第3節 -不変なる掟-

*3-3-1*

 アンジェリカに従い歩く一行は、視界の先にアンヘリック・イーリオンの正面玄関へ繋がるとみられる城門を視認した。

 ラオメドン城壁に施されていた紋様と同じ、ネメシスとヒュギエイアの杯が描かれた巨大な門というべき扉は、外部の美しい庭園の一部に溶け込むような佇まいであるものの、それでいて戦略的要塞が持つ独特の仄暗さを示すようにも見える。

 扉の前には二十メートルはあるだろう巨大で豪勢な長い階段が供えられ、入り口に辿り着くためには、まずはその階段を上り切らなくてはならないらしい。


 輝かしい風景からは想像も出来ないほど重苦しい空気が辺りを満たす。

 アンジェリカがイベリスに警告を発した後からここに辿り着くまで、双方共に無言を貫いたままの到着。

 特に話す内容が無いというよりは、互いに睨み合いをしているような状況であるという方が相応しい。

 理想の楽園のように見える庭園と両者の間にある落差の激しい温度差は、この後の“話”にも何か影響を及ぼすのだろうか。

 各々がいよいよ間近に迫った対話の時に思いを馳せる中、アンジェリカがふいに歩みを止める。


 誰かいる。

 一行はアンジェリカへ目を向けると同時に、視界の奥にある階段下で1人の女性が深々と礼をして立ち尽くす様子が見て取った。

 彼女は深々と下げた頭を上げ、アンジェリカを見るなり恍惚の笑みを湛えて言う。

「お帰りなさいませ、アンジェリカ様」

「さっきも同じことを聞いたわよ。でも、そうね。出迎えご苦労様、シルフィー」

「貴女様のお申し付けとあれば何なりと。それより、胸に添えられた可憐なお花。とてもよくお似合いでございます」

「道中、イザベルからもらったのよ。後で花瓶に挿して飾らないと」

「彼女が貴女様に花を差し上げるのだと意気込んでいたのは承知しておりましたが……いえ、実際に身に付けられた姿も素敵でございます。お部屋もますます華やかになりましょう。良きことに存じます」

「育て方を教えたのは貴女ね?」

「さて、何のことか。そのお花は彼女が自身で育てたものにございましょう」

 のらりくらりと世間話に興じるシルフィーを見やり、これ以上話を長引かせる気分ではなかったアンジェリカは話の筋を断ち切って言った。

「彼らのこの先の案内は貴女に任せる。私は先に玉座の間へ上がるわ。後を頼むわね」

「仰せのままに」

 アンジェリカはシルフィーに言い残すと、紫色の煙を解くようにして一瞬でその場から姿を消し去った。

 霧散する彼女の姿を見届けた一行であったが、すぐにある異変に気付く。


 先程までアンジェリカと会話をしていたはずの女性の姿が無い。


 アンジェリカが姿を消すと同時に、シルフィーと呼ばれていた女性の姿がどういうわけか忽然と消失してしまっていたのである。

 異変に気付いたマークתのメンバーが周囲を見渡すが、姿を確認することは出来ない。

 一同が警戒心を強める中、ふいに一行の真後ろから耳にしたばかりの非常に物腰柔らかい女性の声が聞こえてきた。


「どうかなさいましたか?」


 心臓を掴まれたような気がした。

 アンディーンを除く一同が驚いて後ろを振り返ると、そこには階段下でアンジェリカと言葉を交わしていた女性の姿があるではないか。

 膝裏までの長さがある、非常に美しく滑らかなグレーグリーン色の髪と、南国の海を思わせるような淡く透き通るオパールグリーン色の瞳を持つ女性。

 柔らかい所作と穏やかな物腰、その端麗な容姿から放たれる一種独特の気配というものはリナリア公国を祖国とする者達とどこか似たような雰囲気を思わせる。

 少なくとも、ジョシュアやルーカス、玲那斗やフロリアンはそのように感じ取っていた。


 女性は緩やかに、優雅な所作でカーテシーによるお辞儀をすると、その姿勢のまま言う。

「わたくしはシルフィー・オレアド・マックバロンと申します。グラン・エトルアリアス共和国におけるアンジェリカ様の近衛組織、不変なる掟-テミス-の一員にございますれば。そして此度、アンジェリカ様より皆様方を玉座の間へ案内するよう仰せつかり此方へ参上いたしました。以後、お見知りおきを」

