第2節 -姉妹-

*2-2-1*

「グラン・エトルアリアス共和国とアンジェリカは、ミクロネシア連邦での一件に限らず、各方面で起こした事件によって〈兵器開発の為のデータ収集を行っていた〉のさ」

 マリアの言葉を聞いた一同はセルフェイス財団でラーニーから聞いたある言葉を思い出した。

 それはCGP637-GGについての話を彼から聴取している時に聞いたものである。

 当時、ラーニーがマークתに語った言葉はこうだ。


『この薬品を財団に持ち込んだのはアンジェリカです。世界を新緑で満たすことのできる夢の薬品という触れ込みでしたが、昨秋に我々が薬品の持つ異常性に気付き、彼女を問い詰めた時にふと漏らしたのです。僕から口にするのも憚られる言葉ですが“人間に使った時はもっと面白かった”と』


『危険薬物が農薬になったのではなく、元々農薬であるものを危険薬物として使用していた。要するに南国で行われていたことは“農薬を人間に直接投与する”ということだったのでしょう。そこで得られる強烈な多幸感というものはあくまで副次的作用に過ぎないものだと推測されます』



 ラーニーの言葉に加えてマリアの言い放った〈兵器開発の為のデータ収集〉という言葉で誰もがその意味をようやく理解した。

 レオナルドが言う。「つまり、アンジェリカはグラン・エトルアリアス共和国が戦争を起こす為の準備に加担していて、これまでに起きた事件の全てが同国の兵器開発におけるデータ収集の為であった。そういうことだな?」

「そう。遡れば2031年末、ハンガリーとセルビア国境で発生した難民狩り事件の際、ライアーによって使用された〈擬装〉と呼ばれるものもその一種だ。当時は国家軍事機密が国際連盟経由で漏洩したのではないかという疑念があったが、後に突き詰めて調査した結果、そこでもやはりグラン・エトルアリアス共和国側からの関与が認められた。

 当時、私宛に一通の不審なメールが送られてきていてね。昨年判明した事実ではあるが、そのメールの発信場所がグラン・エトルアリアス共和国であり、送り主はおそらく」

「アンジェリカという少女の仕業であると」

 マリアの話を引き取ってレオナルドは言った。

「偽装とは、当時国際連盟主催の総会に出席する為に私とゼファート司監がハンガリーを訪れていた時、君が直々に調査をしてほしいと依頼してきた品だったな」

 当時の記憶を思い出したルーカスが言う。

「私の記憶にもあります。ゼファート司監からの依頼で送られてきた写真データの一部について、姫埜中尉と分析調査を行ったものだったかと。どのように分析してもまともな分析結果が出ず、かなり苦労を強いられたことが印象に残っています」

「振り返ればその時既に、第三次世界大戦という今回の出来事が起きる未来は決定づけられていたということか」

 呻りながら言うレオナルドを横目にマリアは言う。

「偽装、グレイ、CGP637-GG、そしてミュンスターで巻き起こったウェストファリアの亡霊事件まで含めて、その全てがアンジェリカとグラン・エトルアリアス共和国による戦争兵器開発の為の実験だった。結果として今、現在進行形で繰り広げられる第三次世界大戦でそれらの実験結果を元に完成したと思われる兵器が猛威を振るっている」


 マリアは自身の席に戻りつつ、モニターに表示された資料データを一度消して言う。

「アザミ、例の映像を彼らに」

「承知致しました」

 着席するマリアの代わりにアザミが立ち上がり、メモリーデバイスをモニター投射用の機器に接続して起動のボタンをタップした。


「これからお見せする映像は先日、9月22日に共和国からの襲撃を受けたケルジスタン共和国 アメリカ軍駐屯地付近で撮影されたものです。貴方がたに敢えて言う必要はないかもしれませんが、非常に残酷な映像ですので心持ちを確かになさってください」


