第3節 -出航の前に-
*2-3-1*
サンダルフォンの緊急出航が決定したことで、いつもにも増してセントラル内の動きは慌ただしくなっている。
人という人が脇目も振らずに己の使命を全うする為に動き回る中、それらの喧騒などまるで視界にも耳にも届いていないという風に顔を俯けて青年はゆっくりと歩く。
時刻は午前8時過ぎを示す。
重苦しい空気が最後まで晴れることのなかったシークレットルームでの会合が終わり、フロリアンは生活区画内にある自室へ戻る為に、通い慣れた通路をいつもと同じように歩み進んだ。
会合中は何一つとして言葉を発することも出来なかった。正直な所、会合で話されていた内容自体もしっかりと頭に入れられたかといえば怪しいところだ。
理由は明確に当然ただ一つ。彼女の存在である。
最愛の人、マリア。
彼女を目の前にして気分が高揚しなかったといえば明らかな嘘であり、機構の隊員として勤務中であるにも関わらず喜びや嬉しさを感じて浮足立っていたという方が事実に即している。
ただ、立場というものを背負って立つ彼女の姿を初めて見た時、自分と彼女との間に聳え立つ巨大な壁のような隔たりを感じてしまったこともまた否定できない事実であった。
西暦2031年の冬。ハンガリーの地で初めて彼女と出会って以来、毎年定期的に逢瀬を重ねて互いに親交を深めてきた。
そして今年の4月。ミュンスターの地で起きたウェストファリアの亡霊事件を解決後に、彼女とは正式な恋仲となったのだ。
……が、自分は知らなさ過ぎた。彼女のことを。
彼女が自分に何も言わなかったからと言えば、確かにそうなのだろう。
しかし、自分は知ろうと思えば知ることだって出来たかもしれない。自惚れかもしれないが、全てを知った今ではそう思う。
数か月前、ミュンスターでアンジェリカと言葉を交わした際のほのめかしによって、マリアがリナリア公国出身の人物であるのではないかという予感を自分は抱いた。
そのことについては、機構へ帰投後にイベリスへ直接確認したことで確定的な事実であることも判明した。
そこまでは良い。
だが、彼女が国際連盟という世界中で知らぬ者はいない国際機関の重鎮で、しかも反対に世界中で誰も知らない秘匿部門の局長であることはさすがに想像の範囲外であった。
一体誰がどう思考を巡らせれば、そのようなことに思い至るだろうか?
とはいえ振り返って考えてみれば、一般の人々にはおおよそ手が届かないだろう車に乗っていたり、ハンガリーやドイツでの宿泊先として選んでいたホテルを鑑みれば、何かしら特別な地位を持つ人物であることは容易に想像がつくことではある。
しかし、しかしだ。
国際連盟 機密保安局-セクション6-。別名、存在しない世界。
世界の行く末を直接的に左右することさえ可能な秘匿機関。その頂点に彼女は君臨している。
立場を考えれば、彼女と自分が言葉を交わすことすら本来は“奇跡”に等しい。ましてや互いが認め合う恋仲になるなど。幻想世界の夢物語に等しいというものだ。
リナリア公国の忘れ形見。
国際連盟の頂点に立つ者。
その事実を知ったところで自分の中の気持ちの何が変わるわけでもないが、知ってしまった今となっては、これまでと同じように彼女と接することが出来るかは分からない。
次に彼女を目の前にした時、どのように声をかけるべきなのだろうか。それすらも今はわからなくなりかけている。
ハンガリーの地で、マリアが頑なに自らのことを語ろうとしなかった理由が今になって理解出来るなどと。
フロリアンは一度歩みを止め深く息を吸い込んで目を閉じた。
考えるな。考えたって仕方ないことだ。
頭を切り替えて再び目を開き、しっかりと前を見据えて通路を歩き出す。
ここでようやく、いつもにも増して慌ただしい周囲の喧騒に気が付いた。
セントラルの艦船が収容されている港部では、司監から直々の命令を受けてサンダルフォンとラファエル級フリゲートが緊急の出航準備を行っている最中なのだろう。
あちらこちらへと絶え間なく走り回る輸送車や、落ち着きなく行き交う仲間の隊員達の姿を見れば一目瞭然だ。
本来なら、自分もサンダルフォンが収容されているドックまで行って手伝いに回るのが務めなのだろうが、先の会合の終わりに作戦前の休養を少しでも取るようにと総監に言われてしまった。
