*2-1-4*

 午前7時過ぎ。

 シークレットルームに置かれた長テーブルの一辺に既に席を作るマークתの対面に、レオナルドとフランクリン、そしてマリアとアザミが着席したことで世界特殊事象研究機構と国際連盟の緊急会合はついに開始された。


 開始の挨拶など不要というように、口火を切ってマリアが言う。「敢えてだが、単刀直入に聞く。機構は今回の一件に対し、国際連盟の要求に応じて国連軍の一員として事態に当たることを承認するか否か。ハンガリーで示した勇士を再び示す時だと思うが?」

 マリアはそう言いながら自身のスマートデバイスからレオナルドの手元の端末に契約の証となる調停書を直接送信した。

「先に我々の答えがどうあれ話を進めると言ったのは君だ、マリア。そしてこの有事に際して我々とて、対岸の火事とただ傍観しているだけで済ませるつもりも毛頭ない」

 レオナルドは手元のホログラムモニターに表示された電子署名式調停書に手早くサインをしながら言う。

 サインする様子を満足げに見届けたマリアは、すまし顔のまま話を続ける。

「宜しい。これで正式に国連と君達機構は肩を並べて事態に当たることとなる。だが本当の意味で私が君達に確認したいことはその少し先にある。

 事態の解決に取り組むにあたって、君達が所持している統合分析処理基幹システム〈プロヴィデンス〉の使用に関することだ。

 国連側がシステム使用の恩恵を享受できるか否かという部分の可否について協議を取りまとめたいと思う」


 彼女の言葉に一同は息を呑んだ。

 プロヴィデンスの存在は世界的には秘匿された機密情報にあたる。機構に在籍しているものでなければ存在自体を認識することはあり得ない。

 秘匿情報を知り得るということは、システムがどのようなもので、それが機構以外の外部でも使用されることがどのような危険をはらむかについても彼女達は十分認識しているはずだ。

 マリアはそのことを承知の上で“危険を顧みずに使用を認めろ”と迫っている。

「断れば事後、機構は機構として存続できなくなる可能性もある。君の言葉をそういう意味として受け取ったが如何に?」

「問答する時間が惜しい。答えだけを聞かせてくれ」

 レオナルドは大きく溜め息をつく。マリアを含め、フランクリンやマークת全員の視線を浴びながら彼は言った。

「マリー。君のその傲慢さが、今はこの世界を想ってのものだと信じて特例を認めよう。我々がプロヴィデンスによって得た情報や解析データは全て国際連盟加盟国の政府組織、或いは軍組織へ提供する。要求があればシステムによる演算や解析を行うことも許可しよう」

 言いながら手元のホログラムモニターから特殊事項契約証明書を開き、再びサインを施す。

「それで良い。元より選択の権利など無いが、君達は“自らの意思で”正しい道を選んだ。“正しい未来”へと繋ぐ為の正しい選択をね」

 マリアは囁くように言った。


 レオナルドとマリアの対面で、マークתの面々は各々がそれぞれ思い思いのことを思考していた。

 ジョシュアとルーカスは強引に話を推す進めるマリアに対し不信感を抱く様子を見せてはいるが、状況が状況だけに口を挟むことはせずに事の行方を見守っている。


 玲那斗は相手の立場とこの場のやり取り以上に、マリアという存在そのものについて思考した。

 イベリスやアルビジアとの関わりもそうだが、彼女が自分に対して見せた様子からしても何かしらの因縁めいた出来事が過去にあったことは想像に難くない。

 そのことが今回の事態に何かしらの影響を及ぼすのではないか……自分という存在、自身の中に眠るもう1人のレナトという存在が事象に対して何かしら影響を与えるのではないかと気に掛ったのだ。

 ふと視線を横に逸らし、イベリスだけに向ける。すると、やや俯くように伏し目がちに考え事をしている彼女の様子が見て取れた。

 同じことを考えているのかもしれないとも思ったが、イベリスは自分とは違い、過去にあった出来事をそのまま記憶しているのだから、直接的に過去の出来事について思考を巡らせているのだろうという結論にすぐ至る。

 出来ることなら今すぐにでも過去について彼女に問いたいが、状況はそうした行為を許してはくれない。

 ひとまずはこの会合の行く末を見守るしかないだろう。

 イベリスに向けた視線をレオナルドとマリアという、2人の指揮官に向け直して気持ちを切り替えた。


 一方、フロリアンは戦争や世界のことを一度頭から外し、ただひたすらに目の前に座る少女のことについてのみ考えていた。

 マリア・オルティス・クリスティー。自身にとっての特別な存在。生涯を伴にしたいと決めた1人の女性。人生で初めて、家族以外に〈心から愛した〉存在。

 実際、ミュンスター騒乱後に彼女と互いにそのような話しもした。スワンボートに乗ったあの日、彼女とははっきりと言葉で互いの想いを確かめ合ったのだ。

 もちろん、そんな彼女がリナリア公国出身の特別な人物であることは、ミュンスター騒乱の事後にイベリスへ確認して委細承知済みである。だからといって想いが揺らぐことは無い。