 間もなく、ホログラムモニターに映像が映し出された。



 燦然と輝く太陽と砂塵の舞う景色。

 撮影しているのは基地に備え付けられた定点監視カメラの映像のようだ。合計8か所のカメラ映像がそれぞれ画面に8等分に映し出されている。


 監視カメラといえども画質はかなり良質なものだ。

 見渡す限りの砂地の中にある駐屯基地で、アメリカ軍兵士が日常業務をしている風景から始まった映像はしかし、突然の警報と同時に慌ただしい動きを見せた。

『何か来たぞ!』

『黒い鳥?蝙蝠?戦闘機か!あれはB-2……いや、違う』

『箱付きだな。コンテナを吊り下げている?良い的じゃないか。俺達をバカにしているのか?』

 兵士達の声が響き渡る中、1台のカメラに小さな黒い影が映り込む。どうやら飛行物体を捉えたものらしい。

 だが、小さな点のような影だったそれは次の瞬間には目視で全体を捉えられるまでに急速に接近し、そして駐屯基地上空で静止した。

 旧世代機であるアメリカ空軍B-2スピリットを思わせる蝙蝠のような主翼が特徴の真っ黒な機体。

 おそらくは超高速での飛行性能とステルス性能を備えた第七世代に分類される戦闘機であろう。機体の下には兵士の言った通り、何やら小型のコンテナのような黒い箱が吊り下げられている。


 間もなくアメリカ軍による対空迎撃が始まるが、黒い戦闘機は砲火を嘲笑うかのように悠々と回避し、黒いコンテナを地表に向けて投下する。

 コンテナが地上に激突した瞬間、巻き上げられた砂煙の奥で何かが蠢く影のようなものが無数に見て取れた。

 僅かな間の後に、小さな点であったそれらが駐屯基地上空を覆うように移動する様子が映し出され、やがてカメラがその正体を捉えた。その直後だった。


 基地内部を撮影していた8つの画面の中から絶叫や悲鳴が轟き、ある画面では地上で戦闘準備をしていた兵士たちの身体が一瞬でばらばらに切り刻まれていく様子が映し出されたのである。

 また、恐怖で動けなくなった兵士の元に黒っぽい影が近付いたかと思うと、次の瞬間にはその兵士は暴れるように立ち上がり、手に持っていた銃を味方に向けて乱射し始めたのだ。


 無数の小さな蠢く影は〈虫〉の形をしていた。

 戦闘用昆虫型ドローン。そういったものだろう。蜂型のものと蜘蛛型のものが確認出来る。

 蜘蛛型のものが移動した後、電子機器でしかとらえられないほど微かな光の線の反射が無数に見て取れた。それが兵士の身体を切断していたものの正体と推定される。

 光を反射したのは恐らく極細の鉄線の類だ。だが、近付き触れただけで防護服ごと人体を切断できる鉄線など聞いたこともない。

 さらに上空を飛び交う蜂型のドローンは次々と兵士たち目掛けて突進していく。あるカメラには一連の様子が詳細に収められており、蜂の針に見立てて作られたものが首筋に打ち込まれていた。

 針を打ち込まれた兵士は極度の興奮状態、高揚状態を見せて銃を乱射したあと、突然苦しみだし、全身を痙攣させながら地面に崩れ落ちていき、やがて血を噴き出しながら死んでいった。

 刺された兵士たちの様子を見て、マークתの全員が同じ結論を頭の中に導きだす。兵士が見せた反応とは間違いなく〈グレイを打たれた人間が見せる反応〉だったからだ。


 基地内が阿鼻叫喚の地獄絵図に包まれる最中、外では先程の蝙蝠のような戦闘機が対空迎撃用のCIWSや銃座、発進準備にかかっていたアメリカ軍の戦闘機を次々とレーザー砲で破壊していく様子が続く。


 熱線に焼かれた兵器が溶け、爆発炎上する轟音の合間に聞こえる、昆虫の大群の羽音のような音。その中に悲鳴と絶叫が入り乱れ、砂塵の切れ間から時折見える光景は為す術もなく殺害されていく兵士の姿であった。

