*4-5-4*

 暗く閉じた視界の先に光の水平線が開かれる。

 遠くに見えるのは雲一つない青空。秋風が吹く穏やかな日和に、大火と爆風による地獄絵図を生み出す為に私達はこの冥界の底より飛び立つ。

 これは理想を叶えるための最後の出撃だ。

 冥界より飛び立つ私達が潜り抜けるべき、開かれたゲートは天国の門。本来は死んでいるはずの身でありながら、地獄というべき現世を生きてきた自分達が辿り着く結末の場所。

 今ようやく、両親が私達に与えた名が示す理を手に入れようとしている。


 アンジェリカ -天使のような-


 神の意志を伝える責務を負うものが天使であるならば、私は神の意志の代弁者となろう。

 この世界が歩んできた歴史、この世界が積み重ねてきた罪に対する罰、つまりは主の手による最大の愛を与えるために暗い奈落の底から私達は飛び立つのだ。

 もはや理想の実現を止められる者はなく、ただ座して待つだけで手に入る栄光ではあるが、どうしても自身のこの目に焼き付けておきたい。

 自らが積み上げてきた歴史が“正しいものである”と嘯く、世界連合艦隊が無惨に散っていく様を。

 私達が間違っていると断罪しようとした、そんな彼らが如何に無力な存在であったのかを。

 そして、理想成就の障害と成り得る唯一の懸念、国際連盟の“彼女”をこの手で排除しなければならない。



 アンヘリック・イーリオンの戦艦ドック内に轟音が響き渡り、白い炎が隔壁を照らし出す。

 激しいスラスターの噴射によって、爆風を叩きつけながら上昇を始めるネメシス・アドラスティアの艦長席に佇むアンジェリカは、虚ろな目で遠くにある光の線をじっと見据えた。

