明日晴れたら、君と二人で

@k_momiji

明日晴れたら、君と二人で

 

 今年初めて雪が降った日の朝、私は車椅子を漕いで外へ出た。

 

 雪は既に降り止み、空はよく晴れていた。見渡す限りの雪が日の光を反射し、宝石のように輝いている。芝の上に薄く積もった雪が、雫となって落ちる。

 絵本の中でしか見たことのなかった雪に、私の心は躍る。

 後ろを振り返ると、二本のタイヤ跡が家の玄関まで続いている。そう言えば、どこかの絵本の中で、主人公の女の子が雪の中に飛び込んで愉快そうに笑っているのを思い出した。私も試してみようかと思ったが、なんでも雪はとても冷たいらしい。濡れた服と体を温めるのは面倒だし、何より一度降りた車椅子によじ登るのはもっと面倒だ。雪に触れるのは、また今度雪が降った時まで取っておくことにしよう。

 

 くしゅん、と一つくしゃみをする。

 

 やはり雪が冷たいというのは本当らしく、こうして寝間着のまま外にいるだけで少々体が冷えたようだ。私は部屋に戻って暖炉で暖まろうと車椅子の車輪に手をかける。その時だった。

 視界の端で、何かが光ったような気がした。

 目をこらして見ると、確かに道の脇に何かが落ちている。が、ほとんどが雪に埋もれていてよく見えない。私は恐る恐る近づき、ほんの手が届くほどの距離になってようやく気がつく。

 人が、倒れていた。

 私は慌てて、回りに積もった雪を素手で払った。初めて触れる雪は想像以上に冷たく触れた手がじんわりと赤くなってきたが、そんなことは気にしていられない。

 

「もし、聞こえますか」


 返事はない。しかり、その首元に触れるとほんのりと温かい。まだ生きている。ひょっとすると、ここで行き倒れてからさほど時間は経っていないのかもしれない。

 私は車椅子に腰掛けたまま、力一杯持ち上げる。すると、思いのほかその身体は軽く簡単に持ち上がり、回りの雪がごそりと崩れる。

 倒れていたのは、小柄な少女だった。

 少女が目を覚ます気配は無い。が、このまま放っておけば長くは持たないだろう。私は彼女を抱きかかえるようにして、片手で車輪に力を入れる。片手で車椅子を動かすのは骨が折れるが、悠長なことは言っていられない。右、左、右、と持つ手を交互に変えながら、ゆっくりと前進する。

 しばらく車椅子の車輪と格闘し、家の中にたどり着く。そのまま寝室に向かい、ベッドに少女を寝かせる。見ると、私の手は真っ赤に腫れ上がっている。はあ、と手のひらに息を吐くと、じんわりと痺れるような感覚が走った。

 絵本の中でしか見たことのなかった雪。私はずっとそれに憧れてきたが、どうやら私が思っていたほど良い物ではないらしい。






 暖炉に火をともすと、私はその上に水を張った鍋を置いて火にかける。お湯が沸騰したところで刻んだキャベツ、ニンジン、ベーコン、それから堅焼きのパンを投入し、塩、それから香辛料と一緒に炒めた小麦粉を入れて味を調える。スープが温まり、ほんのりと香辛料の匂いが漂い始めたちょうどその時、もぞりとベッドの中が蠢いた。

 

「…………?」


 少女は目をこすりながら、むくりと起き上がった。

 身体が温まったのか、先程より心なしか顔色が良い。

 

「あら、目が覚めたのね。気分はどう?」


 声をかけると、少女はそのままの体勢で私の方を向き、私のことを不思議そうにまじまじと見つめる。

 色の薄い、澄んだ瞳。さっき抱きかかえたときに触れた、柔らかな髪質。確か一度、数年前にここを通った旅人の女性も同じような目をしていた。彼女は確か、東の山を越えて来たと言っていた。

 

「あなた、東の国から来たの?」

「…………」

「えっと……私の言葉は分かるのよね?」

「…………」


 こくり、と、少女は頷いた。ような気がした。初めに話しかけた時にもだが、私が何かを言うたびに少し視線が動いている。どうやら、言葉が話せないわけではないらしい。

 

「あなた、ここまで一人で来たの?」

「…………」

「荷物は?何も持ってないの?」

「…………」


 話したくないのか、話せないのか。その表情からは察せられない。私が途方に暮れているとその時、暖炉の上に置いた鍋が音を立てて噴きこぼれた。

 

「いけないっ」

 私は慌てて暖炉に近寄る。こういう時、やはり自分の足で駆け寄れないのは不便だ。やっとのことで鍋を持ち上げる。その時、少女がベッドの上から私……ではなく、鍋の方をじっと見ていることに気がついた。

 

「……お腹空いてる……よね?」

「……………………」

「……えっと……食べる?」


「………………はい」






 無言で皿に取り分けたスープを食べ終わると、少女はまたうとうととテーブルの上に突っ伏したまま眠ってしまった。相当疲れていたのだろう、無理も無い。が、もう一度抱えてベッドに運ぶのは骨が折れるので、自分の上着を彼女の肩にかけてやった。

