フレンチトースト、或いはパン・ペルデュ。貧しい騎士の友たるこの退廃的な食べ物(6)

 坊っちゃんが食後のお茶を楽しみながら楽しそうにひとが書いた冊子をめくっている。レシピといっても紙面の半分近くはイラストが占め、計量した材料と簡単な手順を添えた絵日記調のものだ。

 前世だとバラエティ豊かなインクやペンなどのカラフルな画材が充実していたので、カフェで食べたケーキなどを簡単なイラストにして手帳に描くのが趣味だったのだ。

「のうのう、リリー」

「はあ。何でしょう、坊っちゃま?」

「もうっ、坊っちゃまではないと言うておるのに」

 ぷくぷくと頬を膨らませて、ご不満の意を示してみせる坊っちゃんを見て、つくづく愛嬌のあるモブ顔というのは得だなとわたしは感じ入った。同じモブ顔でも、なんとなくわたしの方がそっけない印象なのだ。

 おかしいな、現世も前世も客商売の家の子なのに。

「はいはい。で、御用は何でございますか? 旦那ちゃま」

 ぶっ……‼︎

 ショーンさんが噴き出す。

 わたしは思わずジロリを彼を睨みつけた。

「いや、いいと思いますよ。うん。いいんじゃないかな、旦那ちゃま……っ!」

「でしょう?」

 にっこり。

「……そうかのっ⁉︎」

 ちょろい。

 我ながら悪辣な笑顔になっていることを自覚しつつ、以後、この呼び名を定着させようと決心した。おそらく後々坊っちゃんの黒歴史となるのは確実だろうが、そこは甘んじて受けるがよいよ、若人よ。

 わたしは知らん。

「では、これからは旦那ちゃまとお呼びしましょう」

「うむ!」

 決定。

 旦那ちゃま、爆誕。

「うふふふ」

 ミスター・サイラスからの同意を得られた旦那ちゃまはご満悦だ。

 ええんか、それで?

 いたって真面目な顔をしているが、どう考えても面白がっているだろう、執事。お父さんが何か言いたげにしていたが、もちろん圧倒的多数の圧により阻止された。

「で、旦那ちゃまはリリーに何をお尋ねになりたかったので?」

「そうじゃった。リリーよ、この『ふれんちとーすと』用のパンは、専用の型があれば作れるのじゃな?」

「ええ、まァ、そうですネ」

 あれ? もう売ってたっけ?

 蓋付きのローフ型って、確かアメリカのプルマン社が開発したんじゃなかったかな? 

 いや、でも大陸の方じゃ各国もうほとんどの主要都市が繋がり、蜘蛛の巣のように敷かれた線路の上を忙しなく列車が走っていると聞く。豪華寝台列車の代名詞、数々の伝説と栄光に彩られたオリエント急行が、今現在進行形で多くの大富豪や王侯貴族らを、パリへ、ニースへ、イスタンブールへと運んでいるはずだ。

 なら普通に買えるのかな?

 豪華絢爛な食堂車で提供される華麗な正餐は、移動する高級ホテルと称されるオリエント急行や青列車の目玉のひとつだ。

 しかし、車内の空間はごく限られている。そのため空間を有効活用するべく開発されたものの一つが蓋付きのローフ型で、世界最初の食堂車を作ったプルマン社が発明したといわれる。まさに必要は発明の母。列車のコンテナを連想させる長方形のホワイトブレッドが、欧米でプルマンローフと呼ばれる所以だ。

「では取り寄せるのじゃ、サイラス」

 名案!とばかりに旦那ちゃまが力強く宣言する。

 簡単に言うなあ。

 ちろりとミスター・サイラスを横目で伺うと、このやたらと美麗な執事はうっすらと口角を上げた。

「まあ、良いでしょう」

「うむ!」

「お任せを」

 執事が華麗なお辞儀を披露する。

 俳優というより、古の騎士じみた所作。もの凄く板についていて、不自然さがまったくないのが不自然なくらい。うーん、円卓の騎士コスプレとか似合いそう。あー、でも、ランスロットっぽくはないな。ガウェインやトリスタンでもない。もっと古風に赤枝戦士団レッド・ブランチ・チャンピオンズとか?いっそベイオウルフでもいいかもしれない。

 あーいむ、ごーいんぐ、すかーぼろふぇあ〜……。

「首尾良く手に入ったら、こちらに持ってこさせるからのう」

 へ?何で?