 艦体はホログラフィックビーコンの光に導かれ、天国への入口へと向けて悠然と前進する。

 眼前で、一筋でしかなかった光の線は今や四角い大きな口を開き、僅かにしか見えなかった青い空模様がはっきりと見て取れるほどになっている。


『この先に、私達の願う理想の世界に辿り着くための最後の試練が待っている』


 戦争を楽しむだけで良い。圧倒的な戦力差の前に、彼ら連合艦隊が勝機を見出すことなど不可能であるのだから。

 極端に言えば、自身が指を一度弾きさえすればそれで何もかも終わりなのだ。

 であるはずなのに、なぜか心の中を覆う靄が晴れない。心も頭もずっと霞がかったままで、 

うまく思考をまとめることが出来ないでいる。

 昨夜リカルドに進言された通り、さっさと休息を取るべきだったのだろうか。

 いいや。既に人の身でない自分達にとって、眠りによる休息が如何ほどのものだというのか。

 まるで夢の中を揺蕩うかのよう。この晴れない靄をもたらす原因は他にある。答えはきっと――



 アンジェリカが思考していると、兵士の1人が報告を上げた。

「ネメシス・アドラスティア、間もなくアンヘリック・イーリオン ドックゲートを抜けます」

 彼の声に呼応するかのように、他の兵士達が続々と状況の報告を上げる。

「揚力、速力固定。現状のままダイレクション:アレフへ針路を取ります」

「システムハーデス、稼働率90パーセントを維持。艦体隠匿率、99パーセント」

「アイギス -ミラージュ・クリスタル-展開率60パーセント。モードは対空防御に設定」

「アンティゴネ1、2番艦共にコントロール正常。予定通り本艦に追随します」


 妙に音が遠い。

 皆が話す声が、まるで遠く離れた場所から届くかのような違和感。やたらに残響が交じり合った音のように聞こえて――


「――様? ――ジェリカ様?」


 私の名を呼ぶ声。

 凄く遠いが、この声は。


「アンジェリカ様?」


 はっきりと自身の名を呼ぶ声を聞きとったアンジェリカは、はっとして意識を現実へと引き戻した。

「どうかしたの?」

 すぐ傍に立つリカルドが心配そうな表情で言う。

「いえ、何度お声掛けしても反応されなかったものですから。申し訳ありません」

 そうか、彼はずっと自分の名を呼んでくれていたのか。気付かずに返事をしなかったのは自分の方だ。アンジェリカは申し訳なさと不甲斐なさを感じながら言った。

「どうして貴方が謝るのよ」

「何かお飲み物をお持ちしましょうか? 好物のバニラアイスもございます。もしお加減が悪いようでしたら……」

「いいえ、結構よ」

 そう言ったアンジェリカは、この時になってようやく自身が軽く息を切らせた状態であることに気が付いた。

 視線を落として自身の小さな掌を見つめると、僅かに視界がぼやけ、輪郭が二重に見えた気がしたがきっと気のせいだろう。

 開いた掌を握りしめ、そっと膝の上に下ろしてリカルドへ言う。

「きっと貴方と同じね。遠足や旅行を楽しみにする子供のように、夜眠れなかったからに違いないわ。間もなく、私達の焦がれた理想が叶うというのに」

「無理もありません。アンジェリカ様が千年に渡って歩んでこられた道の先にある理想の結末が叶えられるのですから」

 結末、か。その結末を迎えた先に、本当に私達が望んだ景色を見ることは出来るのだろうか。

 リカルドの返事を聞きながら、アンジェリカの頭にはそのような思いがよぎった。

「そうね。長きに渡る夢が終わり、夢はやがて現実のものとなる。その為にも、まずはすべきことをしなければならないわ。戦況を報告しなさい」

 ふわふわの艦長席に身を沈めながら言うアンジェリカに、兵士たちが現況の報告を始める。

「はっ。現在、領海内に展開したネーレーイデスと世界連合先遣艦隊が交戦中です。戦況は連合艦隊側の有利に傾いており、ダイレクション:アレフを護衛する艦隊群の40パーセントを喪失した模様です」

「ダイレクション:ヨッド、ダレットに展開していた艦艇群が援護の為にアレフへ集結中ですが、敵先遣艦隊が領海に到達するまでの防衛ライン再構築は難しい状況と見られます」

 報告を聞いたリカルドは怪訝な顔をしながら兵士に聞き直す。

「何? 我々が有利を失っているだと?」

「はい。有視界にて状況も確認出来ますし、まず間違いありません。敵艦隊はレーザー撹乱幕射出に合わせて艦載機の発進をさせ、現在は我が軍のカローンと制空権争いをしている最中であります」

「シルフィーは何をやっているのか」

 苦々しい口調でリカルドは言ったが、誰よりも先にシルフィーの思惑に気付いたアンジェリカは言葉を制止する手振りを示して言った。

「良いのよ、これで。あの子のやり方は正しい。私に一番綺麗な景色を見せようとしてくれているのね? 加えて、美味しい舞台へそのまま引き継ごうという考えも見える。実にあの子らしいやり方じゃない」

「と、申しますと?」

「レーダーをきちんと見なさい。東から北上してくるネーレーイデスよりも先行して3隻の艦影が透けてみえるでしょう」

 アンジェリカの言う通り、リカルドが広域レーダーに目を向けると、そこには確かに薄暗くではあるが自軍艦艇の存在を伝える光の明滅があった。

 艦識別名には【トリートーン】【ロデー】【ベンテシキューメー】と表示されている。

「これは元より彼らに勝ち目などないゲームよ。あの子は領海付近まで連合艦隊を引き込み、まともな思考能力を奪わせる為に敢えて不利な状況を演出して見せている。ギャンブルの胴元が、最初にわざと負けてあげるのが常套手段であるようにね?

 そうして彼らに一瞬の勝利を贈るわけだけれど、その後は寺銭をしっかりと頂く。それがこれから起こること。姿を隠した3隻の奇襲によって、おそらく先遣艦隊はそのほとんどを喪失する運命を辿るでしょうね。

 その後、最終的に彼らは命という大事な賭金の全てを失うことになる」

「なるほど、そう聞けば彼女らしいと言いますか。実に悪質な胴元ですな」

「賭けの基本でしょう? 賭け方も知らない素人が、最初から賭け金の全てを突っ込んでくるのが悪いのよ。ただし、そもそも私達と戦火を交えるということ自体に勝つ要素などないのだから、最初から賭けにすらなってはいないのだけれど。