いわゆる〈休養命令〉だ。
総監の命令に背くわけにもいかず、この後はほんの僅かな間自室へ戻って息抜きと出向に備えた準備をする予定としている。
果たして今の精神状態で休養など出来るかどうか怪しい所なのだが。
それからしばらく歩いた先、フロリアンはようやく自室の扉の目の前まで辿り着いた。
いつもより随分長く歩いた気がする。まるで自分の部屋とは別の、遠い場所をわざわざ訪ねて歩いたような感覚だ。
普段通りにヘルメスで施錠を解除し、今度は普段とは違う、鉛を付けられたような重たい腕で自室の扉をそっと開く。
緩やかに開いた扉の向こうに足を踏み入れ、再び扉をそっと閉じた。
入室して間もなく、部屋の主を出迎える間接照明が淡く光る。
淡いオレンジ色の光が真っ先に照らし出したのはハンガリーでマリアと一緒に撮影した記念写真であった。
ここへ戻ってきた時、まず最初に目に入る位置に写真を飾っている。譲れない拘りだ。
オレンジ色の首輪をつけた子犬を抱っこして満面の笑みを湛えるマリアと、その隣でぎこちない笑みを浮かべる自分。
ふいに懐かしさが込み上げてきた。この写真は楽しいばかりではない、哀しい想い出も込められた1枚である。
彼女の腕に抱かれた子犬は、ライアーと呼ばれる難民狩りの男に無惨にも殺されてしまったのだ。
そうした悲しみも含めて、彼女との“始まり想い出”全てが凝縮された1枚といって過言ではない。
「ただいま」
1人きりの部屋でこう言うのはおかしいだろうか。
視線の奥に飾られたマリアの写真に向かって一言、呟くように言った。
長い間、彼女に会えない時間も彼女の写真を見て語り掛けることで随分と寂しさは紛れたものだ。
この世界に彼女がいてくれる。そう感じることが出来るだけで十分であった。
フロリアンは幾度か首を横に振って部屋の中央へと移動する。与えられた休息時間も多くあるわけではない。
何はともあれこれから1時間の内に憂鬱な気持ちを完全に切り替え、覚悟を決めてすぐに出航準備に向かわなければならないのだ。
その為にも、まずは必要になるだろうものを用意しつつ……
っと、考えながらソファに腰を下ろそうとした瞬間の出来事だった。
自身の後ろから聞き慣れた少女の声が響いた。
「随分と遅い帰宅じゃないか?待ちくたびれてしまったよ、フロリアン」
フロリアンはとっさに声の方へ振り返る。
あまりの衝撃に鼓動が激しく波打ち、息が乱れる。
「マリー?」
そう言うのが精一杯であった。振り返った先、写真を飾った壁掛けボードの前につい先程まではいなかったはずのマリアが佇んでいたのだ。
マリアはじっと飾られた写真を眺めている様子だったが、名前を呼ばれてゆっくりと振り返り、そして無邪気な笑みを浮かべてみせた。
あの日、ハンガリーのブダペストで見せてくれたのと同じように。写真に写る彼女と変わらぬように。
「どうしてここに?」フロリアンはとっさに言葉が出ず、ありきたりな返事をしてしまう。
「何、せっかくセントラルまで足を運んだんだ。寄り道しないと後悔しそうな場所があると思って訪ねただけさ。深い意味はない」
そう答えながらマリアはゆっくりとフロリアンへ歩み寄った。そして、ぐっと顔を近付けながら囁くように言う。
「深い意味はないが、単純な意味ならある。私の心に従った。君の帰りを待っていたんだ。戦地に赴く前に、ゆっくり話がしたかったからね」
マリアはフロリアンの手を握ると、そのままベッドへと引っ張っていく。
甘美な声で囁き、宝石のように美しい赤い瞳で見つめてくる彼女にフロリアンは為す術が無かった。
そうして彼女は自ら仰向けに寝転がりながらフロリアンの腕をぐっと引っ張り、わざと押し倒されたような体勢を自ら意図的に作り出したのであった。
普段とはあまりに異なる積極的な様子にフロリアンは面食らっていた。
一体どういうつもりだろうか?
今、自身の眼下で仰向けに横たわって少女の姿はマリアに違いない。違いないが、どこか違和感がある。
今という非常事態に……果たして彼女が、世界の命運を賭けて戦おうという前にこのような行動に出るものなのだろうか?
