*3-5-7*

「前方に大規模な霧の出現を確認。ラファエル級フリゲートの位置をロストしました。目標喪失、ステロペース照準補正出来ません。現象のデータ解析、過去にリナリア島で確認された現象と同一のものです」

 火器管制を担う兵士の報告を聞き、遥か彼方に立ち昇る真っ白な厚い霧を見たアンディーンは、それが誰の仕業によるものなのかすぐに理解が及んだ。


 昨日、初めて言葉を交わした彼女。

 リナリア公国において、光の王妃と呼ばれていた尊き姫君。公国の将来を担うはずであった理想の光。イベリス。

 先に見える巨大な霧の壁は、彼女がラファエル級フリゲートを守る為に異能で施した小細工だろう。

 レーザー兵器の弱点のひとつに、霧や煙、或いは粉塵といった大気中を浮遊する物質による影響を受けやすいことが挙げられる。大気中の屈折率の変化によって照準が逸れてしまうという問題だ。

 マリアという少女の発案によるものだろうか。いや、おそらくは違う。彼女であればもっと直接的な違う手段で策を講じるはずだ。

 彼女でなければ誰が?まさかルーカスが?

 アンティゴネのレーザー砲がラファエル級フリゲートを捉えていると判断し、姿全体を覆い隠して目標を見失わせ、さらに光の屈折によって照準をずらしながらレーザー兵器の威力そのものを減衰させるという奇策。

 奇策と呼ぶことができるかどうかは甚だ疑問ではあるが筋は悪くない。悪くはないが、彼らは致命的な見落としをしている。

 艦船を沈める方法はレーザー砲だけに限った話ではないし、いざとなればカローンを投入して目標を確実に沈めることだって出来るのだ。

 こちらの装備するレーザー兵器がブルーミング現象の影響を受けないものである可能性も考慮から外れている。

 結局のところ、何をしようと無駄なことに違いない。そう、無駄なあがきである。


 しかし……


「いかがなさいますか?マックバロン様」

 兵士の声にはっとしたアンディーンは意識を海の向こう側へ向け直す。

 胸に引っかかりを感じつつも、自らの責務を果たすために指示を下す時が来た。

 既に発射臨界を迎えているステロペースをこの状態のまま維持し続けるのは良いとはいえない。

 であるなら、即座に発射出来るように〈場を馴らす〉。それだけのことである。

「左舷ミサイル発射管2番。MOAB装填。照準、大規模な霧の直上。炸裂させて霧を晴らし、露出した目標をそのままステロペースで撃ち抜く」

「は、しかしそれであれば熱源誘導によってMOABを直接ぶつけるのも一つの手かと存じますが」

「分かっている。分かっているが、あれらに……そしてアンジェリカ様に“見えるように”仕留めなければ意味がない」

「承知しました。ご命令通りに」

「すまない」

 アンディーンは回りくどい命令をしたと自分でも考えた。


 MOABとは大規模爆風爆弾と呼ばれるもので、核兵器ではないにも関わらずきのこ雲を生じさせるほどの破壊力を持つ〈全ての爆弾の母〉と呼ばれる兵器である。

 グラン・エトルアリアス共和国は空中戦艦にMOABを搭載する為に小型化、軽量化、さらにはサーモバリック爆弾の機構を採用した独自のミサイルを開発した。

 上空で爆発すれば雲をも吹き飛ばすだけの威力を持ち、例えば霧の立ち込める今の海上で炸裂させれば一瞬にして霧の全てを吹き飛ばすことも叶うだろう。

 本来は兵の進言通り、純粋にこの爆弾をラファエル級フリゲートへぶつければ済む話ではある。

 だが、それではいけない。彼らの戦意を早々に削ぐ為、自らの立場を明確に誇示する為、レーザー砲で無惨に焼かれる船体が“見えなければ意味がない”のだ。


「MOAB装填完了。射出準備整いました」

 兵士からの報告を聞き、アンディーンは無言で腕を前に振り発射の号令を発した。

 次の瞬間、左舷ミサイル発射管に閃光が走り音速を越えたミサイルが射出される。

 そうして僅かコンマ数秒の内に、照準を定めた位置に到達したミサイルは炸裂し、海上に大穴を穿つほどの爆風を発して周囲の霧を一瞬で吹き飛ばしたのである。

 霧による障壁を失ったラファエル級フリゲートは、爆風に圧し潰される勢いで深く海面へと沈み込む姿をアンティゴネの前に晒す。外装の一部も風圧によって潰され変形している。

