*3-1-3*

「だから!同じことを何度も言わせるな。自己保身のことしか頭にない連中なんて〇〇くらえだ!許可が下りなくても構わない。現場の判断の責任は僕が持つ。

 そもそも有事の際、彼らに何が出来るかなんて最初から期待もしちゃいなかった。この期に及んで壊れたレコード盤のように“壊れていないものを直すな”と繰り返すだけの、今まさに壊れようとしている奴らの戯言だよ。耳を傾ける必要はない。

 話をするには人を選ばなくてはならない時がある。貴族院のチャールズにかけあってみてくれ。彼は信用できるし、話の通じる男だ」


 午前8時過ぎ。

 セントラル1の航空ゲートを颯爽と歩く青年はスマートデバイスを片手に慌ただし気な言葉の応酬を繰り広げている。

「それより、重要なのはこの後のことだ。機構の艦船が間もなく共和国へ到着するのだろう?衛星の情報から絶対に目を離すな。動きを注視しておくように。彼らに万一のことでもあってみろ。大げさでもなんでもなく、それが即ち世界の終わりを意味することになる」

 ヴィリジアンの瞳に力のある光を湛え、足早に航空格納庫を抜けた青年と、その後ろを歩く1人の若い女性。

 非常に上品さを感じさせる佇まいの2人は歩調を緩めることなく猛然とセントラル内の通路を突き進む。

「言った通り、今は処理の手順なんて無視して良い。手続きと呼ばれるもの全て後回しで良いんだ。この件に財団の資金のほとんどを注いだって構わないし、繰り返すが何かあれば全て僕の責任にすれば良い。彼らに最大の援助を手向けられるようすぐに手配を。

 ……何?いや、ドイツとイタリアには既に通達がいっているはずだ。英国とフランス同様、昨夜の一件でアメリカが動けないのは自明だが、まだ戦火を交えていない欧州諸国なら可能性がある。それと、残るはスペインだ。何としても協力を取り付けてくれ。くれぐれも頼むぞ」

 青年は手早く通話を切り、デバイスをジャケットの胸ポケットへと押し込んだ。

 心配そうな面持ちで傍を歩く女性が声を掛ける。

「どう?うまくいきそうなの?」

 光が反射すると淡く水色に輝くホワイトアッシュの髪色に、美しいブルーの瞳を持つ彼女は募る不安を隠し切れないという様子だ。

「何度確認しても変わらず、遺憾ながらうちの政府は内政を抑えるのに手一杯で動けそうにない。数週間前の傷跡が想像以上に深いみたいでね。庶民院は紛糾し、貴族院からも有効な手向けが出来ないときた。

 チャールズにかけあってみるよう言ってはみたものの。どこまで対応できるやら。

 フランスも傷跡が大きすぎて駄目だ。残るドイツ、イタリア、スペインに協力を仰いだが、何分時間がない。どうなるかは神のみぞ知るといったところだよ」

「そう。やはり芳しくはないのね」

「ただ、悲観ばかりすることもない。ポーランドやオーストリアといった周辺諸国の協力も取り付けられそうなんだ。共和国は見せしめの意味合いを込めて、まずは国連安保理常任理事国を集中的に叩いたとみている。だから“以外の国”に傷が無いのさ。そこで皆が手を取り合ってひとつにまとまろうという機運がある。希望を捨てちゃいけない」

「イベリスの受け売りかしら?」

「そうかもしれない」

 青年は真っすぐな眼差しで希望を語った。


 途中で出会う機構の隊員達が礼儀正しく敬礼をしてくれるが、そのほとんどに返す暇は無かった。

 彼らにろくな挨拶も出来ずに通り過ぎることを内心で申し訳ないと思いつつ、しかし歩む速度は一切緩めない。彼の後ろを歩く女性もぴったりと続く。

 セントラルの開けた通路から、そのまま中央管制が設置された棟内へ足を踏み入れた2人は、緊急で協議の約束を取り付けた人物の元へと急いだ。


 セルフェイス財団の当主、ラーニー・セルフェイスとその妻、シャーロットは間もなく機構の総監であるレオナルドと昨夜の出来事も踏まえた協議を行う予定となっている。

 アメリカが誇る第7艦隊所属 第8空母打撃群の艦隊が全滅したという知らせをラーニー達が聞きつけたのは午前4時頃のことだった。

 艦隊全滅から核の光に関する話も含め、部下達から“何が起きたのかまるで何も分からない”という報告を聞けば聞くほどに、それが何を意味しているのかがラーニーには理解出来た。


