*5-1-4*

 ホログラフィックモニターに映る景色はひたすらに上空へと立ち昇る黒煙と、海面を赤く染め上げる炎に満たされていた。

 太陽光は厚い雲に遮られ海面を照らすことはなく、冷たい海に明るさをもたらすものは噴き上げる大火の灯のみ。

 もはや―― 元々、それが何であったのか分からぬほど溶かされた鋼鉄の塊と残骸が海面に浮かび、ところどころは人から流れ出た血で染まっている。

 目を凝らせば見て取れる、ありとあらゆる責め苦を受けた人間のなれの果てのような姿。

 モニターの向こうにあるのは地獄の光景。自分達が夢にまで見た景色。死の臭いが充満する、美しい美しい戦場の景色である。

 人の歴史において語るに避けることの叶わぬ“罪”の具現。そしてこの惨禍こそ、重ねられた罪に対する“報酬”、つまりは死の贈り物である。


 レーダー上に点灯していた敵艦船群を示す光が消滅していく。

 破滅を導く光。共和国の意志を示す創世の光。罪を重ねた歴史を破却し、新たに紡がれる歴史の幕開けを告げる不可視の熱線によって、正義を騙る愚者の群れは淘汰される。

 ネメシス・アドラスティアから放たれたバイデントの砲撃によって、連合艦隊のおよそ半数が戦闘継続不能という大損害を被った。

 彼らの旗艦から見て左舷側に存在していたはずの味方艦船群は今や、見るも無残な醜態を海上で晒すだけの存在に成り果てたのである。

 アンヘリック・イーリオン中央管制室に立つシルフィーは歓喜の声を上げて自らの主を仰いだ。

「アンジェリカ様、アンジェリカ様。お見事でございます。麗しのアンジェリカ様、我らの進むべき道を示してくださいませ。我らの進むべき道筋をどうか、どうか!」


 黄金色のベールに包まれ、艦の頭上に2対の巨大な天使の光輪、光の翼を顕現させたネメシス・アドラスティアは圧倒的なまでの力によって連合艦隊を文字通りねじ伏せていく。

 ホログラフィックモニターの向こうに映る、尊ぶべき共和国の象徴たる女神の具現。裁きの意志、義憤の女神。

 ネメシスによる怒りの火は絶える間なく海上へと注がれ、女神の怒りに触れた敵はことごとくが打ち破られ散ったのだ。

 周囲ではカローンが勝利を祝福するかのように舞い、死の賛歌を謳い、さらに敵を冥界の河の向こう岸へと誘う役回りを演じ続けている。


 シルフィーは穏やかな笑みを浮かべ、歓喜の声を上げつつ、しかして実のところ内心では安堵する気持ちが勝っていた。

 ネメシス・アドラスティアが最初に先遣艦隊に向け荷電粒子砲バイデントを放った時、謎の力によってそれが完全に防がれたのを目撃していたからだ。

 そんなことが有り得るわけがないと、幾度となく否定しようとも否定することのできぬ現実。

 おそらく機構の所有する艦船、連合本隊の艦隊旗艦サンダルフォンに集う異能者の力によるものだろうと感じたものの、いざその力を目の当たりにした時には胸の内から込み上げる不安というものを抑えることが出来なかった。

 愛すべき主君の力をもってしても、彼女達を圧倒することが出来ないのではないかという不安。

 玉座の間で、愛すべき王が語った最悪の想定が現実のものとなる懸念。


『彼らは死を覚悟して私達に向かってくる。殺すつもりがなくても殺してしまうでしょうし、“殺されるつもりがなくても殺されてしまうかもしれない”』


 アンジェリカが語った言葉を脳裏に浮かべながら、シルフィーは両手を胸の前に組み祈りを捧げる姿勢を取って両眼を閉じる。

『その御言葉が現実にならぬよう、わたくしは……』

 しばし目を閉じたまま、頭の中で彼女に対する祈りを念じ続ける。

 そうして主君に対する祈りを終えたシルフィーは再び目を開くと両手を前に伸ばし、新たな指示を兵士達へ送った。

「ロデー、ベンテシキューメーを前へ。死に場所を見失った憐れなる子羊、先遣艦隊の皆様に死地を差し上げましょう。強者の手による優しい手向けとして」

「はっ。ロデー及びベンテシキューメー前へ。アイギス展開率70パーセント」

「パンドラ搭載カローン、敵艦船へ向け順調に飛行中。攻撃モード、インダイレクト」

 恍惚の笑みを浮かべたまま前に伸ばした両腕を目いっぱい大きく広げてシルフィーは言う。

「美しい地獄の景色の続きは、深い眠りの中でも楽しめるというもの。楽しい戯れを始めましょう。パンドラ投下開始。メリッサ、アラクネー、プシュケー起動。アムブロシアーは降下後、戦闘プログラムCへ移行」