 障害を完全に取り除き、再度姿が露わになったラファエル級フリゲートを見やり、目的の第一歩を達成せんが為にアンディーンは言う。

「ステロペース、発射せよ!」

 再度、海上を霧で覆われたら面倒だ。この一瞬で勝負を決めなければならない。

「ステロペース、エネルギー臨界。目標に向けて射撃開始します」

 漆黒の砲身にオーロラのようなプラズマが蛇のように螺旋を描いて絡みつく。そしてついに、巨人の名をもつ禍々しい兵器の先端から静かなる光の軌跡が放たれた。

 音もなく、ただ虹色に移り変わる光の軌跡が空に直線を描く。そうして数秒後に何が起きたかと言えば、“昨夜と同じ”ことである。



 焼け落ちた艦橋、ドロドロに溶けた鋼鉄、赤黒く燃える船体、沈みゆく命。

 間もなく、焼き溶かされた鋼鉄の液体が機関部へ流れ込み誘爆し、巨大な火柱を噴き上げた。

 爆発によって船体は中央から真っ二つに引き裂かれ、浮力を失った船はほとんど一瞬の内に冷たい海の底へと沈みゆく。


 サンダルフォン右舷の彼方に航行していたはずのフリゲートは、もはや艦船とは呼べぬ外観を晒しながら海の底へと引きずられる運命を受け入れるしかなかった。



                   *


 爆風によって傾いた艦体の姿勢を立て直す為、サンダルフォンは一時的な急減速を強いられた。

 艦尾甲板上に立つ一行は、激しく傾き揺れる船から振り落とされないように各々が付近の手すりなどに掴まり顔を伏せてしがみつく。

 だが、アルビジアが右手を薙ぐと同時に圧倒的な風は落ち着きを見せ、すぐに艦体の姿勢が立て直された。彼女の異能によってミサイルが巻き起こした爆風を相殺したのである。

 そんな中、爆風によって消滅した霧の障壁を呆然と眺めてイベリスは立ち尽くす。


 守ることが出来なかった。


 伏せた顔を上げ、イベリスと同じく立ち尽くしたマークתの一行は艦尾甲板上に立ち上がりながら“彼らの最期”を見届けることとなる。


「嘘だろ……フリゲートが沈んだのか?仲間が死んだのか?」


 無惨に焼け溶けたフリゲートの艦体を見て、ルーカスは震える声で言った。

 遥か彼方では巨大な火柱を立ち昇らせ、真っ二つに折れたフリゲートの船体が海中に引きずり込まれる姿が見える。

 その隣では能力の発動を打ち切り、金色の染まった髪と虹色に輝く瞳をいつもの色彩に戻したイベリスがへたり込むように腰を落とし崩れ落ちる。

 玲那斗はイベリスを支えるように一緒にしゃがみ、肩を抱いて力を籠めた。

 呆然としたまま、すすり泣きながらイベリスは言う。

「私、守れなかったのね。彼らの命を、死なせてしまった。私に、力が無かったから」

 すると、すぐ背後で腕を振り払う仕草をし、爆風を完全に振り払ったアルビジアが能力を解除して言った。

「それは違うわ。誰がどんな努力をしたところでこの結末は覆せなかったのかもしれない」

「それでも、他に出来たことがあったかもしれない」

 イベリスは言って視線を落とした。

 しかし、そんな彼女に対し業を煮やしたようにアイリスが割って入る。

「自分が頑張ればどうにかなったかもしれない。貴女の努力と力で彼らの命全てを救えたかもしれないと思っているのなら、それは傲慢な考え方よ。

 立ちなさい、イベリス。私達の敵はまだあそこに浮かんでいる。一隻の犠牲に傷心して立ち竦んでいる暇なんて無いのよ。貴女は今この船に乗っている人々まで同じようにするつもりなの?」

「アイリス」アルビジアが窘めるように言って、アイリスへ厳しい視線を送った。

「間違ったことを言っているつもりはないわ。それにね、まだ何も解決していないのに、こんなところで感傷に浸ったまま、己の出来ること全てを放棄しようとしている女に掛ける優しい言葉の持ち合わせなんてないの。