 二人分と思っていつもより多めにスープを作っていたのだが、よっぽどお腹が空いていたのか彼女は一人で平らげてしまった。もう一度作るのは流石に面倒だし、まあいい。私は鍋の底に残ったスープをスプーンで直接すくって飲む。不味くはないが特筆するほど美味しくもない、いつもどおり無難な味だ。鍋を軽く水で流して紙で拭き、棚に戻した。

 

 さて、私も一眠り……してる場合では無い。私は内職で生計を立てている。もし足が動くなら町で洒落た茶屋で働いてみたいと思ったこともあったが、どうやら私には内職が向いているらしい。私の気性故なのか慣れなのかは分からないが、こういった単純作業をするのはさほど苦痛では無い。

 私に与えられている仕事は、造花作りだ。週に一度、問屋が私の家に来て、材料を置いていく。私はそれを注文通りに作り上げ、翌週の同じ日に回収してもらう。この繰り返しだ。

 問屋の人曰く、私の作る造花は本物のようだと評判らしい。それはこの足のせいで町に行けない私への世辞なのかもしれないが、私にはそれが嬉しかった。

 私がそのまま鼻歌を歌いながら作業をしていると、いつの間にか目覚めた少女が私の方をじっと見つめていた。

 

「あら、起きてたのね」


 私がそう声をかけると、少女は小さく首をかしげながら私に向かって言う。

 

「お姉さんは、魔法使いなの?」

「……ん?」

「だって、その花」


 少女は私の手元を指差しながら言う。

 自分で言うのもなんだが、私が花を作るスピードはかなり速い。なるほど、確かにこの少女がもし造花というものを知らないとするならば、私がなんでもない色の付いた破片から花を生み出しているように見え……なくもないのかも知れない。

 ちがうよ、と私は否定しようとする。が、見ると、少女はキラキラとした目で私のことを見つめている。

 コホン、と私は小さく咳払いをして言う。

 

「私はね、足が動かない代わりに、花を咲かせられるのよ」






 私は、少女をしばらく家に置いてやることにした。

 内職で生計を建てるのは決して楽では無い。正直、二人分のスープを用意するだけでもかなり厳しい。が、彼女をこのまま放り出しても、またすぐに行き倒れてしまうだろう。

 彼女は、この家に来て三日ほど経った頃から、少しずつ私と話をするようになっていた。

 名前は、トトと言うらしい。

 どうやら、東の国から来たというのは本当らしい。方角は分からないようだったが、山の方を指差していたので間違いないだろう。

 トトは、私と同じように山を越えたところにある町で一人暮らしをしていたそうだ。ずっと前は母親と一緒に暮らしていたそうだが、ある日突然、家を出て行ってしまったらしい。理由は分からない、ということだ。そして今年の秋、意を決して母親が去った方角の町を訪ねてみることにしたらしい。

 ここに来るまでの間、どこかに旅の荷物は置いてきてしまったようだ。山を下りる途中急に雪が降り始め、足場が悪くなり、このままでは麓に着くまでに遭難してしまうと思い、荷物をほとんど置いてきてしまったようだ。私から見ても、その判断は賢明に見える。実際、トトは幸運にもこの家の前までたどり着き、そして助かったのだ。

 

 雪が溶けるまで、とトトは言った。季節は冬が訪れるにはまだ早い。雪が滅多に降らないこの国で雪が溶けきってしまうのは、そう遠い日の話ではないだろう。






 週に一度、この家にはお手伝いさんが来る。

 もちろんタダでは無い。造花の内職で得たお金のうち、少なくない割合で彼女を雇うことに費やしている。なんでも一人でできれば良いのだが、車椅子で生活する私には家の掃除や水くみなど、どうしても一人では困難な仕事がある。

 

「ごめんくださーい」


 家の鍵はかけていない。ガチャリ、と音を立ててドアが開いた。

 

「今週もよろしくお願いします、ヒナタさん」


 そのお手伝いさんは、ヒナタさんという。ここから西の方にある町から、わざわざ私のためだけに馬車に乗って来てくれている。ありがたいことだ。

 

「今週は北の国で採れたいい豆が手に入ったのよー。よかったら……あら、その子は?」


 私が振り返ると、トトが車椅子の陰に隠れるようにしてじっとヒナタさんのことを見ていた。

 

「この子は……」


 何と説明したらよいだろう。知り合いという関係ではないし、居候というのも何か違う気がする。いや居候と言えば居候なのだが。が、私が言いあぐねているうちに、トトが先に声を出した。

 

「……トト、です。このお家でお世話になってます」


 私は少し驚く。私と初対面の時みたいに人見知りするかと思ったのに。

 

