*3-4-3*

『それじゃぁね~、アディオス^^』

 無邪気で愛らしい声がどこに設置されているのかもわからないスピーカーから鳴り止んだ。

 苦虫を噛み潰したような憮然とした表情でアンジェリカの話を聞き終えたルーカスは溜め息交じりにぼやく

「状況が分かったところで意味は無しか。〈Subject A〉。解析も無意味、脱出の手段は見つからずってな」

「あら、随分と諦めがお早いことで」

 ぼやきに応える声の主に視線を向けてルーカスは言った。

「っで?あんたには何か解決策でもあると?」

「いいえ?何も」

 穏やかな笑みを湛え、堂々と〈無策〉を表明する少女を見やってルーカスは再び溜め息をつく。


 ルーカスが窓も出入り口も、換気口すらない真っ白な部屋で目覚めたのはつい10分ほど前のことであった。

 目覚めた瞬間に周囲に広がる異様な光景に驚きつつも、これがアンジェリカの仕業によってどこかに隔離されたのだと悟り、即座にヘルメスからプロヴィデンスに解析要求を送るなどあらゆる手段を講じて見たものの成果は皆無。

 プロヴィデンスから送られてきた返答は常にこうだ。


【ERROR:code Subject A】


 対象Aが示す意味も理解し、完全に為す術を絶たれたと思ったところで先のアンジェリカの陽気な放送が耳に飛び込んだのである。

 そうしてアンジェリカが愉快そうに話す声を、“なぜか”同室に飛ばされたロザリアと共に聞き終えて今に至る。

 もしかすると、この状況はアンジェリカなりの2人に対する嫌がらせの類なのではないかと考えながら。


「全周囲展望型電子監獄-パノプティコン-。ジェレミー・ベンサムが発案した最大少数の看守によって、最大多数の囚人を監視することの出来る牢獄をモチーフにした代物だな。要は、俺達は常にアンジェリカによって見張られているということになる」

「迂闊な行動を示せば何が起きるか分からない。そういう理解で間違いありませんわね?」

「だろうとも。パノプティコンと言う以上、この壁だって内側からは外部が見えない状態になっているだけで、外部からは内側の様子が見えるような作りになっている可能性が高い」

「では、いずれかの壁を破壊してしまえば外部に辿り着くことも?」

「あんた、さっき自分が言ったことをもう忘れたのか?」

 相も変わらぬ余裕の笑みを浮かべて楽し気に語るロザリアを前に、呆れた様子でルーカスは言った。

「確かにパノプティコンは構造上中央の監視塔に繋がる壁面が必ず1つは存在する。だが壁を壊すにしても、この部屋の四面の壁は全て同一面の正方形型で作られているから“当たり”がどの壁かは分からない。

 山勘で破壊したとして、それが看守のいる方角へ繋がる穴になるかは本当の意味で一か八かってところだ。そもそも、殴って穴が空くとか簡単に破壊できるような脆い作りでもないだろう」

「そうですわね。アルビジアやアシスタシア、アザミ様ならいざ知らず。わたくしめやイベリスの力では物理的な破壊はなかなかに辛いものであるかと。

 耐火構造でしょうし、燃やしたところで壁が無くなるより先に部屋の酸素が尽きてしまうやもしれません。故に残念ながらそちら方面での力添えは出来かねますわ」

「丁寧な解説ありがとさん。でも、だったらどうして壁破壊の話が出てくるんだよ?」

「いえいえ、こういった状況であるからこそ心にゆとりというものが必要であるかと思ったまでのこと。時には無駄とも思えるお喋りも必要ですわ。そう難しい顔ばかりされていては良い智慧も浮かびませんわよ、准尉さん?」


