*3-5-4*

 絢爛たる戦略城塞。内部に君臨する、高さおよそ500メートルの尖塔。

 その先端で燦然と輝く2輪の巨大な天使の輪を見据えたまま、フランクリンはサンダルフォンの艦橋から状況を見守っていた。

 未だマークתからの連絡はなく、アンジェリカとの対話がどうなったのかなど判別しようがない。彼らは今も対話を続けているのか、或いは……

 ただ待つしかないという中、自分達に出来ることはいつでも彼らを迎え、この場から離脱できるよう準備を整え“常に冷静でいること”である。


 しかし、2時間以上が経過しても一向に変化しない状況を見て、嫌な感覚が込み上げてきていたことも事実だ。

 フランクリンはそっと目を閉じて一呼吸ほど吐き出して息を整える。


 状況が動かないようであれば、何か手を打つ必要があるかもしれない。


 そう思いながら再び目を開けたその時である。

 唐突に自身の脳内に“聞こえるはずのない声”が響き渡った。


『貴方がたを危険に陥れる巨大なものが来ます。ラファエル級フリゲートを一刻も早く後退させ、サンダルフォンもすぐに離脱準備を整えてください。すぐに、今すぐにです』


 声はブリッジにいた全ての隊員達の脳内に響いていたようで、どこからともなく聞こえた声に対してどよめきが広がっている。

 だが、フランクリンはこの声の主に心当たりがあった。艦長席を立ちあがり、艦橋前方へと歩み寄って艦首へと視線を落とす。

 すると、そこにはこちらを真剣な眼差しでじっと見据えるアイリスと、隣に立つアルビジアの姿があった。

 プロヴィデンスに登録されたデータでしか見たことがなかったが、これがアイリスという少女のもつ力なのだろう。その確信が湧き上がる。


 不思議と、彼女の言うことが間違っているとは思えない。先に感じていた嫌な感覚と併せて、正しいという感覚があった。

 全部隊に指示を下すべきかフランクリンが思考していると、すぐ目の前の隊員が言う。

「艦長!マークת、ブライアン大尉より緊急入電です!“大至急接続水域に停船しているラファエル級フリゲートを後退させよ”とのことですが、いかがしましょう」

「マークתの登場するFFTMのシグナル探知。アンヘリック・イーリオンより離れたFFTMは、現在猛スピードで本艦に近付いてきています。時速80…いえ、100キロを超える速度です」

「マークתへ返電しましたが、こちらからの発信は拒絶されました」

 隊員達の報告を聞き届けたフランクリンは思考する余地などないと考えた。

 事実を確認してからでは遅い。即座に全艦へ命令を下す。

「接続水域に停船するラファエル級フリゲート2隻に緊急伝令。進路反転後、最大戦速にて速やかに共和国接続水域より離脱せよ。

 本艦も共和国領海より離脱準備にかかる。機関始動。オートコントロール解除、以後マニュアル操艦にて姿勢制御しつつ進路反転、FFTM回収口のみを接舷したまま待機。彼らを回収した後は最大戦速にて共和国領海より離脱する」

 フランクリンの指示を受け、隊員達は慌ただしく各部へ命令の伝達を開始する。

「ラファエル級フリゲート1,2番艦へ緊急伝令。進路反転し、全速で接続水域より離脱せよ。本艦の到着を待つことなく、最大戦速にて当該水域より離脱せよ。繰り返す……」

「機関始動。サンダルフォン発進用意。姿勢制御システム、オートコントロール解除。操舵、マニュアル操舵へ以降後、進路反転。後部搭乗ゲート1を解放したままFFTMの収容待機」

