちらを見た。なんだよ、本当に大事なんだぞ、これは。あの大先輩、犬井さんも口酸っぱくして言ってたからな。


「意外とこれができない奴が多い。特に初めてだとな。愛想良くしなきゃだとか。色々と考えすぎて、ハードル勝手に上げて緊張して、全部ダメになるのが一番良くない」

「……そう、ですね」

「なんで敬語?」

「思い返して反省してる」


 しょぼんとする黛を見るとなんだか傷口に塩を塗っているみたいな気分になる。意外とそういうの気にするのか? たぶん会話に失敗したら脳内で反省会開くタイプだな。


「喫茶店での接客にそこまでは求められていない。さっき言ったことと、注文通りに商品を運んでくること。それさえできていればホールで働くスタッフとしては上々」

「そういうもの?」

「そういうものだ。慣れたら徐々に愛想にも気を配ると良い。逆に慣れるまでは配るな。多分どっちつかずになるから」

「わかったよ」


 黛が頷く。ぐっと握った拳が可愛らしい。気合いは十分なようだ。


「これで九割九分のお客様はこれで対応が効くからさ。じっくり物にしていこう。幸いここは人も少ない職場だ。たぶんクビにはならない。何か質問は?」


 はい、と静かに黛が手を挙げる。僕は「どうぞ」と手を出して許可を出した。


「ちなみに残りの一分は何? どういうお客様なの?」

「まあ、具体例を挙げれば、面倒なクレーマー、あるいは日本語が通用しないやばい奴だな。お客様は神様とも言うけれど、あいつらは祟り神だ。そういうのに関しては僕や、山川を呼べ」

「呼んでどうするの?」

「気に触れないように宥めるか、最悪、さっさと祓う」

「いやリーダー言い方……まあ、そういうところあるけどさ……」


 ため息をつく僕と山川。お互い祟り神には良い思い出がない。思い返すだけで呪いの本が一冊書けるだろう。書きたくないけれど。

 入店を知らせるチャイムが鳴った。誰が行くかと目配せをする。


「山川はまだきゅーけーちゅーでーす」


 ひらひらと手を振る。まあこいつが一番休憩に入るのが遅かったのは確かだった。僕は注文用の端末をポケットに差して、席を立つ。


「わかった。なら僕が行く。黛、今から見本を見せる。しっかり見ててくれ」


 控室から出て店の入り口へ早足で移動する。人が少ない店内を歩き、その途中でボブカットとポニーテールの二人組を見た。見慣れ慣れたシルエット。他人の空似と思いたかった。けれど、ギラリと死神の持つ鎌のように上がる口元で僕は確信する。

 中学二年のじゃじゃ馬姉妹。彼女らが家庭だけでなく職場にも押し寄せてきたのだと。

 舐められたら終わる。いや、このくそ生意気な二人に対して小さなプライドが頭を下げることを許さなかった。気が付けば僕は反射的に口を動かしていた。


「いらっしゃいませ、お客様二名ですね。店外へどうぞ~」

「入江君⁉」


 あっ、いっけね。

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