 間違いない。アンジェリカの仕業だ。


 確信があった。

 状況不明というままに、世界最強と名高い大艦隊を僅かな時間で全滅させられる戦力を保持する国家など現状1か国しか存在しない。

 それこそがグラン・エトルアリアス共和国であり、その国家の裏で糸をひくアンジェリカの存在である。

 グラン・エトルアリアス共和国とアンジェリカが裏で繋がりを持っているという事実は、4月に機構の介入によって解決を見たCGP637-GGの事件の後日調査で知ることとなった。

 彼女が口走った薬品の旧式名の一部〈GE〉という部分が製造国の名称であるという話がどうにも引っかかって独自調査を行った結果、それが〈グラン・エトルアリアス共和国〉を示すものだと突き止めたのだ。

 アンジェリカと共和国が繋がりを持っているという事実が分かれば、あの狂気じみた薬品の生成がどのように行われていたのかであったり、またミクロネシア連邦などの国家規模での事件がどのように引き起こされたのかを推察することは容易である。

 そして深夜の事件。国連軍が手配したと言われる大規模艦体の消失が彼ら共和国とアンジェリカによるものであれば、彼らが次に目を向ける相手は間違いなく1つ。


 早々に眠気など瞬時に吹き飛んだ。

 報告を受けたラーニーはベッドから飛び起き、既に共和国へと向けて出航したという情報を掴んでいた機構の艦船を護衛出来得る戦力の確保を急いだというわけだ。

 アメリカと同様、英国とフランスには自国防衛が手一杯で他組織の護衛へ回せるような残存戦力の余裕などは無い。

 そこで、現状はほとんど被害を受けていないドイツ、イタリア、スペインをはじめとする欧州諸国の政府に対し、独自ルートで交渉を行っている最中である。

 機構から出港した艦船にはマークתのメンバーが乗船しているという情報も既に掴んでいる。

 彼らが乗船した理由も、相手がアンジェリカであるからということで疑う余地はないだろう。

 イベリス、アルビジアといった異能を持つ少女達はアンジェリカに対する切り札的な存在だ。4月の事件において、目の前で彼女達の力を見せつけられたからこそ分かる実感。

 彼女達の力が失われてしまえば、もはや世界は共和国、ひいてはアンジェリカに対する対抗手段を永遠に失ってしまう。

 何としてでも絶対に回避しなければならない。

 財団の力全てを投入して彼らを守り抜くという決意はこうした理由によるものであった。


 このような経緯を経た明け方、機構の総監であるレオナルドに対し、財団が持つ独自ルートから直接連絡を取って思いを伝えた所、彼から話がしたいのでセントラル1へ来てほしいという申し出を受けたのだ。

 各国政府への働きかけを行いつつ、どのような対策を講じるべきか。

 糸口すら掴めないが、前に進むしかない。

 その協議をすべくここに来た。


 4月のあの日、あの時。マークתとアルビジアに命を救ってもらった恩を返すために。



『玲那斗、イベリスさん。マークתの皆さん、どうかご無事で』


 ラーニーは祈るような思いを抱きながら自身の役目を果たすために歩みを進めた。

 そして財団の2人は入り組んだ通路の先にある、とある部屋の扉の前へと辿り着いた。

 本来であれば機構の隊員の案内でも無ければ単独で訪れることなど叶うはずのない場所。


 総監執務室の扉の前に立ったラーニーは3度ほどノックをする。

 するとすぐに部屋のロックが解除される音が聞こえ、続けて老将というに相応しい威厳をもつ声がスピーカーから聞こえてきた。


『遠方より、よく訪ねてくださった。扉は開いている。どうぞ中へ』


 物腰は丁寧ではあるが、機構という巨大組織をまとめる大人物の肩書に恥じぬ貫禄のある声であった。

 ラーニーは扉に手を掛けて開くと足早に室内へと立ち入った。シャーロットも後へ続く。


「失礼いたします。英国 セルフェイス財団より参りました、当主ラーニー・セルフェイスと妻、シャーロット・セルフェイスです」

 窓の外の景色を眺めていたレオナルドは振り返り、2人の姿を視界に捉えて言う。

「世界特殊事象研究機構 総監レオナルド・ヴァレンティーノだ。我々の仲間の為にと、遠方より協議の為に駆けつけてくれたことを改めて感謝申し上げたい。席はこちらに用意している。どうぞ掛けてくれたまえ」