 画面の奥では飛び立った直後に撃ち落とされ、機首から地面に激突して十字架の如く大地に突き立った戦闘機の無惨な姿が映し出されている。

 これはもはや戦争ではない。機械兵器による一方的な大量虐殺だ。


 この世に地獄というものが存在するのであれば、まさにこのような光景を指し示すのだろう。

 誰もが思うほどに、それほどまでに凄惨な映像が8つのカメラ映像には収められている。

 最終的に全てのカメラ映像は砂塵に遮られ何も確認が出来なくなり、映像は強制的に終了した。



 映像が終わると同時にイベリスは目をモニターから背けた。

 彼女の様子を見ながらマリアは言う。「これが今世界で起きている“現実”だ。アンジェリカとグラン・エトルアリアス共和国は、この地獄のような戦場を実現する為だけに、これまで世界各地で実験と称した事件を起こし続けてきた」

「ドローンを含めた機械兵器による効率的な戦争か。科学技術の行き着く果て。ディストピア的世界とでも言うのだろうな。反人間的な反理想郷」何も映らなくなったモニターを睨みつけながらジョシュアは言った。

 祖国の人間が一方的に虐殺される映像を見たことで周囲目にも分かる程に怒りに震えているのが見て取れる。

「グラン・エトルアリアス共和国は同国の地位保障を求めると声明を発表し宣戦布告をしたが、実際に行われている行為を見る限りでは戦争を起こす為の建前であったとしか思えない。戦う為にはどうしても“大義名分”が必要だからね。

 しかし、彼らの本音はまったく別の所にある。君達マークתは知っているはずだ。グラン・エトルアリアス共和国の目的は、つまるところアンジェリカの目的とイコールで繋がっているということを」

 重たい空気に包まれる中、玲那斗がやっとの思いで口を開いて言う。

「最初から目的はただひとつ。世界の破壊」

 マリアは玲那斗を見据えて言った。

「私も彼女の口から直接同じ言葉を聞いた。それが望みであるとね。いや、彼女本人ではなく、彼女の中に存在するもう1人の彼女の口からという方が正確か」

 玲那斗の隣で目を伏していたイベリスが言う。「マリー、貴女は2人のアンジェリカについてどこまで知っているの?」

 イングランドとドイツ。遠く離れた2つの地域で同時に観測されたアンジェリカという存在についての疑問をぶつける。

 マリアは言う。「彼女本人はアンジェリカであり、彼女の中に生まれたもうひとつの人格をアンジェリーナというらしい。私達がリナリア公国で、まだ普通の人間として生を享受していた頃、既に彼女の中にはそのような存在があったのではないかと推測している。おそらくは、インファンタ家の背負わされた残酷な使命を一身に受けた結果としてね」

 マリアの言葉を聞き、イベリスは押し黙った。


 法による裁きを下す者達。インファンタ家が担っていた責務は公国内でも特殊なものであったことは承知しており、それが残酷なものであったことを理解していたからだ。

「そうした残酷な責務を背負わされた彼女が、成長を遂げる中で見出した答え。その果てが今の状況ということなのだろう。世界が犯した罪を裁くこと。つまり世界そのものを崩壊させることこそが目的であり、今の彼女にとってはそれだけが自らの存在意義であるのかもしれない」


 そう言うとマリアは再び席から立ち上がって言った。

「感傷に浸っている暇などない。今から中東地域で観測されたものとは別の、もうひとつの映像を見てもらう。ブライアン大尉。気を悪くするなというのは酷かもしれない。今から流す映像は、“アメリカ合衆国本土”で起きた出来事を記録したものだ」

「合衆国本土で?共和国は既に本土攻撃を行っているというのか?」ジョシュアは首を横に振りながら言った。

「いや。牽制か、或いは警告の類というべきだろう。まだ本土攻撃そのものが行われたわけではない。しかし、いつ攻撃されたとしても不思議ではない状況に置かれていることも疑いようのない事実ではある。それを証明してみせるような映像だ」

