フレンチトースト、或いはパン・ペルデュ。貧しい騎士の友たるこの退廃的な食べ物(4)
「ところで、其方はロバーツの娘か?」
自分以外の子供が珍しいのか、坊っちゃんが話しかけてきた。どうやら人見知りはしないタイプらしい。
「はい。リリアン、リリーとお呼びください」
わたしの方が三歳も年上なのだが、まァ、同じ年頃といえばそうかもしれない。すみません、中身はそれなりに年季のいったおばちゃんで。
「うむ。わしはエルダーストーン伯爵エセルバートじゃ」
ちっこい胸を張って堂々と名乗る様は、さすが貴族の御曹司といったところだ。
この時代の連合王国は、いささか揺らぎが見え始めているものの、まだまだ階級間の落差が激しい身分制の国だ。上流階級でも更に上層の家の子供であれば、村の子供らと同じというわけにはいかない。
そもそも同じ英語を喋っていても、階級によって随分と違いがある。よって、言葉遣いにも注意が必要だ。坊っちゃんの英語は、これぞ上流階級といったお手本みたいな発音なのだが、どうも語彙が少しばかり古めかしいのでギャップがある。
本人は威厳たっぷりのつもりらしい。いや、かわいいだけなんですけど。
「ずっと座ってばかりで退屈なのじゃ」
まぁ、そうだよね。
男の子は乗り物大好きだけど、長時間座りっぱなしは大人でもきつい。身体を動かしたくなる気持ちもわかる。
そして、ここは坊っちゃんが初めて訪れる場所。
この年頃の男の子が大人しくしていられるかと言えば、どう考えても無理なことは分かりきっている。たとえ躾の行き届いた坊っちゃんであろうとも。
しかし、しかしだ。
「この宿を探検する。案内せよ」
え〜っ⁉︎
わたし、仕事あるんですけどぉ?
学校に行ってない時間は、基本的に家の仕事を手伝っている。学校と言っても、女の子の場合、それこそ基礎的な読み書きと計算以外は、かなりの時間が裁縫の授業に当てられるのが現状だ。実践的にみっちり仕込まれるので、なんだかんだ言って一番役に立つ。上流下流問わず、将来に渡って必須といっていい技術なのである。
そして、わたしはアマンダと違って裁縫の授業が苦手だった。ただ、例の『蔵書』には刺繍の図案集などもあったので、写したものをアマンダに渡せば、彼女は驚くほど見事に作品として仕上げてくれた。
おかげで日曜の朝、教会に行く時にわたしが髪を結ぶリボンは、アマンダの力作である〝とっておき〟だったりする。
「まずは上の階じゃ」
「え、ちょ……ちょっと、坊っちゃま⁉︎」
慌ててお父さん達に視線を向けると、お父さんもミスター・サイラスもいい笑顔で手を振ってくれていた。
こ、これは……。
「坊っちゃまではない。旦那さまじゃ」
ぽちゃぽちゃした手に引っ張られたわたしは、ちょうど入室してきたショーンさんに手を伸ばしたが、ひょいと簡単に避けられてしまった。
やだ、そんな、あっさりと。
「行くぞ、リリー!」
坊っちゃんは満面の笑みでキリッと宣言し、ショーンさんは笑いながらわたし達を見送っている。
く、くそう……これが孔◯の罠……!
アマンダではなくわたしにホットジンジャーの盆を持たせたのはこの為か。お父さんもお母さんも計ったな!
わたし、子供苦手なのに。
「坊っちゃんのことよろしくね〜、リリーちゃん」
いそいそとホットジンジャーのマグを受け取ったショーンさんが言った。
これだから大人はっ!