 伝令が各部へ送られる最中、各部署より返る応答の向こうでは慌ただしく動きまわる隊員達の様子が伝わってくる。

『後部搭乗ゲート付近の積み荷を動かせ。違う、そっちじゃない!2番じゃなくて1番だ!マークתの回収の妨げにならないように急げ急げ!』

『手順書なんて確認してる場合か!サンダルフォンの反転に合わせてゲート開口するぞ、良いな!?』


 フランクリンは回頭を始めたサンダルフォンの艦橋から移りゆく景色を見据え、マークתの乗車したFFTMが飛び込んでくるだろう道を眺めて思う。

『皆が無事であれば良い。しかし、特に差し迫った危機のない状況下でフリゲートの後退を緊急入電した理由については一考すべきか』

 思考を巡らせつつ艦長席へと戻ろうとしたが、ふと気になって再び艦首へと目を向ける。

 そこでは変わらぬ真剣な眼差しで艦橋を、おそらくは自分を見つめているであろうアイリスの姿と、すぐ隣で何かを警戒するように反対方向の遠くを見つめるアルビジアの姿があった。

 回頭を続けるサンダルフォンの艦首で、アルビジアは左に流れゆくアンヘリック・イーリオンを追いかけるように視線をじっと据えたままだ。


 何かある。


 そう思い直し、アイリスに向けて視線をこらしたフランクリンの脳内に再び彼女の声が響いた。

『今から私が言うことをよく聞いてください。前方に見えていた巨大な要塞、アンヘリック・イーリオンと呼ばれる建造物から先刻、大きな熱量を持った何かが飛び立ちました。

 おそらくは昨夜に国連艦隊と私達の艦船群を奇襲したあの3隻の空中戦艦の内の1隻で、姿こそ見えませんが、それはハーデスの兜と呼ばれる光学迷彩を展開しているからだと思われます。

 自衛の装備しか持たぬこの艦では、彼らの艦船に追われれば勝ち目はないでしょう。

 ただ勝ち目がないとはいえ、サンダルフォンは私達の手である程度守ることが出来ます。しかし、フリゲート2隻はそういうわけにはいきません。離れた位置にあるフリゲートに搭乗する隊員達の生死は、迅速な決断にのみ委ねられた状態なのです。

 フリゲートの後退を急がせてください。そして、威嚇用でも牽制用でも構いません。サンダルフォンに搭載している武装の使用許可と射撃準備を行ってください。

 防ぎきれないものについては私とアルビジアで対処します。さぁ、早く』

 彼女の声はその場にいる全員にやはり聞こえているようであった。周囲のざわめきが一瞬で沈み、虚無から生まれた緊迫感が一気に高まっていく。

 フランクリンは周囲状況の監視を担当する隊員へ目を向けるが、隊員は周辺に巨大な熱源の確認は出来ていないという風に首を横に振った。

 一考した後、フランクリンは外部スピーカーから甲板へ呼びかけ出来る通信機を手に取って彼女へ言う。

「デ・ロス・アンヘルス嬢。貴女のおっしゃることはよく理解出来ました。我々のシステムでは戦艦と思しき巨大な熱源反応を現在確認できていませんが、共和国がそれを可能とする兵装を所持していることを踏まえ、今言われたことが真実であると考えます。

 ラファエル級フリゲートは全速で後退させているところです。マークתと国連、ヴァチカンの両名を本艦へ収容次第、本艦も全速で共和国港より退避行動を開始します。

 これより先、船体が激しく揺れますのでどうか足元にお気を付け下さい」

『ありがとう。私も、アルビジアも出来る限りの力を以って対処しますので、皆さんは各々の為すべきことにどうか力を割いてくださいますよう』


 その声を最後にアイリスの声は途絶えた。

 ブリッジには切迫した囁きだけが広がっている。

 フランクリンは手に持った通信機を置くと、踵を返して艦長席へと戻った。

 サンダルフォンは既に180度回頭を完了させており、機関出力を維持したままFFTMの到着を待つ。

 

「離脱準備急げ。行動に変わりない。FFTMの位置を注視し、収容後は最大戦速にて本領域より離脱する」

 そう言ったフランクリンが艦長席に再び座したときであった。

「艦長、後方カメラにてFFTMを視認しました。間もなく本艦に到達、収容します」

「だがあれは……速度が出過ぎている!後部搭乗ゲート各員に緊急伝令!持ち場から速やかに退避せよ!」

 瞬間。通信員が言い終わる前に、後部搭乗ゲート付近から何かが衝突するような轟音が振動となって伝わって来た。

 状況の理解が追い付かず、ざわつくブリッジであったが、間もなく後部搭乗ゲートで作業していた隊員から報告が上がる。

『こちら後部第一搭乗ゲート、FFTMの収容が完了しました。車輌はぼろぼろですが全員の無事を確認。しかし酷いもんです!まったくどこを走ったらこんな風になるんだか!それに、さっきの荒い運転は国連の仕業か?冷や冷やさせる!』

