フレンチトースト、或いはパン・ペルデュ。貧しい騎士の友たるこの退廃的な食べ物(5)

 パン・ペルデュ。プア・ナイツ。ジプシー・トースト。スッペ・ドゥラーテ。アルメ・リッター。サイトーシー。

 つらつらと並べたが、これ全て即ち一つの料理を指している。

 日本でのよく知られた名称は、フレンチトースト。鶏卵と牛乳を混ぜた混合液に砂糖を加え、その液に食パンをよく浸し、バターを溶いたフライパンで焼いたアレである。

 その歴史は古く、ものの本によるとローマ時代の有名な歴史書にも原型となるレシピが記載されているという。

 いわゆる再生料理の代表的なものだ。

 貧乏な騎士という英語やドイツ語での名称に、そのあたりがよく現れている。もちろん黄金のスープなんて美々しい呼び方もある。

 基本の材料がシンプルなだけに、ごくごく質素にも、どこまでも豪華にもできるフレキシブルな料理なのである。

 さすが、人気のデザートに「つまらないもの」なんて名前つけるだけあるお国柄だ。まあ、トライフルも歴史ある伝統デザートだしな……。

 なぁ〜んて、わたしが想いを馳せてしまっているのには理由がある。隣にいる坊っちゃんが、ミスター・サイラスや父さんを前に熱弁を奮いまくっているからだ。

 いったい、あの大して上手くもないイラストのどこに、これだけ坊っちゃんの熱情を駆り立てるものがあるのか?

 つくづく謎である。

「で、リリー」

「はい。何でしょう、ミスター・サイラス」

「見たところ、これはプア・ナイツだろう?」

 目の前の美麗な執事が、微妙な顔つきになるのも理解はできる。パン食文化圏の諸国で多様な名称があるということは、それだけ一般的な料理であるということで、珍しくも何ともないものだからだ。

「まぁ、そうですね」

「それほど難しい代物とも思えませんが」

「そもそもパンの材料となる小麦粉が違うので。真っ白に精製された質の良い小麦粉がいるんですよ。個人的には地粉で作るパン好きなんですけど、やっぱ北米産のが綺麗に精製されてますんで」

「合衆国産か」

 ミスター・サイラスがちょっぴり苦々しげな表情になるのは、この時代の連合王国の小麦市場は海外からの輸入が大半であり、特に元植民地であった合衆国産が優勢であったからだろう。

「このあたりじゃどこもまだ最新の製粉機導入されてませんし」

「詳しいですね、リリー」

「業者さんに訊きました」

 そう。ちゃんと調べたのだ、わたしは。

 山食だって好きだし、田舎パンだって嫌いじゃない。ずっしりしたバノックだって、あれはあれで良いものだ。ドロップスコーンは好物ですし、バンズなんて滅多に食べれないので大歓迎だ。

 しかしである。

 角食の、しかも生食パンなんて前世の日本でしか食べてない。耳まで美味しいフッワフワの真っ白なやつだ。そして、あれで作ったフレンチトーストも。

「あと専用の型が必要です。蓋つきのローフ型。蓋がないと、普通のラウンドトップ(山型)になっちゃいますので」

「何が違うんだい?」

 お父さんが不思議そうに首を傾げていると、坊っちゃんらの昼食を運んできたお母さんがチラリと子葉に視線を走らせた。

「噛み締めた時の食感ですよ、あなた」

 そうそう、そうなんですよ。さすが、お母さん!

「同じ材料、同じ配合で作ってもわたしとリリーじゃ違いが出るでしょう。ちょっとした違いが大いに影響するのが料理ってものです」

「そういうものかい」

「ええ」

 ワゴンに用意されていた坊っちゃんのための昼餐は、ハッシュドビーフにバターライスを添えた一皿にキャベツのスープと人参サラダだ。とろりと艶めいたブラウン色のソースの海に、小さめの花形で型抜きされたバターライスが浮かんでいる。その頂点には鮮やかな緑色のパセリがちょこんと飾られていて、見た目にも配慮された一品なのがわかる。

 そして、肉。肉。ソースに肉がいっぱい入ってる……。

 今生で見たことないくらい肉の入ったハッシュドビーフを目にしたわたしは、思わずお母さんと運ばれてきた皿を交互に凝視していた。

 お、お母さん! わたし、こんなお肉いっぱい入ったの食べたことないんですけど!

「坊っちゃん、お話は聞きますから先に昼餐をお済ませくださいませ」

「むぅ」

 ミスター・サイラスに席に着くよう促された坊っちゃんは、冊子を持ったままテーブルについた。

 軽く食前の祈りを済ませ、サーブされたスープに口をつけた坊っちゃんの顔が綻ぶ。

「美味しいのう、ミセス・ロバーツ」

「ありがとうございます。アグネスでようございますよ、坊っちゃま」

「うむ」

 おいコラ、坊っちゃん。

 なぜ、お母さんだと坊っちゃま呼びを否定しないんだ。忖度か、忖度なのか。

「デザートにはバーントクリームがございますからね」

「楽しみじゃー」

 きゃあと歓声を上げる坊っちゃんを前に、これが身分制格差社会かとわたしはじつにしょっぱい気持ちになった。

 バーントクリームですよ、バーントクリーム。

 おフランス風に気取って言うとクレーム・ブリュレだ。前世の日本だと、仏語の名前の方が通りがよいアレ。コンビニ(懐かしい!)でもお馴染みの定番デザートである。英語でも仏語でも「焦げたクリーム」という直接的にも程がある名前なので、上流階級では仏語で呼ぶことが多い。だって、その方がお洒落だし。