 促されるがままにラーニーとシャーロットは示されたテーブルへと歩み寄り、ソファへと静かに腰を下ろした。

 続いてレオナルドも対面へ腰を下ろし、一息ついて言う。

「君達の話はマークתから聞いている。イングランドでの一件を通じて、特に姫埜中尉とイグレシアス隊員とは懇意のようだね」

「はい。僕達は彼らに命を助けられました。貴方がたが対象Aと呼ぶ存在に危うく殺されそうであったところを、救って頂いたのです。さらに、貴方について言えば事件後の報告において財団をどのように処分することも出来たというのに、結局“何もしない”ということを決めてくださった。

 今ここで僕達がこうして座っていられるのも、全ては機構のおかげなのです。感謝してもしきれません。

 だからこそ、今度は僕達が貴方がた機構の力になりたい。今が恩返しの時だと考えています」 

「ふむ、そうか。有り難い話だな。人と人の繋がりが道を示すとはよく言う。

 君達も知っての通り、我々が置かれた状況は非常に困難なものとなっている。だが、ここで私が言う我々とはつまり“世界情勢そのもの”を指す。

 事態の解決を図るために国際連盟と協力関係を結び、事に当たろうとしたのが昨日のことだが、僅か1日の間に随分と苦しい状況に追い込まれてしまった」

「承知しています。我々財団は、貴方がた機構の艦船が共和国によって被害を受けぬよう、出来る限りの準備を整えている最中です。とはいえ、既に危機的状況にある中をうまく潜り抜けた後に援護できるかどうかという話になってしまいますが」

「重ねて礼を言う。ありがとう。ここからは今朝の段階ではあやふやにしか掴めていなかった状況の説明をするとしよう。昨日、セントラルを発った艦は現在グラン・エトルアリアス共和国領海に向けて航行中だ。共和国が開発したと思われる“空中機動戦艦”に連れられてね」

「空中戦艦?既に共和国の艦船と接触しているのですか?」

「我々の艦隊旗艦、サンダルフォンより共和国から奇襲を受けたとの報告が入っている。敵は海からではなく、空からやって来た。

 彼らの艦船群は3隻から成る小艦隊ではあるが、現代科学をもってしても実現不可能であると思われた飛行する戦艦で構成されているらしい」

 レオナルドはそう言うとホログラフィックモニターを起動し、ラーニーとシャーロットに見えるようにサンダルフォンが捉えた映像データを見せた。

 信じられないものを目にしたという風な表情を浮かべ、ラーニーは静かに首を横に振っている。

 かなりノイズ交じりではあるが、映像データには巨大な飛行艦船が3隻ほど明確に映し出されている。

 驚愕する目の前の2人を見やりながらレオナルドは続ける。

「当初、国連軍艦隊が消失した時刻は午前3時頃であるという情報が国際連盟側から寄せられたが、直後に正確な時間は午前2時頃であるとの報告がサンダルフォンから送られてきた。

 その際に送られてきたデータが今見てもらっているものだ。空中機動戦艦ネメシス・アドラスティアと強襲揚陸防巡艦アンティゴネ。報告内容では、それが共和国側がつけた名前であるとされている。

 さておき、国連軍艦隊はそれらの奇襲を受けて、自分達が何に攻撃されたのかを把握することなく沈められたと推定される。

 共和国の飛行する艦隊は北大西洋上で国連軍を容易に全滅させた後、その脚で我々機構の艦隊へと奇襲をかけた。時間にして1時間。速度にすれば航空旅客機などと同等かそれ以上の速度で飛行していることになるな」

「推定される国連軍艦隊のシグナル消失時刻と、機構の艦船群が共和国の艦隊と遭遇した時間から計算して、一連の推定事象が“事実である”ことに疑いの余地はないということですね」

「左様。故に、この場で先からず伝えておきたいことはひとつ。君が我々の為に手配してくれているという各国の艦隊だが、具体的に“それとわかる行動”は控えた方が良いだろう。