 ご自分のお館で作ってもらえばいーじゃん。

「リリー、おぬしが作るのじゃぞ」

 マジですか……?

 慌てて周囲の大人たちを見ると、皆さん、諦めが肝心とばかりのなまぬるい視線でこちらを見ている。

 マジですかァ……。

 わたしは自分のあまりの迂闊さに、内心で床に手を置き膝をつく懐かしの例のポーズをキメていた。



 五日後、前回見た時よりもイマドキな格好の伯爵家の従僕ショーンさんがやって来た。その手に木箱を抱えた彼は、相も変わらずとっても愛想が良い。と、いうかチャラい。

「やあやあ、こんにちは」

「こんにちは、ショーンさん。今日はお休みですか?」

「うん、半休ね。これを届けたら仕事は終わり。で、そのまま飲んでこうかと」

 同僚らしい若い男性が二人、彼の後ろから手を振っている。従僕らしく皆揃って背が高くてスタイルがいい。皆が皆、伯爵家のお仕着せではなく私服を着ているところを見ると、半休をもらったのは彼だけではないようで、どうやら麦藁色の髪の青年が引いている荷馬車に乗ってきたようだ。

「あらまぁ。なら、お客さんですねえ。いらっしゃいませ」

 玄関を掃いていた手を止め、あらためて頭を下げて挨拶する。

「リリーちゃんは礼儀正しいねえ」

「円満な人間関係を築くには、まず挨拶。基本ですよ」

 良きビジネスパーソンたるには、普段からの姿勢が大切なのだ。ましてや我が家は接客業である。評判という目に見えぬパラメータを常に気にしておくに越したことはない。

「キミ、本当に十一歳?」

「父の教えです」

 嘘です。わたしの中身がおばちゃんだからです。うん? あ、いや、完全に嘘というわけでもないか。

 うちのお父さんもお母さんも、そのあたりの躾は厳しい。

「あー」

「ところで、お届けものとはどちらに?」

「え? そんなの決まってんじゃん。リリーちゃんにだよ」

「……はァ?」

 わたしが眉を寄せると、ショーンさんがニヤリと笑った。

「こないだ旦那ちゃまがおっしゃってただろう。ちゃんと取り寄せたんだぜ、ミスター・サイラスが」

 マジっすか。

 はっや、めっちゃ、はっや。

「合衆国産の最高級小麦粉もあるよ」

 ショーンさんの指し示す指先に視線を向けると、栗色の髪の青年が荷台から重そうな布袋を下ろしていた。

 この時代の小麦粉は目の詰まった丈夫な布に入れて運ばれるため、倹約を旨とする家庭では袋が空になると布巾やタオルとして再利用される。それを見越してカラフルなプリント生地を使用した小麦粉袋が、合衆国で一時期大流行するようになるのはもう少し先の時代だ。

「それはそれは……」

「うん。で、ミスター・サイラスからの伝言なんだけど、三日後には旦那ちゃまをお連れするからってさ」

「……は?」

 思わず箒の柄を握りしめたわたしをよそに、ショーンさんは「コレどこに運んだらいいのかな」と呑気に訊いてくる。

「えっと台所に……あ、お兄ちゃん」

 話し声を聞きつけてか、厩の方からネッドがやって来た。

「よう、ネッド」

「何だ、ショーンさんじゃん。ちわっす。そっちはお仲間?」

 この間の訪問時に仲良くなったのか、わたしに対するよりもっと気安い挨拶を交わしている。これだから陽キャは。

「そうだよ。こっちがエリック、馬のトコにいるのがジョシュアね」

「よろしく」

 軽く帽子の鍔に手をかけたエリックさんが笑った。うーん、白い歯が眩しい……。

「よろしくお願いします」

「馬頼むよ。俺たち半休で飲みにきたんだ」

「了解っす」

 ジョシュアさんから馬の手綱を預かったネッドは、穏やかそうな鹿毛の子を優しい手つきで撫でている。ネッドはわりと動物から好かれるタイプなのだ。

「申し訳ないですけど、お二人とも台所まで運んでいただいてもいいですか」

 わたしは玄関の扉を開けて、お館からやってきた彼らを招き入れた。

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