*3-5-3*

 振り返らずに走る。

 迷宮のような巨大な要塞の中を、たったひとつ示された道筋に沿ってマークתとヴァチカンの一行は走った。

 今自分達がどこにいるのかすらわからない。目指した先が真に求めた出口であるかもわからない。

 それでも一向に許された行為は走る以外になかった。


 しかし、懸念はない。

 パノプティコンを脱出して間もなく、アンヘリック・イーリオン内部に抜け出した一行は向かうべき先を見失うかと思われたが、ルーカスの元にパノプティコンのデータを送信してきた〈Subject A〉という人物の計らいによって正しい目標を見失うことはなかったのだ。


「残り800メートル!ここを走り抜ければ城門に辿り着くはずです!」

「そこを抜ければ中央庭園か。っが、あまりに警戒の目が無さ過ぎることがかえって不安ではある」

 ルーカスの指す道筋を確認しながらジョシュアは言った。

 パノプティコンを脱出して以後、しばらくアンヘリック・イーリオン内部を走っているわけだが、どういうわけか道中でアムブロシアーはもちろん、共和国の人間とも誰一人として遭遇していない。

 まるで目的と定められた場所まで、順調に辿り着けるよう仕組まれているかのように。

「全てが罠という可能性も拭いきれませんが、パノプティコンを脱出するときに奴は言いました。〈アムブロシアーが無駄になるから控えろと指示した〉と」

「つまりロザリアとアシスタシアがいる限り、アンジェリカは手を出してこないと?」

「そうであってほしいもんだぜ」

 玲那斗の問いにルーカスは返事をした。


 一行が示された道筋の最後の角を曲がり切った時、イベリスが言う。

「見て!私達が入って来た扉よ!」

「あそこを抜ければ庭園、のはずだ!」

 城門を抜けた先に広がる光景。これが罠であるなら抜け出た先に死が待つのかもしれない。

 アムブロシアーの大群の姿が脳裏を掠める。

 安全であるという確信が持てずに言い淀むルーカスであったが、その迷いを掻き消すようにジョシュアが檄を飛ばす。

「迷っている時間はない!罠かどうかは考えずに突っ切るぞ!」

 ジョシュアの言葉によって全員が覚悟を決め、速度を増して扉へと突き進む。

 すると、後方に控えていたアシスタシアが速度を上げて先頭を走るイベリスの前に出た。

「扉を開ける時間も惜しい。私が道を開きますので皆様はどうかそのまま走り抜けてください」


 そう言って例の大鎌を現出させ、扉を薙ぎ払う構えを見せるアシスタシア。

 しかし、彼女が扉に近付くよりも先に巨大な扉は音を立てて解放されていった。

 この先に進め。まるで何者かの意思に沿って進まされているかの如く状況に、誰もが躊躇し、駆ける速度を緩めそうになるが覚悟を決めた以上は迷ってなどいられない。

「さぁ行くぞ!」

 言い聞かせるように、最後の一推しと言わんばかりにジョシュアが言う。


 そうしてついに扉を潜り抜け、一行は再び陽光の指す大地へと足を踏み出した。

 必要最低限の明かりが灯されていた荘厳で妖しげな要塞内とは違い、輝きに満ち溢れた光が照らす中央庭園の眩しさに誰もが目を細める。

 だが、幸いにも大した時間を空けることなく自然の明るさに目を慣らすことが出来た。


 視線の先にアムブロシアーの姿はない。殺気も感じられない。

 神経を研ぎ澄ませ、周囲の状況をアシスタシアは探ったが、危険となるものは何も見当たらなかった。


 外に出て尚、一行は足を止めることなく走る。

 息を切らして走るルーカスが言った。

「周辺に異常無し!ここからの問題は例のラオメドン城壁をどうやって突破するかです」

 赤い霧が立ち込める不気味な門。人間の力では突破不可能な城壁に懸念を示すルーカスであったが、否定するように一方を指差しながら玲那斗が言う。

「それなら気にすることはなさそうだ」

 玲那斗は城壁門付近に停車する1台の車を指している。その車はサンダルフォンから要塞に向かう為に一行が乗って来た機構の輸送車両、FFTMであった。

「FF?誰が?」ジョシュアが怪訝な表情を浮かべながら言う。

 しかし、その疑問はすぐ払拭されることとなる。

 一行が城壁門へ向けて走り続けていると、車輌の後部ドアが開き1人の少女が手を振って全員を手招きした。


「マリー?」イベリスが言う。

「彼女のことだ。俺達の脱出を見越して移動手段をもってきてくれたってところだろうな」イベリスの疑問に玲那斗が言う。

「本当、あの子らしい準備の良さですわね。機構の皆様におかれては、今はあの子に対して疑義もありましょうが“それはそれ、これはこれ”として素直に好意に預かる方が得策かと」