“それ”というのは当然、機構の艦船群に対する増援を思わせる動きを指す。

 アメリカの第8空母打撃群と付随する連合艦隊が何の抵抗も出来ずに葬られたという事実からみて、新たな支援艦隊が準備に動いているという事実が共和国に察知されれば、出るはずのなかった犠牲が出かねない」

 レオナルドはそう言うと、モニターに映る映像を切り替えて続けた。

「加えてだ。君達も既に承知していることだろうが、共和国は全世界を核の傘で覆っている。これはセントラル2、つまり太平洋方面司令に所属する艦艇が捉えた映像だ。マリアナ海溝から浮上してきたのは見ての通りのミサイル発射施設で、そこから太平洋地域の国々のほぼ全てをミサイルの射程圏内に捉えているものとみられる」

「基地そのものを先に攻撃して無力化するという手段は?」

「国際連盟から通達が有り、“一切手を出すな”という厳命が下された。理由は基地のすぐ近くに存在する潜水艦の存在だ」

「潜水艦?共和国はそんなものを太平洋に?」ラーニーは顔を強張らせて言った。

「原子力潜水空母アンフィトリーテ。そう呼ばれるものだそうだ。迂闊に近付けば返り討ちに遭うことは必至だろうな。そも、近付くことすら許されないのだろうが。

 そして、マリアナ海溝に出現したものと同規模のミサイル発射施設がグラン・エトルアリアス共和国本土にも出現したという情報も掴んでいる。例の核ミサイルが太平洋上で炸裂したすぐ後のことだ。これを以て “全世界を核の傘で覆った”ということができよう」

「では、僕達のしようとしていることに意味はないと。やはりどこまで行っても無力でいることしか出来ないのでしょうか」


 現実にグラン・エトルアリアス共和国が敷いた圧倒的な攻勢を直視してラーニーは力なく言った。

 言葉を聞いたレオナルドはソファから立ち上がると、テーブルのすぐ近くに設置してあるコーヒーメーカーからドリップしたてのコーヒーが淹れられたポットを手にした。

 そして3人分のコーヒーカップに静かにコーヒーを注ぐと、まずは2人分ほど手に持ってテーブルへと戻り、ラーニーとシャーロットへと差し出した。

 香ばしいコーヒーの香りが室内に広がる。

 レオナルドもコーヒーの注がれた自分のカップを手に取ると、再びソファへ腰を下ろして大きな息を吐いてから言う。


「猶予のない時分に何を悠長なことを、と思っているかね?」

「いえ。しかし、突き付けられた現実を前に僕自身はここを訪ねる前より強い焦りを感じています」

 苦渋の表情を見せるラーニーの隣では、シャーロットが落ち着かない様子で自身の両手を握りめている様子が見て取れる。

 そんな2人をじっと見据えたままレオナルドは言う。

「であれば、まずは心を落ち着ける為にもそれを飲みたまえ。焦りは正常な判断を狂わせる。余計な緊張はこうした時にこそ取り除いておくべきものだ。私は重要な決め事をする時にはいつもこのコーヒーを飲みながらと決めていてね。そう、つまりこれから君達との間で重要な決め事をしようと思う」

「重要な決め事?」ラーニーはレオナルドの瞳に目を向けて問いかけた。隣ではシャーロットも同じようにレオナルドの目を見据えている。

「そうだ。先に君は自分達がしようとしていることに意味がないと、無力であると言ったがそれは違う。

 我々は君達が手助けしようとしてくれている意思を有り難いと思っているし、既に君が行動してくれたことによって各国正規軍が国連軍の一員として機構の援護に回ろうとしている動きが俄かに活性化しつつある現状についても心から歓迎している。

 マークתに所属する彼ら、いや彼女らの持つ力をその目にしているのだろうから遠慮なく言うが、サンダルフォンに乗艦する彼らというのは対グラン・エトルアリアス共和国、ひいては対象Aと渡り合う上で絶対に失ってはならないものなのだから。

 ただ、感謝と歓迎はしているが問題はその先にあって、重要な決め事とはその“問題”についてどのように対処するのかという話だ」

「このまま動けば、無駄な犠牲が発生してしまう。先程貴方がおっしゃったことですね?」

「左様。しかし、だからとて共和国へ連れられたサンダルフォンと護衛艦2隻について何も手を差し伸べずにここで手をこまねくような真似も出来ない。そこでだ。私から君達にひとつ提案をしようと思う」