 ゆったりとしていて、緊張を蕩かすような甘美さを含む声色でシルフィーは言った。

 彼女の自己紹介について、間を空けずにマリアが問う。

「マックバロンの姓を持つものがアンジェリカの近衛を務めているというのは道理だろうね。そこでひとつ君に問いたい。私達と行動を共にしてきた彼女は、テミスとかいう君達の一員かい?」

 マリアのすぐ傍で、1人要塞玄関へと身体を向けたままのアンディーンは身じろぎひとつせず佇む。

 彼女はシルフィーへ目を向けることも無く、この場にいる誰とも違うことに思いを巡らせているといった様子で真っすぐ城塞へと顔を向けている。

 マークתの視線が各々アンディーンへ向かう中、シルフィーはくすくすと笑いながら言う。

「それはわたくしめの口から申し上げるべき事柄に非ずと申しましょう。貴女様方と行動を共にしていらっしゃる“彼女”へ直接問いを向け、彼女の口から直接語られるべきことかと。ねぇ、“お姉様”?」

 シルフィーは最後の一言についてのみ、声色を低くして蔑むように言う。

 同時に、フロリアンを除くマークתの全員が凍り付いた。


「とはいえ、この場において何を言うでもなく去るのでしょうね。その心の内をアンジェリカ様にどう説明するつもりか。いいえ、いいえ。どのように“弁明”するつもりか見物」

「慎みなさい、シルフィー。私は私の言葉で“アンジェリカ様”にこれまでのことについて報告するまでのこと。貴女には関係のないことよ」

「報告?さて、何の報告にございましょうか。セントラルにおいて、標的を仕留める為の絶好の機会を喪失してしまったこと?憐れ、哀れなお姉様。

 あぁ、あぁ。わたくしならば、もっとうまくやれたでしょうに。頂いた機会をないがしろにしたという事実ひとつも罪である。

 アンジェリカ様がどのように貴女を慮ろうと、わたくしはそれを決して認めない」

「言われなくても、わかっているわよ。ただ、今は貴女とつまらない戯れをするべき時でもないでしょう?彼らを玉座の間へ導くという役目を果たすことに集中なさい」


 アンディーンとシルフィーは互いに視線を交わすことなく、苛烈な感情のぶつけ合いが混じる会話を繰り広げる。

 その言葉を聞きながら、マークתの面々は明確にアンディーンが“共和国側”の人間であると理解して動揺を隠しきれずにいる。

 特に激しい動揺を浮かべているのはルーカスだ。首を横に振りながら、小声で言う。

「アン、教えてくれ。本当のことを全て」

 アンディーンは振り返ることなくただ一言口にする。

「ごめんなさい」

 彼女の言葉を聞いたシルフィーはとても楽し気な笑みをこぼしながら言う。

「実に虚しいものですわね。空虚、空虚に過ぎる。度が過ぎた馴れ合いの果てがこの有様。ですが、まぁ……良いのでしょう」

 シルフィーは口を手元に当て、上品な笑みを湛えながら続ける。

「言葉通り、わたくしがアンジェリカ様より仰せつかったご命令は、〈マークת、及び国際連盟、ヴァチカン教皇庁の使者の方々を玉座の間へご案内すること〉にございます。

 お姉様におかれましては内に含まれておりませんので何卒ご承知おきの上、おひとりで玉座の間へ上がってくださいませ?」

「えぇ、そうさせてもらうわ」

 アンディーンが言うと、やがて彼女の身体は紫色の煙に包まれはじめ、全身を包まれた後に煙が霧散すると、その姿はどこにも見えなくなっていた。

 その様子を見たシルフィーは口を手に当てたまま驚きの表情を浮かべて言う。

「まぁ、アンジェリカ様が手ずからお力を行使なさるだなんて。うらやま……もとい、贅沢なこともあったもの。ただ、その真意は決して良きものではない」

 先程までとは打って変わって不機嫌そうな声色でシルフィーは言ったが、すぐに一行に対して笑みを向け直して言う。

「では、改めまして。皆様を玉座の間へとご案内いたします。さぁ、さぁ。わたくしの後についてきてくださいませ」

 そう言うとシルフィーは一行の間を割って通り抜け、何事もなかったかのようにアンヘリック・イーリオン正面玄関へと続く階段へと歩を進めていくのであった。


 アンディーンは共和国側と繋がりのある人間ではないのか。

 かねてより指摘されていたことではあったが、現実を突きつけられ、アンディーンを失ったルーカスは悲痛の表情を浮かべたままだ。

 様子を見た玲那斗はルーカスの背中を一度叩き、今は前に進めと言う様な合図を送る。

 明確ではないにせよ、彼女が敵対する者であるとマリアから知らされていたフロリアンは彼女へと目配せをするが、マリアはじっとシルフィーの後ろ姿を注視したまま考え事をしているようであった。