 ロザリアの挑発にも似た言葉を受けてルーカスは頭をかきながら、この部屋に送られて以降最大の溜め息を漏らすのであった。

「ま、確かにそうだな。少し頭を冷やして冷静に考えるとしよう」

 そう言ってルーカスは視線をヘルメスへと落とした。


 ルーカスが見せる不思議な様子にロザリアは戸惑った。

 不快そうな反応を示す割に“実のところは”そうでもない。

 過去視の異能にて、僅かばかり過去の心を動きを読んでみても、先ほどから彼が何一つとして“嘘”の類を発している事実も見受けられない。

 自分と2人だけという状況下について、もっと嫌そうな反応を示すものだとばかり思っていたのだが。それこそ、会話をするのも嫌といったように。

 どうにも気になって思わず疑問が口に出る。

「意外ですわね。貴方のことですから、わたくしと共に閉じ込められたという事実に対して、もっと嫌そうなお顔をされるものだと思っていたのですけれど」

 すると、ルーカスはヘルメスに落としていた視線をロザリアへ向けてはっきりと言った。

「あんた、本気で言っているのか?」

 言葉の意味が汲み取れず、ロザリアはそれまで浮かべていた笑みを潜めて真顔になった。

 ルーカスは落ち着いた様子で言う。

「そうか。直接言ったことは無かったな。勘違いさせてしまっているのかもしれないが、俺はあんたのことが“嫌いなわけではない”。

 ただ、思ったことを素直に口に出さない、或いは出せない。そうやって本音を決して他人に明かさず、〈不可視の薔薇〉なんて呼ばれるような在り方に思うところがあるだけだ。

 立場がそうさせるのか、それ以外の何かがそうさせるのかは知らないが」


 その程度のことは知っている。

 彼の過去、彼の歩んできた人生を知っているからこそ、言われなくても知っている。


 ロザリアは言う。

「わたくしが人の望む答えばかり返すから。求められたものを与えるばかりで本心を決して言わぬ、ある種の“正しさの奴隷”と思われているのは存じております」

「そうか?仮に本当にそうであるなら、今俺が最も望んでいる言葉を返してみたらどうだ?」

 ルーカスの言葉にロザリアは面食らった。


 彼の望む言葉?

 分からない。この状況でどんな言葉を望むというのか。


 いや、待て。

 分からない?自分が?


 千年の長き日々にあって、望まれる答えについてたった1度の間違いすら犯さなかった自分が〈分からない?〉。

 答えに窮すなどということが有り得るのだろうか。

 否、絶対に有り得ない。

 なぜなら、彼がこの場で望む言葉など〈存在しない〉のだから。


 ルーカスはヘルメスに視線を戻し、ホログラムモニターを起動して操作しながら言葉を続ける。

「確かに、あんたと2人だけっていう状況については“よりにもよって”と思ったさ。アンジェリカの嫌がらせじゃないかってな。そう思ったということも読み取っているんだろ?

 でもな、置かれた状況や目の前で起きる現実っていうのは、一旦受け入れて呑み込まなきゃ前に進めないんだ。

 それは科学と同じで、目の前で起きた事象を否定したり皮肉ったりする前に、“確かにそこに存在するもの”、或いは“そのようにあるもの”として受け入れ、〈認めなければならない〉。

 認めた上で、本当のところはどうなのかって仮説に基づいて真実を暴く。人類の歴史って言うものの中で、こと科学についてはこの積み重ねを繰り返すことで叡智を築き上げてきた。

