*2-1-3*

 エトルアリアス要塞 -アンヘリック・イーリオン- 玉座の間にて


 ホログラムモニターを閉じたリカルドは軽く息を吐いて言った。

「彼女から報告があった。国際連盟と機構の会合が始まったそうだ。国連にとっては機構が、というよりは彼女達の力が目当てなのだろうが」

「いずれにしても素敵な組み合わせね。〈Two as One.〉。国際連盟と世界特殊事象研究機構。彼らはようやくわたくしたちにとって目を向けるべき相手となった。

 力なき者を指で弾く“作業”にも丁度飽きていたところなの。

 ねぇ、リカルド?彼ら彼女らはどのようにお相手して差し上げるのが良いかしら?ねぇ、貴方はどう思うの?意見を聞かせてくださいな」

 穏やかな笑みを湛え、ふわふわとした足取りでどこへ向かうでもなく周囲を歩く1人の女性。

 膝下裏付近まであるシルクのようになめらかで美しい、グレーの長い髪を揺らしながらシルフィーは嬉しそうに言う。

「それはそうと、マリアナ海溝のあれ。あれはまだ使ってはダメなのかしら?」

 ふわっとした所作でリカルドの方を向き、柔らかな微笑みを湛えて世にも恐ろしいことを彼女は口走った。

 リカルドは彼女を真っすぐと見つめ、毅然と言う。

「国連と機構の結託に関する対処措置も、海溝の代物の運用についても決断なさるのはアンジェリカ様だ。其方でも私でもない。それに、其方にあれの発射スイッチを握らせれば1分も経たずに押してしまうだろう?」

「えぇ、もちろん。だって……だって、想像してみてくださいませ?地表か、或いは水平線の彼方に燃え盛る炎の輝きを。

〈アストライアー-星の如く輝くもの-〉より放たれる〈ヘリオス・ランプスィ-太陽神の煌めき-〉。

 それはとても綺麗な花を咲かせるに違いない。天使が天上より降りて来たかのような光輪を輝かせるに違いない。

 きっとアンジェリカ様だってお喜びになるはずよ。あぁそうよ、きっとそう。アンジェリカ様もお喜びになるはずだわ。うふふふふ。その尊顔を拝することが出来るのであれば、大地より先にわたくしが焦がされてしまいそうね?」

「押す時は、アンジェリカ様の御前でなければ。不在の折に押してしまえば機嫌を損ねられよう。或いは、アンジェリカ様が指示を下された時でなければな」

「まぁ、大変。でもそのことでアンジェリカ様直々に、わたくしに罰が下されるのであればそれもまた何よりの褒賞となりましょう」


 要塞のステンドグラスから差し込む太陽の光。注がれる陽光がシルフィーを照らし、彼女のなめらかな髪は淡く透き通るエメラルドグリーンの色合いに変化する。

 相も変わらずな調子のシルフィーを横目にリカルドはふっと溜息にも似た息を吐いて遠くの景色を見つめた。

 どれだけ長い間共に過ごそうとも、彼女の思考はまるで読むことが出来ない。

 今もそうであるし、普段から言っていることも滅茶苦茶なのだが、いざ事を成そうという時には状況に応じて“誰よりも的確な分析を行い、誰よりも的確な計画を立案し、誰よりも的確な判断を下す”頭脳を彼女は持っている。

 穏やかで、ふわふわとして掴みどころのない人物のように見えてその実、誰よりも智略に富んだしたたかさを持つ冷酷な者。

 誰もが憧れるような美貌を持ち、醸し出される淑やかさから放たれる育ちの良さは直接言葉を交わさずとも誰にだって伝わる。

 そのような性質を持つ彼女は、世間一般的に言うならばサイコパスと呼ばれて然るべき存在かもしれない。

 これがシルフィー・オレアド・マックバロンという人物だ。


 ハンガリー 国境付近での難民狩り事件。

 ミクロネシア連邦 ポーンペイでの国家薬物汚染事件。

 イングランド ダンジネス国立自然保護区での農薬汚染事件。

 ドイツ ミュンスターでの大衆扇動による暴動事件。


 これら全ても元を正せば彼女の計画と立案によるものである。思い付きと言っても良い。

 最も近い出来事で彼女の計略が冴え渡った例といえば、第三次世界大戦開戦の時だろう。

 共和国が宣戦を布告して間もなく、彼女はアメリカ合衆国と英国及びフランスが共同戦線を張って先制攻撃を仕掛けてくるという予測をいち早く立て、撃退に必要な戦力の想定と配置を行った。