 後方からロザリアが言った。

「元より考えている余裕など無きに等しい。貴女のおっしゃる通り、好意に預からせてもらう気しかありませんとも」

 ジョシュアは言い、全員が行き先をFFTMに定めて走った。


 秋風が吹き抜ける庭園。比較的涼しい機構の中、汗だくになって駆け寄ってくる一行を見て取ったマリアは穏やかな笑みを見せる。

 そうしてFFTMの後部ドアを完全に開放し、乗り込みの邪魔にならないように車内へと身を引っ込めた。


 美しい花々が咲き誇る庭園に目もくれず、真っすぐと乗り込むべき車だけを見据えて走る。ついにゴールへと辿り着いた一行は、開け放たれた後部ドアからなだれ込むように次々とFFTMへと飛び乗った。

 ルーカス、ジョシュア、玲那斗、フロリアンが乗り込み、ロザリアに続いてアシスタシアが最後に乗り込み後部扉を勢いよく閉めた。

 その時、ふと玲那斗が不安げな表情で言う。

「イベリスは?」

 先程まで先頭を走っていたはずの彼女の姿が見えない。

 だが、すぐ傍から甘いキャンディのような香りが広がったかと思うと、どこからともなく彼女の声だけが聞こえた。

「ここよ」玲那斗が周囲を見回す中、彼女はいつものようにすぐ目の前に姿を現して悪戯な笑みを見せながら言う。

「最後だけ楽をさせてもらったわ。飛び乗るという所作はどうにも不慣れなものだから」

「なるほどね」

 全員が車に飛び乗る中、ただ一人だけ光の異能を用いて至近距離に瞬間移動をした彼女の“理由”を聞き玲那斗は納得した。

 ある意味、光速で移動できる彼女が最後の見張り役として外に残るのは正しい判断でもあったのだ。


 全員が乗り込んだFFTMのモーター回転数が一気に上昇する。

 そうして、庭園の芝生にタイヤを滑らせながら勢いよく発進すると、一直線に正門へと目掛けて突き進んだのであった。


 唐突な発進に身体を揺さぶられ、マークתの男性衆が慌てて座席に掴まる。

 すると、退屈そうな表情をしたマリアが未だ呼吸を整えるのに必死な彼らを見やって言った。

「やれやれ、随分と遅い帰還だったね?あまりに退屈で少し待ちくたびれてしまったよ……まぁ良い。全員揃ったところで出発しよう。皆が無事で何よりだ」

 言うタイミングが少し遅いのは彼女の悪戯なのだろうか。

 危うく車内で転がりそうになったルーカスは皮肉めいた口調で言う。

「我が物顔でおっしゃるが、これは機構の車輌です。局長殿」

「承知しているとも。だが国連と協力関係を結んでいる事情から国連の所有物として使わせてもらうこともできるはずだ」

 ルーカスの言いたいことを汲み取りながらも彼を制止し、この場で先に伝えるべきことを伝えるべくジョシュアが言う。

「手助け感謝します、クリスティー局長」

「些か感情に欠ける礼だが、ひとまずは素直に受け取っておくことにしよう。他に君達が私に問いたいことがあるのは重々承知しているが、今はこの要塞、いや、共和国から安全に脱出することが最優先だからね。アザミ、道中頼んだよ」

「承知しております。少々、手荒な運転になることを先にお詫び申し上げます」

 少しばかり状況が呑み込めないといった表情を浮かべるマークתに向かってマリアは言う。

「ここから私達が逃げ延びたから終わりというわけではない。急がなければならない理由がある。その為には市民がうろうろする街中を悠長に走るわけにもいかないからね。道なき道を行かせてもらうよ。車体が負うだろう損傷については君達が後でなんとかしてくれたまえ」