「相対距離0、アライヴァル。カローン、パンドラの投下を開始します。パンドラ、投下」

 合図と共に蝙蝠の如く漆黒の機影を空に見せるカローンから黒色の巨大なコンテナが敵艦甲板へ向け次々と投下された。

 神々から全てを与えられた女が残した箱からは絶望がまき散らされ、一握りの希望だけが残るという。

 しかして、共和国が落とした箱に残される希望とは、誰が為にあるものか。推して図るべくもない。

 コンテナが敵艦甲板に落ちた時、昆虫型ドローン兵器による殺戮が巻き起こる。阿鼻叫喚の地獄絵図が逃げ場のない艦船内で繰り広げられ、生命の全てが立たれた時に海上を彷徨う鋼鉄の棺桶が出来上がるという寸法だ。

 最後に残された希望によって微笑むのは、常に共和国側の者である。

 シルフィーは甘く囁くように言った。

「我々から貴方がたへの贈り物。どうぞ、受け取ってくださいませ?」

 そう言ってにやりと彼女は笑ったが、直後に投下された黒色のコンテナは低高度から撃ち放たれた雷撃によって木っ端みじんに砕け散った。

 積載されていた昆虫型ドローンは焼け溶けて海上へと散りゆき、敵艦船の甲板上にはその残骸だけが降り注ぐ。

 シルフィーは広げた両腕をだらりと下ろすと、上方のホログラフィックモニターを見据えてぽつりと言う。

「あらあら。なかなかに優秀な目を持つ者がいらっしゃるご様子。アンジェリカ様の見込まれた通り、見事なものでございます」

 敵を誉める心の内に溢れるのは余裕というものか。

 左手を柔らかく艶やかな唇に近付け、人差し指を軽く舐める仕草をしながらシルフィーは続ける。

「されど、慌てて箱の蓋を閉じたところで中に残るは虚しさという名の“希望”だけ。縋ったところで何の意味もない。我々にとっての希望と、貴方がたにとっての希望は違う」


 間もなく、パンドラの投下を避けた艦船の側方にオーロラ光が走り、側方に巨大な水柱が立った。

 ロデーとベンテシキューメーより放たれたレーザー砲、カドゥケウス改とスーパーキャビテーション魚雷ケトゥスが直撃したのだ。

 その後方で動きを制止せざるを得なかった艦艇には頭上から新たなパンドラが投下され、甲板上に降り立ったコンテナからはおびただしい数の黒い影が蠢くように飛び出したかと思えば、付近の人間から手当たり次第に殺戮していく様子がモニターに映し出された。

 逃げ惑う兵士達を嘲笑うかのように、あっという間に周囲を取り囲んだ昆虫型ドローンは、身動きが取れず、抵抗することすら叶わなくなった人間をゆっくり、ゆっくりとバラバラに解体していったのである。


 ホログラフィックモニターに映し出されたあまりのおぞましい光景に言葉を失う共和国兵士も多かったが、室内の中央に立つシルフィーはただ1人穏やかな笑みでその光景をじっくりと堪能した。

 昆虫型ドローン以外にも、アムブロシアーを積載していたコンテナが投下された艦船では不死の兵隊による虐殺が繰り広げられる。

 連合兵の応戦も虚しく、アムブロシアーの一方的な殺戮によって艦内はすぐに廃墟と化す。

 さらに連合兵の命が全て尽きた艦船の制御はアムブロシアーの手によって奪われ、対空防御の為に据えられたCIWSは自軍の戦闘機へと向けて放たれた。

 目の前で繰り広げられる光景に息を呑みながら共和国兵士は報告を上げる。

「連合艦隊の被害状況は計り知れず。先遣艦隊と本隊と合わせ、おそらく60パーセントの戦力が喪失したものと見られます」

「ドリス・ミラー、エンタープライズ、シャルル・ド・ゴール、クイーン・エリザベス、いずもが揃って後退する模様。予測針路を外れます」

「連合本隊よりサンダルフォンが単艦で先行します。火器管制レーダーの照射を確認。照準、ネメシス・アドラスティア。荷電粒子砲発射態勢」

 兵士たちの報告を耳にしたシルフィーは、自らの心が充足感によって満たされていくことを感じ取った。


 リナリア公国の忘れ形見達。いくら優れた異能者がいようと、世界最高のAIによる完璧なる指揮が執れたとしても所詮はこの程度。

 彼らに残されたちっぽけで空虚な希望には意味など残されてはいない。可能性など残されてはいない。その無意味な希望は、共和国に魂を置く者達の享楽の為に食い尽くされるのだ。

 我らの信じる“神”は、自らの手で与えることのできる責め苦の全てを与えようとしている。しかして責め苦でありながらも、それこそが主の御心による“愛”の示し方。


 罪に対する罰。

 裁きという名の褒賞。


 そして今――

 これより前に歩み出た愚かなる予言の大天使に向け、義憤の女神による最期の一撃が手向けられようとしている。

 存在しない世界。国際連盟の2人もろとも沈めてしまうのなら、マークתの一行やイベリスを共に葬ったところで何ら問題など有りはしない。

 血迷った大天使は砲の先を天上の女神へと向けるが、その光が届くことなどあるのだろうか。

 否――! 全ては我らの理想の前にひれ伏し、全てはあの御方の理想のままに。

 アンジェリカ様、アンジェリカ様。どうか、終焉の光を今一度。

 共和国の夢を実現する創世の光を、今一度。


 ぼんやりとホログラフィックモニターを見つめるシルフィーの視線の先では、荷電粒子砲発射態勢にあるサンダルフォンと、同じくバイデントを構えるネメシス・アドラスティアが互いに睨み合っている。