 出来る限りのことをした。それでも彼らは助からなかった。そのことを悔やむのは後にしなさい。それが無理で、もし立てないというのなら今すぐここから消えなさい。目障りよ」

 アイリスの厳しい言葉が耳に届いているのかどうか定かではなく、イベリスは俯いて涙を流したまま動けなくなっていた。

 ジョシュアもルーカスも玲那斗も、そしてフロリアンも唇を噛み締めたまま何も言えなかった。


 仲間としてイベリスを擁護したい気持ちは強い。しかしである。言葉はあまりに厳しいと言うほかないが、アイリスの言うことが間違っているわけではない。

 現に、自分達の敵はまだ眼前に浮かんだままなのだ。

 あれを放置すればもう1隻のラファエル級フリゲートも沈められ、最後にはサンダルフォンも鹵獲、或いは自分達以外は必要無いと沈められる可能性だってある。手をこまねいている暇などない。


 アイリスはもはや何も言わず、自らの脚で立ち上がってアンティゴネを睨みつける。

 ふいに両手を広げると、大きく息を吸って目を見開き、再び美しきアースアイの瞳を輝かせた。

 同時に、彼方に浮かぶアンティゴネの周囲に凄まじい規模の落雷が降り注ぐ。

 雷の閃光から遅れることコンマ数秒後に空気が炸裂したかのような破壊音が海上に響き渡った。

 超高層紅色型雷放電〈レッドスプライト〉。聖母の奇跡で見たものと同じ、神の怒りによる赤黒き裁きの光だ。

 だが、アンティゴネは周囲に降り注ぐ落雷を意に介す様子もなく、傷一つ負うことなく飛行を続けている。


「こうして牽制を続けていれば、少なくとも迂闊にミサイルを撃ち込むことは出来ないでしょう。あれが自分達の目の前で炸裂すれば致命傷になるのだから」

 アイリスはそう言って能力の行使を続けるが、徐々に呼吸は乱れ始め、額からは季節の気温に似合わぬ大粒の汗が流れ落ちていた。

「アイリス、止めて。それ以上は貴女の、いえ、アヤメちゃんの身体がもたない」明らかな能力の過剰使用を見て取ったアルビジアが言うが、彼女は聞く耳を持とうとはしなかった。

「嫌よ。そこでへたり込んでる女と一緒にしないでちょうだい。私はマリアお姉様にこの艦の“護衛”を任されたの。私とアヤメの意思は同じ。意地を張ってでもこの船が逃げ切るまで守り通すんだから!」


 言葉の直後、アンティゴネの前方に再び赤黒い雷が滝のように連なり輝く。

 凄まじいまでの轟音を鳴り渡らせる神の怒りの火は、アンティゴネ周辺を包み込むように展開する反射板を次々と撃ち抜き、焼け溶け火球となった鏡の残骸を雨の如く大量に海へと降り注がせた。



                   *


「うわぁ……怖っ><あれじゃEMPBを撃ち込むタイミングなんてないない~☆撃った瞬間に目の前で炸裂して、アンティゴネが電磁パルスで制御不能、航行不能で墜落ぅ!になっちゃったらお笑い種だもんね♪」

「この状況、アンディーンはどう切り抜けるのでしょうか。アイリスと呼ばれる少女が雷の弾幕を張り続けている限り、ミサイルによる有効射撃は撃てず、せいぜいがステロペースによってもう1隻のラファエル級フリゲートを沈めるところまでといったところ。

 ですがそれを計算してか、レーザー砲の周囲には特に激しい雷撃が注がれているように見受けられます。ミラージュ・クリスタルの残骸が注がれる限り、ステロペースの射線を確保するのも一苦労でしょうな」

 武力と能力の激しいぶつかり合いを楽しむ観衆といった有様ではしゃぐアンジェリカにリカルドは言った。

「かといってミラージュ・クリスタルを引っ込めちゃうと雷が船に直撃しちゃうから格納も出来ずぅ!厄介だね~。うーん、でもでもぉ。これがミクロネシア連邦での戦いならいざ知らず、今のアイリスには“加護”と呼ばれる力は働いていないわけだしぃ?こんなデタラメな力の行使の仕方をしていればすぐにエネルギー切れになると思うんだけどなぁ」