 ちょっと坊っちゃんに甘いんじゃないですかね、お母さん。言わんけど。

「リリー、ミスター・サイラスとショーンにも食事を」

「あ、はい」

 坊っちゃんの給仕はお父さんに任せて、わたしは執事と従僕の二人に食事を運ぶべく、お母さんに連れられキッチンに向かった。



「うふふ、んふふふふ……」

 えらくご機嫌な様子で含み笑いしている坊っちゃんは、しっかりと右手にスプーンを握りしめ、お目々を爛々と輝かせて目の前に置かれたデザートの皿を見つめている。

 正直、その笑い声は不気味だ。見ている周囲としては、何だかビミョーに残念な気持ちにさせられる。

 意気揚々とデザートスプーンを振り上げ、コンコンと表面のキャラメル化した砂糖の膜を打ち崩す様は、どこの映画のヒロインだよとツッコミたくなるようなコミカルな仕草だ。

 ぱくり。

「ん〜っ」

 ほのかに蜂蜜とオレンジフラワーの香りが漂うお母さん特製バーントクリームは、坊っちゃんにも大変満足のいくデザートであったらしい。

「美味しいのぅ、美味しいのぅ」

 はむはむはむ。

 左手でご自分の頬をおさえながら、坊っちゃんは濃厚なカスタードの味を堪能している。

 どっかで見たような光景だなと記憶を手繰り寄せてみると、既視感があるのも道理、亡きご領主さまがいちじくのプディングを召し上がっておられた時の表情にそっくりだと思い至る。うーむ、親子。

「さすがアグネスじゃのう」

「お言葉ありがたく。家内も喜びますでしょう」

 紅茶を注いだカップを差し出したお父さんが謝意を示すと、坊っちゃんはミルクを入れてかき混ぜながらポツリとこぼした。

「本当はの、馬に一人で乗れるようになったら連れてきてくれるはずじゃったんじゃ……」

 誰との約束とは皆言われずとも察せられた。

「では、それまでいちじくのプディングはおあずけでございますね」

「……そう、なるかのう」

 お父さんの目尻の皺が深くなる。

 琥珀色の目を細め、小さな伯爵さまに語りかける表情は柔らかい。

「すぐに食べれるようにおなりです」

「うん」

「大旦那さまはシラバブがお好きでした。お酒が飲めるようになれば、お出しいたします」

「うん」

「いつでもお寄りくださいませ。私も家内もお待ちしております」

「うむ。ありがとう、ロバーツ」

 あらら……横目でミスター・サイラスとショーンさんを伺うと、二人とも微笑ましそうに坊っちゃんを見ている。

「よろしいんですか?」

「うん?」

「そりゃあ、ウチのお父さんは元執事ですけど」

 手にしていたカップとソーサーをテーブルに置き、ミスター・サイラスはその長い脚を組み替えた。そのいちいちが様になるというか、やたらと絵になるところが凄い。かと言って、舞台俳優のようなわざとらしさもない。

 ほんとに執事なのかな、このひと。

「リリー。上流階級、特に貴族の子供はね。赤児の頃から子供部屋で養育されます。育てるのは乳母や子守係の役目なのですよ。少し大きくなれば家庭教師がついて教育し、年頃になれば男子は寄宿学校に放り込まれます」

「はあ」

「実の親でも顔を合わせる時間が少ない。もちろん若……旦那さまも奥さまも、坊っちゃんを愛していましたよ。ただ、一緒に過ごした思い出が少なすぎますからね」

「せめてねぇ、ご兄弟があれば良かったのにとは俺も思いますよ」

 ショーンさんが苦笑いしながら言う。

 前世でも今生でもきょうだいのいる家庭で育ったわたしからすると、ちょっぴり一人っ子という立場に憧れがあったのだが、いざ坊っちゃんのような身の上を知ってしまうと、やはり兄弟姉妹はいた方がいいのかと考えてしまう。

 難しいな。

「ミスター・ロバーツは旦那さまのお若い頃をよくご存知ですから」

「……?」

「館の皆から聞くだけより、もっと身近に感じることができるでしょう」

 ああ、そういうことか。

「愛され弟キャラでしたもんねぇ、ご領主さま」

 うん。坊っちゃんのモブ顔は完全に遺伝だ。納得。

 そこまで考えて、はて?と疑問が浮かぶ。

「そういや奥方さまの側のご親族っていらっしゃらないんですかね?」

 わたしとしてはごくプリミティブな疑問でしかなかったのだが、その時の執事と従僕の苦々しげな表情ときたら。

 正直、ドン引いた。

「リリー」

「あ、理解しました。うん」

 どうやら坊っちゃんに近寄らせてはいけない人種らしい。

 とりあえず、見ない顔にはチェックを入れとこう。そうしよう。

 奥方さまは良い方だったんだけどな。

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