*3-2-2*
『こちらアンヘリック・イーリオン中央管制。艦隊旗艦ネメシス・アドラスティアへ伝達。座標軸フォックストロットまで進行後、船体制御をマニュアルからオートへ変更せよ。以後はこちらより誘導します』
「管制伝達を承認。ネメシス・アドラスティアの船体制御をオートコントロールへ移行準備。シグナル承認。システムクリア。座標軸フォックストロット到達まで、あと20秒です」
兵士達のやり取りを聞きながらアンジェリカはるんるんとした気分で気持ち良く鼻唄を歌う。
ブリッジから見えるのは巨大なアンヘリック・イーリオンの姿と、冥界へと繋がるかの如く大きく口を開いた艦隊ドックへのゲート入り口である。
管制とのやり取りの直後、道筋を示すようにホログラフィックビーコンが展開され、光の軌道が空に描かれている。
帰って来た。
勝利の凱旋。
美酒に酔いしれるとはこのことなのだろう。
特に意識をしていないにも関わらず、表情には笑みが浮かび、自然と喜びの歌が口から出てくる。
刻限の20秒を過ぎ、中央管制から再び通信が入る。
『座標軸フォックストロット到達。航行システム、オートへの移行を確認。ネメシス・アドラスティア機関出力を40パーセントへ設定。メインスラスターの出力を補助バーニアへ。外部防御兵装アイギス-ミラージュ・クリスタル-格納』
淡々と必要事項の確認をする兵士であったが、彼は最後に一言ほど自分達を導く“神”に対する出迎えの挨拶を添えた。
『お帰りなさいませ、アンジェリカ様。凱歌を共に』
思いがけなかったわけではないが、そのように言われたことが妙に慣れなくて戸惑う。
凱歌。それは戦勝を祝う喜びの歌。敗北続きの自分達にはとんと縁の無かったもの。
「そうね、ありがとう。貴方たちも留守の間ご苦労だったわね」
『労いの言葉などもったいなく存じます。我らに出来たことはただ与えられた監視任務を継続し、貴女様の無事を祈ることだけでしたから』
「違いないけれど、そうね。でも、こういうのも存外に良いものだと思うわ」
『は?今何と?』
今、自分は何を言ったのか。アンジェリカは意識なく小声で囁き漏らした言葉にはっとしながら、態度を改めてすぐに指揮を執る。
「何でもないわ。それより、客人をもてなす用意をするわよ。ネメシス・アドラスティアとアンティゴネ収容後、アンヘリック・イーリオンは防御機構の出力を上げておきなさい。ハーデスの兜も解除しているのだから、もはや消費電力を気にすることは無いわ」
『承知しました。長きに渡るアンジェリカ様のご負担がついに無くなったこと、心より喜びを』
「好きでやっていたことだもの。気にしないわよ。あと、シルフィーには急ぎ玉座の間へ来るよう再度伝えなさい」
『は、シルフィー様は既に玉座の間にて貴女様のお帰りを待ち侘びているご様子です。ただ、アビガイル様の姿は見えません。おそらくは研究室に籠り切りかと』
「呼んでも来ないのはいつものことじゃない。気が向いたら来るでしょうから放っておきましょう」
『宜しいので?』
「あの子はきっと自らの意思でやってくるわ。私の予感がそう告げているから」
『失礼いたしました。では、艦収容後は急ぎ整備を行います。見た所、バイデントの砲身に若干のメンテナンスが必要と見受けられますので』
未来視の異能を持つアンジェリカに過ぎた口を利いたと感じた兵士は詫びを入れた上で自らのすべきことを申告する。
「誰にとは言わないけれど、よく似て律儀ね。宜しく頼むわ」
『全ては、アンジェリカ様の御心のままに』
兵士はそう言って通信を切った。
ホログラフィックビーコンの示す光の道筋に沿って、ネメシス・アドラスティアとアンティゴネは巨大な冥界の口へと降り立っていく。
下向きにスラスターが白色の火を噴射する度に船体に心地よい振動が伝わる。姿勢制御用のバーニアが奏でる音がまるでリズムを刻むかのような心地よささえ感じさせた。
太陽照らす上空からドックへ艦が下降する中、すぐ傍でリカルドが言う。
「アンジェリカ様。長旅お疲れ様でした」
「やっぱり、律儀なものね。疲れているのは貴方の方でしょうに」先の会話の流れを継ぐようにアンジェリカは言った。
「心地よい疲れにございます。して、この先はいよいよ機構と国連、ヴァチカンを交えた交渉となりますが如何な話をなさるおつもりで?」
「特に何も考えていないわよ?“交渉”をするつもりがないのだから当然でしょう」
「は?」
リカルドは鳩が豆鉄砲を食らったよう表情を浮かべてアンジェリカを見た。