 その手際の良さは総統補佐と参謀という役を預かる自分を遥かに凌駕するもので、いつもながらに聞いていて感心してしまうほどのものであった。

 彼女は計画立案の最後にこうも付け加えた。


〈準備を整えた後は、敢えてこちらから打って出ることはせずとも、待ち構えるだけで事足りる〉と。


 その結果は言うまでもない。敵連合国の先制攻撃から半刻足らずで、共和国側の完全勝利により戦は幕を閉じたのである。

 だが、この結果は誰を驚愕させるものでも無かった。〈シルフィーが言うのだから間違いないだろう〉という確信が誰の頭にもあったからだ。

 結果に驚いた者がいるとすれば、実際に対峙した敵国の兵士たちや政府高官、或いは国民や関連諸国といった“共和国に関係のない人々”だけだろう。

 こちらとして驚いたのはむしろ、世界最強の軍隊などという某国の軍備があまりにも脆弱であり、肩透かしにもほどがあるということであった。

 さておき、単純な未来視の力を行使できるアンジェリカの上を行く状況予測と計画性。確かな戦術眼は総統である彼女のお墨付きであり、お気に入りである。

 加えて、アンジェリカですら顔をしかめてしまうような残虐性と冷酷さも大いに彼女を満足させている一因だ。


 リカルドが思いを巡らせる中、ふとシルフィーが言う。

「ねぇ?リカルド。先の話の続きだけれど、貴方はどう思っているのかしら?」

「国際連盟と世界特殊事象研究機構。彼らとどのように対峙するのか」

「えぇ、えぇ、そのお話について。とても素敵だと思わない?あの2つの国際機関が手を結ぶということは、これで晴れて“世界そのもの”がわたくしたちの敵になったということ。言葉通り、〈世界を敵に回す〉こととなったわたくしたちは、どのようにすべきなのでしょう」

「そうだな。特に何を思うこともないが、強いて言うのであれば……」


 その時だった。リカルドが結論を言おうとした矢先に、甘ったるい少女の声が2人の後ろから響き渡る。

「おはよう~☆諸君!ごきげんうるわしゅう☆」

 ふいに周囲を満たす甘美な花の香り。嗅ぐ者の感覚を蕩けさせ、陶酔に思考を歪ませ狂わせるほどの甘い香りが一帯を包み込んだ。

 自分達の主の目覚めにリカルドとシルフィーは素早く反応し、振り返りながら深々と一礼をして敬意を示す。

「アンジェリカ様、今日は早いお目覚めで。ゆっくり休まれましたか?」

「うんうん☆おはようリカルドん。良きかな良きかな^^ふわふわでふさふさのベッドはとても心地よくて、私の心を掴んで離さない!ゆっくり休めたから大丈夫大丈夫ぅ♡」

 背に羽織ったマントを翻し、悠々と玉座へ向かって歩きながらアンジェリカは言った。

「あぁ、アンジェリカ様、アンジェリカ様。今日も可愛らしい御姿。あぁどうか、どうか。ぜひに、ぜひに。わたくしめに寵愛を賜りますれば幸いにございます」

「うんうん。今日も良い感じにネジが飛んでて何よりシルフィー☆でぇもー、私の愛は罪人に与えるものだから貴女には与えられないのー、残念!」

 うっとりとした恍惚の表情で視線を送るシルフィーを軽くあしらい、アンジェリカは歩みを進めた。

「それよりアビーはまた研究室に籠り切りなのかなぁ?24時間戦っちゃってないよね?あの子、大丈夫ぅ?´・・`」

 彼女はそう言いながら玉座へと至る階段の手前で足を止め、紫色の煙が霧散し姿を瞬時に眩ませた直後、ふわふわの敷物が敷かれた玉座にちょこんと姿を現し腰をかける。

「は、彼女とて人の子です。必要とあれば休息も自らの意思でとるでしょう」リカルドは言った。

「それはそれとして、何より」

 玉座でにこにこと満面の笑みを浮かべて無邪気に笑うアンジェリカはすっと目を開き、冷酷な光を瞳に湛えて眼下の2人に言う。

「つい今しがた、面白そうな話をしていたわね?国連と機構に対してどのように対峙するのか。シルフィーの質問をそのまま私からもしようかしら。貴方の答えに興味があるわ、リカルド。聞かせなさい?」

「はっ。恐れながら。私めの答えはただひとつ」

 リカルドは玉座に座るアンジェリカに首を垂れながらはっきりと言った。


「それはひとえに〈神-アンジェリカ様-の御心のままに〉」


 答えを聞いたアンジェリカは満足そうな笑みを湛え、くすくすと笑いながらシルフィーへと目を向けて言う。

「ネメシス・アドラスティアの指揮は私が執る。それ以外はシルフィー、貴女の好きになさい。マリアナ海溝に仕込んでいる例のあれ。あれのスイッチも、貴女に預けましょう」

「はい。貴女様の求められる景色をお見せすることを約束いたしますわ」

 優雅なカーテシーでアンジェリカの指示に承諾を示してシルフィーは言った。

 スイッチを預けるという言葉に戸惑いを浮かべるリカルドにアンジェリカは続けて言う。

「リカルド。貴方は私と一緒に来てちょうだい。きっと、面白い景色が見られると思うわ。敗北続きの我らが初めて勝利を手にするところ。悔し気な表情を浮かべ、国連のあの子が私に跪く瞬間が、ね?」


 アンジェリカの言葉に、リカルドは静かに首を垂れて御意を示した。



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