 だが、まさか彼女が国際連盟という国際機関の、しかも秘匿部門の頂点に立つ存在であろうなどというところまでは想像も及ばなかった。

 ハンガリーで彼女について聞こうとするたびに彼女が繰り返した「答えられない」という言葉が何を示していたのかを今さら理解することになろうとは。

 彼女の背負うものの重たさを。彼女が守ろうとしているものの巨大さを今になって痛感する。それでも……全てを知って尚、自分の考えや気持ちが変わることなど有り得ない。

 しかし、彼女自身はどうだろうか?

 自分だけが気付いている。マリアがこの部屋に入室して以後、他の全員とは一度は視線を合わせているにも関わらず、自分とだけは“ただの一度も視線を交わしていない”ことに。

 その際、彼女が極度の緊張状態に見舞われた時にだけ見せる〈手を固く握り閉じる〉という所作をしていたことにも。

 今見せている傲慢さは偽りの演技に過ぎない。本当の彼女は、何も思うことなくそのように振舞い続けられるほど器用な性格ではないのだから。

 立場が人を変えるというが、彼女は背中に背負うものの為に自らを殺してある種の悪者として振舞っているに過ぎないのである。

 ただ、自分が今彼女に問いたいのは、正直なところは彼女の立場についてではなく、もちろん戦争のことでも世界のことについてでもない。

 彼女自身についてのことだ。

『マリー、君はまだ何か隠し事をしている。まだ、この場で語っていない本心が別にある。そして、それを悟られることを何よりも怖がっている。ここに集まった全員に。或いは僕に。君は今、何を考えているんだい?マリー』


 フロリアンがそのようなことを考えながらじっとマリアへ視線を送り続けていると、彼女はそれに気付いたように視線を向けかけた。

 だが、唇を固く閉じたまますぐに顔を反対側に逸らすのだった。



「これで必要な要素が全て揃った。我々国連と機構の協力体制の構築。公国の忘れ形見たちとの協調。パズルのピースが結びつき、描かれるべき絵が表れた」

 マリアは視線をイベリスに向けて言う。

「イベリス。千年越しの再会ということで君に言いたいことは山ほどあるが、いずれ別の機会に言うとしよう。今はただ、その力を“今という時代”を生きる人の為に貸して欲しい。新国王1人の為ではなく、この地球に生きる全ての人の為に」

「えぇ、わかっているわ」

 次にアルビジアへと視線を移したマリアは言う。

「君も力を貸してくれるね?アルビジア」

「従います。みんなに」


 彼女の言葉を聞き、一呼吸置いてマリアは立ち上がって早速本題へと移った。

「ここからは私達も君達の要求に従うとしよう。まずは状況の整理からだ。我々国際連盟が持ち得る情報の全てを君達に開示する。その約束を果たそうじゃないか、レオ」

「そうしてくれたまえ。我々としても状況の整理と分析が出来なければ、何をどのように協力すべきかの見当が立てられない。宜しく頼む」


 マリアは何もない壁際まで移動すると、室内に備え付けられた大型のホログラムモニター投射機を起動した。全員がしっかりと眼にすることの出来る位置にモニターを立ち上げ、開戦以前から今日に至るまでに世界で何が起きていたのかをまとめた資料を表示して言う。


「今年の5月。グラン・エトルアリアス共和国は国際連盟に対して、即時脱退の通知と核兵器禁止条約の署名破棄を一方的に通告した。続けて君達機構に対して災害時特殊協定を打ち切るという通告を行う。

 直後から、世界は一丸となって考えを改めるように数か月に渡って彼らに対する説得を試みたが、結果として何も成果は得られなかった。

 共和国が国連や機構との関係性を断ち切ってから数か月。長くも短い月日を経過し迎えた今月8日。同国大統領であるアティリオ・グスマン・ウルタードは全世界に対して唐突に宣戦を布告し、一方的な第三次世界大戦の開戦を表明。

 数日後の12日にはアメリカ合衆国と英国、フランスが共同戦線を張り海上から同国に先制攻撃を仕掛けるも、およそ30分足らずの間に共和国側の武力によって完全に鎮圧されている。

 以後は共和国側が報復と称して、先制攻撃を仕掛けてきた三か国及び、国連常任理事国である二か国の軍事施設に度重なる攻撃を仕掛けては破壊と占領を繰り返しているという状況だ。