 これは彼らに対して、これまでの出来事に一矢報いる場を提供してあげるというシルフィーなりの優しい心遣いであるとも言えるでしょう。

 とはいえ、相手が誰も乗艦していない無人艦艇であると考えれば道化が過ぎるとも言えなくはない。

 気持ちを高揚させたままの相手を一瞬で絶望に叩き落す瞬間を楽しみたいのは、あの子も私も同じことなのよ」

 そう言ってアンジェリカはいつもの調子でくすくすと笑いだした。

 状況の全てを理解したリカルドは映し出された戦況を見つめ、この後の推移を見守る。その時、兵士の1人が連合艦隊の動きを報告した。

「敵先遣艦隊群、堅持していた隊列を乱し一部が東側へ回頭する模様です。直進する艦と二手に分かれます」

「あら、聡明な指揮官が向こう側にもいるようね? 総指揮を執っているのは誰とは言わない、マリアの手によって機械とリンク接続させられた憐れな女。あとは彼女の命令に素直に従うか従わないかは各艦艇の艦長の判断に委ねられている。

 その点で言えば、おそらくそうしろという指示が出たのであろう〈減速しながら東側へ回頭しろ〉という判断に従った艦長は実に優秀であると言うことが出来るわ」

「向きを変えたところで結末に大差はないと見受けますが」

「そうね、まったくもってその通り。なぜなら彼らは海上艦艇3隻を正面に捉える代わりに、“私達に”横腹を向ける姿勢になったのだから。そこが悔やまれるところでしょうね」

「しかし、シルフィーの作戦を看破して対応するとは。イベリスというあの少女、おっしゃるようにプロヴィデンスとリンクしているのだとしても、2週間前とは明らかに違いますな」

「違ってもらわなければ困る。憐れな女であっても、私達にとってもあの子は切り札よ。唯一の懸念、障害であるマリアに対抗する為のね」


 アンジェリカが笑みを潜め、真剣な面持ちでそう言った直後であった。

 東側海上にて3隻の艦艇が唐突に姿を現し、膨大な熱量を持つ不可視の光線を発射したのは。

 連合側の先遣艦隊の内、回頭をせずに領海線へ直進していた艦艇の全てが強力な熱線に焼かれ、みるみるうちに鋼鉄を溶かしながら艦体を異形のものへと変形させていく。

 やがてそれらの艦船から巨大な火柱が噴き上がると、あっという間に船体を傾かせ冷たい海中へと引きずり込まれるかのように沈み始めたのだ。

 既に出撃していた連合側の艦載機も、カローンとの交戦の為に新たに現れた3隻の元へ向かうことが出来ず、回頭して針路変更した艦船群が必死に攻撃を加えるものの、ロデーとベンテシキューメーによって展開されていたアイギスによってそのことごとくが完全に防がれていた。

 さらに一気に防戦一方へと追い込まれた連合艦隊に追い討ちをかけるように、トリートーンから射撃されたとみられる魚雷が残存艦隊の内1隻に命中し、巨大な水柱を立ち昇らせている。

 形勢を有利に進めていたはずの連合艦隊が突如姿を顕した、たった3隻の艦船に対して慌てふためく有様は実に滑稽だ。

 そうしてシルフィーの計画通りに運んだこの状況は、アンジェリカを大いに昂らせた。

 非常に楽し気に、且つ狡猾な笑みを湛えてアンジェリカは言う。

「さぁ、彼らはどうするのかしら? 別に私達が狙わなくても東西から回り込んでくるネーレーイデスの集中砲火から逃れる術は既にない。

 仮に今この場に彼らの本隊が到着したからといって、焼け石に水であることに変わりはないわね。でも――」

 しばらく笑みを浮かべたまま思案していたアンジェリカであったが、ふっと右手を伸ばすと満面の笑みを咲かせて命令を下した。

「私達も戦に参加しよー☆ 早速だけど、バイデント起動! エネルギー充填を早く早くぅ♪ 照準はー、敵先遣艦隊中央! アンティゴネのステロペースも使って眼前の敵を掃除しちゃおう^^ 外したりしたらー、めっ! なんだよ?」

「はっ、その御心のままに」

 兵士達が揃って返事をした。


 アンジェリカからの命令によってネメシス・アドラスティアは直ちに臨戦態勢となり、主砲である高出力ビーム砲バイデントを起動を開始する。

「荷電粒子砲バイデント起動」

「エネルギー充填の為、システムハーデスの稼働率を60パーセントまで減衰します」

 兵士達の言葉と連動して艦首付近に格納されている、先に二叉の意匠が施された砲身が露わとなり、エネルギー充填時に見られるプラズマ発光が渦を巻くように砲身に絡みつく。

 強大なエネルギー収束による大出力ビームで、周囲一帯を瞬時に灰燼と化すだけの威力がある荷電粒子砲バイデント。しかし、そのエネルギーを生み出す為にはネメシス・アドラスティアに搭載している核融合炉を一時的にフル稼働させる必要があり、その為に他の武装の使用や最大航行速度が制限されるという制約が生ずるという弱点がある。