 分かりやすく言うとな、俺達が“置かれた状況を嘆いたところで何も進まない”ってこった」


 この時、ようやくロザリアは理解した。

 先の自分の考えは正しかった。彼が望んでいる言葉は確かに存在しない。

 彼は“自分から与えられる慰みの言葉を待ち望んでいるのではない”からだ。

 彼は慰みを与えられることを待っていたのではなく、自分が異能を用いて状況を解決するのを望んでいたのでもなく、ただただ前に進む為の〈知恵を求めていた〉のである。

 強いて言えば、彼は最初から自分のことを友として迎え入れる心のつもりがあったということだ。

 それを頑なな意思で拒み続けてきたのは他でもない。自分自身であった。


 相手に求められるがままに、欲さんとするものを与えることが当然である。


 これが如何に傲慢であったかを今ようやく理解した。

 彼は自分を疎んでいたのでもなく、敬遠していたのでもなく、嫌悪していたわけでもない。

 神が全てを視通す目と呼ばれるAIと同じであるからというのは、あくまで関係性を示す状況のひとつでしかなかった。

 もし仮に、ルーカスという男が唯一自分のことについて嫌っていたことがあるとすれば、それはこのような〈傲慢さ〉であったのかもしれない。


 本心を明かさぬ不可視の薔薇。

 ただし、彼には自分が本心を明かせぬという事情も汲んで欲しい所ではあるのだが、彼にとってはそのようなこと自体が些事であるのだろう。


 まさか生まれてから千年も経過した今に至って、現代を生きる人間から教えられることがあるなどと。

 ロザリアは自身の至らなさを内心で痛感しつつ、あくまでそれを態度には示さないように詫びも兼ねて言う。

 彼の求めた“知恵”を伝える為に。


「良い報告がいくつか。このパノプティコンと呼ばれる監獄はそこまで広大な規模の施設ではありません。故に、わたくしの感覚によってわたくしと行動を共にしてきた方々の所在はある程度把握することが出来ます」

「本当か?何でも良い、情報を教えてくれ」


 あぁ、そう。これが彼の本音だ。

 自分が態度を改めれば彼はこのように接してくれる。

 千年を生きた異端。異能を操る怪物。総大司教という地位にある触れられざる高貴。

 そうした“特別”を一切考えることなく、〈ただ普通に接してくれる〉。


 何よりも今この場においては、それが心地よいと感じている。


 ロザリアは彼が初めて自分に対して“求めた言葉”を的確に伝えることにした。

「距離にしておよそ80メートル。この館内にアシスタシアの反応はあります。彼女はそも、わたくしが手ずから生み出した人形ですので、どれほど遠く離れていようと存在がある限りはどこにいるのか知覚することが出来ますから。

 それと、そのすぐ近くにフロリアンの生体反応を知覚することも出来ます。彼とあの子が共にいるようですわね」

「でかした!そうであれば、まずフロリアンの無事は担保されたってわけだな。加えて80メートルの距離ということと、このアンヘリック・イーリオンという要塞の規模から考えて、この監獄が要塞にすっぽり収められて存在する代物だとすれば……