「……お姉ちゃん、私、向こうでお茶淹れてくる」

「お茶? どうやって淹れるか分かるの?」

「……お姉ちゃんがやってるのを見てたから」


 私は空いた手でトトの頭をわしわしと撫でる。トトは子猫がそうするように少しくすぐったそうにして、とてとてと小走りで台所に向かっていった。

 

「良い子ねー。とっても似てるから、てっきりあなたの妹かと思ったわ」

「どこが似てるんですか」


 私はトトのように澄んだ瞳を持っていないし、髪もあんなにサラサラとしていない。そして女の子らしいその体躯は、若干羨ましくもあるくらいだ。

 が、ヒナタさんは微笑みながら、まるで空を見上げて雲の形を言うように、さも当たり前という様子で言った。

 

「あの子、初めて私がこの家に来たときのあなたと同じような表情してたわよ」

「……冗談きついですよ」






 一通りの家事を済ませると、ヒナタさんは今から彼とデートだとか何とか言いながら帰っていった。私の知る限りヒナタさんに彼氏はいないので、たぶん流行の芝居でも観に行くのだろう。

 

「もう帰っちゃった?」


 造花を箱に詰める作業を頼んでいたトトが、部屋から出て来て私の方に近寄ってきた。

 

「何? 私よりヒナタさんと一緒の方が楽しい?」

「ち、違うよ」


 私がからかうと、トトは本気で焦ったような素振りを見せる。かわいい。

 が、そう思う一方で、よく一人で山を越えて来られたなと思うのと、このままトト一人で西の町に向かわせるのは心配でもあった。

 

「トト、もう暫くしないうちに、雪が溶けるわ」


 こくり、とトトは頷いた。その目がじっと私の方を向いているのを確認してから、続ける。

 

「ヒナタさんにお願いしたの。来週、あの人と一緒に西の町へ行きなさい」






 私には両親がいない。トトと同じだ。私がまだ物心つかない頃、東の山に二人で木の実を取りに行ったきり戻ってこなかったらしい。そして、その頃からずっとヒナタさんにこの家に来てもらって、こうして暮らしている。

 それでもずっと、寂しくはなかった。私にとっては、家に誰もいないのが当たり前。毎週造花を買い取に来る問屋のおじさん、お手伝いに来てくれるヒナタさん、ただ、それだけ。こんなにも長い時間誰かと――トトと一緒にいたのは、初めてのことだ。私はトトを送り出す。引き留めるつもりもない。でも、トトがここを去ってしまった後、私は初めて寂しいと思うのだろうか。

 私は、ベッドの端で眠るトトの髪を撫でた。もし私に妹がいれば、こんな感じなのだろうか、なんて風に考えながら、私は眠りにつく。






 夢を見た。

 自分が夢の中にいることに気がついた。

 

 私は家の中にいた。トトはいない。ヒナタさんもいない。一人だ。

 誰かが家のドアを叩く。私は作りかけの造花をテーブルに置いて、玄関に向かった。

 ドアを開けると、家の中に風と落ち葉が舞い込んできた。外は酷い嵐だった。そして、ドアの前に一人の女性が立っていた。

 

「お金はありません。お金になる物もありません。ほんの一切れで構いませんので、パンを分けてもらえないでしょうか」


 彼女はトトと同じように澄んだ瞳をしていた。げっそりとやつれていて、まるで山を越える前から何も口にしていない様子だった。

 少し待って下さい、と言って私は部屋に戻った。が、どこを見回してもパンの一つ、スープの一杯すら見当たらない。その時、私は酷くお腹が空いているということに気がついた。そうだ、この嵐のせいで車椅子では外に出られず、私も暫くほとんど何も食べていないのだ。

 テーブルの上に、キャンディが一つだけ残っていた。明日、嵐が止まなかったら食べようと思っていたものだ。私はそれを持って、玄関に向かった。

 

「すみません、もうこれしかなくて……」


 私がキャンディを差し出すと、女性は何度も頭を下げてありがとうと礼を言った。そして私は、彼女に一輪の花を差し出した。

 

「この花は決して枯れません。どうか、お気を付けて」


 私がそう言うと、彼女は少し不思議そうな顔をして、そして柔らかに微笑んだ。

 彼女は、こちらが見えなくなるまで何度も頭を下げながら立ち去った。

 そして、私は目を覚ます。嵐は、収まっていた。






 トトがここを去る日の朝。

 荷物を何も持たない彼女に、私はたくさんのパンと山羊のミルクを持たせた。

 別れは、あっけないものだった。私がトトの髪をくしゃくしゃに撫でると、いつもみたく、くすぐったそうに笑った。そして、ヒナタさんに連れられて西の方へゆっくり歩いて行った。

 

 ずっとそうだったはずなのに、私一人の部屋はやけに広く感じた。私は一人分のスープを作る。思わず皿を二人分テーブルに置いてしまい、一人で笑った。

 パンと一緒に、私はトトに一輪の造花を手渡した。

 

「この花はね、決して枯れることは無いの」


 私は今日も、赤い花を持った親子がこの家の前を通るのを一人で待ち続けている。


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