 悲痛と悲愴。疑念と思惑。

 あらゆる感情が入り乱れる輪の中で誰もが前に進もうとはしなかった。

 そんな中、足を止めたシルフィーはなかなか後に続こうとしない一行へと振り返って言う。

「罠の類などはございませんのでどうかご安心を。アンジェリカ様より“玉座の間へと連れてくるように”と命じられた以上、わたくしはその命令を忠実に遂行する義務がありますし、皆様へ危害を加えようなどとも思っておりません。さぁ、さぁ、ご安心なさいませ?さぁ」

 甘くゆったりとした口調で誘う様に言うシルフィーにマリアとアザミが応えて歩き出す。

 国連の2人が動き出したのを見て、ようやくマークתとヴァチカンの2人も続いた。

「では、気を取り直して参りましょう」

 にこりと笑って見せてからシルフィーは再びゆったりした所作で歩き出した。



 高さ二十メートルはある神殿のような階段を全員が上り終え、シルフィーが要塞内部へと繋がる巨大な城門扉の前に立つと、自動認証装置のようなものが明滅を始めた。

 間もなく、電子ロック錠が解錠される音が響き、扉がひとりでに開く。

 魔界へ繋がるかの如く大きな口を開いた城塞の内部へシルフィーは歩みを進め、後続も続く。


 アンヘリック・イーリオンへと足を踏み入れた一行は息を呑んだ。

 城塞内部の作り、玄関ホールというべき場所の作りがそれは見事なものであったからだ。

 内部は黒色を基調とした西洋の教会建築群を思わせる重厚な造りで、非常に高いアーチ型のボールト天井に黄金の装飾が散りばめられている。

 床には上等な素材で仕立てられた赤基調に金色の装飾が施された長い絨毯が敷かれ、歩むべき道を示すかのように果てなく奥へ奥へと延びていた。

 両脇には歴史的名画を思わせる絵画が多数並べ飾られてはいるものの、よくよく観察するとそれらはこれまで誰も見たことのない創作画に違いないと思わせる類のものである。


 共和国の誰かが趣味で描いたのだろうか。


 あまりに見事な仕上がりの絵画へ視線を送る一行に気付いたのか、前を見据えたままシルフィーが言う。

「両壁面に飾られる絵画、お気に召されましたか?」

「とても良い作品だと感じます。名の無き画家の描いたものでしょうか」代表してジョシュアが答えた。

「それはそれは。名も無き画家というのも言い得て妙と言いましょうか。敢えて記すほどのものではないといったところにございます」

 彼女の言葉を聞いてロザリアが言う。

「あら、そう謙遜なさることもないのではありませんこと?これらの宗教画に見立てた絵画は全て“貴女”が描かれたものでしょう?」

 ロザリアの言葉に何かを感じたのか、シルフィーは一瞬だけ背後へ視線を送るような仕草を見せながらもすぐに前を見つめ直して言った。

「まぁ、さすがは特別な目をお持ちの総大司教猊下。やはり全てお見通しなのですね」

「モチーフとなっている絵画はフェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ、及びアルフレート・レーテル。特に彼らの代表作である〈ダンテの小舟〉、〈ネメシス〉といった絵画とよく似た構成のものを見てそう思い至りましたわ」

「貴女様が持つとされる奇跡の力を用いることによって、わたくしの心の内に、或いは過去の歴史に何を垣間見られたかは存じ上げませぬが、そのことと絵画の作者を即時に結び付けて答えを帰結させるお力。見事と申し伝えましょう」

 会話する2人の言葉を聞きながら、ルーカスはロザリアへと視線を向ける。

 彼女の声が普段の穏やかさとはまったく別の、強いて言えば怒りのようなものを含んでいるように感じられたからだ。

 ロザリアが言う。

「飾られている絵画の元になっているもの。それは先に申し上げた2名の芸術家による作品群。ダンテの小舟、リエージュ司祭の暗殺、民衆を導く自由の女神、ネメシス、1848年革命、さらには“死の舞踏”と呼ばれる名画。これらから想起したのはこの数年の間に起きた事件との類似性」