 パノプティコンはかつてベンサムによって設計されたものと同様に円筒形、或いはドーム状の作りをした建造物である可能性は高い。

 であるなら、他のみんなとの距離もそこまで大きく離れているわけではないだろう。合流できる希望はある」

 嬉しそうに仮説を並べて言うルーカスを見て、ロザリアは目を丸くした。

 自分に対してこのような表情を彼が見せるなど、つい数分前までは想像すら出来なかったというのに。

 するとルーカスは何かを感じ取ったかのように視線をヘルメスに戻すと、軽く照れ隠しのような咳ばらいをして言う。

「とはいえ、だ。その、あんたがシスター・イントゥルーザの存在を知覚できることは納得いくが、どうしてフロリアンのことまで分かるんだ?」

「彼はミュンスターの地でわたくしたちと常に共に行動をしておりましたので、気配の知覚がしやすいということがひとつ。

 あと、彼はマリアから与えられた守護石、いわばお守りとして黒曜石を身に着けています。

 その石にはあらゆる災厄を跳ね除けるおびただしいまでの念、或いは力が込められていますから、その気配を掴み取ることは非常に容易なのです」

「なるほど。俺の専門外の分野だから感覚的なことしか分からないにせよ、きちんとした理由があってそう言うのなら間違いないんだろう」

「科学で解き明かせない、根拠の乏しいお話も信じられますのね?」

「もちろん。今この場には俺とあんたの2人しかいない。であれば、唯一傍にいるあんたの言葉を“信じる”ことがこの状況下では何よりも大事だって思うだけの話だ。

 ましてや、俺に分からないものを知っていて、それを知覚できるのであれば尚更にな」


 どうしてだろうか。

 彼の言葉ひとつひとつが自身の心に非常に重たく積まれていく。

 それと同時に、どこか安らぎを得るような、やはり心地よいと形容すべき不思議な感覚が心を満たしていくのを感じる。


 ロザリアは一度瞳を閉じ、再び開くと自身の懐に手を入れてあるものを取り出してルーカスへ差し出した。

「気休めかもしれませんが、これを」

 ルーカスは差し出されたものを見やり、不思議そうな面持ちでロザリアへ問う。

「これは……俺に十字架?新手の嫌がらせか?」

 人の好意を何だと思っているのか。彼の言葉を聞き、ロザリアは咳ばらいをしながら言う。

「お守り代わりに懐にでも忍ばせておいてくださいまし。これを持っていれば、万一この場でわたくしと貴方が別々の場所にはぐれてしまったとしても、わたくしには貴方の存在を知覚することができるようになります。理屈は先にお伝えした通りですわ」

 ルーカスは笑いながらいう。

「なるほどね。このタイミングで新手の宗教勧誘かと思ったが、そういうことなら仕方ない。ひとつ断っておくが、受け取ったからといってカトリック教徒になるつもりなんざ毛頭無いからな?」

「結構でございます。神は不信心者にも加護を分け与える時があります。仮に入信される時があるとすれば、そのお守りが貴方の命を救ったときとなるのでしょう。祈りによって神は人を救わない。なぜなら人が神を信じようとするのは決まって“救われた時”であるからです」

「哲学的な話はさておき、そういう時が来ないことを祈るぜ」

 そう言ってルーカスはロザリアから渡された十字架のお守りを懐に忍ばせるのであった。


 その時、ルーカスが手に持つヘルメスがどこかからの信号を受信したという通知を発した。

 すぐに内容を確認してルーカスが呟く。

「ミラクル」

 受信した信号は送り主不明のメッセージとある建築物の設計データであった。


〈Angelic Ilion floor666 [Panopticon] - blueprint〉

(アンヘリック・イーリオン 階層666 パノプティコン設計図)


 メッセージには一見暗号のように見える数字の羅列が並んでいたが、それを一目見てルーカスは言う。

「間違いない。設計図と座標データだ。パノプティコンの設計図を具現化したデータにこの座標を落とし込めば……」


 猛烈な速度でヘルメスへ設計図からのモデリングデータ構成と座標表示の指示を送るルーカスと、それをきょとんとした表情で覗き込むロザリア。

 やがて、ヘルメスは立体化されたパノプティコンの3Dモデリングをホログラム表示し、座標を赤点によって示した。

 座標は3点を示し、1方は〈光の王妃〉と示され、もう1方には〈女性美の極致〉、最後の1方には〈不可視の薔薇〉と示されていた。


「主の御加護、天啓が舞い降りたと言うべきでしょうか」感嘆とした風にロザリアが言う。

「いいや、“信じるものは救われる”を地でいくミラクルだ。神ではなく、人をな。例え救われなくても、俺達は最初からあの子を信じていた」

 送られてきたメッセージの末尾には〈Subject A〉という署名が施されているが、それがアンジェリカを意味する署名でないことにルーカスは思い至っていた。

 共和国の深部を司るメンバーの中で、Aから始まる名を持つ人物はアンジェリカ以外にも存在する。


 ルーカスとロザリアは互いの顔を見合わせ、頷き合いながらこの先の展望が一気に開けたことを内心で喜び合った。


 イベリスとアシスタシアのいる場所は掴めた。

 自分達のいる部屋に2つの赤い点が示されていることから察するに、各座標にある複数の赤点は各部屋にいる人数を示すものだろう。

 イベリスのいるとされる部屋には3点、アシスタシアのいる部屋には2点の光が灯る。

 先のロザリアの言葉を当てはめて考えるなら、アシスタシアの部屋に共にいるのはフロリアンであるから、イベリスと共にいるのはジョシュアと玲那斗であると読み取ることが出来る。


 ルーカスが言う。

「さて、設計図があればこっちのもんだ。この部屋の脱出口を探し当てるのもそう難儀な話ではなくなった。今さらな話だが力を借りるぞ、総大司教様よ」

「言いぐさは気に入りませんが、最大限の助力をすると致しましょう」



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