「ふふふふふふ。貴方でもそんな顔をするのね?リカルド」
「いえ、申し訳ございません。少し肩に力が入っていたようです。飼い犬に成り下がった機構はともかく、国連とヴァチカンとの対話となれば相応に難儀する議題が上るのではと考えておりましたが故」
「あくまで主導権は私達の手の内。握られた命運とやらをそのまま握り潰すも良し、快楽の為に弄ぶも良し。結局のところ答えは既に決まっていて、あとは面白いかどうかが大事といったところね。このことに関しては私ではなく、“この子がどうしたいのか”が何よりも大事なのだから」
アンジェリーナではなくアンジェリカの考えに添うという意思。リカルドは彼女の言葉を聞きふと思う。
自分達を律儀であると彼女は言うが、本当に大事な部分で何よりも彼女のことを慈しみ大切に想うアンジェリーナの意思と行いも実に律儀なものであると。
そうだ。自分達がこのようにあり続けられるのは、自身が仕える主君の在り方がまさしく“そうであるから”ということにきっと彼女は気付いていない。
リカルドが物思いに耽っていると唐突に兵士から報告が入る。
『ご歓談中失礼いたします。玉座の間より通信です。コードはシルフィー様のものですが、いかがなさいますか?』
「まったくせわしない。もうすぐ直接その場に行くのだから少しくらい待てないものなのかしら?」
「ははは、実に彼女らしいではありませぬか。それほどまでに貴女様にお会いするのを待ち侘びているということでしょう」
「1日よ?たった1日そこにいなかっただけで大げさにもほどがある。まぁ良いわ……繋いでちょうだい」
半ば呆れた様子で言うアンジェリカの指示の元、玉座の間からの通信が受け入れられる。
間もなく、艦のモニターには深々と頭を下げるシルフィーの姿が映し出された。
『お帰りなさいませ、お帰りなさいませ、アンジェリカ様。麗しき我らの主君。喜ばしき凱旋に花を添える為に、凱歌を歌いましょう』
そう言うとシルフィーは頭を上げ、蕩けたような恍惚の笑みを浮かべてアンジェリカに視線を向けた。
「後で良いわよ。というより後でいくらでも聞いてあげるわ。ところで何か用?もうすぐそこに行くのだから待っていれば良かったのに」
『あぁ、そのように冷たくあしらわれるとますますもって昂ってしまいます。たかが1日、されど1日。かの有名な聖書の言葉にも次のように記されております。“一日は千年のようであり、千年もまた一日のようである”と』
「その言葉は間もなくそこを訪れる亡国の王妃にでも言って差し上げなさい。もちろん皮肉としてね?もとい。それより何か他に伝えたいことがあるのではなくて?」
『これはわたくしめの予感に過ぎませぬが、ここへ訪れる彼らの中に2人程欠ける人物がございます』
「アイリスとアルビジアでしょう?それは想定の内。マリア達が不在の間にサンダルフォンに何かあっては困るからという意図もあるのでしょうけれど、それよりもアイリスの不在は別の意図をもっているものだと思っているわ。で、それがどうかしたのかしら?」
『はい。おっしゃる通りにございますが、その“意図”というものがわたくしは気掛かりなのです』
「出来ることなどたかが知れたものでしょう。気にする必要はないと思うけれど」
『承知いたしました。差し出がましい進言となったご無礼をお許しくださいませ』
「ただ、そうね。貴女が気掛かりというのなら相応の何かがあるのでしょうから、ひとつ保険程度の用意をするくらいは認めてあげましょう。貴女の思うようになさいな」
『ありがとうございます。それでは、貴女様がお戻りになるまでに少々』
「任せたわよ」
アンジェリカは薄目を開けるスナギツネのような表情のままそう言うと一方的に通信を切った。
「意図、と申しますと?」どうにも会話が呑み込めずにいるリカルドが言う。
「単純なこと。マリア達がここでお話に興じている間に、あの子が自らの力を用いて共和国のシステムに干渉でもかけるつもりではないかということでしょう。或いはそれとなく共和国の“仕組み”がどうなっているのかを探るかといったところね」
「そのようなことが可能なのでしょうか?」
「ミクロネシアの地であの子が何をしでかしたかを思い出してごらんなさい。あの子は島を丸ごと電磁界で包み込んで、ありとあらゆる事象を思い通りに出来るよう仕向けようとしていた。結局、マルティムの拠点を潰すという1点のみでしか有効活用していなかったみたいだけれど、いざとなればそれ以外の応用も幅広くできるのでしょう」