 マリアに代わってアザミが言う。

「アメリカ本土にグラン・エトルアリアス共和国から特殊部隊が送り込まれたという情報が入ったのは最近のことでした。合衆国政府はホワイトハウスとペンタゴンを中心として直ちに対策を協議し、本国へ侵入した共和国の特殊部隊を秘密裏に処理しようとしました。共和国側が動き出す前に事を終わらせる為、合衆国は同じく特殊部隊を派遣して動きましたが、この計画はあっけなく失敗に終わっています」

「結論から言おう。アメリカが誇る世界最強の特殊部隊はあっけなく返り討ちに遭った。この事実が示す意味を君達はどう考える?」

 マリアの問いに答えようとする者は誰もいない。その様子を確認したマリアは話を続けた。

「論より証拠だ。状況を記録した映像を私達は入手した。いや、ホワイトハウスから直々に託されたと言い換えて良い。映像を確認した結果、判明した事実は“相手は人間ではない”ということだった」

「人間ではない?先ほど“共和国側の特殊部隊”であると言ったはずだが?」

「それとも、ケルジスタン共和国の駐屯地襲撃と同様に、機械によって編成された部隊という意味でしょうか?」

 ジョシュアの疑念について、玲那斗が可能性を提示する。

 しかし、マリアは首を横に振って言う。

「機械ではないんだ。だが人間でもない」そう言いながらアザミへと目配せをした。

「こちらの映像をご覧ください。重ねて言う必要はないかと存じますが、気を確かに持たれた方が宜しいかと」

 アザミはそう言ってホログラムモニターに問題の映像を映し出した。



 映像はアメリカ特殊部隊の四人の隊員が、共和国の部隊が潜んでいると思われる建物に侵入する様子から始まった。

 この映像はどうやらアメリカ側の特殊部隊の1人が胸に装着した小型のカメラで撮影したものらしい。

 薄暗がりの建物の中を、必要最小限の音しか立てないように部隊の精鋭たちは慣れた様子で進んでいく。

 先行した隊員2名がある扉に辿り着き、周囲を警戒した後に残りの2人に「来い」というハンドサインを送る様子が映っている。殿と合流した後に、影に隠れながら1人が扉を開ける。

 開け放たれた扉の向こうには薄暗がりの長い廊下が続いている。非常灯の灯りや不気味な赤い照明が灯されただけの陰湿な場所だ。

 カメラを装着した隊員が銃を構えて廊下の先を見やった瞬間、長い廊下の先にはぽつんと共和国特殊部隊の1人と思われる武装した人物が映り込んだ。

 間もなく、激しい銃撃が開始された。アメリカ側の特殊部隊が冷静に目標に対して発砲を開始したのである。


 だが、次の瞬間にカメラが捉えたのは驚愕の映像であった。

 映像を見てルーカスが思わず言う。


「何だ、あれは……」


 つい先程まで遠くに1人で立っていたはずの共和国の特殊部隊隊員は明らかに〈人間のものとは思えない動きで〉銃撃を軽くかわしながら、一瞬でアメリカ側の特殊部隊隊員達の目の前まで迫ってきたのである。

 歩いた、走ったなどという動きではない。消えて、現れたという表現が正しい。

 ペストマスクに似た防毒マスクを被った身長2メートルはあるだろう巨大な人物。戦闘服越しでも筋肉質で超人的な体格をしていることがはっきりと見て取れる。


 次の瞬間には、カメラを装着した隊員の胸に銃剣が突き立てられた。カメラのすぐ近くで隊員の胸が左右に抉られる音が生々しく響き、彼は悲鳴を上げる間すら与えられることなく壁にもたれかかるように崩れ落ちて息絶えたと見られる。

 以後は、先ほどのケルジスタン共和国での映像と似たような地獄絵図だ。

 視界が固定されたカメラの向こうでは、〈人間の形をした人間ではないナニカ〉がアメリカ側の特殊部隊を“たった1人”で殺戮していく様子が繰り広げられた。

 銃撃を軽くかわし、体術による攻撃を受けてもびくともしないナニカ。片腕でアメリカの隊員の首を鷲掴みにし、そのまま持ち上げて窒息死させた後に首の骨を折ってから乱暴に投げ捨てる。