 間違いない。マリアとアザミによる無茶であったのだと、何とはなしに状況を察したフランクリンが通信担当の代わりに淡々と言う。

「ご苦労だった。ゲート封鎖を急いでくれ。すぐに離脱する」

『はっ!司監殿!既にゲート閉口は完了しております』

 その報告を待っていたとばかりに航行担当の隊員達が矢継ぎ早に言う。

「ゲート封鎖確認。システム異常無し、ステータス全正常値」

「機関出力最大。右舷左舷全速前進!最大戦速にて現領域を離脱します」


 やがて船体が前後に揺れ、速度を増しながら進行を開始した。

 共和国の港に背を向けたサンダルフォンは、大海の波を切り裂き水平線の彼方へと進む。


 未だ見えぬ敵ではあるが、ここから追跡劇の始まりか。


 フランクリンは内心で覚悟を決めるように考えた。

 と、その時である。通信担当の隊員が叫ぶように言った。

「艦長!後方に巨大な熱源反応を探知!艦種特定、空中強襲揚陸防巡艦アンティゴネです!光学映像出ます」


 ブリッジのホログラフィックモニターに映し出された映像には、昨夜機構の艦隊を襲撃したうちの1隻である巨大な空中戦艦の姿があった。

「空中で待ち構えていたのか。やはり彼女の言葉は真実だったな。こちらが動き出すまで待っていたなど、随分と余裕を見せつけてくれるものだ。ラファエル級フリゲートの状況はどうか」

「反転後、全速で領域離脱に向け進行していますが、接続水域離脱までには20分以上を要します」

「あの戦艦が我々を見逃してくれるという期待は出来そうもないな。彼女達を信じて賭けてみるしかない。

 火器管制レーダー起動。CIWSを防空モードで待機させろ。続き、電磁加速砲射撃用意!照準、敵空中戦艦アンティゴネ。確認するが、敵艦艇の位置は共和国市街地上空ではないな?」

「はい。アンヘリック・イーリオンより東側に寄っており、山岳地帯が広がる区域でデータ上は民間の建造物は見受けられません」

「承知した。念の為に言うが、これは牽制射撃ではない。落とすつもりで当ててくれ」

「はっ!電磁加速砲射撃用意。全砲門起動を確認、弾丸装填良し。照準、敵空中戦艦アンティゴネ。捉えました!」

「撃てぇ!」


 フランクリンの号令と共にサンダルフォンの両舷に設置された電磁加速砲が眩いばかりの閃光を放ち、砲門から火を噴く。

 時速7000キロを超える速度の砲弾が射出され、閃光の軌跡と共にアンティゴネに直進していった。

「第2射!撃て!」

 再度の号令により両舷の電磁加速砲が再び閃光と共に火を噴き、コンマ数秒後には彼方にいるアンティゴネに着弾したとみられる4つの爆発の光が見えた。


「どうだ……」

 アンティゴネ周囲に立ち上った煙が、風で晴れるまでの時間が非常に長く感じられる。

 巨大な船体が傾く様子はない。機関部へのダメージを与えることが出来なかったのは明白ではあるが、せめて武装や航行に支障を生じさせる傷を負わせていればと願う。

 祈る気持ちで立ち昇る煙が晴れるのを誰もが固唾を飲んで見守り続ける。

 だが晴れた視界の先、全員の目に飛び込んできたのは際限なく期待を裏切るもので、まるで何事もなかったかのように悠々と飛行を続けるアンティゴネの姿であった。


「敵艦、健在。損傷みられず、無傷です」


 射撃管制を担当する隊員の絶望に満ちた虚ろな声がブリッジに重くのしかかった。

 


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