「なるほど。船に残って1人悠々自適とこの島の調査をすると」
「シルフィーがしようとしていることは、憶測でしかないけれど“そこで嘘の情報を掴むように仕向ける”といったことでしょうね。何をするかは知らないけれど、任せておけば良いわ。未来を読み取る力を持っているわけでもないのに、末恐ろしい先読みの力を発揮する子。シルフィーなら安心でしょう?」
「は、確かに。時折思うのです。私よりよほど作戦指揮に向いているタイプではないかと」
「断固拒否するわ。あの子に補佐官などやらせてみなさい。“私の心労が増える”に決まってる」
「違いありませぬな」
アンジェリカの冗談とも本音とも分からぬ物言いにリカルドは笑った。
シルフィーについてアンジェリカとリカルドが話す最中、兵士が言う。
「間もなく、ネメシス・アドラスティア着陸します。必要無いとは思いますが、念のため耐衝撃用意を」
いつの間にか、ブリッジを照らしていた太陽の光は遥か後方に去っている。
暗いゲートを通り抜け、ネメシス・アドラスティアはついに要塞内部にある収容ドックへと到達した。
メインスラスターの光が消え、姿勢制御バーニアが艦の最終着陸の衝撃を消すために噴射を続けている。
やがて揚力を放棄した艦はドックの指定箇所へと着陸を果たすのだった。
漆黒が満たすドックに徐々に光が灯る。
巨大な艦艇工廠の中でネメシス・アドラスティアとアンティゴネの堂々たる姿が露わとなり、整備のために集まった者達がそれを見て盛大に手を振っている様が見える。
艦隊の帰還は即ち勝利の報告。彼らが見せるのは紛うことなく凱旋を喜ぶ姿だ。
「随分と賑やかなものね。アメリカ、イギリス、フランスの艦隊を迎撃したときはこんな風ではなかったと思うのだけれど?」
「あの時は海上戦力とカローンしか投入しておりませんが故。今回とは事情が異なります。何せ、此度の戦はアンジェリカ様自らが出陣なされたものだったのですから」
「そう、みんな私の為に喜んでくれているというのね」
図体と顔に似合わぬ柔らかな笑みを湛えるリカルドを他所に、どことなく寂しげな表情を浮かべて憂いを見せるアンジェリカ。
リカルドは彼女を見て、そのことが何を意味するのかを悟り表情を改めた。
「では、彼らを迎える準備を致しましょう」
そう言って一息入れたリカルドは目の前の兵士達に言う。
「整備と補給については貴官らに委ねる。次にいつ発進の指示が下っても良いように、準備を整えておけ」
「承知いたしました」
艦の制御システムをチェックしている兵士以外が全員立ち上がり、アンジェリカとリカルドに向かって敬礼をした。
アンジェリカは艦長席から静かに立ち上がると、ローブにもマントにも見える生地を翻すと踵を返して出口へと向けて歩き出す。
そうして数歩進んだところでふと歩みを止めて言った。
「私は先に玉座の間へ戻る。もたもたしていると、戻った時にあの子にまた何を言われるか分からないもの。リカルド、彼らが玉座の間に訪れるまでまだ半刻はかかるはずだから、貴方は貴方のすべきことをしてからの帰還で構わないわ」
アンジェリカはそう言い残すと赤紫色の煙を解くようにして一瞬でその場から姿を消すのであった。
もはや彼女に届かない言葉となったが、それでもリカルドは深々と頭を下げて言う。
「全て、貴女の仰せのままに」
こうしてアンヘリック・イーリオンへアンジェリカは帰還を果たす。
数百年にも渡り秘匿された城塞の威容が世界に示されたことにより、アンジェリカは要塞隠匿の為に割いてきた力の全てを取り戻したのである。
そしてこの瞬間、要塞アンヘリック・イーリオンの上空にはこれまでには無かった“とある変化”がもたらされていた。
数百メートルという規模の高さを誇る城塞尖塔の先、さらに上空。
澄み渡る、青空が広がる先には巨大な2つの光輪が出現していた。
エンジェル・ヘイロゥ〈天使の輪〉を思わせるような美しく輝く金色の光輪は、絡み合う様に2つ共垂直に交わり、やや斜めの角度を維持したまま非常にゆっくりとした速度で回転を始める。
幻想的で、見惚れるほどに美しい光景。
アンジェリカとアンジェリーナという2人の天使が、城塞に帰還したことを世界に知らしめるかのような景色を、大気へと映し出したのであった。
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