 武装した兵士を片腕で軽々と持ち上げ、そのまま絞め殺すなど通常の人間では有り得ない腕力だ。

 マスクをかぶっている為、共和国側の隊員の顔はまったく確認することが出来ないが、その人物の戦闘服には、はっきりと〈グラン・エトルアリアス共和国〉を示す国章が刺繍されているのが見て取れた。


 ナニカの姿が捉えられてから30秒弱。

 映像からはやがて銃の発砲音が完全に途絶え、訪れた静寂によって部隊が全滅したことが告げられたのである。



 幽霊が消え去るようにマスクを被った人物が画面から消えたところでアザミは映像を終了した。

 映像に映し出されたアメリカ側の特殊部隊の正体を瞬時に見抜いたジョシュアが言う。

「まさかとは思うが、やられたのはデルタフォースか」

 デルタフォースとは正式には第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊といい、対テロを主任務とするアメリカ陸軍の精鋭たちを指し示す。

「その通り。アメリカ国内に侵入した敵の排除に加えて、彼らの情報を探る為にデルタフォースが現地に派遣された。その名を聞き、彼らの実力について想像が及ばぬ貴官らではあるまい?だが、結果は見ての通りだ。特殊な訓練を受けた世界最強とも名高い特殊部隊が、たった1人を相手に何の抵抗も出来ず、わずか30秒足らずの間に一方的に殺されてしまった」

 マリアは一呼吸を入れ、小声ではあるが力を込めて言う。

「あれが今世界と対峙しているもの。そして、これから私達が敵対しようとしているものだ」


 室内には再度の沈黙が訪れる。

 何をすればよいのかを考える以前に、そうしたものを相手にして〈何が出来るというのか〉という疑問が各々の頭を巡る。

 言葉に詰まりながらジョシュアは言った。

「こんな冗談みたいな特殊部隊がアメリカ国内にいるというのか。貴女の言う通り、いつ本土攻撃が行われても不思議ではないな。いや、アメリカだけではない。おそらくは世界中の主要都市に、同じように侵入しているのだろう。本土攻撃そのものをしなくても、政府高官だけを狙い撃ちにすることだって出来る」

「その推察は正しい。この事件以後、非公式にではあるが、共和国は合衆国政府に対してこう警告をしたそうだ。〈これ以上邪魔をするな。迂闊に動けば、次はお前達がこうなる〉とね。付け加えて、共和国側の邪魔をしなければ何もしないとも」

「無条件降伏しろと?いいや、はったりだな。邪魔をしようとすまいといずれは攻撃される」マリアの言葉にルーカスが考えを述べた。

「そうだろうね。アンジェリカとグラン・エトルアリアス共和国は結託して、この時の為に長い歳月をかけて、各地で兵器開発の為の実験を積み重ねてきた。きっと数百年の歳月をかけて、だ。そうして得られたデータを元にして、今しがた君達に見てもらったようなものを次々と生み出し、この世界を文字通り混沌へと突き落とした。あの子と彼らがその先に見据えるものはただひとつ。〈世界の破壊〉、或いは〈自分達をも含めた世界の破滅〉」

「罪と罰……それだけを自らの存在意義と定義して突き進むのか。あの子は」

 玲那斗の言葉を聞き、マリアは視線を向けて言う。


「否定しない。それだけが、彼女に与えられた全てだったからだ」


 マリアの言った言葉を聞いて、イベリスは胸が締め付けられるような気持ちを抱く。

 インファンタの家系が過酷な使命と運命を背負っていることを、当時の王家に在籍していた自分は承知していた。その上で何も手を差し伸べようとはしなかった。結果がこれだ。

 もし千年の昔、ただ一言だけでも彼女に声をかけて寄り添うことが出来ていたなら、何か違う未来があったのではないか。

 彼女の声なき助けを聞いていたなら、何かが変わっていたのではないか。

 今さら悔やんだところで何が変わるわけではないが、悔やまずにはいられない。


 かつてミクロネシア連邦の地でアンジェリカは言った。『復讐、報復、変革、再定義。この世界に蘇ったリナリアの忘れ形見達は皆が一様にそうした信念の為に行動をしている』と。彼女の言葉に対し自分はこう問い掛けた。