「インペリアリスの力と言いましたか。確か、イベリスに関してはリナリア島以外での全力を用いた能力行使はせいぜいが15分程度であったと」

「そーそー☆誰も彼もが使える力の容量には限界っていうものがあるんだなー、これが☆例えば共和国の加護が働いている今の私は無限に近い容量の力を扱えるわけだけれど、あの子達は違う。それぞれが10分、或いは15分程度全力で力を出し切ればあとは弾丸の尽きた銃よろしく、何も出来ないただの女の子になっちゃう。このデタラメ具合だと5分持つか持たないかといったところじゃないかなぁ?」

「機構としてはそれまでの間に接続水域からの離脱を果たせば良いとなるわけですが、時間的な猶予はありませぬな。あわよくばラファエル級フリゲートの離脱は完了するでしょうが、サンダルフォンは到底間に合いません」

 ホログラフィックモニターに映る様子に胸を高鳴らせ、満面の笑みを浮かべて眺めるアンジェリカはリカルドへ愛らしい瞳を向けて言った。

「それで良いの良いのぉ♡なぜならぁ、彼らは最初からフリゲートを接続水域外へ逃がすことを第一目標としていたのだから^^私がサンダルフォンを沈める気がないというのは向こうも承知の上のはず!つまり、その目的さえ達せられればサンダルフォン自体は無傷でしばらく航行できると踏んでいる。

 今仮にアイリスが力尽きても、まだアルビジアもいるわけだし?ま、こういう場合にマリアとロザリアは戦力としてカウントできないだろうし、見た感じイベリスは役立たずに徹しているようだから論外論外~☆

 イベリスについてはー、ここでもう一隻のフリゲート周囲に霧の防壁を展開しないところが甘っちょろいお姫様って感じがしちゃう。諦めが早い!

 結局のところ、あの2人がどこまで頑張るかによって彼らの命運は決まるという流れじゃないかなー」

 楽し気に語るアンジェリカの傍で、ふいにシルフィーが言う。

「いいえ、いいえ。アンジェリカ様、御冗談を。貴女様にはこの戦いの行く末が既に見えているはずです。お二方の努力如何に関わらず、この戦いは互いにとって煮え切らぬ形で決着をつけることとなる。違いますか?」

 シルフィーへ目を向け、彼女の言うことを目を丸くして聞くアンジェリカであったが、正解を問われた瞬間に不気味なほど冷徹な笑みを湛えて答えた。

「正解~。もしかして貴女にもある種の未来視のような力があるのかしら?そう疑いたくなるほどに完璧な回答ね、シルフィー」

「お褒め頂くほどのものでもございません。こと、あの女のことだから詰めを甘く見積もっていると考える次第。それに今、アンティゴネのアルゴスには接続水域に近付く別艦隊の艦影が多数映し出されているはず。

 にも関わらず、迫る雷撃を言い訳に手をこまねき、有効策を未だ打とうとはしない。1射で済むのです。ステロペースの照射時間を長く保った状態で放ち、早々にラファエル級フリゲートの片割れを沈めてサンダルフォンの戦意を削げば別の道も見えてくるかもしれない。

 またはブロンテースの照射によってアイリスという少女の注意を逸らし、雷撃を鎮めた上で確実にEMPBをサンダルフォン直上に炸裂させる手立てだって考えられます。

 何の意図か、わざと手を抜いている。あれは“そういうところがつまらない”のです」

「まったくもって正しい意見ね。貴女がアンティゴネの指揮をとっていれば、おそらく今頃はサンダルフォンは沈む手前まで追い詰められて降伏するしか道はなかったのでしょう。そう考えるとアンディーンの指揮はほとほと未熟でつまらないものに見えなくもない……けれど強ち、そうとも言い切れないわよ?」

 アンジェリカはそう言ってシルフィーへ顔を向けにこりと笑ってみせた。

「さぁ、お楽しみはこれからよ。見てなさい。アンディーンはこの状況を打破する為に、兵器と異能のぶつかり合いに寄らない“次の手”を使って機構の戦意を削ぎにかかるわ。“あの子にしかできない”方法を使って、ね?」


 アンジェリカの堂々たる予言めいた宣言を聞いたリカルドとシルフィーは、言われた通りホログラフィックモニターに視線を釘付けとし、次に何が起きるのかを注意深く見守った。



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