疑心が湧き上がるが、自身の本能には抗うことが出来ずに言葉が込み上げてくる。
「マリー、君に会えて嬉しいよ。でも、どうやってここに?」
そうは言うものの、遠回しでも疑念の答えを探さずにはいられなかった。他愛のない会話から答えを探そうと試みる。
「レオに頼み込んでね。部屋のセキュリティ解除コードを教えてもらった。ヘルメスを持たない私が入室するにはそれしかないからね。特別な計らいというものだ」
「総監が?そういえば、マリーと総監は昔から知り合いだったと聞いたけど」
「遠い、遠い昔からさ。機構を設立した時には私も彼に随分苦労させられたものだ」
彼女はそう言うが、さて……自分と彼女が特別な間柄であることを総監が承知していたとしても、それほど簡単に隊員の部屋の解除コードを教えるものだろうか?
それとも、彼女ほどの特権階級であれば例外が認められるのだろうか。
「マリー、君と2人きりで話が出来ることは嬉しい。でも、今は大切な任務前だ」
直接的ではない。それとなく探りを深めていく。
「まったく、君は奥手だな。据え膳食わぬは男の何とやらという言葉を知らないのかい?」
そう言ってマリアは甘い表情で微笑んだ。
瞬間、フロリアンの周囲を甘い花の香りが包み込んだ。
感覚を蕩けさせるような魅惑の香り。鼻の奥を刺激する甘美な香りは神経を鎮め、思考を歪め、今目の前にあるもののことしか考えられないようにしてしまいそうな類のものである。
“駄目だ!呑まれてはいけない!自分はこの香りの正体を知っている!”
本能が警告を発した。そう遠くない過去にまったく同じ香りを自分は嗅いでいる。
天使のような悪魔の笑顔が脳裏を掠める。
しかし、それと同時にこの時、フロリアンはつい先程まで抱いていた疑念のことなど“どうでもいい”と思い始めていた。
それよりも、自身が世界でただ1人愛している人物が目の前にいる。彼女が自分を捧げようとしている。2人の時間を楽しむ為の誘惑をしている。
本能と欲望。危険を知らせる本能と愛する者を手にしたいという欲望。対極からせめぎ合う思考の渦。考えれば考える程思考は乱れ、抗えない本能が、生命が持つ衝動が心の奥底から湧き上がってきた。
マリアは満面の笑みを湛えながらフロリアンの首筋に両手を回し、優しく包み込むように自分へと寄せると、体を捩らせ、呼吸を乱しながら扇情的な仕草で誘ってみせた。
世界、戦争、任務……
周囲に立ち込める甘い香りの影響か、フロリアンの中にあった使命感は遠い場所へ吸い込まれていくように頭の中から抜け落ちていく。
残ったものはそう。欲しい、ただ欲しい。彼女が欲しい。その感情だけだ。
目の前にあるものが、人が、彼女が。マリアが。
「っ、マリー……」
徐々に2人は顔を近付け寄せ合っていく。
朦朧とする意識の中で力なく、フロリアンはマリアの腕の動きに身を任せ為すがままとなっている。
互いの唇が触れ合いそうなほど近くなると、マリアは笑顔を歪ませながら軽く舌なめずりをしてみせた。
「やっとこの時が来た。フロリアン、ようこそ“永遠の眠り”へ……」
ベッドに横たわるマリアが甘く囁くように言う。
フロリアンは自らの意思など関係なく、彼女の誘いに呑み込まれていく。
だが、その時であった。
「しかして、さようなら。“永遠の眠り”とやら」
部屋の入口付近から“同じ少女の声”が響く。
声が終わると同時にフロリアンの身体は宙に向かって乱暴に放り投げられた。
「ぬぁ!」情けない声と共にフロリアンは付近のソファへと叩きつけられる。
何が起きた?
フロリアンは頭と視界がぐらぐらと揺れる中、なんとかソファの背もたれに腕を掛けて這うように上体を起こした。
先程まで自身がいた辺りを見やる。すると、黒く鋭い棘のようなものが一瞬で眼前を駆け抜ける様子が見えた。
思わず息を呑み込み、顔を逸らしながら起こしたばかりの上体を後ろへのけぞらせる。
なんだ今のは!