 ここまでは全世界中の人々が知る情報であり、君達もよく知ることだと思う。


 問題はこの先にある。ここからは我々しか知り得ない話をしよう。

 私達セクション6は、共和国が国連や機構との関係を断ち切る以前から、同国にアンジェリカが身を寄せ裏で暗躍しているという情報を掴んでいた。

 具体的に言えば2036年にミクロネシア連邦で聖母の奇跡事件が起きて、そう間もない時期のことだ。

 君達の記憶にも鮮明に残っているだろう。


 ミクロネシア連邦で広がっていた薬物汚染に続いて聖母の奇跡事件が起きる前、私は同国を一度訪問している。前年の2035年のことだ。

 彼の国への薬物がどういった経緯で持ち込まれていたのかはもちろんだが、以前にマルティムという密売組織がどのような経緯で結成され同国へ入国したのかを調査していてね。

 彼らマルティムの周囲を調べると、各方面のあらゆる記録からどうにも不自然な改竄履歴の数々が浮上してきた。

 入国管理に関する情報やマネーロンダリングに関する情報。数こそ多いが一見すればひとつの事象に対しては何の繋がりも見いだせないデタラメな改竄履歴だ。

 だが、それらをひとつずつ調べていった結果、改竄そのものを行ったと思わしき、あるひとつの国の存在に辿り着くこととなった。

 それが〈グラン・エトルアリアス共和国〉だ。


 緻密且つ用意周到な情報操作と隠蔽工作の数々。共和国の関与という事実に辿り着けたことは奇跡に等しかったと言って良い。

 我々はすぐに極秘調査を開始した。彼らが君達機構と並んで、現代科学技術開発の急先鋒ということも鑑み、迂闊に動いたり近付いたりして気付かれたりしないようにじっくりとね。

 結果として、まずはグラン・エトルアリアス共和国国庫からミクロネシア連邦宛に多額の資金供与がなされていたことを突き止めた。

 彼らは会計監査記録などを改竄し、資金供与を行っていたという事実を対外的には一切分からないように、存在自体がなかったことのように処理していた。同時に、複数人のミクロネシア連邦への入国審査手続きに関する改竄処理まで施していた。


 もちろん、マルティムのリーダー格であったビズバールやヘカトニオンの入国審査記録がこれにあたる。


 ここまできて、ようやく最初の疑問に対してひとつの繋がりを見出すことに成功した。

 多額の資金援助を共和国が行う代わりに、マルティムという組織をミクロネシア連邦へ密入国させていたという答えを以って。


 だが、その先には新たな疑問が浮上することとなる。

 そんなことをしてグラン・エトルアリアス共和国側に何のメリットがあるのかという疑問だ。危険を抱え、手間を掛ける割には得られるものがあまりにも無いのではないかとね」


 次にマリアは画面を切り替え、機構の人間なら誰もが知る〈劇薬〉を映し出し、ルーカスを見て言った。

「調べた結果、答えは見つかった。アメルハウザー准尉。今モニターに映し出されているものが何かわかるね?」

「グレイだ。いや、CGP637-GGから生まれた副産物。正確な情報分析は未だに完了せず滞ったままの代物。現代科学では有り得ない構造を持つ未知の薬品群」

 マリアはルーカスの答えに頷きながら言った。

「その通り。ミクロネシア連邦で猛威を振るった危険ドラッグ。いや、農薬の亜種だ。2035年頃から同国内に出回り始めたと言われている。端的に言うと、先ほどの〈新たな疑問〉に対する答えがこの薬品の存在だったんだ」

 そこでジョシュアが挙手をして発言する。

「グレイやCGP637-GGについては、ミクロネシア連邦での一件とセルフェイス財団での一件からアンジェリカが深く関わっていると我々は認識している。つまり、その薬品の存在を接点として共和国とアンジェリカが紐付けられたと?」

「その通り。未だに薬品が未知のものであり続けられるのは、彼女が自らの異能である〈絶対の法〉を用いているからに他ならない。グレイやCGP637-GGは科学の力だけではなく、非科学的な要素を組み込んだ結果として生まれたものだ。

 これらの情報に加えて、2036年の聖母の奇跡事件以後にアンジェリカが同国に滞在しているという情報が我々にもたらされていた。ヴァチカンからの情報提供によってね」

「ロザリアか」

 玲那斗の言葉にマリアは同意を示す。

「彼女はただ奇跡の行方について、ヴァチカンの意思を語る代表者になるという目的だけで同国を訪れていたわけではない。彼女も彼女なりに何か思うことが以前にあったのだろう。もしかすると、その数年前から継続してかもしれない。ともあれ、ミクロネシアで起きていた出来事については彼女を通じて逐次私達の元に情報提供がなされていた」

「クリスティー局長。グラン・エトルアリアス共和国とアンジェリカがグレイを通じて結び付けられたことは理解出来たが、それによって共和国側が得られたメリットとは何なのだろうか」

 ジョシュアが問う。するとマリアは間髪入れずに答えた。


「実験だよ。人間の身体を使った、人体実験だ」



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