四葉亭の二階は客室しかないけど、今は連泊のお客さんもいないので、わたし達だけでうろついていても咎められることもない。
「この上はどうなっておるのじゃ?」
「三階はわたしと姉の部屋と兄の部屋、あと物置きになりますけど」
ちなみにお父さんとお母さんの部屋は、一階の台所や食品庫に近い場所にある。
「よし、そこも探検じゃ」
「え〜っ、勘弁してくださいよぉ」
「ふむ。何ぞ見られては困るものでもあるのかの?」
「ありません。でも、女性の部屋に無理矢理入るのはマナー違反ですよ、坊っちゃま」
紳士の振る舞いではないと指摘すると、そういうものかと素直に反省するところがかわいらしい。学校で顔を合わせる村の悪ガキどもとはえらい違いだ。
奴らの野蛮なことといったら想像を絶する。
「ま、今回くらいは多めに見てあげましょう」
扉を開けて、わたしは坊っちゃんを招き入れた。
こういう時でもなければ庶民のプライベートな空間など接することもない子なので、これも一種の社会見学というやつである。それに彼の年齢だと人様の家にお呼ばれすることも当分ないだろうしね。
「……小さい」
並んでいる二つのベッドを見て、不思議そうに首を傾げている。
坊っちゃんの自宅の部屋と比べないでほしい。
「庶民はこれで十分なんです」
わたしはしかめつらしく言いきった。
どうせ学校の寮に入ったら、坊っちゃんも似たようなベッドで寝起きするんですからね。
知らんけど。
「じゃが、これは見事なものじゃな」
「そうでしょう」
色々な端切れを繋いで様々なステッチで装飾したベッドカバーは、配色といいステッチの細かさといい、ほとんど美術品と称してもいいくらいの出来だ。二十一世紀なら確実に現代アートとして出品されていたに違いない。
1890年代、英米でおおいに流行したクレイジー・キルトという手法である。
「姉の力作です」
「こっちは何の冊子じゃ?」
やっば。
サイドテーブルに置いておいたそれを坊っちゃんが手にした。
「こらこら。勝手に人のノートを見ちゃダメですよ、坊っちゃま」
パラパラと頁をめくった彼は、とある一枚で手を止めた。
紙葉を束ねただけの手作り感満載の薄い冊子は、いずれ量とお金が溜まれば製本に出そうと考えていたものだ。中身は料理や菓子の絵付きレシピである。絵はこの時代によくあるリアル寄りのものではなく、デフォルメされたイラストっぽいものだ。だって、わたしが描いたんだし。
「リリーよ」
顔を上げた坊っちゃんのお目々がキラキラと輝いていた。
嫌な予感に、思わず頬が引き攣る。
「はい?」
「わしは……わしはこれを食べたい!」
頁を全開にした坊っちゃんは、とあるイラストを指し示しながら言いくさりやがってくれましたよ。オーマイガー!
何で、よりによってそれ⁉︎
そこに描いてあったのは、ある意味、残り物のお手軽再生料理の代表であるにもかかわらず、きちんと前世風に作ろうとすれば、手間も時間もお金もかかること間違いなしの一品フレンチトーストだったからだ。
「え〜」
「だ、ダメなのかのう……?」
「ダメって言うか、準備に時間がかかるんで無理です」
きっぱり。
断言してみせると、もう全身でショック!みたいな雰囲気を坊っちゃんが漂わせ、お目々をうるうるさせながらショボンとする。
いや、もう、そんな世界の終わりみたいな顔せんでも。
「あのですね、坊っちゃま」
「旦那さまじゃ」
こだわるなぁ。
「このレシピだとパン焼くとこから始めないといけないんですよ」
だって、こんな田舎の村じゃ食パンなんて上等なもの売ってないし。わたしらが食べ慣れている村のパンだと見た目からして違うから納得はしないだろう。食感もだいぶ違うし。
そもそも型に入れて焼く真っ白な小麦のパンなんて、この辺りの人間は食べない。食べれない。
……だって、高いんだもん。
伝統的に朝食はポリッジ──大麦や燕麦の粥なのは、このあたりで小麦があまり穫れなかったからだ。余裕のない家なら三食ポリッジでも御の字なのである。肉か魚の入ったスープに鉄板で焼いたオートケーキやバノックなんて上等な部類に入る。
それを考えると、わたしが前世で口にしていたパンの何と贅沢なことよ……特に生食パンなんて、その極みをいっている。まあ、あれ、クリームとか入ってるしな。欧米だと完全に菓子パン扱いだ。
「何と……!」
さすがの坊っちゃんもパンを焼くのに時間がかかることは知っているようだ。よし。
「それにですね、このパンだと専用の焼き型がいるんです」
「むぅ」
実を言えばローフ型はウチにもあるが、肝心の蓋が付いていないので山食ならともかく角食は無理。そして、山食と角食では肝心のクラム──中身の白い部分──が違う。ということは、食感にも影響してくるのだ。
ただ、このあたりは好みによる。
「もちろん、違うパンでも作れますけど」
にっこり。
「嫌じゃ。わしはこれを食べたい」
即答である。坊っちゃんは誤魔化されなかった。
くそ、こいつ、原理主義者か。
「食べたいのじゃ〜っ!」
「あ、ちょ……っ!」
叫んだ坊っちゃんはノートを持ち逃げしてくれたのである。
おい。
※ 日本で一般的な角食(四角い食パン)は完全に19世紀の発明です。
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