 マリアが言うと、一行が乗ったFFTMは速度をさらに増して正門へと一直線に突っ込んでいった。

 タイヤが芝生の上でさらに空転する音が響く。直後、急加速した車体は今や時速100キロに迫ろうというところだ。

「おいおい、正気か!」

 思わずルーカスが言うがマリアは涼しい顔をして黙ったままである。

 城壁門の巨大な扉は開け放たれたままとなっており、周囲を覆っていたはずの赤い霧も見受けられない。

 こうして時速100キロを超えたFFTMが勢いよく正門を突き抜け、一行はついにアンヘリック・イーリオンからの脱出を果たしたのであった。


 門を抜けてすぐ、マリアが言う。

「さて、アンヘリック・イーリオンから脱したは良いが安心するには到底早い。繰り返しになるが、急いで共和国の領海の外、さらに接続水域外まで退避しないとね」

「追手が来ると?しかし、我々を逃がすと公言し、要塞から見逃したのは対象A自身でありますが」

「あぁ、もちろん。彼女は要塞からの逃走を見逃すとは言ったが、共和国の外への逃走を見逃すとは言わなかったはずだ。すぐに特大の追手が差し向けられる。

 理由は単純明快で、アンジェリカが私達を外に逃がしたのはもちろん“わざと”だ。少し先の未来が視える彼女はある意図をもってそのように仕向けた」

 ジョシュアの疑問にマリアが答える。そこですかさず玲那斗が再度質問をする。

「マリア。この中で唯一、君には彼女と同じ未来が視えているはずだ。どういう状況なのか教えて欲しい」

「構わないが、その前に忠告しておこう。この先、君達は口を開かない方が良い。ここから港まで一直線に向かえるよう、予め準備は整えておいたんだが……ただ、急いでいたからね。獣道を仕立て上げるのがせいぜいといったところで、間違いなく上下左右に激しく揺さぶられることになる。迂闊に口を開けば舌を噛んでしまうかもしれない。それは一大事だ」

 にやりと笑って見せたマリアが玲那斗たちへ視線を向けた途端、FFTMの車内が一瞬だけ無重力になったような感覚に見舞われた。


「まさか……」


 時がゆっくりと過ぎ去るような感覚。

 恐る恐る窓の外に目を向けた玲那斗は状況を把握して座席にしがみついた。かなりの段差からジャンプしたFFTMは文字通り〈空を飛んで〉いる。

 無言のまま、その時が訪れる瞬間に備えて必死に身構えた。

 やがて、車体が打ち付けられるように地面へ着地すると、同時に激しく上下左右に揺れる。

 マークתの男衆は身体が車内で放り投げられないようにあらゆるものにしがみつくのがやっとという有様であった。

「こういうことだ」

 もはや誰も言葉を発しようとはしない。

 彼らが、生きた心地がしないという風にただ黙って小刻みな頷きを見せる中でマリアは楽し気な笑みを見せて言う。

「宜しい。では説明の前にブライアン大尉。喋るなと言った手前申し訳ないが、君の持つヘルメスで大至急サンダルフォンへ伝令を送ってほしい。領海外、接続水域にて停船しているラファエル級フリゲートを今すぐに後退させろとね。理由は後で話す。何も言わずに今すぐ実行したまえ」

 暴れ馬に乗るかの如く大きく右に左へと揺さぶられ、時折段差を飛び越えたと思わしきときに車体が上下に振動を繰り返す。

 ある意味では極限ともいえる状況の中、ジョシュアは言われた通りにヘルメスを取り出してサンダルフォンへ緊急通信を入れた。

「こちら!マークתブライアン大尉!サンダルフォンへ伝令、大至急、接続水域に停船しているラファエル級フリゲートを、後退させよ!繰り返す、大至急、ラファエル級フリゲートを後退させよ!」

 揺れに合わせて言葉を区切りながら、半ば叫ぶように伝令を終えたジョシュアは通信を切断し、睨むように〈これで良いか〉という視線をマリアへ送る。

「結構結構。舌を噛まなくて何よりだ」

 マリアが言うと、ジョシュアのヘルメスにサンダルフォンより返答の接続要求が送られてきた。

『こちらサンダルフォン。伝令を承認。ラファエル級フリゲートの後退を指示した。貴官らの無事を嬉しく思うが、状況を確認したい。マークת、応答せよ。マークת、応答せよ』

 しかし、マリアはこれを無視しろと言わんばかりの眼差しをジョシュアへと向けた。

 そしてジョシュアがヘルメスの通信コールを切断するのを確認してマリアが言う。

「では本題だ。アンジェリカは私達を……いや、正確には君達機構のマークתだけを再度捕えようと考えている。その為の巨大な追手を差し向けてくるという未来は既に確定している。そしてそれは既にアンヘリック・イーリオンから“飛び立った”。