「それが、どうかなさいましたか?」

 ロザリアの物言いに対して、シルフィーは非常に愉快であるといった声色で言う。

「事件の垣間見せる趣向に芸術家の作品が絡んでいたという例では特に、ドイツミュンスターで巻き起こったウェストファリアの亡霊事件が挙げられるでしょう。あの事件ではジャック・カロの食刻作品群『戦争の惨禍』が一連の流れに大きな意味を持たされていた。

 察するに、このような趣向を以てアンジェリカに過去の事件の計画について進言を行った人物、それが貴女ではありませんの?」

 ロザリアが言い終えるとシルフィーはふわりと後ろを振り返り、にこやかな笑みを湛えてたった一言を返す。


「さぁ?」


 アンジェリカの起こした事件のそもそもの企てが彼女によるものであるという仮説。

 これまで各地で繰り広げられた悪辣な事件の数々の根幹にアンジェリカ以外の人物の趣向が織り交ぜられていた可能性。

 そしてその人物が今自分達の目の前にいる。話を聞いた一同は、自分達の目の前に佇み天使のような笑みを湛えるシルフィーという女性に対する警戒を一層強めた。

 空気を察したようにシルフィーは言う。

「あらあら、そのような目で見られるのは心外にございます。わたくしはただ、アンジェリカ様のお役に立てればと思い計画を耳打ちしたまでのこと。全ては、あのお方に楽しんで頂く為の“戯れ”に過ぎません」

 この瞬間、一行はシルフィーという人物の本質が如何様なものであるのかを悟った。

「戯れだって?罪のない多くの人を殺しておいてよくも……!」

 なぜロザリアは怒りを含んだ口調で彼女に言葉で詰め寄ったのか。彼女がシルフィーに問い詰めたかった意図を察したルーカスは、声を荒げることの出来ない彼女の代わりというように言った。

 しかし、シルフィーはまったく意に介するそぶりも見せず、軽くあしらう様に言う。

「そう熱くならないでくださいませ?ここがどこであるかお忘れなきよう。ここはアンヘリック・イーリオン。アンジェリカ様の意思によって全てが自在と化す魔城塞。

 わたくしはともかく、アンジェリカ様の機嫌を損ねられるような振る舞いをなされば、わたくしに下る指示に何かしら変化が生じるかもしれません。

 それと、今のお話は何もかもが過ぎ去りし日の出来事です。今、ここでこうして初めてお会いした皆様方と、異国の地において“過ぎてしまったこと”をお話するというのは些か味気ないものであると存じます。ほら、趣味の異なる御仁と芸術鑑賞をしても話は盛り上がらないでしょう?」

 くすくすと笑いながら言うシルフィーに対し、ルーカスは奥歯を噛み締めるが感情を押し殺して耐えた。

 その状況を楽しみながらシルフィーは続ける。

「正義感に溢れるのは悪いことではないでしょう。ですが、立つ瀬が異なれば思いも異なり、当然考える正義も異なります。単にわたくし共と貴方がたとでは共有する“価値観が違う”というだけのこと。

 そのことについて滾る思いがお有りなら、後ほど玉座の間にてアンジェリカ様へ直接意思をお伝えくださいませ。それが貴方がたの“未来の有無”を決定づけることになりましょう」

「どういう意味だ?」

 シルフィーの思わせぶりな言動に対し、熱くなりかけているルーカスに代わって玲那斗が言う。

 だが、ここでも彼女はふわりふわりとした様子で話しをはぐらかすようにただ一言、くすくすと笑いながら言うのであった。


「さぁ?」


 一同の表情が険しさを増す中、ただ1人シルフィーは状況を楽しみながら、笑みを絶やすことなく微笑み続ける。

 両者の間に重苦しい空気が流れていく中、シルフィーがふと右手を上げてみせた。


 何かするつもりか。


 一行が身構えたが、シルフィーはそれを嘲笑うかのように人差し指で東側の方角を示し、にこりと笑ってみせて言う。

「こちらに参りましょう。玉座の間へ至るには専用の道筋を辿る必要がございますが、この先に玉座の間へと繋がる直通のエレベーター式移動ゲートが用意してあります。そちらを利用すれば時間と労力をかけずに移動できますので」