ソファから滑り落ち、傍にあったテーブルに腰を打ち付けたがもはや痛みなど感じなかった。
気合いだけで再び顔を元の方向へ向けると、次に目に飛び込んできたのは衝撃的な光景であった。
先程までベッドで仰向けになっていたはずの“マリアであったナニカ”は黒い棘によって串刺しにされた状態で体をびくびくと震わせている。
奈落の底のように暗く落ちくぼんだ目。枯れ枝のようにやせ細った手足。
ベッドで痙攣するソレは、見た目もさることながら、この世のものとは到底思えない酷く低い呻きを絶えることなく発し続ける。
自分はそれを知っていた。あれはミクロネシア連邦で中尉が目撃したという〈ヨタヨタ歩きの怪物〉というものだ。
その後、得体の知れないナニカはぶるぶると震えながら首を入口扉付近に立つ少女へと向け、気色の悪い歪み切った狂気の笑みを浮かべた直後に紫色の光の粒子となって霧散した。
フロリアンは視線をゆっくりと部屋の入口へと向け、そこに立つ少女を見据えて呻きが混ざった声で言う。
「マリー、なのかい?」
金色の美しい髪と、宝玉のように輝かしい赤い目を持つ少女は、躊躇うことなくつかつかと部屋に上がり込み、フロリアンの目の前に立って言った。
「今の君には、私がどういう風に見える?」
彼女の言葉に、フロリアンは今出来る精一杯の笑みを湛えて言う。
「その試すような物言い。間違いなく君はマリアだ」
「あぁ、そうだよ。紛うことなく“君の”マリアだ」
やや怒りも混ざっているように感じられるが、彼女のこれ以上ない甘い言葉にフロリアンはたじろぎながらも、先の出来事について振り返って言った。
「マリー、ごめん。先程のアレを君ではないと直感で分かっていながら、抗うことも出来なかった」
「まるで何も出来なかったとはいえ、あれを直感だけで偽物だと見抜いて抗おうとするだけ大したものさ。まぁ、そこまで君に求められるというのは悪い気分ではないがね。しかし、やってくれるものだ。アンジェリカの奴め。姑息な真似を。もはや、なりふり構わずというやつか」
フロリアンは、相変わらず褒めているのかけなしているのか分かりづらいニュアンスで言う彼女の言葉に“らしさ”を感じつつ、予感めいたものが的中したことを確信した。
「あの怪物。やはり彼女の差し金かい?」
未だにぐらつく視界の中、フロリアンはソファに手を掛けて立ち上がりながら言うが、その様子を部屋の入り口から見ていたアザミが言った。
「フロリアン、無理をなさいませんよう。先のものはおっしゃる通り、アンジェリカが自らの異能で作り出した産物と見受けられました。機構が〈ヨタヨタ歩きの怪物〉としてデータを持つものと同一。加えて、あれには強力な精神干渉と催淫作用を発揮する効力が持たされていたのでしょう。今、貴方がそのように立ち上がって普通に会話をしているのが奇跡だと思うほどには危険な代物だったのです」
「アザミさん。心配をお掛けしてすみません。でも僕は大丈夫。マリーからもらったお守りが守ってくれたんです」
フロリアンは胸元から黒曜石のペンダントを取り出しながら言う。ウェストファリアの亡霊事件の折にマリアからもらった宝物だ。
「それに、アンジェリカではミュンスターでも酷い目に遭わされましたから。それより2人はどうしてここに?」
「先の怪物が話したことと同じような答えを返すことになりましょう」アザミが言い、マリアが話を引き取る。
「実のところ、あの怪物が言った話も全てが間違いというわけでも無い。確かに、私はレオに君の部屋の話をした。
けれど、夜這いをする為にセキュリティ解除方法を問うたわけではない。私がそれをするなら、回りくどい方法をせずとも物理的に扉を壊せば良いだけだからね?
むしろ、レオには“この部屋について本人ですら立ち入りできないほどに厳重且つ厳戒な警戒態勢を敷くべきだ”と助言したのだけれど」
今、マリアはさりげなく物騒なことを言わなかっただろうか。
気のせいということにしておこう。フロリアンは気になったことを問う。
「君はアレがここに現れることを事前に知っていたのかい?」
「勘とでも言っておこう。先回りして潰しておこうとも思ったが、私達が先回りしたところでアレは姿を現さなかっただろうし、確実に排除する為には危険だと承知の上で君を1人でアレに近付けて対峙させる必要があった。そういう性質のものだったんだよ」
「ありがとう。僕の為に色々考えてくれていたんだね。朝の会合の時、一度も視線を合わせようとすらしなかったから、少し不安だった。今までのことは全部夢だったのではないかって」
「すまない。気付いていただろうが、意図してそうしていたんだ。役目や立場というものを背負っている時の私の姿が、君の目にどう映っているのか不安でね。正直、私も怖かった」
マリアの口から〈怖い〉という言葉が出てくるのを聞いてフロリアンは驚いた。その意外さから彼女の目をじっと見つめてしまった。