 君達を捕えるという過程において言えば、サンダルフォンが追われることに違いないが、但しあの船が沈められることは決してない。ただし、随伴してきたラファエル級フリゲートに関しては別だ。

 今この場で退避できなければ確実に沈められる。1隻になるか、2隻ともかは不確定要素だ。故に1秒1秒が運命を刻む重要な転換点でね。

 先の返答を聞く限りでは問題なさそうだが……もし仮に、今の段階で退避行動でもたもたしているようであれば彼らは助からない」

 繰り返される振動で喋ることの出来ない男衆に代わってイベリスが問う。

「ラファエル級フリゲート……船に乗る彼らはどうなるのかしら?」

「船の沈没と運命を共にする」

 はっきりと結論を言うマリアにイベリスは厳しい目を向けた。

「私を睨んだところで何が変わるわけでもない。むしろ、これでも絶望的な未来を回避する為に全力で最善策を講じているのだから、その点だけは理解して欲しい。

 イベリス。君がいくら否定したいと思ったところで、これは変えようのない定めだ。私は、私達がアンヘリック・イーリオンへ向かう前にアイリスに特別な指示を出していた。持てる力で共和国内の情報収集と動きを観察して状況を知らせろとね。

 ミクロネシア連邦で君達はその目にしただろうが、今この空にも目には見えない彼女の力による電磁界の幕が広がっている。アイリスが捉えた情報によれば、既にアンヘリック・イーリオン内部から巨大な熱源反応が空中に向けて射出されたことが確認されている。アヤメが私に教えてくれた」

「何かが空にあるという風には見えないけれど」イベリスが言うが、マリアは首を横に振って否定する。

「姿無き者に奇襲された昨夜の話を、もう忘れてしまったわけではないだろう?彼ら共和国にはそれを可能とするだけの技術がある」

 マリアが言うと、後部座席に優雅に腰を掛けるロザリアが口を挟むように言った。

「空中防巡艦アンティゴネですわね。わたくしには仔細分かりかねることですが、彼の船は透明になり、目視や機械による察知、探知が不可能となる装備をもっておられるとかなんとか」

「その通り。未だに要塞尖塔に二輪の天使の輪、エンジェル・ヘイロウが輝いている様子を見るにアンジェリカ本人が要塞から離れたとは考えにくい。であれば向かってくるのはアンジェリカの座上艦である旗艦ネメシス・アドラスティアではなくアンティゴネということになる。

 昨夜はネメシスに追随するだけで何も手出ししてこなかった艦船だが、おそらくネメシスと同等の装備は備えているだろう。要は、その気になれば機構の艦船を沈めるなど造作もない話と言うことだ」

「アンティゴネがラファエル級フリゲートを狙う理由は?」神妙な面持ちでイベリスが問う。

「考え得る理由は2つ。まずひとつが、アンジェリカにとってラファエル級フリゲートは存在そのものが邪魔でしかないということ。サンダルフォンの動きを封じたとしても、その状況を旗艦に代わってセントラルに報告されるのは面倒だからね。

 もうひとつは〈犯した罪による罰〉。だが、これは君ら機構が罪を犯したことによる罰ではない。私も詳しい話までは分からないが、未来視の中で垣間見ていた君達の動きを鑑みるに、君達に対して脱出の手引きをした共和国側の人間がいたはずだ。

 特にアメルハウザー准尉、君には心当たりがあるだろう?

 アンジェリカはその人物に対して、自身に対する忠誠を確かめる意味で取引を持ち掛けた。“機構の艦船を沈めてみせろ”とね」

 マリアが言うと、ルーカスの表情がみるみる険しくなっていった。


 パノプティコンからの脱出の手引き

 忠誠を確かめるという意味

〈Subject A〉


 これらが示し得る人物は想像の中において1人しかいない。

「さすが天才は察しが良いらしい。要塞から発進したとみられる艦船アンティゴネは君達の脱出を手引きした元機構の人物の指揮下にあるとみて間違いない。

 アンジェリカは、その人物の裏切り行為に対し、彼女自身の手によって機構の艦船を撃沈させるという“裁き”を加えようとしている。

 かつての仲間を、大量虐殺しろという暗の命令を添えてね」



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