「出来ることなら何なりと。財団の全てを賭けたって良い」

 ラーニーの決意を聞き、レオナルドはコーヒーを一口飲むと初めて表情を穏やかにして言った。

「まぁ、そう最初から全てを投げ打つという風に気張らずとも良い。切り札というものは明確に切るべきタイミングがあるのだから」


 レオナルドはそう言うとソファから上体を起こし、目の前に座る2人と1人ずつ視線を合わせてから言った。

「君達は我々と国連が結んだ協定がどのようなものか、それをどこまで承知しているのか定かではないが、我々は国際連盟と〈非常時特殊災害協定〉を結ぶことで、第三次世界大戦における協力関係を構築している。

 だが、それはただ我々が入手する情報を彼ら国際連盟、ひいては国連加盟国とその軍隊につつがなく提供するという1点と、我々の持つあらゆる機材や艦船、人員を彼らに貸し出すという1点のみに絞られた話だ。

 当然、彼らの傘下に加わることで国際条約に基づく機構の安全保障は実現されるわけだが……この協定にはひとつ問題がある。

 協定における両者の立場は対等なものだ。故に、双方が双方ともに対する“命令権”を持ち合わせているわけではないのだよ。問題というのはまさにそういったところで、これが非常にややこしく、厄介なところだ」

「各国の利権絡みに繋がる。それはつまり、何か働きかけをしようにも互いが“依頼”を行うことは出来ても“強制”は出来ないが故に、結局全てにおいて思うような“行動に移せない、期待できない”ということでしょうか?」

 レオナルドは大きく頷いた。

「話の意図を明確に汲み取ってくれて感謝する」

「政治の世界は好きになれません。意見のぶつけ合いより、不毛な腹の探り合いと用意周到な根回しが物を言う出来レースでしかないと考えるほどには」

「そうかね?ならば良い。出来レースな政治繋がりで君になら話しても良いだろうから言う。君は国際連盟に存在しないはずの秘匿部門が実在することを知っているね?」

「話に聞いたことがあるだけで、明確に実在するかどうかまでは何とも。ただ、各国の政府とやり取りする中でそのような機関の存在が事実としてあるのではと勘繰ったことはあります」

「機密保安局、通称セクション6と呼ばれる秘匿部門が存在する。国際連盟に属する部門の中で唯一、世界各国や我々機構に対する一方的な命令権を持ち合わせる特務機関だ」

「事実であれば世界における決定の全てが出来レースだ。噂に聞いたに過ぎませんが、それが“存在しない世界”であると?」

「左様。かく言う我々も設立当初から彼らセクション6と深い親交があってね。今回、セントラルに配備していたサンダルフォンを無条件で共和国へ向かわせたのも彼らの命令があってこそだ」


 ここまで話し終えると、レオナルドは一度上体をソファへ沈め、コーヒーを手に取った。

 豊かな香りを醸し出す、美しい琥珀色をしたコーヒーを眺めながら言う。

「ここからが提案に繋がる話となる。今回、君達財団側が世界各国の首脳部へ独自ルートを用いた連絡を入れ、各国軍部を動かそうとしてくれていることについて、結論を言えばおそらく各国軍隊は動かない。

 機運はあるだろうが、実際に動けば共和国の餌食だ。アメリカやフランス、英国の二の舞を演じたいと思う国もあるまい」

 穏やかにではあるが、しかし鋭く言い放ったレオナルドの言葉にラーニーは気を沈めた。

「二の舞を演じたくないという以外に動かない理由は先に言った通りだ。我々は互いに“命令権”を保持していない。財団からの働きかけで軍部へ通達が降りたとしても、実効的な戦力がすぐに回されるかといえば答えはノーだろう。強制無き協力というものについては、常に対価となる“利益”の話が付きまとう」

「利権利権と。この期に及んで、各国は自国の利益を優先させる為に、どのように貴方がたに対して協調を企てるべきかをまずは考慮しているということですね?あるかどうかも分からない“戦後”に向けて」

「酷い話だわ」ラーニーの隣でシャーロットが言う。

「国家、世界とはそのように出来ているものなのだ。正義や大義を並べ立てた裏では、何をどのように振舞えば自国が最大限の利益を得られるのか、最小限の損失で事を済ませられるのかに常に意識を置いている。得をしない行動には価値を見出せない。