『貴女も復讐や変革の為に行動しているというの?』と。

 あの時の彼女は返事はこうだ。


『私の動機は至極単純明快。ただ面白いからよ。協調が大事だとか、平和が大事だとか堂々と宣いながらも水面下では国家ごとに牽制し合い他国を攻撃する為の力を蓄え続ける。

 本音は別のところにあるのに妙なところで良い子良い子する猫かぶりの世界というものを楽しく踏みにじってみたいと思った。ただこの世界に生きる人間達の本性が知りたいと思った。どうしようもなく混乱する世界が見たいと思った。

 隠された人の本性を想像して暴き立てることほど楽しいことはないもの。例えそれが人であれ、国であれ、ね』


 多少の強がりも混ざっているが、復讐ではなく享楽の為だという彼女の言葉は嘘ではない。確かにアンジェリカは世界に対して復讐をしているわけではなかった。

 嘘にまみれた世界が繰り返す、どうしようもない争いの積み重ねの歴史という罪を裁く。

 自らの存在意義の為に。享楽の為に。それが目的だ。

 彼女は自らの物差しで世界の間違いを正そうとしている。戦争や裏切りといった罪に対し、与えられるべき罰があるはずだと。


 あの時、自分はアンジェリカに『それはただの八つ当たりだ』と言ったが、その言葉を聞いた彼女が激昂した理由が今なら分かる。


『はいはい、正しい正しい。綺麗ごとが大好きな貴女らしい答えね?イベリス』


 アンジェリカの言葉が頭を駆ける。

 そうだ。綺麗ごとでしか無かったのかもしれない。

 世界はいつだってとても美しいものであるはずだと。思い込んでいたのは自分だけで、本当は直視しなければならないものから目を背け、逃げ続けていたのではないか。

 公国にいた時から自分だけが美しいものを見て、汚いものは全て彼女に押し付けてきたのではないか。


 先のマリアの言葉を聞いた時、彼女は彼女なりにアンジェリカの行為を否定しつつも気持ちは汲み取っていたように感じられた。

 自分には今の今まで“それすら無かった”。光の王妃と持て囃されるばかりで、必要なことなど何も出来ていなかったのだ。


 国の為?国民の為?

 たった1人の少女の想いを汲めなかった自分が?

 そのような想いに胸が潰されそうだ。




 虚ろな目をしたまま俯くイベリスを見やりマリアは言う。

「過去を想って感傷に浸るより、今自身が為すべきことを為すべきだ」

「そうね」力なく答えるのが精一杯だった。

 隣で心配そうに見つめるアルビジアの視線にも気付いたが、その優しさに応える気力すら失われている。


 短い溜め息をつき、長く口を閉ざしていたレオナルドが言う。

「なるほど。状況は理解した。だが、状況を知れば知る程に我々が協力できることにも限りがあるという事実が浮き彫りになったように思う。マリー、君の口から具体的に語ってくれたまえ。君達、国際連盟は我々機構にどのような助力を望んでいるのかね?」

「既に伝えた通りだ。プロヴィデンスによって得られる情報や分析結果を我々や国連軍へ供給して欲しい。あとはそうだね。君達はとても良い艦船を3隻ほど所有しているだろう?あれを使わせてくれるかい?」


 レオナルドは呻りにも似た声を出す。

 マリアの言う3隻とは、機構が誇る最先端技術の全てを投入して完成させた調査艦艇のことで、【サンダルフォン】【メタトロン】【ミカエル】という識別名を与えられた各セントラルの調査艦隊旗艦を指していた。

 この内、セントラル1にはサンダルフォンが配備されている。それを国連軍傘下の元、無条件で使わせてほしいという依頼だ。

 だが、今のマリアの言葉は相談などではなく命令だ。調停を結んだ以上は従う義務がある。


 彼女は念押しするように言った。

「繰り返すが、選択の余地など無い。これから数時間後には、それらの艦船でグラン・エトルアリアス共和国の領海手前に向けて出航してもらう」



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