 思わせぶりな態度を見せつけて、全員をからかうように言うシルフィーに対して、ここまで口を閉ざしていたマリアが言った。

「そうか。それほど長い距離ではないとはいえ、長旅の後の徒歩移動で疲れていたところだ。ひとりでに運んでくれる代物があるのなら有り難い。案内を続けてくれたまえ」

「承知しております。さぁ、さぁ、こちらへどうぞ。さぁ……うふふふ」

 シルフィーはじっとマリアを見据えながら言うと、微笑みながら視線を逸らし東側通路に向き直る。そうして再び歩みを進めた。


 後ろに続く一行は、先ほどの煮え切らない話に思いを巡らせながら彼女に対する警戒をますます強める。

 これまでの事件全ての首謀がアンジェリカのみならず、彼女の発案によるものであった可能性。

 ロザリアが彼女の心の内に秘めた過去の記憶を読み取った上でそのように断言するのであれば、それは間違いのない“真実”である。

 端麗な容姿や優雅で穏やかな所作や物腰に惑わされてはならない。

 おそらく目の前を歩く彼女は、アンジェリカに負けず劣らずの冷酷な策士であるのだろう。ともすれば、アンジェリカ以上の冷徹さを持ち合わせている可能性すらある。


 そんな彼女は“罠など無い”と言ったが、どこまでが真実かも疑わしい。

 なぜなら、それはあくまで〈アンジェリカと対話を終えるまで〉に限った話であるからだ。加えて彼女の言った通り、道中でアンジェリカの機嫌を損ねる問題でも生じればその“限り”も覆されるかもしれない。

 いずれにせよ、彼女達がこれまでただの一度たりとも話を終えた“その後”について言及をしていないことは忘れるべきではないだろう。


 対話の後に脱出できない可能性。


 そうした不穏な空気を感じ取った玲那斗とルーカスは、それとなく互いにヘルメスを用いて周囲の状況を観察しながら歩みを進め、要塞内の情報を逐一記録することに努めた。



 広大な要塞の通路における東側通路の中腹まで歩いていくと、そこには何やら厳重なセキュリティが施されているとみられる物々しい扉が姿を現した。

 扉の両脇には剣を構えたネメシスの彫像が対になるように並べられており、扉への進入を阻むかの如く構えた剣を交差させている。

 交差された剣の前に立ちシルフィーが言う。

「この扉の向こうに、玉座の間へと繋がる専用のエレベーターがございます。普段は使用することもありませんが、滅多にない客人をもてなす本日は特別です。たった一度限りの機会やもしれませんし、どうぞゆっくりご堪能くださいませ」

 尚も余裕の笑みを浮かべて彼女が言うと、彼女の姿を彫像が他のセキュリティ装置が自動認識したのか、無機質なロック解除の電子音と共に交差された剣が即座に両脇へと退けられ、扉が開き奥へと連なる道が露わとなった。

「では、参りましょうか」

 だが、中に向かって行こうとするシルフィーを呼び止めるようにマリアが言う。

「ひとつ良いかい?」

「はい?何なりと。わたくしめにお答えできることであれば、如何なことでもお答えしましょう」

 マリアは赤い瞳でじっと彼女を見据えて言う。

「先ほど君は“たった一度限りの機会”と言ったが、例えば玉座の間から外に出る際は別の通路か何かがあるのかい?珍しいものだから、ぜひとも往復の帰路についても乗ってみたいと思ったのだけれど」

 濁してはいるが、質問の意図は明確だ。

 マークתの一行も、ヴァチカンの2人もその趣旨に気付いていた。

 しかし、ここでもシルフィーから返ってきた答えはその場に集う者が期待するものでは有り得なかった。

 彼女はやはりただ一言、こう言ったのである。


「さぁ?」


 くすくすと笑いながらシルフィーは奥の通路へと入っていく。

 後を追わなければここで立ち往生することは必至だろうが、かといってついて行けばここにいる全員に“帰路が存在しない”こととなるのも明白であった。


 まさに地獄への片道切符。


 冥界の奥へと入り込めば、再び太陽の光を浴びることなど有り得ないのと同じで、この入口の向こうはまさしく地獄の門そのものであるのだ。

 だが、ここまで来た以上はもはや選択の余地など残されてはいない。

 マリアとアザミを筆頭にネメシスの彫像脇を通り抜けると、マークתが直後に続き、ロザリアとアシスタシアが殿を務める体制で冥界の門をくぐり抜けたのであった。



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