 次の一撃が、この戦いの行方を決める一撃となるだろう。

 そしてその結末は既に視えている。付け焼き刃の荷電粒子砲もどきが、研鑽の限りを尽くした共和国の兵器に適うわけない。


 さぁ、早く。早くこの美しく楽しい舞台に最高の結末を……



 天使の光輪と翼を輝かせ、赤黒く染まる空を悠然と飛行するネメシス・アドラスティアの艦首砲塔には、二重螺旋を描く虹色のオーロラ光が巻き付く。

 そうして発射臨界を迎えたバイデントがサンダルフォンに向けて照射されるかに見えた、その時である。

 シルフィーの目に、信じられない光景が飛び込んできた。



 音もなく、まるで時の流れが止まったかのようであった。

 ネメシス・アドラスティアの後方で青白い火を灯すメインスラスターが紅蓮の炎を噴き上げ爆発したのだ。

「っ! アンジェリカ様!!」シルフィーの絶望に震える声がこだました。

 一瞬の後、中央管制室にはけたたましい警報音が鳴り響き、慌てふためく兵士たちの声が空気を震わせる。

「ネメシス・アドラスティアより爆発の光を観測! メインスラスター大破、揚力維持が困難な状況に陥っています!」

「核融合炉に異常を感知、1基の稼働が緊急停止。全武装へのエネルギー供給を遮断! 各部冷却システムの稼働率低下を確認。核融合反応が不安定化しています! このままでは艦体制御に必要な電力を喪失しかねません! また、発射臨界を迎えていたバイデントは排熱追い付かず、砲塔の自壊の恐れあり!」

「アイギス-ミラージュ・クリスタル-、コントロールシステムに異常発生! ネットワーク喪失、制御不能! フローティング・ミラー海面へと脱落!」


 頭での理解が追い付かない。

 何が? 何が起きた? いや、そんなことはどうだっていい。

 それよりも、今すべきことはひとつ!

 目の前の脅威から我らの王を守り切らなければ!


「緊急制御システム割込み開始! エマージェンシーコントロール! アンティゴネの指揮を強制的にこちらへ委譲させ、アイギスをネメシス・アドラスティア前方へ展開しなさい! 早く! サンダルフォンに撃たれる前に!」

 叫ぶように発せられたシルフィーの指示は、兵士達によって直ちにアンティゴネへと伝令された。

「モード:リフレクション。アンティゴネ、フローティング・ミラーをネメシス・アドラスティア艦首へ」

「サンダルフォン、荷電粒子砲照射します。ミラービット展開、間に合いません!」


 兵士の悲痛な報告とほぼ同時に、サンダルフォンより強大なエネルギー反応が確認された。

 後退を開始していたネメシス・アドラスティアへ向けて、真っすぐに。虹色に輝くオーロラ光が大気を駆け、プラズマ発光が軌跡を描く。

 不可視の光線は瞬時に目標へと到達し、モニターの向こうではアンティゴネから送られたアイギスのミラーデバイスを真っ赤に染め上げた。

 大出力荷電粒子砲の反射に必要な数のデバイスが揃わない状況で光線の直撃を受けたアイギスは瞬時に焼けただれ、本来の目的を達することなく無数の小爆発を引き起こしながら上空にて燃え尽きる。

 サンダルフォンからネメシス・アドラスティアに放たれた荷電粒子砲の光線は、かろうじて展開が間に合った一部のアイギスによって指向が逸らされていた。

 燃え尽きたアイギスの偏向によって照射角度は本来の照準から逸れ、そのおよそ8割がアンティゴネの艦体を直撃したが、逸らし切ることの出来なかった光線はネメシス・アドラスティアの左舷を急襲。外装は焼け落ち、激しく噴き上げる赤色の火花はまるで人の血液のようですらあった。

 アイギスの反射によって荷電粒子砲の直撃を受けたアンティゴネの外装は溶かされ、三重の防御隔壁まで貫かれた内部は露わとなり、ショートした電装部品の火花が各部配管から漏れ出た気化ガスや艦載兵器に引火し、やがて紅蓮の炎を噴き出しながら大爆発を引き起こすに至る。

「アンティゴネ1番艦、大破! 制御不能! 機関冷却システム損壊、核融合炉緊急停止!  プラズマ消失、再稼働は不可能です! 艦内部貯蔵武装に引火、誘爆! 揚力喪失、墜落します!」


 間に合わなかった。

 眼前で起きた出来事を理解することも出来ぬまま、シルフィーは両腕をだらりと下に落としたまま膝から崩れ落ちる。

 呆然としたままホログラフィックモニターを見据えていたが、やがてこの事態を引き起こした人物の姿を脳裏に思い浮かべると、激しい憎悪の感情を露わにして奥歯を噛み締めるのであった。



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