 システムハーデスの稼働率を敢えて低下させたのはそういった理由によるものだ。

「エネルギーチャージ開始、臨界まで残り30秒」

「目標、敵先遣艦隊戦列中央。アイギス -ミラージュ・クリスタル-、射線軸を開きプログラムBにて待機」

 他にバイデントは固定砲座の為、単体では正面以外の目標を捉えることが出来ないという弱点を持つ。だが、アイギス -ミラージュ・クリスタル-と組み合わせることでこの弱点は解消される。

 打ち出されたビームを鏡面に反射させるという〈ビーム反射モード〉に設定したアイギスを正面に配置することで前後左右、どこにでも照準を合わせることが可能なのだ。

 さらに、一度反射したビームをさらに二次的、三次的に屈折させて曲げることで360度全方位、どんな角度の敵も射貫くことが出来るという事実上死角の存在しない超兵器となっている。

「射撃コントロール、発射タイミングをアンジェリカ様へ委譲します」

 砲身に絡むプラズマ発光の光は少しずつ規模を拡大させ、臨界点に達する間近であることを告げる。

 間もなく、神罰にも等しい高出力の熱線が連合先遣艦隊を奇襲する。

 しかし、その直前という時にあってただ1人。リカルドはアンジェリカの傍でまったく別のことに思いを馳せていた。 



 アンジェリーナ様からアンジェリカ様への人格交代。

 一体どういうわけか、この状況というものはいつもとはまるで真逆の状況だ。

 いつもなら、軍事的に重要な場面では常にアンジェリカ様の代わりにアンジェリーナ様が表に顔を覗かせていたはず……

 先程見せていた体調の悪さも気掛かりのひとつではあるし、何か考え事や自分の知り得ない懸念事項でもあるのだろうか。

 あれはまるで“何かを酷く恐れている”かのようであった。

 国際連盟を事実上支配しているマリアという少女に加え、常に傍らで仕えるアザミという神の存在は確かな脅威ではあるが、あれらと共にサンダルフォンさえ沈めてしまえばというところでもある。

 難しい行いであるとはいえ、決して不可能というわけでもない。


 では一体、彼女は―― いや、アンジェリーナ様は何を恐れているというのか。


 いや、考えることを止めるべきだ。直接問うなどもっての他であるし、今という状況において目の前の戦況から目を逸らすことなど言語道断だ。


 リカルドは砲身に絡みつく幾重にも及ぶプラズマ発光を眺めながら思う。

『アンジェリカ様、アンジェリーナ様の御心のままに。この輝きが、我らグラン・エトルアリアス共和国に栄光を導く光であらんことを切に願って』


 リカルドの想いを他所に、アンジェリカは無邪気な笑みを咲かせながら言う。

「誰もいないけどー! 念の為に射線上への割込みはー、めっ! って皆に伝えてね☆」

「はっ。中央管制のシルフィー様へ伝令致します」

「宜しい! ではでは☆ 我々が栄光を掲げる為の光を灯そうではないか、諸君☆」

 いよいよだ。共和国を勝利に導く光が、世界の罪に裁きを与える掃滅の光が灯される。

「バイデント、発射臨界。エネルギー充填率100パーセント」

「システムハーデスによる隠匿を解除します」

「アイギス -ミラージュ・クリスタル-配置良し。ビーム屈折率演算、規定値内」


 兵士の掛け声によって空中戦艦の巨体が大空に姿を顕す。

 人間の罪-ヒュブリス-に対する神の怒りと罰の具現。

 義憤の女神による裁きの一撃が放たれる。


 そうしてアンジェリカは大きく息を吸って右手を前に差し出し、甘ったるい声で元気良く言った。

「冥界の王の持つ神具、義憤の女神の裁きによりて放たれし! バイデント、発射ぁ~☆」


 号令と同時にバイデントから膨大な熱量を持つ不可視の光線が放たれ、それはアイギスによる照準補正を経て海上に浮かぶ目標艦船へと突き進む。ビームの射線上でオーロラ状に輝くプラズマの軌跡を残しながら、真っすぐに。



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