 中には、日本のように他者の為にと自己犠牲ばかりを払う奇特な国も存在しないこともないが、世界を見回しても2つとないだろう。少なくとも、協力を打診した国家群には存在しない」

「である以上は、何かしらの対策を施さなければ期待するような協力を取り付けることは不可能」

「そこで君達財団の力を借り受けたい。私が今日、君達をここへ招いた理由でもある」

「協力は惜しみませんが、どのように?環境保護財団である我々としては、政府に対する働きかけ以外にできることなど知れたものです」

「働きかけのベクトルを少し変えてみてはどうかと思う。例えば、財団が所有する艦船を既に各国軍隊が警戒態勢を構築している海域へ単艦で向かわせてほしい」

 力強く言うレオナルドに対し、いまいち内容を呑み込めずにいたシャーロットが言う。

「北大西洋に数隻、私達の海洋環境調査船が停泊しています。公海上で、戦争に関わりのない地域にいますから呼び掛けひとつで向かわせることは可能でしょうけれど、それが一体何になるのでしょうか」

「財団の働きかけによっても、我々からの要請によっても各国軍は新規で艦隊戦力を動かさない。いや、正確にいえば共和国側の動きを恐れて動かすことが出来ない。しかし、“既に特定の任務を持って洋上へ展開されている艦隊”であれば話は少し異なる」

 レオナルドの言葉にぴんときたラーニーが呟くように言う。

「そうか、わざと警戒区域に艦船を進めれば、任務に則って各国軍の艦船は規則に沿った“行動を取らざるを得ない”」

 レオナルドは目を細めて言う。

「大事なのは名目だよ。我々を手助けする為に、各国の軍港から新規に艦隊を出航させたとなれば、その行為は共和国を大いに刺激することになる。場合によっては停戦協定違反とみなし、すぐさま例の航空艦船が迎撃に出てくるだろう。これは各国も望むところではないし、我々としても望むべきことではない。

 だが、既に警戒任務の為に出撃している艦隊はこの限りではない。彼らに与えられた任務に“攻撃”という文字はないのだから。

 故に特定の与えられた任務をこなすという“名目”があれば自由に動くことが可能だ。“共和国領海の近くであっても”な。

 そこに、名目とは別の“意味”を与えてやることさえ出来れば、互いが求める最良の結末を手繰り寄せることが可能になると踏んでいる」

「陽動。我々、財団の艦船をわざと警戒海域へ向かわせることで、警戒任務を使命とする艦船群は、それを追い出す為の追跡行動や威嚇射撃行動などをとる必要が出てくる。ですが、その建前を口実として、実際の目的を“共和国周辺に艦隊を展開させること”に絞り込めば……」

「サンダルフォンの動きに追随して、“偶然近くを通りがかった、国連と協力関係にある機構艦船の警戒海域外までの護衛任務への移行”という筋も見いだせるのではないかな。浅墓かもしれないが、共和国に対する攻撃意思がないという名目が既にある以上、彼らも迂闊には攻撃を加えてはこないだろう。

 それに、軍艦が追うことになるのは名高い組織の“民間船”だ。この状況下、ただそこを通りがかったというだけで軍艦が民間船を沈めれば戦争犯罪を問われることになりかねない。

 共和国に対する過大評価かもしれないが、全世界の行く末を手中に収めているからといって、国家としての在り方を捨ててテロリスト的な行動を安易にとる国にも思えない。

 現状、共和国はあくまで自国に対して“攻撃の意思表示を示した者への攻勢を敷いている”と公言までしているのだから」


 具体的な提案の全てを言い終えたレオナルドは、手に持っていたコーヒーを飲み干し、カップをテーブルへと置いた。

 そして浅く息を吐き、声を潜めながら言う。

「だが、繰り返すがこれはあくまで提案だ。成功に絶対はない。財団の艦船に乗船するクルーの身を危険にさらすことになる。判断は委ねるが、慎重に検討してくれたまえ」

 ラーニーとシャーロットも、既に洋上で活動する者を思ってか、頭を悩ませているように見える。

 シャーロットは夫となったラーニーへ目を向け、彼に最終決定を委ねるという意思表示を送っているようだ。


 僅か数秒という時間が異常に長く感じられる。

 耳を突くような静寂が満たす部屋の中で、しばらく思考を巡らせたラーニーであったがついに意を決したように顔を上げ、レオナルドを見据えた。



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