「周りが思うより私は弱い女だ。私自身、そうした時に君の姿を見つめてしまったら、あのような不遜な態度のまま会合を進めることはできなかっただろう」
「自信は無かったけれど、半分は気付いていたよ。不安なことがある時、手を固く握りしめるのは君の癖だ、マリー。ハンガリーで初めて出会った時から変わらない」
フロリアンは気付いていたことを彼女に伝え、マリアは僅かに微笑みを見せた。
その後、マリアは少しの間考えるそぶりを見せつつ、思い切ったように言った。
「良いかい?フロリアン。今のアンジェリカにとって目の上のこぶとなる存在は私達リナリア公国に所縁を持つ者達だ。アンジェリカと、グラン・エトルアリアス共和国に対して唯一対抗できる勢力といって間違いはない。中でも特に、奴は私に対してかなり強い警戒を示している」
マリアはソファの正面に回り、優雅に腰を下ろして続ける。
「ミュンスター騒乱の一件も絡んでいてね。あれを台無しにしたことで余程彼女の恨みを買ったのだろう。アンジェリカ……いや、アンジェリーナは早々に私を潰したいと考えているはずだ。理由は数あれど、私の持つ力が、やはり彼女達にとって何よりも厄介に過ぎるからね」
「マリーの持つ力。やはり、君にもイベリスたちと同じようなことが出来ると?」
フロリアンはマリアの傍に腰を掛け、左腕で未だぐらつく頭を支えるように抱えて俯きながら言う。
「人智外であるという点においては。けれど、私の異能というのは自然に存在するものを操るイベリスやアルビジア、アイリスとは違う類のものでね。先程はつい “勘”などと口走ったが、正確に分かりやすくいえば未来視だ。私に“与えられた”力は〈予言〉の力だよ」
「予言。未来を読み取る力……そうか。ハンガリーで初めて会った時から、妙に勘の優れた子だとは思っていたけど、そういうことか」
「長年の疑問が解消したようで何よりだ。そして私は、君に面と向かって私自身の秘密の全てを明かせたことでようやくほっとしている。加えて明かして尚、何一つとして変わらない君の態度を見て、ね」
「変わるもんか。絶対に変わらない。反対にそのことで、君がまた心を閉ざそうとしたって、僕は君に手を伸ばし続ける。何せ、往生際の悪さと頑固さが取り柄だからさ」
「怖いもの知らずだな、君は。でも、その頑なさは……そうだね。悪くない。君の美徳だろう」
マリアは穏やかな顔で言い、ふっと息を吐いた。そして真剣な表情をしてフロリアンを見据えて言う。
「フロリアン、気を悪くしないで聞いておくれ。アンジェリカが執拗に君を狙うのは他でもない。君の存在が“私の唯一の弱点”であると認識しているからだ。私やアザミとまともに相対するより、捻りなく君を狙って殺した方が私達の動きを止めるには手っ取り早いからね」
「僕が弱いから、君の足枷になっていると」
フロリアンの言葉にマリアは珍しくたじろぐ様子を見せて呟く。
「そういう意味では……」
「いや、事実だ。僕には君やアザミさんのような力はない。争いをするというのであれば、相手の弱点を効率的に突くのがセオリーというものだろう?」
マリアは言葉を呑み込んで俯いた。フロリアンは気にせずに続ける。
「先の出来事で最期の疑問もはっきりしたんだ。会合の間、ずっと考えていた。マリーがリナリアに縁を持ち、世界の頂点に立つ存在というのであれば、その隣に常に控えるアザミさんという存在もまた特別な存在であるに違いないと。単純に人としての能力や才覚が優れているという話ではない。アザミさん、貴女もいわゆる超常の存在と呼ばれるもののひとつですね?しかも、リナリアに関わる人々とは根本的に何かが違う。貴女はまるで……」
フロリアンが言うと、アザミは言葉を遮るように言う。
「黒棘を目の前でお見せした以上、この期に及んで隠し立てしようなどというつもりもございません。ただ、わたくしのそれはリナリアに所縁を持つ方々よりも常軌を逸したものであるとだけ付け加えさせてください。今はそれだけに留めさせて頂ければ」
「十二分です。むしろ、そうであるなら心強いとすら思ってしまう。マリーに対する想いと同じく、知ったからといってアザミさんに対する感情が変わったりはしませんから」
すぐ傍で話を聞いていたマリアは、視線を再びフロリアンに向けて言う。
「フロリアン。先程の問いの答えになるが、この部屋に怪物が現れるだろうと私が事前に把握できた理由は予言の力以外にも根拠がある。それは異能などとは関係ない、むしろもっと単純な理屈だ」
「どういうことだい?」
フロリアンは神妙な面持ちをマリアへ向ける。対して、マリアは真剣な眼差しを彼に向けて言い切った。
「機構の中に、裏切り者がいる。私はそれが誰かを知っていて、その人物が君を殺す為に行動するだろうことも承知していた」
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